さいはての星 ヌシ2

 チェイムは黙ってヌシの言葉を聞いた。

 改めて宇宙を眺め、星の地表を眺め、ヌシの白く長い体を見た。


「つまりさいはてって…ショーケースとの境目ってこと?」

「そういうことになります。四隅すべてに『見張り役』がいるかは、世界ショーケースごとに異なりますが、ここではわたし一人です」

「ぼくか、貴方が新しい境界線になる?」


 ヌシは微かに首を傾げたように見えた。

 風車のように首回りの棘が回る。空気と棘がこすれて、カラカラ乾いた音がした。寂しい音だと思った。


「今のヌシが候補者を食らって自己を更新する。もしくは候補者がヌシを打倒して、新たなヌシになる。そしてまた、数万年仕事をします。すべての物質に耐用年数があるように、境界線ヌシにも摩耗と取り換えが存在します。それが今です」

「そんなの、決めるまでもない」


 チェイムの声は、思った以上に低かった。ヌシは静かに、チェイムを見ている。あはは、と掠れた声が零れ落ちた。


「ぼくにそんな、大層なお仕事できない。貴方がぼくを食べればいい。だって、だってぼくは―――ぼくは、憎い」

「あなたを愛さなかった世界が? それとも、あなた自身が?」

「どっちでも同じだろ、そんなの」


 ふわふわと、宙を紅桃色のビーズが流れ始める。チェイムの目から、ガス粒にも似たキラキラ光るビーズが零れていた。手で拭い、固形になった涙を見る。驚くべき現象だと認識しているのに、驚くだけの気持ち熱量が動かない。本当はずっとそうだった。ずっと平気なふりをして、昔の自分のふりをした。

 言い訳の相手はきっと、父であり、母であり、姉だった。

 チェイムの感情は、ずっと凍り付いていた。


「自分が生まれたことを呪ったんだ。あの星に生まれたことも、あの時代に生まれたことも……ううん。自分なんて存在が、未来でも過去でもいつ生まれたってきっと同じことに陥るって、思って、ぼくは、ぼくは、独り異端だから」


 紅桃色のビーズが流れて、道をつくる。

 ヌシから零れ落ちる白いひし形と、チェイムからあふれた紅桃色が混じりガラスタイルの道になる。ヌシは黙って、枝分かれした棘の一本で地表の粒をすくった。色とりどりのビーズの一番上には、黄みの強い、緑のビーズが乗っている。


「以前のヌシは、空想を好んでいました」


 目を凝らせば、緑のビーズはいくつも層が重なって出来上がっている。いくつもの稲妻がビーズの中で暴れているような、光がのたうっているような、不思議な色彩だ。


「自分の生まれが『幸せ』でなければ、自分を形作る環境が『幸福』でなければ……。そうですね、以前のヌシはあと千年昔に生まれる事ができてさえいれば、運よく、社会との乖離を感じずに生きることができたでしょう」

「なに、それ」

「ヌシが世界を愛する必要はありません。ただ世界があるように、周囲を囲み、存在するだけです。誰も助けず、干渉もしません。ただそこにあるだけです。……優しすぎてはいけない」

「ぼくが優しくないってこと?」

「ヌシは、すべてを守るものだから、何も助けてはいけないのです。何物にも、特別に心を傾けてはいけないのです」

「分からないよ。非情になれってこと? 無関心になれってこと?」


 言いながら顔を覆う。分かり始めていた。

 ヌシの声は今も、柔らかく、優しく、そして一線が引かれている。

 連綿と続く何かから切り離された誰か。もしもを想像しては、悪夢に跳び起きる誰か。自己完結の孤独をうらんだ誰か。あったかもしれない夢を捨てて、さいはてに辿り着いた何者か。

 ヌシの◇◇感情は白いひし形をしていて、チェイムの●●感情は熟れた紅桃色の球体だった。


「ヌシは多くのことができる。だからこそ、何でもやっていい訳ではないのです」

「悔いはないよ。ないけれど、貴方に勝てるとも思えない」

「さいはてまで来て、独りきりになれる存在はありません。過去、ヌシだった者たちは今もさいはてで眠っている」


 ヌシは今、白い落葉樹のような角を持った長い龍の姿だった。一つ目は閉じて、代わりのように三角形の両脇に紅い目が光る。

 鼻先で持ち上げられて宙に浮くビーズは、チェイムの知っている色も知らない色も、きっと、認識できない色もあるのだ。燃えたビーズは地に積もった後どうなるのだろう。消えるのだろうか。それとも何か、繋がるものがあるのだろうか。


「貴方を嫌う存在もあれば、貴方を助ける存在もあるでしょう」

「あなたも同じ?」


 静かに、ヌシは微笑んだ。


「ここも、賑やかです。……永い時の果て、貴方が恨みも呪いも忘れたのであれば、あるいはここに積もった一粒も燃え尽きて、ただ事実だけが残るでしょう」


 緩くうねる体。大きくて長い体を前にして込み上げたのは、笑いだった。

 『なーんだ』と思った。寂しくなくなるまでいていいのだ。傷に飽きるまでもチェイム自身が忘れてしまっても、さいはてはチェイムを受け入れている。

 誰かが見ているショーケースの中では、どんな傷もどんな心も、同じ場所価値の前に並んでいる。


「叩いたり、傷つけたりは嫌だからね」


 ひひ、と笑って、チェイムは跳んだ。

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極星調査 一華凛≒フェヌグリーク @suzumegi

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