112話 裂けた太陽 2/9


―― ヨーミ ――


 珍しく、その日は気分が良かった。

 いつものように道端を歩いていたら。いつものように他所のチームから因縁をつけられ。そしていつものように殴り合い蹴り合いの喧嘩が勃発した。結果、あーしは気分が良くなった。

 ここまで話せばゴキゲンな理由はお察ししているよな? 捻りの無い水平思考クイズウミガメのスープである。

 こちらは女身1つ。あちらは屈強な男5人。それでいて無傷の快勝を成し遂げたのだから、勝利の余韻にだって浸りたくなるもんだろう。気分は敵兵を重武装ヘリで一掃した後のアメリカ兵みたいだ。

 あーしは地面に這いつくばる男たちの懐をまさぐり、勝利の報酬を回収していく。もちろん現金だ。キャッシュレスが流行ってきた現代でも現金の安心に勝るものはない。

 

「てめぇ……ぜってえに忘れねえ……! 夜道にゃ気をつけろよ……ぐげっ!?」

「負けたんだろ。敗者は大人しく勝者に従えよ」

「ちくしょう、畜生! 殺してやる……ぜってえリベンジしてやる……!」


 鼻血を出しながら反抗的な目で睨んでくるリーダー格の顔面を蹴り飛ばす。衝撃で数本、抜け落ちた歯が飛び散った。財布を奪い、紙幣だけを集めてポケットに突っ込む。ジャラついて重たい小銭は勘弁しといてやった。

 なおもしつこくすがってこようとした男の顔面にもう一発蹴りを入れてからその場を離れた。長居をすれば警察や相手の仲間が集まってくる。さっさと退散するに限る。


 

 計4万円。端金ではあるが臨時収入としては申し分ない額だ。少しは羽振りの良い思いができるだろうな。

 心の中で『ワルキューレの騎行』を演奏しながら闊歩している最中だった。


 「アラマ。なんかゴキゲンじゃん、黒豹ちゃん。キグウ~」


 世の中すんなりはいかないか。顔を見たくない奴の筆頭だってのに。

 声をかけられて振り向こうとした矢先、背後から肩に腕を回す形で抱きつかれた。強烈なヤニとアルコール臭に思わず顔をしかめる。今日はゴキゲンなようである。

 その女の名は麗奈レーナ。あーしが所属しているチーム波瑠窮理亜ヴァルキュリアのナンバー1であった。


「……何だよ」

「やけにテンション低いご挨拶じゃねえの。頼もしいリーダーのレーナさんが直々に声をかけてるんだぜ。もっと嬉しそうにしてくれよ。何かイイコトあったの?」

「別に。いつも通りだろーが」

「いーやゴキゲンだね。足取りが軽い。あと、ちょっと頬が緩んでたぜ。察しないほうがどうかしてる」


 テメーのほうがどうかしてるよ。感情が無くてつまらんと言われる女に対して頬が緩んでるなんて、そうそう飛び出す言葉じゃねえんだよなあ。相変わらずの観察眼だ。そうやってあーしみたいな人間の闇を見抜いて、次々と人をスカウトしていったんだろうよ。


「で、いくらもってんの? アタシ200円。弁当も買えねえんだ。そんでもって餓死しそうなくらい腹減ってんだ」

「パンでも食ってろよ」

「そんな軟弱食品でアタシが満たされるワケねーだろ? 安心しなよ。すぐにノシ付けて返すからさー。キヒヒ」

 

 煽るような言葉遣いでイラつきと不快感がグングン上昇していく。足の骨を砕くくらいに踏みつけてやりたい。

 が、それは無謀。総勢200に届きかねない不良軍団……いや、不良ギャング波瑠窮理亜ヴァルキュリアは、いまやこの東京にまで勢力を伸ばしつつある。そんな勢いのあるチームのリーダーがレーナなのだ。下手に逆らえばチーム内の権力で潰されちまう。こいつは現金欲しさにあーしを煽っているだけ。金をむしる口実を作りたいだけだ。

 無難にあしらうか。ご機嫌を取るか。実力行使を実行するか。

 出した結論は、しわくちゃになった万札を取り出して見せつけることだった。今は面倒を背負い込む気分になれない。


「タバコ1本。コレで買ってやる」

「ワオ。羽振り良いネエ黒豹ちゃん。ワラの代わりにタバコ1本でわらしべ長者だ」

「5分で4万の美味しいバイトだよ」

「へー。そりゃ楽しそうだ。アタシも募集しちゃおっかな」

「もう募集はしてねえよ。で、どうすんだ。これ以上の値切りはしねえし、値上げも応じねえ」

「売った」


 レーナは万札を奪い取り、そしてあーしに1本のタバコを握らせる。レーナはすぐにジッポライターを取り出したが、あーしは火を点けないままポケットにしまった。


「吸わねーの?」

「気分じゃねえ。もう失せろ」

「連れねーなァ。久しぶりにセクシィなお前の姿を拝めたから構ってやったのに。そうだ、イイ男紹介してやろーか? ストレス発散に最高だぜ?」


 あーしの髪をかきあげながらレーナが囁く。その鬱陶しい手を払いのける。

 

「あーしは13だぞ。そんな奴に欲情された時点で吐き気がする」

「綺麗な髪がもったいねーなー。ロクな手入れしてねーのにツヤツヤ髪なのによー」

「もういいだろ。じゃあな。くたばれ」


 レーナに中指を立てて踵を返す。その態度にレーナは口笛を鳴らすだけだった。

 くそ。髪、伸ばしすぎたかな。切るのが面倒くさくて伸ばしちまったけど、バッサリいっちまおうかな。



・・・・・

・・・

 

 

 久しぶりにスカッとした気分が台無しだ。

 そんな不機嫌な感情をむき出しにしたまま往来を歩く。落ち着くために買ってやったタバコをふかしたい気分だが人の目が多い。かといって隠れて吸うのも癪に障る。

 もう一回、誰か喧嘩でもふっかけてくれねえかな。そんな物騒な期待を込めながら周囲を睨みつけていると、往来でたむろする、ひとつの集団が目に留まった。すぐ横にはライブハウス……なるほど、ライブ上がりで興奮中か。


「いやー、新しい世界を開いちまいましたね! 参加して大正解でした! 地下アイドルってこんなにキラキラしてるんですね!」

「分かってくれますか! 本格的に光り輝く前、原石の輝きは今しか味わえない。地上波デビューした子には無い初々しさがある。それが地下ドルの醍醐味ですね!」

「私も彼女たちみたいに第一歩を踏んでデビューしたいなあ……。私の最推し『LisLis』のアコちゃんも――」


 興奮気味に談笑する男女たち。10人くらいだろうか。年齢層がバラバラなところを見ると、ネット上で知り合ったオタクたちが集まってアイドルのライブに参加した帰りなのだろう。一番若い奴はあーしよりも若い小学生、上はヒョロそうな中年男の構成となっている。あーしと同年代の中学生や、レーナと同じ年頃の高校生も居るな。


「……チッ」


 無意識で舌打ちが飛び出し、足が自然と集団へ向いていた。レーナに絡まれた時以上の腹立たしさがこみ上げてくる。自分たちは幸福の絶頂だ、不幸なんて一度も感じたことがない――そう主張しているような笑顔を見て無性に腹が立ったのだ。

 幸い、その集団は歩道いっぱいに広がって通路を占領し、通行の邪魔となっている。因縁をつけるのは簡単だった。


「さて皆さん。そろそろ移動しましょう。近くのカフェを予約しているので、皆さん着いてきてくだ――ぐあっ!」


 一番年上そうな男の肩にぶつかる。不意を突かれた男はわざとらしいくらい激しく倒れ込んだ。肩掛けバッグの中身が歩道に散らばる。


「いたた……な、何だぁ? ……ひいぃ!?」


 不満そうに見上げてきた男は、あーしの顔を見た途端に小さく悲鳴を上げた。不機嫌が伝わるように目いっぱい眉間にシワを寄せて睨みつける。これからお前に因縁をつけるぞ、というアピールである。


「てめーら、邪魔」


 そのひとことで全員が沈黙した。厄介そうな女に目をつけられたうえ、自分たちが公序に反した行いをしていたというダブルショックの真っ最中なのだろう。反抗や反論の無い、腑抜けた反応に思わず嘲笑が飛び出しそうになる。やっぱダセーな、オタクって人種は。ちょっと小突いただけでオロオロしやがる。迷惑料でもかっぱらって、楯突いてきたらぶん殴ろう。


「あのっ! 確かに私たち邪魔だったかもですけど! いくらなんでも酷くないですか!?」

 

 女子中学生の文句を無視し、散らばったバッグの中身に視線を移す。無駄に金を搾り取られていそうなグッズの数々の中、百円ショップで売っているビニール製の小物入れが目に留まった。半透明なビニール製なので中身が見える。紙幣だ。オフ会の会費ってところか。5万円くらいは入っていそうだ。思いも寄らない臨時ボーナスである。これで手打ちにしとくか。

 小物入れを拾い上げた拍子に、うちわに描かれたアイドルの顔が目に飛び込んでいた。その無機質な視線は、ちょうどあーしの視線にピッタリと合わさっている。なんとなく、大嫌いなレーナの顔を思い出してしまった。あいつに嘲笑われているようで腹が立つ。

 トドメとばかりに力の限り踏みつけることにした。


「!?!?!?」


 その足が地面に着くことはなかった。差し込まれた別の足が邪魔してきたからだ。結果、踏みつけは成らず、空中でピタリと停まっている。改めて体重をかけ、力を込めたがビクともしない。突然の非現実を目の当たりにし、たまらず顔を上げる。

 まさしく鬼の形相をした女の顔がそこにはあった。先程あーしに文句を言ってきた女子中学生である。


「おい……『LisLis』のアコちゃんだぞ……? 誰の許可取って、私の推しにその小汚え靴底を押し付けようしてんだ。いくら私たちが悪いことしたからって、やりすぎだろうが……!」


 もはやまったくの別人としか思えないほどの低い声だった。その女子はあーしの足ごと踵を跳ね上げて弾き飛ばす。あまりにも常識外れな衝撃をもらい、たまらず尻もちを着いてしまう。天高く突き上げられた踵は、一度そのてっぺんで静止してから、ゆっくりと地面へ降ろされた。グッズを踏まぬよう、細心の注意を払いながら。


「ましてや不良のてめえが軽々しく踏み込んでいい領域じゃねえんだよ……!」

「!!」

 

 懐かしい理不尽だった。

 あーしが思い浮かべたそいつは、昔から何かと不良に絡まれていて、その度に尋常じゃない怒りと共に、理不尽なフィジカルを見せつけつつ相手を圧倒することが得意だった。こんなバカみたいな暴挙ができる奴は、あいつ以外にありえない。


 佐藤のり子。あーしの大親友だった女。


 相手の正体を悟った瞬間、急に今の自分が恥ずかしくなって顔を背けた。だってあいつの嫌いな不良に、親友だったあーしが成っているのだから。合わせる顔が無い。

 

「……どいつもこいつも。勝てないと分かった瞬間にしょぼくれやがって」

 

 しばらく怒りの視線で睨んでいたのり子だったが、やがてため息と共に肩の力を抜いた。地面に向けて視線を外したあーしが戦意喪失したと判断してくれたのだろう。

 

「これだから不良は自分勝手で嫌いなんだ」

 

 のり子はゆっくりとした足取りで近づいて眼の前にしゃがみこみ、放心するあーしから小物入れをひったくった瞬間。


「ん?」

 

 のり子は怪訝な表情をしながらあーしの顔を覗き込んできた。もしかしたら向こうも気づいちまったのかな。いや、分かるわけがない。別れた頃から随分と容姿が変わっているのだ。ガキ大将みたいに短かった髪は女らしく伸ばしている。耳や口にはピアスをつけた。タトゥーも入れた。ジャラついたアクセサリーもふんだんに着けている。背丈は別れたときから何十センチも伸びてるし、声変わりして声が低くなってるし、体つきだって女らしくなって――。

 

「え? 嘘だろ? ヨーミかい?」

「!?」

 

 叶わぬ願いを前に現実逃避をしていたら、秒でその期待を叶えられてしまい、思わず狼狽してしまう。気づかれてしまった。合わせる顔が無いのに。

 急いで立ち上がり、その場から走って逃げる。

 

「あっ! ちょっと待ってよ!」


 制止など聞けるわけがない。全速力である。人混みを掻き分け、とにかく誰もいない場所へひたすらに走って逃げる。

 とにかく恥ずかしかった。地の底まで落ちぶれてしまっている自分を見てほしくなかった。


「ハァ、ハァ……」


 人の気配の無い路地裏まで逃げ込んで一息つく。あいつがまだ地元にいるなら東京の地理には詳しくないはずだ。撒けるはず。撒けていてくれ。


「アイドル志望の私に持久力と瞬発力で勝とうなんざ10年はやいんじゃないの?」


 ……だよな。クソが。逃げられないのも分かっていたし、追いかけてくるのも分かっていたよ。あーしの知る佐藤のり子なら絶対にそうする。

 ゆっくり振り向いて相手を確認する。

 14歳となる佐藤のり子は、昔の可愛らしい愛嬌を残したまま順当に美少女となっていた。


「ひさしぶり、ヨーミ。とりあえずごめん。酷いこと言ったかもだね」

「……のり子」

「さてと。言いたいことはいっぱいあるけど、それよりも聞きたいことのほうが多いかな。話そうよ、ヨーミ。もう少し落ち着いた場所で、ふたりきりでさ」


 悲しそうな顔で語りかけるのり子。

 お互い、死刑宣告とどっちが楽な気持ちなんだろうか。

 そう本気で考えるくらい、辛い提案だった。


 

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