花の咲く場所

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花の咲く場所

「ああっ!おれのチャリッ!」

 あたしの目の前の彼はそれこそ目玉を飛び出させそうな勢いで堤防の下に停めてあった見るも無惨な自転車を見た。

「……や、ごめんて」

 流石にちょっと悪い気がしたもんで、その彼に謝ってみたりもする。

 海沿いの道へと出る途中、気持ち良く坂を下っていたら、道が急激にカーブしていて、曲がりきれなくなってしまったのだ。そこにあった目の前の少年の自転車に激突。あたしは奇跡的に怪我もなく、流石に当て逃げは良くないだろうと思い、堤防に上がって持ち主を探したら、この目の前の彼がそうだったのだ。

 当たり所が良かったっていうには聊か理解できないほどにあたしの方は自転車までもが無事だったりする。

「キミさぁ、ここの人間じゃないでしょ」

 かっくりと肩を落としながら彼は言った。うぅ、罪悪感が……。

「そ、そうだけど。どして判ったの?」

「地元の人間は大体この道は注意して走るもんだからな」

「……ふぅん」

 元々は地元の人間なんだけどね、あたしも。とは声に出しては言わない。今だって二つ隣の街に住んでいるけれど、どうせすぐに帰るつもりだし。

「きみ、名前は?あたしは今崎七月いまざきなづき。七月って書いて、なづき」

 ちょっとお詫びにお茶くらいならおごってあげようかなぁ、とか思ってあたしは訊いてみた。

「……や、槍太そうた

「ん?ナニ槍太君?」

魚野屋うおのや槍太!」

 何故か槍太君は大声でそう返した。

「魚野屋君?魚屋みたいねー。呼び辛いから、槍太君でいい?」

「あ、あぁ。呼び捨てでいいよ」

「ふぅん。ならあたしも七月でいいわ。なんかおごるよ。自転車は弁償できそうもないから……」

 頭を掻きながらあたしは言った。

「いいよ、別に」

「そう言わないで、さ」

 半分いじけてる槍太にあたしは言って、ちょっと強引に手を取った。悪いと思ってるんだから、これでも。

 あたしたちは自転車を二人乗り(もちろん槍太の運転で)して、近くの喫茶店まで行くことにした。



 店に入るとあたしはミルクティーを、槍太はアイスコーヒーを頼んだ。

「七月はさ、なんでここにきたんだよ」

 イジケモードも多少抜けたのか、槍太はそんなことを訊いてきた。

「……」

 あたしは本当のことを言おうかどうか迷った。多分言っても信じないだろうし。

「あ、あぁ、別にいいや。何となく思っただけだから……」

 無言の返事を何かヘンに勘ぐったのか、ちょっと焦ってるみたいだった。まぁ、いいか。

「……死体探し」

「死体?」

 やっぱりびっくりしたかー。でもホントのことだしなぁ……。

「そ。死体、捜すのよ」

「な、なんで……」

「ま、いいじゃん、そんなこと。槍太は?自転車のことだけじゃないでしょ、落ち込んだのって」

 死体探しはあたしのごく個人的な目的だし、事情を話して理解してもらおうなんて思わない。そもそも誰かに判ってほしい話でもない。だから話題を変えてみる。

「そ、それこそどうでもいいことじゃん」

 またちょっとイジケモードに入ったか、槍太は無然とした表情になった。なんか判りやすい。

「フられたかぁ……」

「な、なんで判んだよ」

 やっぱり。

「判りやすいって、槍太」

 出会ったばっかりだって言うのに、あたしは何故かずっと前から槍太を知ってるような気がしてクスクスと笑った。

「そうかよ」

「まぁ、怒んないでよ。で?どうして振られたの?」

「フタマタかけられたんだよ」

 ……それはまた。

「ご愁傷様」

 短く言って御冷に口を付ける。あたし自身は経験はないけれど、友達がそれでふられたことがあって酷い荒れようだった。確かに自分でも堪らないという想像くらいはできる。

「……そんだけ?話聞いてくれんじゃないのかよ」

「聞いてあげてもいいけど、どっちにしろヨリ、戻す気ないんでしょ?」

 フタマタかけるような女に「改心しましたもう一度付き合って下さい」と頭を下げられたって信用なんてできないでしょうに。

「まぁそうだけどさ。……んじゃあ七月はなんで死体探しなんて」

 うお、ぶり返すか。空気の読めない男め。でも自分がフタマタかけられた話なんてそもそもしたくもないか。まぁいいや。槍太、ちょっと面白いから仕方ない、話してやるとするか。

「親父がね。死んでんのよ、ここで。……槍太も知ってるんじゃない?一〇年前の事故」

「……あの製薬会社のか?」

「そう。あたしの父親、あの事故で死んではいるんだろうけどさ、死体、見つからなくて行方不明のままなのよ」

「それで父親の死体を捜すのかぁ?」

 半ば呆れて槍太は言った。まぁね、それも当然の反応か。

「見つかんなきゃ工場跡に花でも添えて帰るわよ」

「ふぅん。……じゃあさ、付き合ってやるよ。どっちにしたっておれ送ってもらわないと家遠いし」

 そんなことを話してる間に頼んだミルクティーとアイスコーヒーが運ばれてきた。

「そ。じゃあ付き合ってもらおっかな」

 ストローか入った袋を裂いてあたしは笑って見せた。



 数刻後、あたしと槍太は一〇年前まで親父が働いてた製薬会社の工場の跡地にきた。一〇年前の事故以来、ここは廃棄された土地のまま残ってるようで、簡単なバリケードは設えられてはいたものの、特に中に入るのに苦労はなかった。

「……なぁ、七月、多分死体の判別ができなかったんだと思うぜ、警察とかでも」

 何となく判ってる。だけど、つまらない意地なんだろう。あたしは夏休み中にどうしてもここにきてみたかった。自分の目で親父が死んだ場所を見ておきたかった。

 死体探しなんて本当は嘘だ。一〇年前、あたし達家族はここに住んでいた。あの事故があって、母さんと二人で親しい親戚のいる隣街に引っ越したのだ。

「死体なんて警察が全部調べてんだから、残る訳ないって」

 薄暗い廃工場の中を歩きながら槍太は懸命にあたしに話しかける。

「判ってる。判ってるわよ……」

 持ってたバッグの中からあたしは小さな紙袋を取り出した。

「花、の種?……そんなもんどうするんだよ」

 あたしが取り出した小さな紙袋を目に止めて、驚いたようだった。

「桜、知ってる?」

「あ?」

 あたしはその袋をシャカシャカと振って、槍太の目を見た。持っている種の袋は普通に市販されているコスモスの花の種だ。何を言い出すんだ、っていう顔。判りやすいなぁ、槍太って。

「桜、あんなに綺麗にピンク色に咲くのは桜の木の下に死体があるからなのよ。死体に残った血を吸い上げるの」

「な、何言ってんだよ……。だって移植したのだって綺麗に咲くじゃんか」

 そりゃあそうよね、こんな馬鹿げた話、信じられないのも無理はないわ。それでもあたしは続ける。

「死体の血を吸った桜の木の遺伝子があるからよ。それまでその桜は、白い花しか咲かせなかった。でも死体の血を吸ったという情報を遺伝情報として残した桜は自身の持っていた白い花に少しだけ血の色を折り混ぜた、綺麗なピンク色の花を咲かせるの。連綿と、ずっと耐えることなく続いてるのよ。死体の血の情報を持った桜の遺伝……」

 あたしの言葉に更に難解な顔をして、槍太は次の言葉を待っているようだった。桜の木の下に死体が埋まっているというのは梶井基次郎かじいもとじろうという明治時代の小説家が書いた話だ。きちんと読んだことはないし、内容だってろくに知らない。あたしの言葉なんてあたし自身が良い様に理解するためだけに、いやあたし自身を騙すためにでっち上げた屁理屈だ。

「ここに死体があれば、この種から花が咲くわ」

「咲かないよ、こんな日もあたらないところ。土だって養分とか、良く判んないけどなさそうじゃんか」

「だから死体があれば咲くのよ。死体が養分になって」

 咲く訳ない。そんなこと理屈では判ってる。でも全てを理屈で割り切れるほどヨイコなんかじゃない。

 遺体を見つけてもらえなかった。

 最期の顔も見られなかった。

 さよならすらも言えなかったのに……。

「七月……」

 気付いたら涙が溢れてた。……ちくしょう。男の子の前で泣くなんて。

「槍太が、悪いんだからね、こんな……」

 こんな、こんな……。

 なんだろう?でもあたしの肩を抱いてくれた槍太の気持ちがあったかくて、余計に涙があふれた。

「あの辺、土やわらかそうだぜ」

 振られ男のクセに、なんで自転車壊されて、こんな珍妙な奇行に付き合ってみたりして……。

「あそこなら咲くかもな。死体は、埋まってないかもしんないけどさ」

 苦笑しながら槍太はあたしを支えるようにして歩き出した。

「……」

 あたしは無言のままそこに種を埋めた。そしてバッグから小さなペットボトルに入ったミネラルウォーターをかける。

「咲いたら……。ここに親父さんがいるのかもしれないな」

 そう言いながら槍太は何故か手を合わせる。ここにあたしの親父が本当にいるかのように。

 ……バカなやつ。

 涙は止まっていなかったけど、何故だか笑えた。あたしも槍太に倣って手を合わせる。ここに親父がいなくてもいい。だけど、ここに親父がいるんだって信じることにする。

(とりあえず顔見せ。見知らぬ男の子にビビらせたらごめんね。あたしも母さんも元気……)

「へへ。ありがと、槍太」

 涙声だったけど、笑顔であたしは言った。こんな見ず知らずの女の奇行に付き合うなんてホントにヘンなやつ。



「また、来んだろ?」

 落ちがあった。嘘のようなホントのオチってやつが。魚野屋槍太の実家は魚屋だったのだ。しかもそのまんま『魚野屋』っていう店の名前。あたし覚えてた。母さんの買い物について回ったときにここにきたことがあった。同い年くらいの男の子がいたのも何となく覚えてた。槍太を家まで送って、初めて気付いた。

「……うん」

「つ、次は遊びにこいよな。それなら文句なく付き合うから」

「そうだね。色気なくて残念だった?」

 少し意地悪く言ってあたしは笑った。人のいいやつだね、槍太って。

「べ、別にそうじゃねぇよ……。芽、出てるかどうかおれ、見ててやるからさ、時々遊びにこいってことだよ」

「判ったわ、ありがと、振られ男君!」

 そう言ってあたしは自転車にまたがる。二つ隣の街とはいえ、自転車では中々の距離なのだ。

「だ、だから連絡先くらい教えろってんだよ!」

 あはは。解ってるって。顔を真っ赤にしながら槍太は言った。なんてからかい甲斐のあるやつなんだろう。あたしは忍び笑いを漏らしながら携帯電話を操作して、自分の番号を出した。

「はい。絶対連絡ちょうだいよ。くれなかったらまた自転車壊しにきてやるからっ」

「勘弁してくれ……」

 そう言いながら槍太は自分の携帯電話にあたしの番号を入れ終えた後、槍太の番号を見せた。あたしもそれをなれた手つきでさっさとメモリーに追加して、槍太の顔を見る。

「ありがとね、ホントに。振られたばっかりだってのに変なこと突き合わせて」

「自転車壊したのも入れろよなぁ」

 むむ、と唸って槍太は言う。

「細かいこと気にする男ねぇ……。埋め合わせはするわよ」

 なんて口実つけてみたりして。実は結構、好きだったりしてね。こういう男の子。

「約束だぞ」

「うん」

「……じゃあな」

「おう、じゃあね!」

 元気よく背を向けてあたしは槍太と別れた。次はデートにでも誘ってみようかな、とか思いながら。



「お、自転車、新品ね!」

「まぁな!」

 数ヵ月後、あたしは槍太の自転車と衝突したあの堤防で待ち合わせした。埋め合わせのデートを含めるとこれで四回目の逢瀬ってことになるかな。

 や、逢瀬て。

「とりあえず、あそこ、行くんだろ?」

「もちろん!」

 父の下へ。


 花が咲いたかどうかは、二人だけの秘密。

 誰も知らないあたしと槍太だけの。


 花の咲く場所 終り

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花の咲く場所 yui-yui @yuilizz

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