115話 裂けた太陽 5/9
―― ヨーミ ――
佐藤のり子と関係を断つ決断をしてから2週間ほど経過した。その決断以来、のり子とは直接顔を合わせていない。あいつが待ち合わせのファミレスでどれだけ待ちぼうけを食らっていても、あーしはのり子から見えない場所で帰りを見届けるだけで、お互いに接触することはなかった。これ以上のり子と話すと、自分が持つ決定的な
では無事にチームを抜けて普通の学生生活に戻ったのかと言えば、それも叶っていない。悪事に手を染めることなく、チームからの誘いも断っている。3日に1回は誰かを殴っていたほど暴力に飢えていたはずなのに、今ではピタリと衝動が収まっている。
自分でもどうしたいのか分からない。状況を改善しようとする勇気はなく。だが暴力に逃げようという苛立ちもなく。ひとりで東京の街をぶらついては、あーしへの無干渉を徹底する叔母の家の寝床で、悶々と眠れぬ日々を過ごすばかりだった。
もしあのクソッタレな義父が現役で暴れていたのなら、鬱憤を晴らすべく、迷いなく暴力の生活に戻っていたのだろうが。
とにかく大人しくしていれば、のり子もそのうち地元に引っ込むだろう……そんな淡い願いを秘めたまま宙ぶらりんな状況を2週間も続けていると、流石に周囲の奴らも黙っちゃいない。
『なんであんな腰抜けのガキを使うんだ、レーナ総長は』『あいつが『
腑抜け始めたあーしの陰口を叩く者。あるいはこれを機とばかりに因縁を付けてくる者。反応は様々だが、誰一人として良い顔をしていないことは共通していた。歯向かってくる野郎どもは全員返り討ちにして、有り金を全部奪いを繰り返していたら、ますます孤立は深まっていった。
そしてとうとう、あーしはデッドラインを超えることとなる。
「黒豹ちゃん。ツラ貸しな」
「
「昼メシ食ってねえだろ。今日は気分が良いから奢ってやる」
まったく気分が良くなさそうな面をしながらあーしにそう言うと、レーナは油汚れの酷い小さなラーメン屋へあーしを押し込んだ。そして呪文のような単語を並べて大将に注文すると、カウンターに着席した。拒否権は無いのでレーナの横に座る。レーナは雑談がてらどうでもいい近況報告をしてから本題に入った。
「なんか最近やたら内輪に噛みついてんじゃん。どったの? おねーさん相談に乗るぜ」
気色悪い。テメー姉キャラじゃねーだろうが。
「向こうが突っかかってくるだけだ。それの相手をさせられてるんだよ」
「だからって病院送りと有り金巻き上げはやりすぎじゃね?
「
「……まー身内の件はこれくらいにしとくか。それはともかく」
レーナはコップの水を一気にあおって、水を継ぎ足してから話題を変えた。
「チームの
「あいつがヘボなだけだ」
「怪我しちまったのは事実だからアタシからは何も言わねえけどよ。いつもなら先導切って真っ先に殴り込みをかけるてめーが喧嘩をやりたくないだなんて、もう異常を通り越して異変だぜ?」
「…………」
「へいお嬢ちゃんがた、お待ち」
どう返答してやろうかと迷っていると注文していたラーメンが着丼した。安物のインスタントでも使ったかのような見た目である。試しにひと口啜ってみると、見た目通りに安っぽい味であった。お値段が破格のワンコイン以下でなければ許されない味だ。さっさとかきこんで店から出よう。
「とりあえず、黒豹ちゃんが週末に
箸を止めてしまった。何事も無かったように再開するが、その変化をレーナは見逃さない。
「黒豹ちゃんを尋ねてくるガキにエンカウントした下っ端がいてよ。因縁をつけたらボコされたらしい」
「そいつが格好つけだけの雑魚だったんだろ」
「その後、ケジメつけるために龍堂の側近が呼ばれて、そいつも一緒にお陀仏しちまった。いつも横で控えて龍堂のタバコに火を点ける係のアイツだよ。ケンカじゃてめーと並ぶ狂犬だったアイツが、今じゃゲンコツ見せただけで怯える腰抜けになっちまってやがる」
「……ああ、そう」
アイツも龍堂に負けず劣らずの相当なクズだったな。ついでに喧嘩の実力のほうも龍堂と負けず劣らずである。
あのアホ。完全に目をつけられてるじゃねえか。夢が遠のくぞ。こうなるから関わり合いたくなかったんだ。
「あのガキが出没する地区はもう散々だ。ガキを締めようとして何人もボコされてる。あの地区はアタシたちの
「場所を変えればいいだろ」
「そーもいかねー。
「スポンサーって……
「そうだよ黒豹ちゃん。アタシたち大事な時期なんだ。お前んとこの故郷で井の中の蛙をやっていたアタシたちが、今じゃ東京で立派に組織やってるんだよ。スゲーだろ」
箸を動かす手を完全に止めてしまった。不良集団に出資ってことは、間違いなくヤバい組織が関わっているのだろう。それこそあーしたちのチームみたいなガキの溜まり場集団などではなく、もっと
「坊っちゃん相手にお小遣いせびって小銭で喜ぶ時代はそろそろオシマイ。アタシたち次のステップを踏み出してる最中なんだよ。で、あのガキんちょが邪魔。お片付けしないとアタシたちはお偉いさんに怒られる。
そこで黒豹ちゃんにお願い」
レーナはひと通り食べ終わってから、ため息をつきつつポケットから何かを取り出してカウンターに置いた。そいつがゴトリと音を立てた瞬間、間違いなくあーしの頭から血の気が引いただろう。
「これでちょっとチクリと刺してきてよ。脇腹あたり」
「だいじょーぶダイジョーブ。根元までイッても大したことにならない長さだから。人間って案外頑丈なのよ……って、殴り慣れてる黒豹ちゃんには野暮か」
「冗談になってねえんだよ」
「は? 冗談じゃねえけど」
何いってんの? という口調で返答され、唖然とするしかない。
助けを求めるように店主へ声をかける。しかし店主は無反応だった。
「アバラ折る。歯が飛ぶまで頭を蹴飛ばす……どれもてめーの
あいつと親友とかそんな良い感じの関係なんだろー? ちょっと余所見でもさせてやればヨユーヨユー。ちゃーんとメンタルブレイクするような感じでガツンとひとこと添えてくれよ。アタシらには二度と関わり合いたくなくなるようにさ」
予想以上の残忍さを前にして動けずにいると、レーナはあーしの左手を手に取り、そしてフォールディングナイフをしっかりと握らせた。改めてナイフに目を通す。グリップの滑り止めにほんのりと赤黒い染みがこびり付いている。おそらく血の跡だ。
「『
レーナはニヤリと笑いながら、別のポケットから取り出したものを油で汚れたカウンターの上に置いた。
見ただけで重さが伝わる封筒と、そして、見たこともないような分厚さの札束。
「前金20万。この封筒に入っている。話を受けたいなら持ってけ。で、成功で上乗せ80万。計100万だ。中坊の小遣いとしちゃ興奮モンだろ」
「お前、これ……スポンサーからか?」
「それだけお偉いさんが事態を重く見てるってコトだ。断ってもいいケド……黒豹ちゃんには断る理由なんてねえよなあ」
レーナはあーしの肩を組んで抱き寄せた。
「それに、お断りの場合はちょっと地獄みるぜ。お前自身か、お前の親御さんとか保護者さんがな」
おもむろにスマホの画面を見せてきた。その画面の中では、先ほど話題に上げた龍堂の側近が、裸の血まみれになって倒れていた。全身はおびただしい裂傷の跡で埋め尽くされている。生きているのかすら分からない。死ななかったにしても確実に傷跡が遺るほどの重症だ。クリーンなカタギとなるのは絶望的である。
「『
あーしの耳元で、レーナはか細い声で囁いた。
つまり、もうレーナは見抜いているのだ。
のり子の影響で、あーしが
「さて、ここまでお願いの理由を積んだワケなんだが。お友達とどっちが魅力的かねえ」
「………………」
「いま決めろ。スープが飛んで汚れちまうから、はやく回収したいんだよ」
ナイフを見る。
封筒を見る。
札束を見る。
ナイフを見る。
封筒と札束を見る。
そしてあーしは封筒を手に取った。レーナの顔から下卑た笑顔がまろび出る。
「これまでのてめーの活躍に免じて、3日間の猶予をやる。今度の集会までに結果を出してこい。
・・・・・
・・・
・
親友を裏切り、暴力とスリルの日々を取り戻すか。チームを裏切り、一生消えない傷を背負うか。どちらを選んでも、あーしに待っているのは地獄である。
13のガキには逃げる宛もない。周囲へ噛みついてばかりのあーしに相談できる相手などのり子くらいしかいない。そののり子には絶対にできない相談だ。そいつをやっちまったら最後。のり子は暴走してレーナたちの元へ駆け込んでしまうだろう。今度こそ確実にあいつの夢へ支障が出ちまう。だからといってレーナたちを敵に回し、将来を不意にできるほどの勇気もない。
あまりにも八方塞がり。あまりにも理不尽。何度も目の前が真っ暗になり、何度も自動車行き交う道路の中へ飛び出しそうになった。だがその勇気さえ、あーしには無かった。
何もできない臆病者がたどり着いた先は――。
「よお。元気にしてたかい、母さん」
「………………」
あのクソな義父に心を壊され、精神病院へ入院している母親だった。4人部屋の窓際。そこが母の定位置である。
声をかけつつベッド横の椅子に座るが、母さんはピクリとも反応しない。数日ぶりに尋ねた母さんは、前回と変わらず上半身を起こして窓の外を眺めて動かないままだった。娘のあーしが入室しても身動きひとつしない。起きる、窓の外を眺める、気絶するように眠る。毎日がその繰り返しだ。もはや植物人間と変わりがない。食事代わりの点滴が無ければとっくの昔に死んでしまっている。
「母さんは相変わらずで安心したよ。あーしはちょっと疲れちゃったから、休憩しに来た。ちょっと場所を借りるよ」
「………………」
「またのり子の話をするよ。これが笑えるから聞いてくれよ――」
入院して以来、母さんはあーしの
「――つーわけで、相変わらずのり子の奴がアホなんだ。もう関わるなって言っても聞きやしねえ」
「………………」
「まあ、こんなところだよ。面白いだろ。あーしの……その、友達は」
「………………」
「……面白いだろ?」
「………………」
「面白いって言ってくれよ! 母さん! 言えよ!」
「きゃああアアアっ! ぶたないで! ごめんなさいぃぃ!」
あまりにも無反応な母さんに苛立ち、肩を掴んで揺すってしまう。直後に拒絶反応が出てしまい、母さんは病棟中に響き渡るような絶叫を上げてうずくまった。さんざん義父から暴力を振るわれた後遺症である。
すぐに看護師さんが飛び込んであーしを母さんから引き剥がし、母さんへ抱きついて慰める。
「ここまでです。ご退室ねがいます」
「……ごめんなさい」
看護師に注意されたあーしは促されるままに退室した。また暫くは面会謝絶となるだろう。
なんてことだ。こんなことをするために母さんへ会いに来たつもりは無い。ただきっかけが欲しかった。あーしの救難信号に母さんが心配してくれて、微笑んでくれるなんて奇跡を期待していたのだ。
そんな些細なやりとりすら神様は許してくれない。涙が零れそうになり、手で顔を覆う。
「大丈夫かね?」
項垂れるあーしに精神科の医者が声をかける。頭を上げるのも億劫だったが、それでも視線を合わせるために力を入れる。医者は無表情にこちらを見つめている。
「最近は点滴に抵抗が少なくなったから問題ないと思ったが……」
「すんません。無理を言って会わせてもらったのに」
「いや、こちらのミスだ。責任を感じる必要はないよ。ところで話は変わるが――」
医者はあーしに顔を寄せて、小さな声で囁いた。
「先ほどは滞納していた入院費を支払ってくれて感謝するよ。でも、すぐに次の請求が来る。それまでに君の保護者のかたに料金を払っていただくよう、君からも引き続き説得を頼むよ」
医者は「辛いとは思うけど、こちらからも手助けできる人を探しておくから」などと心無い慰めを送ってから仕事に戻っていった。
叔母の無干渉はあーしだけではない。実の姉である母さんに対しても徹底していた。母さんの医療費をビタ一文も払っていないのだ。
つまり、あーしが入院費を稼がなくてはならなかった。
中学生が金を作る手段など限られている。だから依頼をこなせば金を払ってくれる
もうやるしかない。でものり子を刺すだなんてできっこない。だって、のり子は友達なんだから。
……畜生。結局答えなんて決まってるじゃないか。こんなところで油を売っていたって、母さんに迷惑をかけるだったってのに。
「結局、あーしは地獄の中でしか生きられなかったんだな」
罰を受けるため、あーしは前を向いて歩き出した。
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