第1章 生き残りたい「紅炎」の就職

1.紅炎魔導士・準一級



 名前 藤川京

 性別 男性

 享年 十九歳(誕生日は六月十日)

 死因 小型ナイフによる、背後からの刺殺。なお、犯人は不明



 これは記憶。

 そして、二つの世界に選ばれた証だ。


 実態がないから消えてしまうことを恐れて、初めて譲ってもらったノートに書き記しておいた。


 黄ばんだ紙に薄いインク……酷く拙い文字で、見開き一ページを贅沢に使って誇らしげに。当時の自分の興奮を、ありありと物語っている。


 ノートを閉じ、古紙特有の甘い匂いを散らすように、長く息を吐いた。


 目を閉じて、「心」で、自分の体内を魔糸を視る。滞りなく流れる紅色を。


 ……残念ながら体調は良好のようだ。しかし憂鬱だ、心の底から憂鬱だ、とにかくとんでもなく憂鬱だから、このままベッドにのほほんと腰掛けていたい。休むことには慣れていないが飢えてもいる、早めの午睡と洒落込んだって……


「そういうわけには、いかない、よな。

 ……はあ」


 何度目の溜息だろう。


 散々頭を抱えたあとだけれど……本当に、どうしてあんな手違いが起きた? どうして冷静に「間違った」ことに気づけなかった? せめて気づけていれば、手を抜けたかも知れない。最悪の事態に陥らずに済んだかも知れないのに。


 俺は今、ギルドの登録戦闘員にオーダーメイドで配布される、上下ともネイビーの制服を纏っている。視界に入れることさえ憚られて、今日初めて袖を通したのだが、ほんの少しだけ上着の裾が長かった。


 傍らに放ってあるのは、丁度一週間前、幼馴染から制服とあわせて手渡された、顔写真付きのライセンス。布製の厚みのあるカードタイプ。


 紺地に金文字でこう記してある。


 登録番号 四一一七

 名前 クロニア・アルテドット

 性別 男性

 年齢 一六歳(誕生日 紅桜の節、七日)

 職級 紅炎魔導士・準一級


「こうえん……じゅん、いっきゅう」


 読み上げたことをすぐに後悔した、苦みの塊が喉奥まで迫り上がってきたから。近所の薬屋が扱っている、魔糸循環を助ける粉薬よりも苦い。


 彩付き。魔導士に与えられる最高位。

 「紅炎」は炎属性魔法を極めた者に、国王陛下が直々に送られる称号だ。


 ずっと憧れて、目指していた。

 だが、それは遠い過去のこと。


 窓が快晴の蒼を四角く切り取っている。出掛けるには最適の天気だ。むっ、と八つ当たりにきつい一瞥を投じてから、ライセンスを胸ポケットに収める。壁に立てかけておいた、年季の入った片手剣を手に取って、自室をあとにした。


 木床を微かに軋ませながら、冬の名残に薄寒い廊下を抜ける。


 リビングの扉を開くなり、食卓に向かっていた母さんが、椅子を高く鳴らして立ち上がった。


「……母さん」


 オロオロと落ち着かない焦点。痩せた頬は青褪め、ぎこちない笑みを繕っている。ところどころに染みのついた白エプロンの前を、きつく握りしめた両手が震えていた。


 母であるレレーナ・アルテドットは引きつった声で、


「クロニア……制服、似合っているわ」


「ありがとう。かっちりした印象を受けたけど、思いの外動きやすい。それで、あの、」


 染みつかせた癖で、俺は笑う。

 続きはあらかじめ考えておいた。


「今日は職級に関わらず、施設の使い方とか注意事項とか、事務説明を受けるだけだから。多分、呆れるほどに早く帰ってくると思う」


「そ、そうなの?」


 良かった、少し表情が和らいで見える。横歩きでさりげなく玄関扉へ向かいながら、俺は矢継ぎ早に唇を動かす。


「ギルドの仕組みについてはフィーユが、過保護なくらい懇切丁寧に教えてくれたから、多分、大丈夫。午後のお茶の時間に間に合ったら、帰りに甘いものでも買ってくる。それじゃあ、」


「待って!」


 縋り付くように、母さんが駆け寄ってきた。

 ……やっぱり、誤魔化すことはできないか。


 アーモンド型をした紅色の瞳が微かに湿り、自分にそっくりな我が子の顔を映している。同じく俺に遺伝した、やや癖のある黒髪には、また少し白髪が増えたような気がする。


「立派になったあなたの姿……お父さんにも見せてあげたかった。サリヤさんも、あなたならもう心配要らないって、お会いするたびに仰っているの」


「えっ」


 この地、カルカの「英雄」だが人情味皆無の戦闘狂、口を開けば「雑兵が」「鈍間が」と罵り倒してくる師匠にまともな会話、それどころか配慮ができたのか!?


 思わぬところで衝撃を受けていた俺は、母さんの表情がくしゃりと歪むのを……乾いた唇が悲痛な言葉を続けるのを、妨げることができなかった。


「でも……でも! 『転生者』だからって、いきなり準一級だなんて……こんなに若いうちから、あ、あの人よりも危険なお仕事を任されるなんて……」


 母さんは顔を両手で覆った。必死に堰き止めていたものが決壊したようで、細い指の隙間を大粒の涙が落ちていくのが見えた。


「わかってる、あなたは特別な子……引き止めるような真似は、したくない……でも、心配で、心配で、母さんは頭がどうにかなってしまいそう……!」


 喉奥で、呟く。


 母さん。俺ももう、天寿を全うする以外の結末を、親しい人達に迎えさせたくないよ。みんな揃って長生きして……平穏なことが退屈だと思ってみたい、たった一度で構わないから。




 俺の父であるロッシェ・アルテドットの最終職級は、近接戦士・準一級。


 近接戦士は、二種以上の近接用武器を扱えることを示す職種だ。


 その彩付きは「銀星」と呼ばれる。父さんは片手剣と槍の扱いを得意としていて……俺がいま手にしている剣は、かつて父さんの相棒だった。


 亡くなった当時、父さんは二級だった。ギルドの制度の一つである、殉職者に対する特別昇級で一段階上がったのだ。


 つまり父さんは、二級の仕事で命を落としている。




 俺が「京さん」の記憶を思い出したのは十年前のこと。


 「妙な実感を伴って駆け抜け、背中に細い細い穴の空く強烈な痛みで終わる、一生涯の夢」……あの時の感覚を振り返るなら、こう表現すべきだろうか。


 ベッドから飛び起きて、涙をパジャマの袖口で乱暴に拭って。文字を書く練習のために譲ってもらったノートに、異世界の文字を書き記して見せると、父さんは興奮に何事かを叫びながら、俺の頭を力任せにぐりぐりと撫で回した。


 「転生者」。


 真実か、夢幻か。別世界で生を受け、そして死ぬまで……「前世の記憶」をある刹那に、唐突に「思い出せた」者を示す名称だ。


 詳細は、この国よりずっと学術研究が盛んであるリ・リャンテ……このシェールグレイ王国の遥か東に位置する大国でさえ、明らかにできていないらしい。


 この世界で最も信徒の多い「ケラス教」の教義によれば、転生は天に唯一座する「女神」の御業の範疇、だとか。追究すること自体が罰当たりだと主張する、過激な教派も存在するそうだ。異端とされているみたいだけれど。


 世間一般に浸透している知識は、血筋に一切関わらず突然変異的に生まれること。そして何らかの……特に魔導に関するめざましい素質が、記憶の再得時点で花開くこと。


 歴史の変革は必ず「転生者」に依ると語られるほどに、特異な存在。辺境の街の片隅に生まれ育った幼子でさえ知っているほどに、身近な伝説。


 父さんは情熱と正義の人だった。強大な武力を持つ者は、剣と盾を持つ力のない人々を護らなければならないんだと、六歳児にまっすぐな瞳をして語るような人だった。


 片手用の代物でさえ充分重い剣を自在に操り、魔物を迎撃する姿を見てきた俺は、至極真っ当に影響を受けた。


 いつか父さんの隣に並べる日が来たら、一緒に誰かを救いたい。そのためなら、自分の命を犠牲にすることだって厭わない。


 心の底から、そう願っていた。

 四年前に、父さんの変わり果てた姿を、この双眸で認めるまでは。


 人はそう簡単に変われないと言うけれど、あの出来事……脳裏に焼きついて離れない地獄の光景は、価値観を容易く捻じ曲げるだけの力を持っていた。


 俺にとっても、母さんにとっても。





「……母さん」


 震える肩を支えようと伸ばしかけた手をとめて、代わりに、ところどころ錆の浮いたドアノブを強く掴んだ。


「俺は、生き残るから」


 敬虔なケラス教徒が女神像を仰ぐような眼で、母さんが俺を見つめる。


「生き残るつもりがないのに『行ってきます』なんて、俺は言わないから」


 何故だろう。寂しかったからなのかも知れない。父さんがいなくなってから、前世……「京さん」のことを、単なる過去ではないと感じるようになった。


 体内を巡る魔糸の有り様。高度な魔法を使おうと、それに意識を研ぎ澄ますうちに、彼の存在が鮮明になる。誰とも分かり合えない、母親の前でさえ言葉にするのが憚られる感覚だけれど、燃え盛る紅蓮の中に、確かに。


「行ってきます」


 背を、向けた。





 乱雑に切った、三日月のような癖のある黒髪を、ひやりとした微風が撫でていく。


 玄関扉の前はなだらかな坂になっていて、そこそこ雪の降り積もる冬季には、雪が押しやすくて便利だ。母さんは植物の手入れを怠らないが、気の早い蕾がようやく膨らみ始める頃合だから、左右にささやかに広がる庭は少し殺風景に見える。


 萌黄の街、カルカ。もう少し歩けば賑やかになることを最近知った。この辺りは、魔物や賊の襲撃時以外は物静かだ。


 石造りの門柱に寄りかかっている人影にはっと気づいて、早足になる。そういえば昨日、迎えに来ると言って……くっ、憂鬱過ぎてすっかり失念していた!


「ま、待たせてしまってごめん、フィーユ……」


「ん。やっと来たわね、彩付きの大型新人くん!」


 重力の引く方へまっすぐで艶やかな、腰の位置まで至る長さのピンクブロンドを揺らして振り返ったのは、フィーユ・ドレスリート。


 お隣さん……と言っても、ドレスリート家は古くから街の発展に貢献してきた地元の名士。我が家とは比べ物にならないくらい格調高いお屋敷に暮らす、半月だけ歳上の幼馴染だ。


「……もしかして、母さんとのやりとりを聞いていたのか?」


「どうかしら? どんな情報であれ、利害関係がはっきりしないうちは、誰とも取引しない主義なの」


 聞いていたな、これは……。


 日常的に交流のある女性が、数えるのに片手で足りるほどしかいない俺には、女性の体格の平均というものがわからない。


 フィーユは小柄で華奢な方だと思う……のだが、その割には物凄く豊かな胸をしている。恐らく遺伝だ、むんと背を反らされると視線の遣りどころに結構困る。


「そ、れ、で。ほっほ~う……なっるほど~?」


 フィーユは少し前屈みになり、翡翠色のくりりとした二重瞼の瞳を半目にして、俺の上から下までを眺めた。


 口元のにやにやを隠す気が全くない……流石にちょっとムッとして、


「……似合わないって?」


「いつも機能性重視、デザイン性皆無の訓練着でうろうろしていたから、新鮮ではあるわね」


「新鮮……」


「うん、悪くない! 行きましょう、きみは嫌でも注目を浴びる身……だからこそ、さりげなーく努力を見せつけること。まずは誰よりも早く到着して心象を美化っ」


 くるん、と勢いよく背を向けられたものだから、危うく彼女自慢の髪に殴打されるところだった。


 フィーユも俺と同様に制服姿だが、俺と違って紺色の上下がよく似合っている。自分好みにカスタムしたらしい、ショートパンツにタイツを組み合わせ、溌剌とした印象を与えるデザインだ。印象通り、内面も溌剌としていて、今日も軽やかなステップで先導してくれている。


 フィーユは俺より一足先にギルドで勤務している「先輩」だ。


 登録戦闘員と事務職員、二つのライセンスを持っており、依頼を受けていない間は受付窓口に立っていることが多いらしい。有能かつ美人だと評判で、早くも看板娘の地位を勝ち取っている、と自分で言っていたが、大言壮語ではないだろう。


 置いていかれないように歩調を調節しながら、初出勤の道を行く。


 ……はあ。

 ここから先は、師匠とマンツーマンで過ごした日々とは違う。


 鍛錬は恐ろしくきつかったし、うっかり殺されそうになったことは両手両足の指の数でも足りないけれど、師匠に俺を殺す気はなかった……と思いたい。


 魔物討伐の手伝いをしたことはあれど、俺には人間相手に命のやりとりをした経験がまだない。


 そんな未熟者に彩をつけて、いきなり準一級での採用だなんて、ちょっと大袈裟過ぎるような……と喉奥でぼやいてしまう。やっぱり気が重い、とにかく重い。


 それでも、決まってしまったものは仕方がない。


 死にたくないから、生き残る。なるべく危険を回避して、どんな過酷な任務を任されようと生き残って、地道にコツコツと準備を進める。


 そう。事務職員に転職するための、準備を!


 「京さん」の言葉を思い出す。紅蓮の炎の中で揺らめく黒影は、確かにこう言ったのだ。


『就職かあ……とりあえず、事務職希望かな。

 英雄なんてガラじゃないし、平穏に……今度こそ、長生きしたいし』

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