114話 裂けた太陽 4/9


―― ヨーミ ――


 さて、のり子と再会してから早くも1か月である。

 

「今日も絶好調だねえ、黒豹。優秀な部下を持つとオレも鼻が高いぜ♪」


 を終えたあーしに、チーム波瑠窮理亜ヴァルキュリアのナンバー2である龍堂は、箱からタバコを一本飛び出させて「吸うか?」とアピールした。そのどうでもいいねぎらいを無視し、昼飯代わりに買ってきたあんパンの袋を開ける。あーしの反抗的な態度に対して龍堂は「可愛くねえな」と肩をすくめ、飛び出したタバコを咥えて側近の男に火を点けさせた。側近の男は龍堂の命令に従った後、憎たらしそうな視線でこちらを見ながら、チッと舌打ちをした。幹部の上部層である龍堂への態度が気に食わないのだろう。

 ここは波瑠窮理亜ヴァルキュリアのアジトのひとつ。再開発の目処も立たない廃墟ビルの中である。眼の前では数人の高校生たちが龍堂の部下に囲まれ、もみくちゃにされている真っ最中であった。ひとことで言えば集団暴行リンチだな。波瑠窮理亜ヴァルキュリアの稼ぎのひとつ、納金のノルマを果たせなかった奴に対する罰である。


「畜生……やめろぉ……」「が、は、ぉ……」

 

 暴行を受けている高校生たちの横では、筋肉質の男がふたりほど床に転がっており、それぞれぐったりとしている。彼らはそのふたりを助っ人として呼び寄せ、これ以上は納金に応じないと反抗の宣言をしてきやがったのだ。で、結果がこのざまである。龍堂とあーしでそれぞれボコってはい終わり。助っ人は地元じゃ喧嘩自慢の不良ナンバーワンツーとか言ってたけど、立派なのは格好だけで楽勝だったな。馬鹿だなあ。下手な正義感を出して反抗しなければ地獄を見ずに済んだのになあ。

 

「でもどーしたのよ? いつも以上にキレてんじゃん。お相手さん、鼻とかアバラの骨がバキバキよ?」

「テメーだって、相手が血反吐を吐くまでヤッてたじゃねーか。変わんねーよ」

「しょーがねーだろー。『仲間と配下には極上の天国を 敵と裏切り者には地獄の制裁を』。それがチームの鉄則なんだからさー。ナンバー2が鉄則やぶったら組織になんねーだろ?」

「じゃあニヤつきながら殴るのを止めろよ。サイコ野郎」

「そう言うお前はもっと楽しそうにやれよ、黒豹。ちょっと前までじゃねーか」

「充実してるよ、ちゃんと」


 龍堂の皮肉に対し、あーしはぶっきらぼうに返事をした。

 そんな余裕をぶっこくあーしらが気に食わなかったのか、敗北者たちは息も絶え絶えになりながら睨みつけてきた。


「てめえら、人間の心がねぇのか……俺たちはもう限界なんだよ! てめえらの金を用意するために、どんだけ俺たちが――」

「負けたほうが悪いんだろ。嫌だったら勝てよ」

「……クソ女……親の顔が見てみてぇぜ……!」

「………………」


 あーしはあんパンを咥えたまま倒れた男へ歩み寄り、そして脇腹を蹴り上げた。折れたアバラの痛みも重なり、更に悲痛な叫びを上げる男。無償に苛つく負け惜しみを耳にして、ついつい足が出てしまった。

 

「いま死んどくか? 天国にいれば、そのうちあーしの親が詫びを入れに来るかもしんねーぞ?」

「はいはいそこまで黒豹ちゃん。ほんとに死体つくられたら面倒だから」

 

 鬱陶しく悲鳴を上げ続ける男を黙らせるべく、もう一発顔面を蹴り上げようとしたところで龍堂が止めに入った。未だ力の衰えない、悔しさと怒りが入り混じった男の瞳が変わらずにこちらを射抜いてくる。

 

「まーまー。君らが改心してウチの傘下に改めてついてくれればいいよ。リンチも今すぐに止めるし、鉄則通り、極上の天国見せてやっから♪」


 ゲラゲラと笑う龍堂。そんなやり取りの間にもリンチの手が止まることはない。彼らが降伏するのは時間の問題だろう。いくら正義を気取っていても、実力が伴わなければ無力と同じだ。

 あんパンをすべて頬張って完食し、袋を投げ捨てた。


「やることやったし、もう行くわ」

「お早い退勤だねえ。ご苦労さん」

 

 あーしが手を差し出すと、龍堂はその手に封筒を握らせた。中身を確認する。万札が数枚。規定通りの報酬金だ。

 ポケットに封筒を突っ込み、ビルの出口へ向かう。その背中ごしに龍堂は声をかけてきた。


「もしかしてよォ、黒豹ちゃん……男?」


 上ずった声に苛ついたあーしは、返答の代わりに、足元に転がっていたコンクリート片を投げつけてやった。当たらないと分かっていた龍堂は腹が立つくらいニヤつくばかりだった。



・・・・・

・・・


 

 暴力こそが真理。暴力こそが秩序。かつて我慢を重ねていたあーしが学んだ絶対正義。その正義がいま揺らいでいる。

 格下と侮り、舐めてかかってきた喧嘩自慢の男子高校生たちを、女子中学生のあーしが蹂躙するという構図。そいつを成し遂げるたびに充実感で満たされていた。今までであれば、の話だが。

 充実感は今まで通りに感じている。だがどこか心が満たされない。かといって暴れて解消したいほどの不満はない。

 迷いが生まれた原因。そんなもん、決まりきっている。

 

「これが初オーディション落選のお祈りメールでござい」

「クソしょっぺえ報告乙」


 迷いの原因は、首にお縄をつけて天井からぶら下がりかねない鬱々顔を晒しながらスマホ画面を見せてくる佐藤のり子のせいだ。こいつの純粋さと理不尽を前にすると荒れる気さえ起こらない。

 結局、あーしはのり子との関係を断ち切れないでいた。あっちからウザ絡みしてくるから断るにも断れないって事情もあるが。


「それで、なんのグループに応募したんよ」

「え。ヨーミ、アイドルの名前、知ってんの? まあ知名度は界隈でも高いほうだからテレビで見かけてるかもしれないね」

「言ってみ。クソダサそうなユニット名だったら笑ってやるから」

16✕16シックスティーン Ageエイジ Projectプロジェクト。16プロって言ったほうが分かるかな」

「シッ……!?」

「おお。さすがに知ってるか」

「超が3つ並ぶくらい有名どころじゃねーか」

「いきなり最大手はちょっと無謀だったわ」


 アイドル界隈に興味のないあーしでも知っている名前だ。ユニットどころかメンバーの一人ひとりが番組のゲストキャラとして成り立つほどの人気グループである。16歳の女子高生が16人いるというコンセプトで、だからこそメンバーの入れ替わりも激しいとは言われてるが……。


「お前14歳だろ」

「募集規定はちゃんと満たしてますぞ。デビューまでの予備軍みたいなもんだよ、きっと。それに、実力があれば16歳前後でもメインメンバーになれるし」

「詐欺かよ」

「話題が出て売れればいいんだよ、売れれば。目指せ最年少センターデビュー敵わずだったけどさ。オーディションなんて落ちてナンボ。気を取り直して次に向けて頑張るよ。

 さて、ヨーミへの悲しい報告が終わったところで! メインコンテンツいってみよーっ! 傷心ハートブレイクを歌で修復じゃい!」


 やおらテンション高くのり子が叫ぶ。そして照明調整のリモコンを操作すると、暖色の照明が眩しい怪しげな個室から一転、ほんのりとミラーボールが輝く仄暗い小部屋へと様変わりした。

 そう、ここは都内のカラオケボックス。佐藤のり子の聖地である。オーディション不合格の落胆っぷりを見せつけてくるのがあまりにも鬱陶しかったので、あーしから『カラオケでも行けば?』なんて提案したのだが……完全に悪手だったな。

 

「落選通知から初のカラオケがヨーミとはいろいろ考えさせるねえ……あの涙の別れから数年……この日のために練習を続けてきた成果がいま発揮されますぞ」

「茶化すな。カラオケの機械カチ割んぞ」

「マジでやりそうだから、その脅しやめろよ……店舗系列出禁になっちゃうよ……」

「自分のうっかり提案のせいで予定外の時間が拘束されちまったんだ。怒りの矛先が無ぇ人間の気持ちを考えろ。くだらねー話で時間を使うほどヒマじゃねーぞ。ほら、さっさと歌わねーと時間がもったいないんじゃねえの? 延長料金、高いぜ?」

「延長してもお金は出すよ」

「あーしは時間の話をした。もちろん金もお前持ちだ」

「やれやれ、時代遅れよのう、ヨーミは……別に歌うだけがカラオケじゃないんだぜ……まあ歌いますが」


 これ以上だべっていると、小っ恥ずかしいセリフがオンパレードされてむず痒くなりそうだったので、さっさと歌わせることにした。

 慣れた手つきでタッチパネルリモコンを操作し、そして選曲した。歌う曲はやはりオーディションで披露したと思われる16プロの曲のようだ。曲名は『群青の霹靂へきれき』か。キャピついた16歳に似つかわしくないタイトルだが……どれ、アイドル候補のお手並み拝見。昔は割と上手かったけど、どれだけ成長しているか期待しないでやる。

 

 曲が始まる直前、のり子は着ていたパーカーを脱ぎ去り、ラフなTシャツ姿になった。テーブルの上に転がっていたマイクを手に取り、大画面のスクリーンの前に移動する。そして振り向くことなく、背を向けたまま棒立ちとなった。


「?」

 

 様子が変わったと気づいたのは、スクリーン前にのり子が立って間もなくだった。先ほどまで小学生男子のようにはしゃいでいたのが嘘のように落ち着いた空気感だ。冗談抜きで別人と見間違えてしまったほど、纏う雰囲気の質が変わっていた。変化というより豹変である。

 演奏が始まった。エレキギターのハウリングを皮切りに、アイドルには似つかわしくない、ロックテイストのイントロが鳴り響く。バラードテイストながらもテンポは速め。最近のポップスあるあるな曲調だ。ちょっと歌の上手いアイドルなら間違いなく人気が出そうである。

 ただ、今のあーしには曲を聞く余裕があまり無い。目の前にいる女の変貌っぷりに脳みそがついていけてない。

 

「ヨーミ」

「あ?」

 

 呼ばれたので思わず返事をした。その声は先ほどまでおちゃらけていた雰囲気から程遠く、重厚感が感じられる、低く重たい響きだった。


「この日のためにってのは、嘘じゃないからね」


 背を向けたままぼそりと呟き、直後にニヤリ微笑みながらこちらに振り向く。


 

「覚悟しろよ」


 

 そして始まった。手加減一切なし、全力全開なが。

 その暴力は、抵抗手段のないあーしに容赦なく襲いかかってきた。

 何曲も。何度も。何回も。



・・・・・

・・・


 

「そんじゃーねー。また来週ー」


 ホカホカに満ち足りた笑顔を向け、ブンブンと千切れそうなくらいの勢いで手を振ってから、のり子は元気よく駆け足で去っていった。あーしはその脳天気なのり子に小さく手を振ってからのり子に背を向けて歩き出す。


「………………」


 カラオケという軽率な提案をした自分に心の底から後悔している。天国と地獄を行き来するジェットコースターに乗せられた――そう表現するのが今の心境に近しい。

 何度も応援しそうになり。

 何度も泣きそうになり。

 その度にあーしの中の理性が必死に暴走を抑え込む。

 マイクを握りしめ、のり子ががむしゃらに歌っている最中、ずっとその繰り返しだった。なぜ自分は捻くれてしまったんだろう。素直に応援できたらどんなに気が楽だっただろう。道を踏み外して格好つけしたせいで素直になれない自分が憎い。


 佐藤のり子はアイドルだった。間違いなく本物のアイドルだった。少なくとも、あーしの前では。

 

 影という影を消し飛ばし尽くすような圧倒的な輝き。悪の道に染まった今の自分を全否定されているようでいて、でもその否定にむしろ心地よさを感じる。理不尽を通り越して納得しか生まれないほど、のり子の輝きは圧倒的すぎた。

 胸の奥から来るもやもやと興奮で吐きそうだ。暴力では収まりそうもないこの胸糞の悪さは、どう解消すればいいんだよ。

 それに、この胸のもやつきはあいつのアイドル力に圧倒されただけじゃない。とある疑問が腑に落ちなくて、身体を動かさずにはいられないのだ。


 思考がまとまらず、視点も定まらないまま、当てもなく夕方の東京を彷徨っていた時だった。

 

「あいたぁ!?」

 

 不意に肩へ衝撃がはしった。視線を向けると、どこかで見たことのあるサラリーマンの男が地面に転がっていた。手にはスマホ、耳にはワイヤレスイヤホン。たぶん流行りの歩きスマホというやつだろう。


「君、前を見て歩きたま――ひぃ!? あの時の!?」


 ……思い出した。のり子と一緒に地下ドルを熱弁していたあの中年男か。


「また君は理不尽に暴力を振るうつもりか!」


 ふと、男のスマホ画面が目に飛び込んだ。もちろんアイドルのMVミュージックビデオが流れている。期待を裏切らない男だ。

 ちょうどいい。あの疑問を解消するうってつけの機会だ。胸のモヤモヤを少し解消させてもらおうか。


「私だって黙っていないぞ。考えがある――」

「おい」

「ひいぃ!」


 あーしは怯える男の前にしゃがみこみ、手を差し出した。助け起こすためではない。


「スマホ貸しな」

「こ、個人情報を盗む気か!」

「ああ、そういう考え方になるか……じゃあ貸さなくて良い。ある歌が聞きてえから聞かせろ」

「はい?」


 男はひょっとこみたいな顔をして驚いていた。今どきは小学生ですらスマホを持っているのだから、中学生のあーしが持っていないことに驚いたのだろう。残念ながら不良の世界で外出時のスマホや携帯電話の類は不要なのだ。喧嘩して壊れちまったり、それこそ番号を控えられて悪用されちまったりな。

 そんなことはともかく。今は歌が重要だ。


「16プロの……『青天の霹靂』みてーなタイトルの曲あるだろ」

「『群青の霹靂』?」

「たぶんそれ」

「もしかして君もアイドルに――」

「黙ってやれ。これ以上喋ったらテメーのお望み通りの展開に持ち込んでやるが」


 一瞬だけ笑顔になった男だったが、暴力の気配をちらつかせた途端、その表情はすぐに恐怖の色へ染まった。短く悲鳴を上げながら必死の表情でスマホを操作してから、あーしの顔面に画面を突き出した。動画サイトのライブ映像のようだ。

 聞き覚えのあるギターイントロが鳴り始める。画面内にはのり子に負けず劣らずの美少女たちがアンニュイな表情でポーズを取っていた。

 やがて歌が始まる。駆け巡るように歌い手が切り替わるソロパート。そして全員のフルコーラスが入るサビパート。1番のサビまで聞き終えて――。

 

「………………」


 スマホから視線を外した。


「え? あの? もういいんですか?」

「歩きスマホには気をつけろよ」


 地面に転がったままのサラリーマンを放置して歩き始める。もうあいつとスマホは用済みだ。知りたい答えがハッキリと分かったから。

 あーしが知りたかったのは、のり子が落選した理由である。

 

 16プロの実力は確かだ。ちゃんとアイドルをやっている。可愛さと勢いだけで歌っているようなニワカではない。人気が出るのも頷ける。

 だが。そいつらとは比較にならないほど、のり子のパフォーマンスは高次元にいた。

 パワーが違う。技術が違う。魂が違う。比べてしまった自分と、比べられた16プロが可哀想になるほど、のり子は別のステージに立っている。


 納得の落選だ。あいつは実力が足りなかったんじゃない。

 その逆。実力がありすぎたんだ。そんな奴がユニットなんて組んじまったら確実に浮いた存在になる。出る杭は打たれるしか無い。


 のり子はとんでもねー馬鹿だ。自分の実力を履き違えてやがる。16プロ目指してねーで、事務所に駆け込んで一曲歌うだけで夢が叶うのにな。


「……ああもう、ちくしょう」


 そしてもう一つ思い知らされた事実がある。

 やっぱり波瑠窮理亜ヴァルキュリアなんて犯罪集団に関わっているあーしと友達やっているなんて、駄目だ。


 だって、佐藤のり子は未来のトップアイドルなんだからさ。現役の不良と関係なんて持っちゃ駄目なんだ。



 

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