8.我ら、人見知り同盟



 カルカの向こう側から、夜がやってくる。


 カルカを東の方へ行くと、やがて海へと至るエゲン大河があり、それに横たわる大橋を超えて、更に2つほど集落を超えた先に、我らがシェールグレイ王の住まう白亜の城が聳えているという。両親から聞いた話で、実際に見たことはない。


「ん……あれ、ぇ……?」


「あ。目が覚めたか?」


 くったりと密着していた背がもぞりと動いた。鼻にかかった声を上げながら、右目を人差し指で擦っていたかと思うと、ピンと耳が伸び、そして、


「わひゃぁぁぁああ!? あっあたっ、あたし! 今っ……くっくろくろくろクロさんにぎゅってされてるぅぅぅううう!?」


「てぃ、ティアさん、違うんだ! いや、違わなくはない、紛れもない事実だけど、でもそれには理由が!」


 前方を飛んでいたモフがすいーと俺たちの横につき、鞍上のフィーユが……ぐっ、全く包み隠す気のない軽蔑の眼差しを俺に向けてきている!


「クロくん? 私、最初に言ったわよね? ティアちゃんに変なことしたらもれなくビンタをプレゼント、明日1日変態さんって呼ぶおまけ付きよ、って」


「ごっ、誤解だ! それに出来る限り心象を美化しろって言っていたのはフィーユだろう、早々と裏切るのか!?」


「す、すみませぇえん! あ、あたし、びっくりしただけですっ、大声出して本当にすみませぇええん!」


 フィーユはじとーっと細めていた目を更に細くして、引き続き俺を射抜き、


「ティアちゃん、もし後ろの人が少しでもおかしな挙動をしたら、すぐに助けて~って叫ぶのよ? フィーユお姉ちゃんがただちに成敗してあげるから」


 ただちに成敗、って……この高さから突き落とすつもりじゃないだろうな。流石に避けるぞ、死にたくないから。


 モフがつつーっと前へ出る。依頼から解き放たれたピンクブロンドが、風にはらりと揺蕩って綺麗だ。フィーユの腰には透明なカプセルが装着されている。何の変哲もない保存容器に見えるが魔道具の一つで、摘み取った植物の鮮度を通常より維持する効果がある。


 今は、黄金色の尖った葉が特徴的な、薬草一株を収めてある。数は少なかったものの、確かに乾燥地帯でのみ植生する薬草の存在を認めることができた。魔物討伐の証である魔石と薬草のサンプルを持ち帰り、各種報告と手続きを済ませれば任務は完了となる。


 ティアさんがまた背中をもぞもぞさせ、今度はきゅっと縮こまった。


「ク、クロさん、その、あのぅ……」


「っ! ごっ、ごめんなさい、男の俺と相乗りなんて嫌だと思うんだが……」


 理由一。フィーユはティアさんより背が高いが大差はなく、万が一モフが何らかの影響から飛行を乱した場合に、前が見えづらくて対処がしにくいらしい。


 理由二。フィーユは胸の主張が激しすぎて、あんまり長時間密着しすぎるとちょっと痛いらしい。


 理由三。フィーユ以外にその場にいたのは、俺一人だけだった。


 そう誠心誠意を尽くして説明すると、ティアさんはくすっと、とても小さな笑い声をこぼした。


「……わかってもらえた、だろうか」


「ふふ……はいっ、わかりました。で、でも……嫌だってわけじゃなくて、ですね……」


 ティアさんは、脇腹に添えられていた俺の両手を、自ら臍の少し上あたりに移動させた。そして、小さな両手を俺の手の上に重ねて、


「ここで……お願いします。その、ちょっとだけ、くすぐったかった……ので」


「そ、そうか。す、すみません」


「なんだか……謝ってばっかりですね、あたしたち。あたしは、いつもなんですけど」


 ティアさんの手は温かくて、少しだけ指先が荒れていた。数多の苦労に見舞われながら、それでも生き抜いてきた少女の手だった。


「……もうひとつ、謝ってもいいですか?」


「……魔法を使ったあとに、寝ちゃったことか?」


「……ごめんなさいっ! やっぱり、迷惑かけちゃいました……ティア、頑張らなきゃって……なるべく、強い魔法を使わなきゃって……!」


 俺は上空の冷ややかな空気を短く吸って、


「魔力消費量については、気をつけた方がいい。道を塞いで逃がさないために高火力かつ広範囲魔法を選択したんだと思うが、一度に殲滅できたとしても、直後に無防備になるのはリスクが大きすぎる。今回は黒狼相手だから単独戦闘を任せたけど、ティアさんの魔法の性質と地属性魔法の得意分野から考えて、単身の場合は相手の攻撃速度に応じて優先的に防御魔法を展開すること、複数人で戦う場合は前衛を置いての後方支援や補助的な攻撃を中心に……」


 はっと、口をつぐんだ。

 俺は、戦闘を評価する機械か? まるで師匠の口振りだ。あの人には多大なる恩があるし、師匠は悪人では決してないけれど、ストイックが過ぎる姿勢を模倣したいわけではない。


 真面目でひたむきなあまり、自己嫌悪に苛まれて今にも消えてしまいそうな子を相手に、感情の起伏もなく一方的にべらべらと。もっと他に言うことがあるだろう? たとえば……たとえ、ば……


「……ごめん。今のは、その……」


 笑うことすらも申し訳ないと思っているかのように、小さく笑う声。


「クロさんは、優しいんですね」


「……優しい?」


「今まで、あまり、いませんでしたから。ティアのこと、諦めないでいてくれる人……失敗したら、『あたしたち』はやっぱり駄目だね、仕方ないよねって……そう言われることの方が、多かったから……嬉しかったんです。すごく……すごく」


 硬質な何かが喉を塞いでいるような感覚に、俺は目を伏せる。


 ティアさんは強がっている。だって人は、嬉しいときに……そんなに寂しそうな声で笑わないだろう?


「……後で、フィーユ先輩にもお伝えするつもり、ですけど……クロさん、今日は、ありがとうございました。貴重な経験になりました。ティア……明日からは、もう、ちゃんと……」


「また、手伝うよ」


「……え?」


 カルカの街が、大きくなってきた。


 星月の明かりでは、暗闇の中で活発化する種の魔物を遠ざけることができない。だから集落を成して住む人々は、手の届くところに灯りをともし、地上に星海を作って夜を超えるのだ。その代わりに、本当の星の導きは遠ざかってしまうけれど。


「俺は……上級の依頼を受けるつもりはない。今日だって……ティアさんが誘ってくれなければ、ギルドに入る前と同じように、師匠と修行をしていたと思う。

 母さんに無事にただいまを言えて、母さんが不安に思わない額のお金を家に入れて……必死に戦いに向かおうとする、もう他人だって放っておくことができない誰かを、護ることができたなら……俺はそれでいい」


 もう一度、澄んだ空気を吸い込んだ。喉につかえたものを、できるかぎり前向きな言葉と一緒に吐き出したかった。


「ティアさんをまた、手伝いたい。俺でよかったら……だけど」


「く、クロ、さん……? う、うぅ……な、何でぇ……? いくらなんでも、優し、すぎます……クロさんが優しすぎてぇ、……あだじ、もぉ、どう、お礼をじだらいいのがあぁぁあ……」


「なっ……嘘だろ、また泣かせ……ま、待っていてくれ、ティアさんを支えながらどうにかしてハンカチを取り出すから!」


 2人分の体重を抱えてもすいすい飛んでいたモコが、不機嫌そうにゔぇ~と鳴いた。も、もしかして怒っているのか!? 女の子を泣かすなんて男性失格だぞと言っているのか!?


 ちなみに、モフは女の子で、モコとモルは男の子らしい。




「あ、あの。よく一緒にお仕事をするお相手とは、パーティ名をつけて受付で登録しておくと、依頼を受けるときにスムーズだって聞いたんですけど……」


「名前が要るのか? ううん……俺とティアさんの共通の特徴……緊張……謝罪……人見知り……『人見知り同盟』、とか?」


「ふふっ……それだと、フィーユ先輩にも一緒に来てください、ってお願いするときに、ちょっと困らせちゃいそうです。

 あと、その。あたしのことは、ティア、で良いですよ。えへへ……よろしくお願いします。クロさん」





【フィーユ・ドレスリート】



 お香が強く焚かれた応接間で、私は再び、太めの依頼人と細めの帳簿係と向かい合っていた。


 クロとティアちゃんには、ギルドでの手続きを任せてある。初仕事を終えて、ティアちゃんは特に疲れている。依頼主との交渉の方はまた教えてあげれば良いし、向こうの手続きはこちらより簡単……他の事務職員達がきっと助けてくれるから。


 どうやらあの2人、またパーティを組んでお仕事をするみたい。


 うーむむむ……自室に戻ってから今後の予定を入念にチェックして、開けられる場所は開けておかなきゃ。それから、今後はますます頻繁にクロを捕獲して、情報を引き出して……だって二人だけだと心配だし! それに二人きりにするのは……何というか、心配だし!


 ガラスのローテーブルの上を滑らせ差し出された、依頼人の署名を貰った契約書を収納して、私は営業スマイルを浮かべる。


「では、これにて依頼は完了、ということで。

 薬学に携わる皆様のたゆまざる努力によって、人々を苦しめる症状が和らぐことを願っています。その一助となれたのなら、これ以上の喜びはございません」


「いやあ、ありがとうございました! 腕利きの皆さんにお願いできて幸運でしたとも、ええ、ええ! ああ、お帰りならお前、玄関まで送って差し上げなさい! うちは狭っ苦しい上に、道が入り組んでいますから」


 はっはっは、とはっきり文字にできるような豪快な笑い声を背に、私はドアノブに手をかける。

 ああ、と思い出したように振り返った。明朗な口調も営業スマイルも微塵も変えずに、


「次回依頼されるときは……想定内の危機については、はっきりとお伝えいただくようお願いいたしますね。単純な相手でも、数が多ければ依頼に必要な職級も、報酬も上がるものですから」


 傍らに立った帳簿係の、瞬きの回数が多くなった。手垢で色の変わった眼鏡のつるに、常に指をくっつけている。もしかすると、神経質になったのは、顔色一つ変えないこの上司のおかげなのかも。


 依頼主はにっこりと微笑んだまま言った。


「ええ、そうさせていただきますよ」





【???】



 ギルドの正面扉が控えめに開かれ、「オレ」の同期である二人が、魔物の不意打ちを警戒するように、恐る恐るロビーに足を踏み入れた。


 やれやれ、ようやくお帰りですか。黒狼相手の依頼なんて余裕だろうと思ってたが、追加で薬草集めでも頼まれて、それに手間どっちまったのかも知れない。

 休憩スペースのソファに腰掛け、今朝知り合ったばかりの先輩の女性職員と雑談を続けながら、視界の端を通り過ぎていく二人に意識を注ぐ。


 人身に兎の耳を持つ、自身なさげにオドオドしているところが可愛い獣人のティアちゃん。

 そして「紅炎」、クロニア・アルテドット。


 人間性についての情報までは仕入れられなかった。どんな豪傑かと思ってたら、筋骨隆々どころか戦士としては細身な方で、抜群に面が良い。無口で無表情で有象無象には興味がねえのかと思ったが、そういうわけでもなく、こうして女の子に頼まれるままに七級の依頼を受けている……。


 予想していたよりずっと、やりやすそうだ。


「あれ? レイン君、なんか嬉しそうな顔してる?」


 先輩が身を乗り出すようにして尋ねてくる。おっと、注意を逸らしてることを気取られちまったかな?


 ぎこちなく依頼の完了手続きをする、新人二人の声になお耳を澄ませながら、オレは笑う。


「そりゃあ嬉しいさ!

 この出会いは、オレの人生を変えるかも知れないんだから、ね」


 やだ~っ、と黄色い声を上げながら、先輩はオレの背を叩いた。普通に痛え、大剣使いだったなこの人……。ま、オレの「台詞」を良い感じに解釈してくれたようで何よりだ。


 今は尚早。好機を見定めよ。凡庸に身を潜め、待て。

 その時は必ず、訪れる。


【第一章 生き残りたい「紅炎」の就職・完】





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 作者の紫波すいでございます。

 第1章の結末を見届けていただき、誠にありがとうございます!


 もし「面白い!」と思っていただけたり、心に残る何かがございましたら、作品のフォロー、ハート、星でのご評価など、何らかの応援を残していただけますと、大変励みになります!


 登場人物紹介を挟んで、第9話より第1章が始まります。よろしければ引き続き、お好きなときに、お好きな分だけ、お楽しみくださいませ。

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