応援は音色と共に
7月に入り梅雨はもうすっかり明け、外は陽炎が立ち上がるほどの炎天下である。
外ではセミたちの声に負けないように私、
私の相棒はホルン。金色に塗られた、カタツムリの殻ような形状に巻かれた管が特徴の管楽器。
この丸みを帯びたフォルムが私は可愛くて好きだ。
吹奏楽部の練習する音楽室では、いよいよ数日後に迫った予選に向けての練習が続いていた。
野球部への応援演奏は最近じゃ話題に上がることが多い。野球ではなく演奏を楽しみにしている人もいるのではないだろうか。
そのため、吹奏楽部の練習も大変になってきている。発表会ぐらいの練習量だ。
一通りの演奏が終わり、ちょっとした休憩になる。
「ふぅ」
演奏するのは結構疲れる。楽器も決して軽いものではない。ずっと持っていると流石に疲れるし、肺活量も必要である。
「…ぷはぁ」
隣で演奏していた友人の
「大変だよねぇ」
パーカッションを担当する友人である
「文化部なんて言われてるけど、運動量は運動部並みだよ」
「運動系文化部っていうもんね」
練習のきつさに少しだけ不満を漏らす。でも、決して嫌いなわけではない。
この音楽室は校庭が見える位置にある。ふと、外を見ると今まさに練習をしている野球部の姿が目に入った。
じりじりと刺すような日差しの下、飛んできたボールを追いかけている。
熱中症になってしまわないようか心配である。部活中に倒れた生徒が病院に搬送された、というニュースは昨日もテレビで見た。その生徒も野球部だった気がする。
それもあって、炎天下の中で練習する彼らは心配だった。
私の想い人である
「何見てるの?」
彼の姿を目で追っていると、璃音が話しかけてくる。
「えっ、い、いや、別になんにも…」
「うっそ~。彩香、野球部に好きな人でもいるの?」
「なっ、ちょ、美穂! ほんとに何でもないから!」
「「気になるなぁ」」ニヤニヤ
しつこく聞いてくる友人たち。
しかし、そのタイミングで休憩が終わった。演奏している楽器が違う美穂は渋々帰っていった。
「また教えてよ」
「だから、何にも無いんだってぇ…」
そう言いながら隣の璃音はホルンを抱え込んだ。
私も彼女と同様に相棒に手を伸ばした。
その後も何度も練習を重ね、いよいよ夏の高校野球の地方予選が始まった。
うちの学校では、全校応援はない。有志だけの応援団が結成される。しかし、吹奏楽部は全員参加である。応援の演奏はしなければならない。
公立高校のため、成績はそこまで良くはない。二回戦敗退がほとんどで時々三回戦に行けるような感じだ。夢がないと言われるかもしれないが甲子園というものは夢のまた夢だろう。
私自身、そんなに野球が詳しいわけじゃないから県内のどこが強いとか良く分からない。
「今年はどこまでいけるかなぁ」
「どうだろうね。噂によると、今年は気合い入ってるってさ」
私の独り言に吹奏楽部の仲間が答えてくれる。
「まぁ、毎年頑張ってるとは思うけどね。今年は特にって」
「そうなんだ。なら私たちも頑張らなきゃね」
野球部員は気合いが入っているらしい。なら、私たちも一生懸命に吹かないと。
予選が始まる。一回戦目の相手は、同じ公立高校である。友達が言うにはここはそんなに強くないらしい。
結果は7対1で快勝だった。去年も応援の演奏に来たが、確かにうちの野球部の動きが良い気がする。素人だからあんまり分かんないけど。
二回戦の相手も公立高校だった。この試合も8対4で危なげなく勝利することが出来た。
三回戦に進んだのは久しぶりである。前回は何年前だっただろうか。学校でも三回戦に進んだということで話題になっていた。応援に行きたいという人も多くいて、応援団も大所帯になり再結成された。
「でも、相手は去年甲子園に進んだところだよね」
「うん。どうなるかなぁ。勝って欲しいけど」
もちろん勝って欲しい。しかし、相手は強豪である。厳しい戦いになるだろうと言われている。
試合が始まった。点を取ったら取り返されという一進一退の攻防が続いていた。
五回裏が終わった頃には、4対4の同点になっていた。
ここまでいい試合を見るのは初めてだ。去年も観客席で演奏をしながら見ていたがこんなに接戦になることは無かった。
応援団の応援も気合が入る。
もちろん私たちの演奏もだ。強い日差しの中、一生懸命に相棒を奏でる。
三条君が打席に上がる。ランナーは二塁と三塁におり、ヒットが出れば点が入りそうな状況だ。
演奏中に頑張れということは出来ないので、その代わりに大きな音を出す。もちろん、みんなの輪を乱すことはしないけれど。
ドキドキしながら三条君を見ていると、カキンという気持ちのいい音と共にボールが大空に向かって飛んでいった。その白球は、美しい放物線を描いて客席に吸い込まれていった。
(やった~!!)
今すぐに叫びたいほど、気分が高揚する。私の応援が届いたんじゃないかと錯覚してしまう。
塁をしっかりと踏んで回ってくる彼。はじけるような笑顔で仲間と抱き合いながら喜んでいる。
ほとんどの人が知らない影の努力が実を結んだ瞬間だった。吹奏楽部では私しか知らないのではないだろうか。
近所の公園で素振りしている彼の姿を何度も目撃した。吹奏楽部に入って体力をつけるために家の近くを走っていた私は、ほとんど毎回その公園にいる彼を見た。
話しかけることは出来なかったが、見る度に応援していた。
このまま終わってくれればいいと願ったが、試合は九回までやらなければならない。
試合はどんどん進んでいく。相手も少しずつ点差を詰め、ついに一点差となってしまった。
九回表では、一点も取ることが出来なかった。そうして迎える九回裏、相手の攻撃。
ここを耐えきれば勝利である。応援にもさらなる熱が入り、猛暑を吹き飛ばすほどの声量である。
私も勝って欲しいと心の底から願った。
ヒットを打たれ、出塁する選手。その後のバッターはアウトになったものの、試合終了まではあと2アウトが必要だ。
続いてのバッターも2ストライクまでカウントが進み、あと1ストライクでアウトと思ったその瞬間、気持ちのいい音が球場に響き渡った。
バッターが打ったボールは、先ほどの三条君のリプレイを見ているかのように大空へと放たれた。
数秒後、上空から落ちてきたボールは大きな歓声を浴びながら観客席に着地した。
一塁の選手がホームにたどり着き、同点となる。その後にやって来た選手がホームを踏み、逆転された。試合終了。それと同時に彼らの夏も終了した。
私は声が出なかった。応援席に座る人々も唖然としている。
「惜しかったね…」
美穂が話しかけてくる。
「そうだね…」
ありきたりな返事しか出来なかった。こんなに人を応援したのは初めてかも知れない。こんなに勝利を願ったのも。
「彩香? どうしたの? 泣いてるけど、そんなに悔しかった?」
そう言われて目を拭う。汗では無いのだろう。目から涙が溢れていた。
「いや! もちろん私も負けて悔しいけど、彩香がそんなに泣くとは思ってなかったから…」
「…好きなんだ」
「え? 野球が?」
「違う…。三条君…」
「あ~。そういうこと…。だから音楽室で…」
「うん…」
前には言えなかった好きな人のこと。
「そっか。応援するよ。この前は無理に聞こうとしてごめんね」
そう言って、ハンカチを渡してくる彼女。ありがたい。
美穂や璃音に励まされて片付けを始める。その時には涙も収まっていた。
次の日の朝。
自転車を駐輪場に止めて、私は昇降口に向かった。
「いや~、残念だったなぁ」
「あぁ~。すっげぇ悔しい!」
昇降口で聞こえたその声は、三条君のものだ。びっくりして声の方を見る。隣にいるのは彼の友達だろうか。
「あ、後で昨日撮った写真渡すよ」
「ごめんな、ありがと。あっ!」
彼と目が合う。その瞬間、彼が私の下へとやって来た。
「君、吹奏楽部だよね」
「えっ? あ、はい…」
「昨日は応援してくれてありがと。負けちゃったけど」
「こ、こちらこそありがと。すごい試合だった。三条君のホームランも」
「あ! 俺のこと知ってくれてるの? クラスも違うのにありがと」
「おい…、もしかして全員に言う気か? 日が暮れちまうぞ」
話し終わるのを待っていたカメラを持った友人が割り込んでくる。
「いや、会った人だけだよ。出来るだけお礼はしておきたいけど。流石に全員の誰が吹奏楽部かなんて分かんないし」
「まぁ、確かにな…」
「じゃあ、そう言うことで。改めて応援ありがと」
「うん。お疲れ様」
彼らは去って行く。今日はお礼を言って回るのだろうか。誠実な人だ。
というか、私が吹奏楽部って知ってくれていることに嬉しさが溢れてくる。
こちらこそありがとうとその背中にもう一度お礼を言った。
〇登場人物紹介
・山本彩香(やまもとあやか)
吹奏楽部に所属する。ホルン担当である。相棒のカタツムリのような形が好き。吹奏楽部に入ったタイミングで肺活量を鍛えるためにランニングを始めた。毎日、公園で一人素振りをしている三条の努力家なところに憧れる。音楽室から校庭で行われている野球の練習を見るのが好き。
・井上美穂(いのうえみほ)
吹奏楽部に所属する。山本とは同じクラス。パートはパーカッション。教室や部活の休憩中には山本や田中と一緒に居ることが多い。
・田中璃音(たなかりお)
吹奏楽部に所属する。パートは山本と同じホルン。クラスは違うけど、井上とも仲が良く、良く行動を共にしている。
・三条啓汰(さんじょうけいた)
野球部に所属する。一生懸命に部活に取り組んでいる。好きな野球選手に憧れて、ほぼ毎日のように近所の公園で素振りをしている。素振り中にいつもランニングしている人が居るので、誰だろうかと友達に聞いた。だから、山本が吹奏楽部なのを知っている。試合で始めてホームランを打てたことが嬉しかった。
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