第一話 赤き剣

 トゥール大陸 マーカス王国 レヴィウスの村


 リィズ・アンシェリス・クリスツェンはナイトクォリー王国へ向かう旅の途中だった。

 ナイトクォリー王国は、全王国へ向けて宣戦布告したセルディシア王国の最初の標的だ。解放神レーヴェを国教とし、魔族を使役する暗黒の王国に対し、ナイトクォリー王国には傭兵隊に志願する者も多く、今は人が集まりやすい。まずはナイトクォリー王国の城下町で情報を集めるつもりでいた。


 今年で二一歳になるリィズは死んだ父の遺言の元、旅立った。

 故郷であるマーカス王国、レヴィウスの村から出てすぐにナイトクォリー王国へ向かう隊商を発見できたのは僥倖だった。馬を連れてはいるが、やはり人数は多い方が良い。リィズは自身が剣を持ち、僅かながらでも隊商の護衛として戦力になることを伝え、ナイトクォリーまでの道のりを隊商と共に行くことにした。


 ――三年前


 リィズは父、ヨルグ・アンハード・クリスツェンと二人でレヴィウスの村で暮らしていた。

 父は名のある剣士であり、刀匠でもあった。剣士としてはナイトクォリー王国にて年に一度行われる、武闘大会でも何度か優勝をしたほどであり、その父を倒し名を上げようと、父に戦いを挑んでくる者は後を絶たなかった。

 刀匠としても、剣を打つ時にのみ行使できる特殊な魔導の素養を持ち、幾本かの魔導の剣を打った。そのうちの二振りで一組の剣、聖夜の騎士ソード オブ ホーリィナイトはナイトクォリー王国騎士団でも異彩を放つ精鋭の一人、セリカ・アフィッドの持つ剣としても名を馳せていた。そのため、剣を打って欲しいという者も少なくなかった。

 そんな日々が続く中、ある日リィズが買い物に出かけ、家に帰ってきた時のことだった。

 父が血まみれになり倒れていた。父に挑戦しに来た戦士に負けたのだろうことはすぐに想像がついた。

「父様!」

「リィズ、あ、あの男に、赤魔せきまを……使わせては、ならん……。あ、蒼い鎧の男だ……」

 委細までは知らないが、赤魔とは父が持つ魔導の剣の片方の名だ。もう片方を赤光せきこうといい、赤光と赤魔は二振りで一つの番の剣だった。どちらも片手半剣で、片手でも両手でも振るえるようになっている。

「喋らないで!今手当てを……」

 腹部を刺し貫かれている。神聖魔導の奇跡を行使することのできないリィズにはもはやどうしようもないほどの傷だった。

「良い、手遅れだ……。そ、それよりも……。年端の行かぬお前に頼むのは酷だとは思うが……。頼む!せ、赤光は……」

 そこで父はこときれた。

 いつかはこんな日が来るのかもしれないという想像はしていた。剣士の娘としてそれは覚悟していたことだったが、いざ目の当たりにすると、悲しさと不安が止めどなく溢れてくるようだった。

 息を引き取った父を手厚く埋葬し、リィズしばらく迷っていた。このまま父を置いて旅立つ決心が中々できなかったこと、そしてその父の仇を討つということは即ち、人を殺すために旅に出ることと同義だ。そもそも人と争うことすら是としないリィズに仇討ちをやり遂げることができるのか、自信もなかった。

 しかし父の最期の言葉から、赤魔は何某か言い知れぬ力を持っているようにも思えた。父の死も赤魔の持つ魔力が招いたという可能性もある。リィズも委細を知らない赤魔が、それを持つ人にどんな悪影響を与えるかも判ったものではない。結果的に父の打った剣で多くの犠牲者が出ることをそのまま放置することもできず、旅立つことを決意するまで三年、かかってしまった。

 父に剣術は教え込まれている。女流ながらその腕は郡を抜き、もしも戦場に出ていたならたちまち字がつくほどの剣士となっていたであろうほどに。

 リィズは蒼い鎧の男、そして赤光と赤魔を捜すために、戦争が起き、傭兵が集っているナイトクォリー王国へ向かうことにした。



「野盗だ!囲まれてるぞ!」

 大きめの荷物を馬に下げ、その馬を馬車とロープで繋ぎ併走させ、リィズ自身は馬車の中で休ませてもらっていたところだった。馬車の外からそんな声が聞こえてくる。リィズは慌てて剣を手に馬車から飛び出した。念のために胸部板金鎧ブレストプレート肩当てショルダーガードを着けていたままだったのが幸した。囲まれたとなるとこの隊商についていた傭兵二人だけでは撃退は難しいかもしれない。自分一人加わったところで撃退できる訳ではないかもしれないが、リィズは剣の柄に手をかけた。辺りを見回すと同時に気配も探ってみる。正確な人数までは把握しきれなかったが、恐らく十人ほどだ。一度に三人までなら倒せないまでも何とか抑える事はできるかもしれないが、そこに一人でも加われば抑えるどころか逆に殺されるだろう。

 そう考えていた矢先に、今まで自分たちが進んできた道から土煙を上げて馬が走ってくるのが見えた。敵の増援か通りすがりか。どちらにしろ状況の好転は望めない。いや望まない方が良い。

 しかしそのリィズの考えはたちまちに崩された。馬でこちらに迫ってきた戦士らしき男は遠目に見てもランスを構えている事が見て取れる。そして馬上の戦士はそのまま野盗の何人かにランスチャージを仕掛けた。

「うわあああ!」

「なんだ?味方なのか?」

 この状況で敵も味方も判断が付くはずもなかったが、まさかランスチャージをしかけられるとは思わなかったのだろう。こちら側も野盗達も慌てふためいた。

 しかしその好機をリィズは逃さなかった。

 トゥール大陸の遥か西方にある大陸から伝わったといわれる、剣を鞘から抜くと同時に敵を斬る居合イアイという剣術に、父独自のエッセンスを加え確立させた宰済えんざい流剣術の使い手であるリィズはこの一瞬の野盗の迷いで三人を斬った。腕と足には深く、腹部には浅く。即死はしないものの、即座に手当てをしなければ死に至る。しかし人を襲い、金品を奪う輩に同情は無用な上、傷の気遣いまでしてはいられない。

 リィズは自分から近い場所にいる傭兵の助太刀に入ろうとした。

 ランスチャージをしかけた正体不明の戦士はランスを捨て、剣に手をかけつつ馬から飛び降り、もう一人の傭兵の手助けに回ってくれたようだ。何故だかも誰だかも判らないがありがたい。

 傭兵は良く立ち回っていた。二人の野盗を相手に何とか互角の戦いをし、野党からの被害を立派に防いでいた。

 リィズは腰を低く落し、駈け抜けると同時に剣を抜いた。

 一閃。

 斬り終えると同時に、再び剣を鞘に納める。その一太刀で右大腿部を深く斬られた野盗は、倒れた。

「すぐに手当てをしなければ、どうなるか判りませんよ……」

「やるな、嬢ちゃん!」

 二人を相手にしていた野盗の片方が倒れると、たちまち優位になった傭兵が残る野盗を切り捨て、リィズに言った。

「あっちの方は大丈夫かしら……」

 リィズはそう言うが早いか、正体不明の助っ人ともう一人の傭兵がいる方へ駆け出した。

 こちらの方が野盗が多かったようで、まだ戦闘は続いていた。野党の一人が隊商の商人を一人斬り捨て、馬車に近付いた。

(視野の狭い野盗で助かったわ……)

 リィズは胸中で呟いてその馬車に近付いた野党に目標を絞った。商人を人質にでも取られたら立場は逆転してしまうところだった。馬車の幌に火矢を仕掛け、出てきた商人たちを生け捕りにすることなど当初の人数であれば造作もなかっただろう。

「……っ!」

 声にならぬ気合と共に踏みこむと剣が閃く。

「うわああっ!」

 右脇腹を深く斬られ、野盗は崩れ落ちた。手元が狂った訳ではない。軽傷に留めるだけの余裕がなかった。明らかに致命傷だ。斬った敵を見ないように剣に着いた血を振り払う。リィズの剣はシャムシールともサーベルとも形状の似た、大陸より伝わってきたとされるカタナと呼ばれるもので、最近ではトゥール大陸でも一般化してきた剣だ。僅かに反りのある刀を白鞘に納めると、注意深く辺りを見回した。

 犠牲は少なくて済んだようだ。表に出ていた隊商の商人三人が殺されてしまった。傭兵も二人健在で、謎の助っ人戦士も無事だったが、この人数で十人余りの野盗を退けられたのは僥倖と言っても良かった。

 リィズは助っ人戦士に礼を言おうと近付いた。戦士は指笛を吹き馬を呼ぶと冑を脱ぎ、リィズに向き直った。出てきた素顔はそうリィズと年の変わらない青年だった。そしてその手に持つものを目に留めて、リィズの足が止まる。

(……赤光!)

 父の剣。その内の一振り。聖剣赤光。幾度かしか目にしたことはないが忘れようはずもない。鍔の特殊な形状、鍔と刀身にルビーのように赤い旒刻石りゅうこくせきという魔導の宝石が埋め込まれた美しい装飾は、リィズの記憶にしっかりと焼き付いている。

「おっ、随分と若いな、いや助かった、ありがとうよ」

 直接援護をしてもらった傭兵が青年に言った。

「あぁ、なんかね、ヤバそうだったし、見捨てられないかなー、って」

 青年は頭を掻いて赤光を鞘に納めた。

(蒼い鎧の男……)

 父の遺言だ。赤魔を父から奪った男ではない。実際にその青年は赤光を持っているだけで、蒼い鎧は着けてはおらず、赤魔も当然持っていない。

「あの、その剣は……」

 リィズは言おうと思っていた礼も忘れ、青年に話し掛けていた。

「あぁ、これ、詳しいことは知らないんだ。前にいざこざがあったときに倒した剣士が持ってたからさ」

 鞘ごと持って、青年はまた頭を掻いた。このご時世だ。何かの争いごとなどに巻き込まれ、相対した敵を殺さなければならなくなった場合、殺した者の装備品などを物色するのは当然だろう。故に高価な武具を持ち歩いているだけでも襲われる可能性はある。

「それ、父の剣なんです……」

 リィズは言って赤光を指差した。

「……この隊商はどこへ?」

 青年は訳の判らない顔を作っている傭兵に訊いた。

「ナイトクォリーだよ。ウォルザムには寄らずに城下町へ行く」

「そっか。じゃあおれも一緒についていきますよ。おれもナイトクォリーに向かう途中だったんで。じゃあこの剣の話、道すがら詳しく教えてよ」

 青年はリィズに言った。

「え、えぇ。あ、私、リィズ・アンシェリス・クリスツェン。よろしく」

「おれはフィル・スヴェイン。よろしく、リィズ」

 二人はお互いに握手すると、足止めを食った隊商が出発できるように準備を始めた。



 再出発してからすぐに、リィズは自分の馬をフィルの馬に寄せて、数年前にあったできごとを語った。

 父が何者かに討たれたこと。

 赤光、赤魔の一対の剣を捜すこと。

 赤魔の持ち主を探し、父の仇を討つこと。

「そう、だったんだ……」

「赤光のことは最期まで語らずに逝ってしまったから……、その行方は絶望だったの」

「でもおれがその赤光を持って現れた、か」

 フィルはリィズの話した内容をしっかりと聞いてくれたようで、リィズがひとしきり話し終わると、すぐにそう言ってきた。

「えぇ」

「じゃあさ、これ、リィズに返すよ。そもそも拾った物だしね」

 実にあっけらかんとフィルは言い、笑顔になった。

「ううん、あなたみたいな人が持っていてくれるのならいいの。私にはきっと赤光は扱えないから。問題は赤魔の方」

 リィズはそう言って人好きのする笑顔を浮かべるフィルに微笑んだ。高価な装備品や魔導の武具などは持ち主が巡って当たり前だ。装飾としての高価な品物はその限りではないが、傭兵や冒険者は必要だからその装備をしていることが殆どだ。つまり強力な武具を必要とするほどに危険な位置に身を晒しているということになる。それはつまり、死亡する確率が高いということの裏付けだ。そうした場に措いて残された武具は、それを発見した者が新たな所持者となるのが当たり前だ。

 赤魔とともに失われた赤光が、巡り巡ってフィルの手に渡った。それだけのことだ。赤光に関しては所在がはっきりと判ればそれで良いとリィズは考える。赤光は赤魔のような何か言い知れぬ力を持つ剣とは違う。推測でしかないが、赤光と赤魔が対になったときに何かが起こるのだとすれば、赤魔がない今、赤光には問題はないように思える。

「いいの?」

 フィルは言って赤光の柄を持った。鍔の赤い旒刻石が微かに暖かな光を発する。

「えぇ。実際それでフィルに助けてもらったもの」

 フィルのように、例え通りすがりすがりであっても見ず知らずの隊商を助けるような気心の持ち主であれば、きっと赤光は力を貸してくれる。

 そんな気さえしてしまう。

「……じゃあさ、おれもちょっとの間だけど手伝うよ、赤魔捜し」

「でも、何か目的があるんでしょう?フィルにはフィルの」

 驚いた顔でリィズはフィルを見た。

「いや、ナイトクォリーに行くのも特に目的があって、って訳じゃないんだ。元々あてのない旅だったし、ナイトクォリーで傭兵隊にでも志願しようかな、ってね」

 絶望だと思っていた赤光がいきなり見つかった。

 赤魔の方が僅かでもいくつか手がかりがあるぶん、早くに見つけられるかと思っていたのだが、随分と思わぬところで赤光を発見できた。しかも今の赤光の持ち主は悪い人間ではない。

「あ、そうだわ。大事なこと忘れてた」

「?」

「助けてくれてありがとう、フィル」

 リィズはそう言って、ぺこり、と頭を下げた。

 フィルは微笑むと、こちらこそ、とリィズに返した。


 第一話 赤き剣 終わり

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