119話 されど陽はまた昇る 9/9


―― ヨーミ ――


 冷静になって思い返してみた。顔に傷がつく前ののり子がアイドルという存在を忘れて生きてきた瞬間があっただろうか。

 答えはノーだ。あいつは口を開けばアイドルの話ばかりだったし、そもそもあいつの口からアイドルという単語を聞かなかった日が数えるぐらいしか思い当たらない。

 そんな生粋のアイドルバカだった奴が、覚悟したとはいえ悲願成就の道を完全にシャットアウトされてしまったのだ。いわば日常生活から両手両足が唐突に無くなった絶望を味わうようなもの。そんな生活をひとりでやろうだなんて絶対に不可能だ。同じように絶望を味わった人間として断言する。

 だからこそ、のり子を今の孤独から解放しなくちゃいけない。あーしが味わっていた理不尽な孤独をのり子に背負わせるなんて、あーしが耐えられないから。


 とはいえ相手は心を閉ざした聞かん坊である。今のあーしがどんな決心を伝えたところで、ただの上滑りな空論にしかならないだろう。

 ではそんなバカタレにどう伝えるのか。答えはやはりのり子にあった。

 再会の際、のり子を拒絶したあーしに対し、のり子は自ら額を傷つけて嫌でも話を聞く状況にさせた。あーしも同じことをやればいい。簡単だ。聞く耳持たないって状況も予測済みだから対策も既に考えてあるんだよ。ファンをなめんな。

 

 まあ、のり子の覚悟に比べたら、あーしのやることなんざ、ちっぽけもいいところだけど。

 一瞬だけだったとしても構わない。

 あーしの声さえ届けば、それでいいのだから。



・・・・・

・・・



 のり子から拒絶されたその日の夜。万全の準備を整えたあーしはのり子の家を訪ねていた。

 呼び鈴を鳴らすと、事前に連絡を受けていたのり子のお母さんが玄関を開けて出迎えてくれた。


「お久しぶりです」

「いらっしゃい。見違えるほど綺麗になったわね」

「ありがとうございます」

 

 あーしのことを褒めてくれたのり子のお母さんだったが、彼女も相変わらず若々しくて美人さんだ。とはいえ、少しやつれた姿は見ていて痛ましい。

 挨拶もそこそこに家の中へ通してもらい、のり子の自室へ一直線で向かった。控えめにノックをすると、その衝撃で部屋のドアが開いた。鍵はかかっていなかった。


「誰?」


 くぐもった声が聞こえる。布団の中に入っているのだろう。

 遠慮なく部屋の中へ入る。部屋照明の豆電球しか点いておらず、薄暗い。開け放ったドアから差し込む廊下灯を頼りに目を凝らしてみれば、数々のアイドルグッズが破壊されて散乱していることに気がついた。長い間掃除もしていないのか、部屋の中が埃くさい。まるで廃墟跡だ。大事なグッズすら手にかけてしまう状況を作り出した自分の罪を噛み締めて耐えながら、のり子がうずくまる布団の前に持ち込みのリュックサックと自らの腰を下ろす。


「……ヨーミか?」

「ああ」

「何の用?」

「話を聞いてもらいに来た。大事な話だ」

「ごめん、今度にしてくれる?」

「今度っていつだよ。あーしとのり子が死んだ後か?」

 

 皮肉を言うと、のり子は舌打ちで返した。流石に苛つくだろうな。声をかけるなと言ったその日に絡んできたのだから。でもお前だって、いくら拒絶してもウザ絡みしてきたんだ。おあいこだぜ、のり子。


「もう帰って。私、何するか分からない。今、ヨーミのこと憎らしくてぶん殴りたい気持ちでいっぱいなんだ。だから帰って。まだヨーミが綺麗な身体でいるうちに帰ってよ」


 あーしを怪我から守ったのに、お前が怪我させたら本末転倒だろうが。追い詰められすぎだ、バカ。


「それじゃあ殴るのは少し待ってくれるか。準備するから」

「………………準備?」

「お前があーしを殴りやすくするための準備だよ」


 あーしはリュックサックから新聞紙を取り出して床に広げ、続いて100円ショップで売られている安物のハサミを取り出した。


 そして、あーしは自分の髪へハサミを入れた。躊躇なく根本からバッサリとカットする。

 何度も頭を触りながら、切り残しが無いか入念にチェックしつつハサミを進めていく。甘えは無しだ。攻められる限界まで攻める。


 ジャキジャキとハサミの刃が擦れる音を聞いたのり子は、かけていた布団を跳ね飛ばし、体を起こしてこちらを凝視していた。


「なに……やってんの!?」

「だから、お前があーしを殴りやすいよう整えてるんだ。殴るんだったらちゃんと頬を狙ってもらったほうが助かるし」

「私は帰ってほしかっただけで――止め、やめろよ!」

「待て待て、手を出すな。こっちの手元が狂って肌まで切っちまうから」

「あ……あああ……」

 

 あーしの断髪式をのり子は声にならない声を上げながら見守るしかできない。身を挺して守ったあーしの身体の一部が――女の命たる髪が目の前で捨てられていく光景を目の当たりにして発狂寸前の顔になっている。でもお前は、これよりももっと酷い光景をあーしに見せてるんだぞ。こんなもんじゃ仕返しにもならないからな。


「何で……なんでこんな……?」

「その質問へ答える前に、あーしの質問に答えろ」

「しつもん?」

「あーしは一生ものの傷をお前に肩代わりしてもらった。その事については感謝している。ぐうの音も出ないほどに感謝している。

 だからあーしはお前の期待に応える義務がある。社会へ貢献する立派な人間にならなくちゃいけない。そのうち新しい家庭も作って幸せに暮らさなくちゃいけない。じゃないとお前が犠牲になった意味がない」

「そう……だよ。うん。ヨーミには幸せになってほしい」

「お前はどうなんだ」

「え?」

「お前が思い描くあーしの幸せの中に、お前自身は含まれてるのか?」

「………………」


 のり子は無言だった。だろうな。


「あーしが幸せになっても、お前が幸せにならない未来なんざ、価値なんて全く無え。だったら不幸の中でもいいから、お前の隣で一緒にあがいてもがいて頑張る人生を選ぶ。そっちのほうがずっと嬉しい」

「私の……隣で?」

「お前みたいに傷を作る度胸は無えから、髪で勘弁な。でも、これでお前の隣に並びやすくなる。クソだせえハゲの女子高生が隣にいれば悪口ヘイトだって半分になるだろ」


 それから暫くのり子は動かなかった。ハサミが髪を切る音と、涙の粒が布団の上に垂れ落ちる音だけが部屋の中に充満していく。

 

「いいの? 私の隣でいいの?」

「ここまでやっておいて駄目は無えよ。それにな、のり子。お前は大事なことを忘れている」


 最後の一房を切り終え、ハサミを置く。暗い中で切ったから、きっと歪で不格好な切り口になっているだろう。だが、そっちのほうがいい。人前に出られないほどに不格好なほうが、罰を受けているようで心が洗われる気分になる。

 そして。だからこそ。この言葉が言えるのだ。

 

 

「あーしは佐藤のり子のファンなんだ。推しが悲しくて泣いてるなら、元気づけたくなるのがファンの心理ってもんなんだぜ」



 その言葉を口にした瞬間、胸の中でつかえていたがすっと抜け落ちていくのを感じた。あーしが病院送りとなったあの時なんかとは比べ物にならないほどの晴れやかさだった。

 そして、その晴れやかな感覚を味わう余韻もないまま、あーしはのり子に抱きつかれていた。


「ごめん! ごめん! 酷いこと言ってごめんなさい! バカなことしてごめんなさい! ヨーミ、ごめんなさい! うああああ!」

「こっちこそごめんな。つらい思いをさせちまって。あーしもバカだったよ。ごめんな、のり子」


 顔を胸に押し付けて泣き叫ぶのり子。そんな彼女を、壊れないように抱きしめ返す。

 長い確執だった。お互いにみっともない意地を張って、みっともないことばかりして。辛くて悲しくて苦しい時間ばかりだった。

 でも、これでようやく解放される。あーしは素直にのり子を応援できる。嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 だから、また友達になろう。そう伝えようとした瞬間、のり子は顔を上げた。


「また、友達になってくれる?」


 ……なるほど。バカが考える事は同じなんだよな。

 

「それ、あーしが先に言おうとしたセリフ」

「早いもん勝ちだよ」


 のり子は弱々しくもにっこりと微笑んでくれた。半年ぶりに見るのり子の笑顔は、故郷に帰ってきたのだと、はっきりとした実感を与えてくれた。

 

 のり子はもうアイドルを目指すことができない。その道を奪ったのは紛れもなくあーしだ。その罪は一生かけても償えない。

 でも、せめて笑顔だけは。のり子に昔のような笑顔が戻るなら、どこまでも応援しようじゃないか。かつて見せてくれた太陽のような笑顔を見るのは簡単じゃないだろうけど、それでも頑張ろう。

 あーしはのり子のファンである。髪が無くなった程度、何の苦痛にもなりゃしない。

 


・・・・・

・・・


 

 だがしかし。佐藤のり子は、あーしの心を置いてけぼりにするのが上手い女である。良い意味でも、悪い意味でも。

 今回の置いてけぼりは、どちらの意味でも通じる衝撃であった。


「ヨーミ! 私はもう一度アイドルを目指すぞ!」


 電話を貰った大家さんを通してのり子の家に呼び出され、開口一番にこれである。付き合いが長いことを自負しているが、それでも見たこともないくらい興奮した口調であった。ついでに目の下のクマが酷い。何徹したんだよ。

 これが仲直りからたった1週間後の出来事である。あーしの髪もミリの長さにしか伸びてねえんだが。立ち直るのはええよ。余韻くれよ。

 いやまあ、別にいいけどよ。昔みたいな――いや、昔以上の笑顔だからさ。嬉しさ半分、悔しさ半分。複雑である。


「どうやって?」

「Vtuberだよ!」

「ぶい……チューバー? ユーチューバーみたいなもんか?」


 「見せたほうが早いな!」と至極納得の結論を出したのり子は、あーしを自室へ引っ張り込み、そしてデスクトップパソコン前の椅子に叩きつけるような勢いで座らせた。こっちの気持ちが整う前にものすげえ早さでマウスを操作し、とある画面を映し出した。その画面の中では、3Dゲームみたいなキャラが歌って踊っている。アイドルが歌うような曲を、まるでアイドルのライブのように。


「どうだい、ヨーミ! 我、活路を見つけたりだ!」

「これ……ゲームの画面じゃないのか?」

「ゲームでもアニメでもないんだな、これが。ゲーム実況で、アニメみたいなキャラが隅っこで喋ってる動画を見たことないかい?」

「テレビなら分かるけど、スマホとパソコンは持ってねえから、動画のジャンルは疎いんだよな……じゃあこれって、実際に誰かが歌ってるってコトか?」

「その通り! 踊りだってクリエイターがゼロから作ってるんじゃないぞ。演者の人が実際に踊って、それから映像を編集しているんだ。ライブならリアルタイムでやることもあるんだよ!」


 活き活きとしたのり子のドヤ顔を見てから、パソコンの画面へ視線を戻す。画面内では、キャラ越しでもはっきりと伝わるくらいの喜びの感情をむき出しにして熱唱しているではないか。


「これなら私は顔を出す必要がない! つまり――」

「今ののり子でも、アイドル活動ができる」

「その通り! 佐藤のり子、完全復活への道なんだよ!」


 なるほど。そりゃ大興奮するだろうな。最大最悪のネックであった顔の傷が障害にならなくなるのだから。しかものり子には歌唱力という最大の武器がある。トーク力だって持ち前の明るさがあれば問題ない。ちょっと頭が弱いが……それは顔の傷とは関係ないか。


「いつまでもクヨクヨしてらんないから、久しぶりにアイドルの動画見て元気だそうと思ったら、こいつを見つけちまったワケですよ」

「これなら……確かにこれなら! アイドルのカテゴリなんだろ? だったら事務所があるはずだ。応募はしたのか?」

「慌てなさんな。私も触り始めのジャンルだから、今のままじゃたぶん16プロと同じになっちゃう。求められてる能力が違うっぽいし。これからじっくり研究させていただきますぞ」

「お前、アイドルに対しては妥協無えなあ」

「当然。トップアイドルを目指すんだから半端は駄目だろ」


 顔に傷がついてからアイドルの言葉も敬遠していたのり子から、こうも躊躇なくトップアイドルの単語が聞けるとは。夢みたいな光景だ。

 ドルオタだったのり子が知ったばかりということは、テレビ放送ではまだ知名度が低いのだろう。たぶん主戦場はパソコンとスマホになっちまうな。こうしちゃいられない。できるだけ早く買わないと。大家さんに前借りしてでも調達しなくちゃだな。


「ヨーミ。泣いてるよ」

「泣くだろそりゃ。なんでお前泣かねえんだよ」

「もう枯れるくらい泣いたよ。ライブの感動でね」

 

 のり子は嬉しそうにニヤリと笑った。あーしも釣られて笑い返す。お互いに言うべきことは決まっていた。

 



「いつかヨーミに自慢できるよう、華麗にデビューを決めてみせるよ! そんでもって目指せトップアイドルだ!」

「ああ。待ってるよ。いつか全力で応援させてくれ。のり子のファン第1号としてさ」



 

 

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伝説の老騎士、アイドルVtuberになる。 東出八附子 @yabushi_higashide

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