泰山王 2

「あ、あの。私、何かしたでしょうか」


 鏡子はゴクリと唾を飲み、泰山王に向き合う。鏡子の視線がさまよっているのと対照的に、泰山王は鏡子を真っすぐに見ている。


「何かした、だと」

「!」

「石井芳子を無罪にしようなど訳の分からないことを言っておいて」

「そ、それは」


 現代の法律に従って……。と言おうとするものの、口が強張って開かない。


 その時、閻魔大王が「そう言うな」とまた鏡子の頭に手を置く。


「妻は余の指示に従っただけだ。余の指示に従い、今の現代の法律に従って判決を下したのだから」

「……。あんな罪人を無罪にするなど現代の法律は腐っている」


 鏡子は俯く。


 確かに。その通りかもしれない。私も無罪にしてよかったのかと今も後悔が残っている。


 閻魔大王は「だが結局有罪になっただろう」と泰山王に答える。


「罪は軽くなってしまったが、な」


 泰山王は再び鏡子を睨みつけた。


「まぁ、その辺にしておこうじゃないか。今回はお互いを紹介しようと思ってきたんだ」


 そう言って閻魔大王は鏡子を優しく見つめる。


「もう一度紹介しよう。こやつは泰山王。最後の裁判官だ。今までの判決をまとめ、最終的に罪人をどうするかを決めている」

「……」


 泰山王は相変わらず鏡子をジッと睨みつけている。閻魔大王は泰山王を気にせず、今度は鏡子の紹介をする。


「泰山王、紹介しよう。余の妻、玻璃鏡子だ。現代では裁判官の卵だった」

「ふん」


 泰山王は相変わらずだったが、鏡子はとりあえず頭を下げておく。


 ただでさえ不機嫌で剣を突き付けられたのに、これ以上泰山王の怒りをかうような真似をしたくはない。


「妻よ」と閻魔大王に声をかけられる。鏡子は「はい」と小さく答えた。


「石井芳子は罪を受けることになった。無罪ではない。地獄というものはそう簡単に覆るものではない」


 閻魔大王は鏡子に体を向ける。


「いくつもの裁判官がそれぞれに判決を下し、それをまとめ、どの程度の罰を下すかを決める。それが地獄の裁判官だ」

「は、はぁ」

「その、つまり、だ。妻があまり気負うことはない」


 鏡子は「はい」と答えながらあれ、と疑問に思う。


 もしかして閻魔大王は私のこと、励まそうとしているんじゃ。私が石井芳子の判決のことを気にしていたから。

 ……ってそんなことないか。


 鏡子は首をブンブンと横に振りながら考えを打ち消していると、閻魔大王はふいに鏡子の腕をとる。


「さて、それじゃあ余はここで失礼しよう。これ以上泰山王の怒りをかいたくないしな」


 対する泰山王は早く行けとばかりに険しい顔をしながら手をしっしと振る。

 閻魔大王は鏡子の腕を引きながら入ってきた扉へと歩き出し、そして外へ出た。


「帰ろう」

「あ、はい。でもこれで良かったんですか。私、自己紹介しかしてないうえに嫌われたままなのですが」

「今回は同僚を自己紹介するためにきたんだ。それ以上妻が気にする必要はない」


 そうは言ってもな……。


 鏡子は泰山王の鋭い目つきを思い出す。


「私があのままは嫌というか、雰囲気が悪いのが苦手というか」

「本当に気にする必要はない」


 閻魔大王は鏡子に微笑むと泰山王の建物に目を向けた。


「泰山王は仕事に忙しくてな。そのためか建物の造りもこちらとは少し違ってる。余たちは裁判所、仕事部屋、自室とそれぞれに建物があるがこの建物はそうじゃない。仕事部屋と裁判所が同じ建物にある」

「そういえばそうですね。私達は仕事部屋と裁判所は細い廊下でつながっていたけれど、泰山王は仕事部屋が裁判所の建物の横にありました」

「そうだ。そのかわり自室は廊下を渡った先にある。つまり、自室と仕事部屋を行き来する時間もないほどに忙しい――というわけだ」


 それって体を壊すんじゃ……と一瞬思ったものの地獄だからそんなの関係ないかと思い直す。


 鏡子が泰山王の建物の橙色をマジマジと見ていると、ふと閻魔大王に手を握られる。


「!」


 な、なに? 


 鏡子はびっくりして思わず閻魔大王を凝視する。すると閻魔大王は「夫婦らしいことだ」と一言。


「フウフ?」

「そなたは余の妻になったのだから夫婦だろう。今の時代ではそういう仲になったものは手を繋ぐと聞いたのだが違うのか」

「た、確かに手を繋ぎますけどっ!」


 夫婦って言ったって書面上の関係じゃ……。


 今まで裁判官になるため勉強ずくめの毎日だったため、鏡子には恋仲になった男性はいない。

 鏡子は自身の顔が熱くなるのを感じながら閻魔大王の言葉の続きを待つ。


「ふむ。やはり手を繋ぐのだな。ではこのまま帰るとしよう」

「こ、このまま?」

「今の時代では夫婦は手を繋ぐのだから問題あるまい」


 そう言って閻魔大王は得意げに鏡子の手を引く。


「ちょっと!」と鏡子が声を上げる中、閻魔大王は「あとは帰ってから話をしよう」と半ば強引に鏡子を引っ張っていった。

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