四件 2

「有給とれてよかったね」


 鏡子と同い年くらいの女性が白のワンピースを着て笑っている。この女性、天堂てんどう 嬉々ききこそ今日の裁判相手だ。

 嬉々は隣にいる赤のワンピースを着た女性、じゃくよう 椿つばきに笑みを浮かべる。


「本当よぅ。うちの会社ブラックだから、有給とって旅行なんて知られたらどうなるか」


 そう言って椿も嬉々に笑みを返した。


 鏡子の目に『ようこそ箱根へ』と書かれた看板が目に入る。それを見てなんだか懐かしい気持ちが込み上げてくる。


 箱根じゃないけど。就活する前は友達と旅行に行ったことがあったっけ。


 鏡子は微かに瞳に涙を浮かべながら二人の様子を見守る。


「今日の宿泊先ってロープウェイに乗った先にあるんだよね」と椿が話しかける。


「そう。でもそんな高い所にあるわけじゃないみたい。観光客用のちょっとしたやつだよ」

「へぇ」


 二人は和気あいあいと登山鉄道に乗り込む。紫陽花があちこちに咲いていて綺麗だ。

 嬉々はピンクのポシェットからスマホを取り出す。


「写真撮ろうよ」

「お、いいね」

「紫陽花を背景にして……」


 嬉々はカメラを自撮りモードにする。


「じゃ、撮るよ。はい、チーズ」


 小さくシャッター音が鳴って、画面にいい笑顔をした二人と紫陽花が綺麗に映っている。


「うん、いいじゃん」

「ほんと嬉々は自撮りの才能あるよねー」

「まあね。長い事インスタやってるし」

「あとで写真送ってよ」

「はいよ~」


 二人はそのままスマホをいじりながら終点の強羅まで電車に乗り続ける。


 強羅に着くと「とりあえずお昼にしようか」と嬉々はスマホを見せながら改札を降りる。スマホにはロースカツが卵とじされている写真が写っていた。


「凄い人気店らしいよ。箱根行くって決めた時から行きたかったんだよね。駅からも近いしさ」


 嬉々は足早に先頭を歩いていく。椿はその後ろを「全く……」と言いつつも後を着いていった。




 お店の周りから香ばしい匂いが漂っている。お店の外には長蛇の列が出来ていた。


「うわっ! さすが人気店だね」


 嬉々は長蛇の列さえもスマホのカメラにおさめ始める。


「何も列まで撮らなくても」と椿。


「何言ってるのよ。インスタでは人気店に行ったってことが大事なんだから。アピールしないと、アピール」

「そういうもんかなぁ」

「そういうもんなの」


 嬉々は古風な日本家屋の外観を撮影し始める。対して椿は列に並びながらスマホで漫画を読んでいる。


 二人とも別々のことをしているけど……。


 鏡子は二人をハラハラと見守る。


 別々のことをしているし、一見仲悪そうなんだけど。何故か仲が良くて……不思議。


 かなり長い事列に並び、やっと二人は席に案内される。列に並んでいる間、二人は別々のことをして会話を一切しなかった。

 二人は席についた途端、さっそく御膳を頼む。少し経つと色鮮やかなロースカツと大盛りの真っ白なご飯、サラダなどがのった小付け、味噌汁が大きな膳にのって運ばれてきた。


「じゃ、食べる前に写真撮るねー」

「はいはい」


 嬉々は料理を連写していく。と、今度は椿に「一緒に撮ろうよ」と声をかける。椿は「うん」と笑顔で返した。


 その様子を見て鏡子はなるほど、と思わず感心してしまう。


 椿は写真を撮られること自体、嫌いじゃないんだ。誰かと一緒に写真を撮ることには前向きで。だから嬉々と上手くいく、って訳か。


 嬉々は何枚か写真を撮って満足気に頷くと、やっとご飯を食べ始めた。




 それから二人は彫刻の森美術館やケーブルカーに乗って一日を過ごした。行く先々で写真を撮りまくっていて、スマホのフォルダが凄いことになっている。


 あんまり私は写真を撮ることがなかったけれど、そんなに楽しいのかな。


 鏡子はうーんと唸る。


 二人は一日の観光を終えてホテルに入ってからも写真を撮り続けている。


「そういえばさ、よく有給とれたね。ブラック企業なのに」

「まぁね。実家にいる母の具合が悪いって言って連続で休みをとったんだよ」

「そこまでしないと休めないとか。ヤバいじゃん」

「まぁね。でも給料はここが一番いいからさ」


 そういえば、と鏡子は閻魔大王たちに思いを馳せる。


 私、あんまり裁判していないけれど大丈夫なのかな。今まで悠々と過ごしていたけれど。皆の負担が凄いことになってるんじゃ。


 鏡子が少し眉を寄せていると、椿が「だからさぁ、バレたらヤバいんだよねぇ」と笑いながら嬉々に話始める。


「バレたらクビかも」

「え~それはないでしょ」

「いや、クビならまだましかもしれない。リンチされるかも。あ、リンチといっても精神的リンチね」


 椿は冷蔵庫から予め冷やしてあった缶ビールを二本取り出して、一本を布団でくつろいでいる嬉々に投げて渡す。

 嬉々は「サンキュ」と缶ビールをキャッチ。さっそくプシュッといい音をたてながら、ビールに口をつける。


「まぁでも大丈夫じゃない? こういうのって普通バレないでしょ」

「だよねっ」


 二人は笑いあって「「乾杯」」とビールを軽くぶつけた。




 缶ビールが軽くぶつかった後、鏡子の視界がグラッと揺れてプルルルルという着信音と共にスマホの画面が映し出される。

 スマホには「椿」と表示されていた。スマホの持ち主は嬉々だ。


 嬉々の服装や部屋の様子から鏡子は旅行が終わった後だ、と一瞬で理解する。


 嬉々は椿から急に電話がかかってきて意外だったのか、少し首を傾げてから通話ボタンを押した。


「もしもし」

「もしもし、じゃないわよ!!! 私が有給使って旅行していたこと、バレてるの!!! そのせいで冷たい視線にさらされているの!!!」


 いきなりの怒声に嬉々は委縮するもなんとか小声で言葉を返す。


「あのよく分からないけど、どうしたの? バレてるって言っても私、椿の職場知らないし。誰にも話してないよ」

「誰にもなんて嘘だって分かってるんだから!!!」

「でも本当に……」

「インスタよ、インスタ!!!」


 インスタ、という言葉に嬉々はハッと息を飲んだ。

 嬉々は箱根旅行が終わった後、ほとんどの写真をインスタに載せていた。もちろん、椿と一緒に撮った写真も。


「嬉々のインスタを職場の同僚が見たの!!! あれだけ職場にバレたらヤバいって言ったのに。どうして載せたりしたの!!!」

「だ、だって……。職場の人に見られるなんて思わなかったし。普通知り合いが見ていると思わないじゃない」

「なんで嬉々はそんなに気楽なの!!!」


 その言葉を最後にプツンと電話が切れる。


「!」


 嬉々は焦って椿に電話をする。――出ない。もう一度電話。――出ない。


 その後も嬉々から何度も電話をしたが結局出る事は無かった。


 数日経っても椿は嬉々の電話に出る事がなく、それどころかメッセージのやりとりも返事が返ってこず、遂に二人は一生顔を合わせる事は無かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る