来るかもしれないと期待して。
土蛇 尚
期待して期待して
来るかもしれないと期待して。
今日で三が日も終わり。今年も誰も帰って来なかった。仕方ない、みんな忙しいから。今年も二人だけのお正月だった。
来るかもしれないと期待して買った蟹、来るかもしれないと期待して出した布団、来るかもしれないと期待して買い込んだ菓子。
この蟹はどうしよう。出しておいた座布団もお布団も片付けないといけない。来るかもしれないと期待してまた準備してしまった。
来るかもしれないと期待して、駐車場の雪かきをいつもより広くして、来るかもしれないと期待して茶菓子を買い込む。腰の痛い体で雪かきをするのは大変だし、スーパーで沢山買って持ってかえるのもしんどい。
どれも老人二人だけが住む田舎の家には必要のないこと。
でもいつもお正月になると来るかもしれないって。
「もうやめよう」
自分か妻、どっちかがそう言えばもうしない。でも自分は言わないし妻も言わない。どっちが悪いわけでもないし誰かが悪いわけでもない。みんな忙しい。電話をすればいいのだけど、それは気を使わせてしまう。家に帰って来るのに気を使って欲しくはない。
ただ帰ってきて欲しかった。
昔の、孫達が小さかった頃のお正月は良かった。息子達は、帰って来る車の音が聞こえた時の私たちの気持ちなど知らないだろうけど。
「早く家に入りなさい」
そう言うとみんなぞろぞろと家に入って急にいつも家が小さくなる。小さくなるは違うかもしれない。満ちる、家が満ちる。
厚着した孫達は、まるで小さなコートがてくてく歩いてるみたいで可愛くて、若いお嫁さんは綺麗で、久しぶりに会う息子達は長い運転で少し疲れてる。
若いお嫁さんなんて言い方は良くない。こんなところが嫌な田舎の老人みたいでダメ。彼女達にとってはここは他人の家なのだから。自分達の子供を選んでくれた大事な誰かのお嬢さん。あの頃から気をつかってくれてただけで来たい場所ではなかったのかもしれない。
蟹をむいてあげないと食べらない孫達にむいてあげると美味しいってりんごみたいなほっぺたでにっこり笑ってくれた。
「ありがとう!」
そう言ってお年玉を受けとる時の笑顔を見ると、二月の年金から少しづつ貯めていて良かったなと思う。
でもみんな大きくなっていく。小学校、中学高、高校と大きくなる。
「ありがとう!」は「ありがとう」になって「うん、ありがと」になっていく。
もう2万円の詰め合わせじゃみんなお腹いっぱいにならないだろうし、孫達が貰ってるお給金の方が私達の年金より多いはず。もう蟹でもお年玉でも喜んではきっとくれない。
部屋の端に置いた子供用の小さな椅子。年に数えるほどしか使わなかったその椅子は、孫達が小さな頃に使っていたもの。使わないのにずっと目の届く場所に置いてある。座面にプリント印刷されたキャラクターの名前は、忘れてしまったけれど、孫達がお利口さんにして小さく収まっていた可愛らしい姿はずっと覚えている。
もう使うことはない。みんな大人になったのだから。だけど捨てられない。
昔のお正月は孫達があの椅子に座って、みんなは並べた座布団に座って一緒にお正月を過ごした。
それがとても遠いようで、私たち二人だけが取り残されている。
子供が大人になることは、とてもとても良いこと。
でもあの椅子は捨てられないし、来るかもしれないと期待することはやめられない。この田舎で二人だけは寂しい。
また蟹を腐られせてしまう。来るかもしれないと期待して。
終わり。
来るかもしれないと期待して。 土蛇 尚 @tutihebi_nao
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます