2.風攻魔導士・三級
それは十年前。萌黄が、橙と黒に染まる頃。
『……うそつき』
幼馴染の少女は呟いた。深緑色のワンピースの裾を翻し、俺に背中を向けて。
『クロは、うそつきだ』
ピンクブロンドをツインテールに結えていたから、今よりずっと小さな肩が、負の感情の昂りを堪えてふるふると震えているのが、痛いほどによく分かった。
「転生者」であることは、自分の身を自分で護れるようになるまで、他の人に打ち明けては駄目だと言いつけられていた。
けれど俺にとって、一番仲良しなフィーユは「他の人」ではなかった。父さんも母さんも喜んでくれたのだから、フィーユも喜んでくれるはずだと、安直過ぎる推測をした。
待っていたのは、額を強く強く弾かれたようなショック。俺はフィーユがこちらを見ていないのに、弱々しく首を横に振った。
『本当、だよ! ちゃんと、教会の魔導士さんに調べてもらったんだ……!』
魔糸向鑑定術師。国によって、各自治体・地域の大教会に必ず一名以上が配置される、人の魔力という素質……属性や大きさなどを鑑定する魔法を習得した魔導士達のことだ。記憶の再得を打ち明けた朝、俺は朝食を食べるより先に、両親にカルカ大聖堂へと連れていかれた。
『そしたら、炎の大きな力が宿っているって、ちゃんと……!』
『いやだっ!』
幼馴染は、鋭く叫んで振り返った。翡翠色の瞳は潤み、夕焼けを映して本物の宝玉みたいにきらきらと輝いていた。
『……どう、して?」
怒りに、吊り上がった眉。悲しみに、水蜜桃のような頬をぼろぼろと転がり落ちていく涙。
フィーユは感情豊かな少女で、よく笑い、よく怒り、よく悲しんだ。けれどその一方で、妙に大人びてもいた。
フィーユにとっては、俺より半年早く生まれたことがとても重要なことだったようで、姉のように世話を焼いて、内気な俺をいつも背中に庇って護ってくれて……涙は、滅多に見せなかった。
だから俺は、酷く動揺した。
『ふぃ、フィーユ、泣か……、どっ、どうして、泣いて……』
フィーユは『だって』と幾度も繰り返してから、
『だって……っ、前世の記憶、思い出したら……クロは、クロじゃ、なくなっちゃう……! わたしの、大好きなクロじゃ、なくなっちゃう……違う人に、なっちゃうぅ……!』
子供の頃は、時の流れが今よりずっと早く感じた。瞬く間に紺色の濃くなっていく空を仰いで、声を張り上げてフィーユは泣いた。
散々オロオロと迷った末に……ほんの少しの勇気。俺はおずおずと歩み寄って、太腿の傍で震えていた、フィーユの小さな手を握った。そのまま、ずっと傍にいた。
『フィーユ。おれは、おれのままだよ』
泣き疲れて、ふっくらとした唇をつんと突き出したまま黙り込んだフィーユを、ドレスリート家のお屋敷……鉄柵の前まで送り届けた別れ際。
俺は、ある約束をした。
『「京さん」はおれじゃない。同じように、おれは「京さん」じゃない。ずっと、フィーユの知っているクロのままでいる。ずっとずっと、フィーユのお隣さんでいるよ』
腫れてもなお綺麗な眼が、俺をじっと見つめて。
やがてフィーユは、胸の前で触れ合わせた両手の指先をもじもじと動かしながら、掠れた声で、
『……んなさい』
『なあに?』
『……うそつきって言って、ごめんなさい』
『気にしてないよ、大丈夫』
『~~っ……約束! 約束、したからねっ!? 忘れたら、めっ、だからっ!』
俺を睨む目だけじゃなく、頬も熟れた林檎のように染めたフィーユは、ツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら、風のような速さで玄関ホールへと駆け去っていった。
心臓の辺りが、ほわりと温かくて。これは何だろうと不思議に思いながら帰宅した俺は、帰りが遅くなったことを母さんにこってり絞られ、夕飯のシチューに嫌いなニンジンを多めに投入された。
シェールグレイ王国公認、戦闘職者協会、ティルダー領西方支部。
通称、カルカギルド。
カルカが村だった頃から在るカルカ大聖堂には敵わないものの、重厚な歴史を感じさせる、どっしりと厳しい面構えの木造建築物だ。東西南北に繋がる、舗装された大路に面して聳えている。
既に数ヶ所の施設を巡り、木材の独特な香りに鼻が慣れた頃、案内係に率いられた新人七名はロビーにぞろぞろとやってきた。
今後、最も多くの時間を過ごすだろう場所。受付カウンターによって戦闘職員と事務職員の領域が区切られた、吹き抜けの広々とした空間だ。
左右には、会議室や一般書庫に通じる二階への大階段がある。上階の手すりに凭れた先輩戦闘職員の皆さんが、新人達に好奇の眼差しを寄せているのが見えた。一階にもそれなりの人数が集まっていて、座り心地の良さそうなソファに腰掛けるなどして仲間と歓談しながらも、意識はしっかりこちらに向いているのが分かった。
ロビーの最奥には、白地の中央に紅で「飛獅子」の描かれた王国旗が、皺の一つもなく飾られている。だがそれよりも、専用のデスクに向かって仕事をこなす、事務職員の皆さんに目が引かれる。うう、書類仕事がしたかった……。
「それではお待たせしました。当ギルドでの活動において、最も基本的かつ重要な、依頼の受諾方法についてご説明いたします!」
ガイダンス用の書類を挟んだクリップボードを胸元に抱え、営業スマイルを微塵も崩さず、明朗かつ聞き取りやすい声で淀みなく説明を続ける……フィーユ・ドレスリート先輩。清水のような髪をポニーテールに結い上げた本気モードだ。何がどうというわけではないけれど、案内係を務めてくれるのなら事前に伝えておいて欲しかった。
「依頼の種類は大きく分けて二つ。そうね……登録番号四一一七、クロニア・アルテドットさん。ご存知ですか?」
硬直した。
今日が初対面……訂正する、入会試験のときに同じ空間に集められてはいるが、「一人を除いて」交流したわけではない同輩達の視線が、刺さる。
注目されるのは構わない、覚悟していたから……だがやめてくれ、俺に話をさせないでくれ!
四六時中修行に明け暮れていたせいで、俺は普段、師匠……再び訂正する、母さんとフィーユとフィーユの両親と、フィーユの大親友であるドレスリート家の侍女、シオンさんとしか、まともに会話をしない。各種挨拶程度なら流石にできるけど、他には「すみません」「これください」「いくらですか」「ありがとうございます」くらいしか……!
「…………緊急性を要する『強制配置』型と、多くが個人の裁量に委ねられる『自己交渉』型」
「ご名答」
フィーユは首をほんの少しだけ傾げて、にっこり。
ああ、起伏のない早口で答えてしまった……周囲に悪印象を与えなかったか、物凄く心配だ……。
俺がしょんぼりしている間も、ガイダンスは続く。
「『強制配置』は、国や自治体、ケラス教会などの要請に応じて、ギルド事務局が選定した登録戦闘員を、半ば強制的に召喚するものです。代表例としては、魔物による襲撃からの特定エリアの防衛、武装蜂起した異端教徒の鎮圧など。
危険度が高い上に、拒否するには相応の理由が必要になりますが……報酬は『自己交渉』よりも潤沢なケースが多く、指名を受けること自体が一種の名誉であると言えます。
一方、『自己交渉』の任務は……」
フィーユの右手が、傍らの壁に取りつけられたボードを示した。細やかな文字であれこれ書かれたリクエスト用紙が、整然と貼りつけてある。外へ通じる両開きの大扉を挟んで向こうの壁にも、ロビーの中央から見てシンメトリーになるように同様のボードが設置されていた。
「依頼主、依頼内容、報酬額……全てが多岐に渡り、登録戦闘員それぞれの基準や信条に基づいて、自由に選択していただけるものとなっております。依頼する側と受ける側、双方が規約を犯すことがないよう、ギルド事務局が窓口となり監督することになりますが、依頼主とのほぼ直接的な交渉が可能です。
また、こちらでは『パーティ』単位での受諾もできますよ! 依頼の条件だったり、純粋に気が合ったり、弱点を補い合えたり、連携が心地良かったり……パーティを組む理由は様々でしょう。各人はライバルでもありますが、頼りになる同胞でもあります。ぜひ、他の登録戦闘員と絆を深めてみてくださいね。
た、だ、し」
フィーユは胸ポケットから、窮屈そうにしていた自分のライセンスを取り出し、美貌の横まで掲げてみせた。
それを見て、俺は……目を瞠った。
「お手元のライセンスに記された、職級。前節の今日にご参加いただいた入会試験の結果から、皆様のスタートラインを決定させていただきました。
七級から始まり、六、五、四、三、二、準一、一、零級までが、各戦闘職ごとに設定されています。入会時点での最上級は準一級で……たとえ国から戦士、魔導士として最上位の『彩付き』と認定されていても、一級以上に到達するためには、ある程度の実戦経験を積む必要があります。
依頼書の文言に『推奨』という表現が用いられている場合は、何級でも挑む余地がありますが、自分の職級より上級が『条件』とされている依頼を受けることはできません。パーティ単位で依頼を受けるときも同様で、全員が条件を満たしていなければ受諾不可能となります。
たとえばこの私、フィーユ・ドレスリートの職級は、」
『風攻魔導士・三級』
「ですので、七から三級までの依頼を受諾できる、ということになります。
当然、上へ行けば行くほど、依頼の難易度も報酬も上がっていきます。職級を上げるには、二節に一度行われている昇級試験に挑んでいただくのが確実なルート。各依頼でコツコツ活躍を積み重ねていけば、推薦による昇級も有り得ます。自分自身が秘める可能性を追究し、ひとつの職を真摯に極めていけば、『彩付き』の隣で戦えるところまで手が届くかも知れない……の、で!
地道に名を馳せていきましょう!」
フィーユが俺の横を通り過ぎた。柑橘系の果実のような、爽やかで心地良い香りをふわりと残して。
依頼受諾までの実際の流れを聞いて……そうだ、次は訓練場へ案内してくれるんだった。何だか、思考に靄がかかったみたいだ。
「フィーユちゃん、マジか……あんなに可愛いのに三級、って……もうお近づきになるしかねえ……」
橙色の長髪を結わえて右胸の前へ流した、ひょろりと背の高い男性が、盛大に独り言を溢していった。確か点呼の時に、レイン・ミジャーレと呼ばれていた人だ。上半身の筋肉のつき方から見て、弓などの遠距離武器を扱う「狙撃手」だと思う。
……俺も、知らなかった。
フィーユが入会した当時、見せてもらったライセンスに書かれていたのは「風魔導士・五級」だった。それがたった半年で、文字通り攻撃魔法に特化した「攻魔導士」の称号を得て、三級まで昇級した? 事務職員としても働きながら? フィーユは確かに要領が良いけれど、それでも相当の無茶をしたのではないだろうか……。
思考を、暗い色をした靄が取り巻いていく。ふいに、幼少の頃の約束を思い出した。
『ずっと、フィーユの知っているクロのままでいる。ずっとずっと、フィーユのお隣さんでいるよ』
そして先程の、フィーユの台詞も。
『ひとつの職を真摯に極めていけば、『彩付き』の隣で戦えるところまで手が届くかも』
まさか……フィーユは、そのために?
俺の隣に、いてくれるために?
「……っ」
「登録番号四一一七、クロニアさん? どうかなさいましたか?」
よそよそしいフィーユの声にはっとした。見事に立ち尽くし、見事に取り残されていたことに気づいて、慌てて一団に紛れた。
幼馴染のこととはいえ、自意識過剰な推測かも知れない。だが、当たっていたとしても、違ったとしても、俺は……フィーユを護らないと。
フィーユは既に、何度も危険な目に遭ってきたんだろう。何が起ころうと平気な顔をして、俺に打ち明けてくれなかっただけ。視野の狭い俺が、知らなかっただけで。
でも、これからは……人に自分の志向を押しつけるつもりはない、けれど。
事務職員への道を模索しながら、フィーユを手伝い、護る。昇級意欲のない俺にとって、これが当面の活動目標になるだろう。
たとえ七級推奨だろうと仕事にはリスクが伴う、決して気は抜けない。それでも……準一級が投入される「強制配置」だけはずっと起こらないでくれと、願った。
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