二件 1

 鏡子はコンコンという扉を叩く音で布団から飛び起きる。ササッと髪を手で軽く整えてから扉を開ける。


「はい?」

「鏡子ちゃ~ん。おはよう~」


 入って来たのは司命だ。朝ごはんを持ってきてくれたのかなと思ったが、司命の手には何もない。


「今日の朝ごはんだけど僕たちと一緒に食べない? と言っても、僕と司録だけなんだけどさ~」

「それは別にいいけど。閻魔大王は一緒じゃないの」


 別に深い意味はないが、つい気になって聞いてしまう。


「大王サンも声はかけたんだけどさ~。書類の確認が終わらないらしいよ~」

「そうなんだ……」


 まぁ、相手はあの有名な閻魔大王だし。むしろ今まで私に付き合っていた方がおかしかったのかもしれない。


 鏡子は閻魔大王を少しだけ気にとめながら、すぐに準備をして部屋を出た。




 鏡子は宿舎の広間の椅子に座っていた。大きな丸机には鍋が用意されている。


 鍋は司録が用意したようだ。


 ……朝から鍋ってどうなの。胃もたれしそうだけれど。


 鏡子は鍋と睨み合いをしていると司命が「じゃ、そろそろ食べようかぁ~」と両手に野菜とお肉を持ってくる。

 その後に続いて司録が白米を持ってやって来た。

 二人は鏡子を挟むようにして椅子に座る。


「それじゃ、頂きましょう」


 司録の声に続いて鏡子は小さく「いただきます」と呟いて白米を手に取った。


 鏡子の隣の司命は嬉々として肉を湯にくぐらせている。反対にいる司録は野菜をとっていた。


「鏡子ちゃんもお肉食べなよ~」

「あ、うん」


 司命に促されて鏡子は肉を湯にくぐらせて、一口。

 さっぱりとした味わいで鶏肉のようだ。けれど食感が鶏肉よりも歯ごたえがしっかりとしている。


「ねぇ、このお肉って」

「あ~、蛙だよ」

「蛙!?」


 ぶっと思わず肉を吐き出す。


「なななな、何てものを!」

「鏡子様。特に毒なんてないので大丈夫ですよ。嫌がらせでもないですし」


 そういう問題じゃない!


 司録の問いかけに鏡子は心の中で思わずつっこむ。


 蛙を食べるという人がいるのは知っているけれど。たいていの日本人は蛙食べたことないし、私もそのたいていの日本人の中の一人だし。


 鏡子は気を取り直そうと白米を口に入れる。だがそれも司命の一言によって崩される。


「そういえばさ鏡子ちゃん、大王サンとは上手くいってるの?」

「へ?」


 思わず米を吐き出しそうになるのを堪え、ゴクリと飲み込む。


「な、なんで?」

「だって夫婦なのにデートしかしてないじゃ~ん」

「いや、あれはデートじゃないってば。それに夫婦って言っても名ばかりだし」


 その鏡子の言葉に司命はプクリと頬を膨らませた。


「いいじゃん。本当の夫婦になっちゃえば」

「そんな軽く言われても。それにお互いにそんな気はないし」

「でも悪い話じゃないのにな~」


 悪い話じゃない、か……。


 鏡子は閻魔大王の姿を思い返す。


 見た目は恐ろしいけれど、性格は普通に優しいし紳士だと思う。とはいえ、閻魔大王に対して好きとか愛しているとか。そういう感情は湧かない。


「確かに閻魔大王との話はいいと思いますよ」と遂には司録までも鏡子に閻魔大王を薦めてきた。


「閻魔大王はきちんとした地位もありますし、鏡子様に対して酷い扱いはしないと思いますし」

「は、はぁ……。それは分かってはいるんですけど」

「今の鏡子様は乗り気ではないかもしれないですが、ゆっくりと仲を育んで頂ければいいかと」


 鏡子はモグモグと白米を口に入れながら小さくため息を吐く。


 どうしてそんなに閻魔大王とくっつけたいかなー。


 鏡子は箸をおいて司命と司録の話を頭半分で聞き始めたころ、「そろそろ行きましょうか」と司録から声がかかる。


「行く? どこへ?」


 そんな鏡子に構わず、司命は強引に腕をとる。


「行くって決まっているじゃな~い。裁判所だよ」

「えっ……。ということはもしかしなくても私、裁判するってこと」

「もちろ~ん!」


 そんなこと聞いてない!


 鏡子は思わず司録を軽く睨むが、司録にそれは通じずにっこりと微笑まれる。鏡子はガックリと肩を落として大人しく席を立った。




 仕事部屋から隠し扉を開け、細長い廊下を渡って行く。


 鏡子の足取りは重い。

 閻魔大王に励まされたとはいえ、そう簡単に心は晴れない。有罪と無罪の差が大きすぎる。


 ――私に正しい判断が出来るだろうか。


 鏡子達は廊下から裁判所へ、小さな戸を通じてかがんで入っていく。閻魔大王は鏡子が始めて裁判をした時と同様、中央の椅子に腰かけている。


「お前たち、遅いぞ」という大王の言葉に「仕方ないじゃ~ん。女の子と食べるご飯が美味しいんだから」と司命が明るく答える。


 閻魔大王は大げさにため息を吐いてから鏡子を見た。


「楽しかったのか」

「あ、はい」

「そうか」


 閻魔大王はフッと笑みをこぼす。


「あっ! でも……」

「でも?」

「蛙の肉はさすがに止めてほしいです」

「そうか。上手いんだが、気に入らなかったか」


 いや美味しいとか、美味しくないとか関係なくて。蛙のお肉っていうのが嫌なのだけれど。


 鏡子がムスッと頬を膨らませていると、閻魔大王は立ち上がり膨れた頬を指でつつく。


「な! 何ですか!」

「いや、最初の裁判の時はかなり緊張していたようだから。今は緊張もとけて、妻の見たことのない一面が見られて不思議な気分だ」

「だからってつつかなくても……」


 鏡子はつつかれた頬を撫でる。


 確かに緊張はとけたけれど。なんだか釈然としない。


「それじゃっ、そろそろ裁判しようか~」


 司命のかけごえで司録が後方の椅子へ腰をかける。司命はそれを確認してから大きな扉を開けた。現れたのは中年男性だ。死に装束を今は来ているが、スーツが似合いそうな風貌である。


「彼は仲川なかがわ 逢之あいのすけ。彼は仲人の仕事をしていたようです」

「仲人、とは。人を幸せにする仕事の方が地獄に落ちるとは思えませんがね」


 司録は筆をとりながら、逢之介を見ていた。


「彼は仕事の為に結婚に合わないと思っていた二人の性格をわざと偽った」


 その言葉を聞いた瞬間、左の薬指が熱を持つ。閻魔大王にもらった指輪、エレキサイトが白く光っている。


 これは最初の時と同じ……。相手の過去を見に行く。


 それに気付いた瞬間、鏡子の体はまたもや白く包まれていった。


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