泰山王 3

「おかえりなさ~い」

「おかえりなさいませ」


 宿舎に戻ると司命と司録が出迎えた。前に男二人、隣に閻魔大王という立ち位置に「なんだかホストに来たみたい」と鏡子は後ろめたさを感じる。


「もしかして~デートしてたの~」

「え?」


 突然の司命の問いかけに鏡子はまた顔が赤くなりながら「えっと、どちらかというと社会科見学……みたいな?」としどろもどろになりながら答える。


「でも手つないでるしさ~」

「! こ、これはっ」

「司命、そこまでに致しましょう」


 司録はニコニコと司命を制する。


 司録のニコニコという笑顔に何かが含まれているような気がして、鏡子は余計に顔が赤くなってしまう。


 そんな中、閻魔大王は鏡子の手を強く引いて「部屋まで送っていこう」と微笑む。


「え? いえ、一人で大丈夫です」

「いや、送ろう。石井芳子の話や妻のこの先の話もしたいしな」


 鏡子はそういう話なら……と頷く。頷いている間も閻魔大王は手を繋いだままだった。


 この手、いつまで握っているんだろう。まさかこのまま部屋に一緒に行くわけじゃない、よね。


 だがその嫌な予感は的中。閻魔大王は鏡子の手を握ったまま歩いていく。


「……やっぱり手は繋いだままなんですね」

「何か言ったか?」

「いえ、別に」


 鏡子は咄嗟に閻魔大王から目を背ける。顔はまだ赤いままだ。




 鏡子は自身の部屋の扉を開けた。閻魔大王はやっと鏡子の手を離し、我が物顔で部屋に入った。そして椅子に腰かける。

 鏡子は机を挟んで閻魔大王の向かい側に座った。


「……」

「……」


 しばらくの無言。


 鏡子はジッと机とにらめっこをする。閻魔大王はその鏡子の姿をジッと見ていた。


 やがてコンコンと扉が叩く音がして、司命が部屋に入ってきた。手には徳利と猪口を持っている。


「はい、大王さん。お酒だよ~」

「ああ。すまないな」


 司命は机にお酒を置くと「っじゃ、ごゆっくり~」とそそくさと出ていった。


 閻魔大王はさっそくお酒を猪口に注ぐと、一口飲む。そして「妻もどうだ?」と勧めた。鏡子も閻魔大王が注いでくれたお酒を軽く飲む。


 前に飲んだものと同じ熱燗だった。


「あのー」と鏡子は自分から口を開く。


「日本酒好きなんですか?」

「ああ」


 閻魔大王って日本の生まれじゃないよね……。なんで好きなんだろう。


 そんな心の中の疑問が通じたのか、閻魔大王はポツリと語り始めた。


「余の妻は日本人だからな。日本酒に慣れておこうと思ったら、結構上手くてな」

「今の日本人は外国のお酒も飲みますよ……」


 鏡子は冷静につっこみながらも、思わずふふっと笑ってしまう。


「そうなのか」と閻魔大王が真面目に返しているのが余計におかしい。


「まぁ、余の妻にはいきなり地獄で裁判をさせることになったからな。多少でも苦労は減らしたいと思って日本酒にしたんだが。失敗だったようだ」


 つまり閻魔大王は私の為に日本酒を持ってきてくれたのだろうか。


 鏡子はまた笑みをこぼす。

 閻魔大王は不自然に目を逸らしながらお酒をチビチビと飲んでいる。そしてゴホンと小さく咳払いをした。


「石井芳子の件だが先程泰山王の前で伝えた通り、有罪になった」

「はい」

「妻が無罪だと言っても地獄にはたくさんの裁判官がいて、それぞれの裁判官の意見をまとめて判決を下す」


 さっきも同じようなことを言っていたのにどうしたんだろう。


 そう思いつつも鏡子は閻魔大王の話に静かに耳を傾ける。


「この前余は妻に迷ってほしいと伝えたが、妻を苦しめたかったわけではない。それだけは分かってほしい」

「……」


 泰山王と会ったときも思ったけれど、やっぱり。閻魔大王は私を励まそうとしている?


 鏡子は一気に酒をあおり、閻魔大王に向き合う。


「あのー。もしかして私を励まそうとしています、か……?」

「当たり前だろう。『余の妻』なのだから」

「!」


 その閻魔大王の一言に鏡子は一瞬言葉が詰まる。そしてまた顔が赤くなっていった。顔が赤くなった原因が閻魔大王の言葉によるものか、それともお酒を一気に飲んだからか鏡子自身にも分からなかった。

 けれどただただ……。


 ――嬉しい。


 鏡子はどんどん体が熱くなるのを感じながら、チラリと閻魔大王を盗み見る。閻魔大王は顔色一つ変えずお酒を飲み続けている。


 やがて閻魔大王は鏡子の視線に気付くとわずかに首を傾げ「どうかしたか」と話しかけた。


「閻魔大王にとって『妻』という存在は大事なんですか」


 鏡子は無意識のうちに口に出していた。


「そりゃ『妻』は大事だろう。ましてや余の妻は半ば脅して側に置いたようなものだしな」

「脅したって自覚はあったんですね」

「まあな」


 鏡子の精一杯の嫌味にも閻魔大王は表情を変えることはない。むしろ薄っすらと口元に笑みを浮かべていた。


「だからこそ大事にするのは当然だろう」

「っ! なんかズルいですよね」

「何がだ?」

「いえ、何も」


 鏡子はお酒を口にしながらそっぽを向く。


 最初は脅しをかけられて嫌々ここに居ることになったけれど、どうも大切にされているようだしここに来て良かったと思い始めている――。


 鏡子はそのことに気付くとまたほんの少しだけ閻魔大王を盗み見た。


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