110話 雲中暗躍の銀狐


―― 佐藤のり子 ――


 蒼火セッカが我が家にやってくると聞かされていたのに、まさかの言葉アリアも一緒にやってくるというサプライズを今日カマされたワケだけど。そんなビックリドッキリサプライズをやられる事態なんて、この先も滅多に起こらないだろうとタカをくくっていた。

 

「なに? なんでさ? なんでよ?」

「お……お邪魔します佐藤さん」

「ごめんのり子さん。緊急事態だったの」


 その『滅多』が、まさか今日また起こるなんて思わないじゃん!? なんで最上さんと峰さんとヨーミが一緒に我が家の玄関に揃い踏みしてるのさ!? 一瞬ガチで呼吸が止まったぞ!? ていうか、緊急事態ってなに!?


「………………」

 

 ヨーミに至っては滅茶苦茶シリアスな顔してるし!? 状況が何も伝わらないよ!


「ただいま、お嬢」


 遅れてルルが帰宅する。即座に変装を解いてウィッグとサングラス、そして買い物した食材が入った袋を玄関脇に置き、ラフな格好になるルル。なんか様子が変だ。

 

「ルル! 説明を――」

「悪いが時間が無い。お嬢を含めた全員、客間で待機してくれ。然る後に状況を話す」

 

 取り付く島もなくルルは私を素通りしてしまった。その顔に一切の笑みは無い。あんなに余裕の無いルルを見るのは初めてだ。言葉通り、よほどの緊急事態なのだと察することが出来た。

 そして。ルルと最上さん、おまけにヨーミの三人と一緒に峰さんが我が家にやってきたのだ。これはもう腹を括るしかないだろう。

 おそるおそる峰さんに視線を送る。私と視線が合った峰さんは、居心地が悪そうにペコリと頭を下げながら私に言った。


「その……改めて。はじめまして紅焔アグニスさん」

「おっふ」


 今まで必死に正体を隠してきた私の努力が完全にパァである。目的地の直前まで進んでから死んでスタート地点まで戻されたような死にゲーの虚無感をリアルで味わうことになるとはね……この佐藤のり子、自分のドM気質は認めるけど、今日の仕打ちばかりはなかなかに堪えるぞ。

 ちゃんと緊急事態らしい理由を言ってくれよルル。くだらん内容だったらマジギレ不可避だからな。


 

・・・・・

・・・



「お嬢へのヘイトクライムだ」


 和室の客間に一同が集まってから間を置かず、ルルは公園での騒動を簡単に説明してから、現在の状況をこの一言で収めた。いつの間にかバイク乗りが着る革っぽい生地でできた、ライダースーツのような格好に着替えている。

 で。『へいとくらいむ』だっけ? ぜんぜん聞いたことない単語ですね。ヘイトの単語は『言葉の暴力ヘイトスピーチ』なんかで聞くからなんとなく分かるけど、クライムは何語ですかい?


「クライムは『犯罪』の意味を指す英単語だな。偏見や憎悪が元で引き起こされる犯罪を指す。皆が良く知るヘイトスピーチの実力行使版と認識してくれ」

「あーしを襲ったバイク集団が、しつこいくらいにこう言ってたんだ。『恨むならスカーフェイスを恨め』って。そう言いながら人を襲ったり、物を壊して回っている」


 ヨーミがその言葉を言った瞬間、全員の視線が私に突き刺さった。例外なく深刻な顔をしている。

 ええと……シリアスな空気の中ですげー発言しにくいけど……ごめん全然ピンときてない。すかーふぇいすって、私のこと? アニメキャラなんかで聞いたことがあるような単語だけど……?

 そんな私のおつむ事情を悟ったお母さんが助け舟を出してくれた。

 

「ごめんルルちゃん。ウチの娘バカだから、チンパンジーでも分かるくらいの説明してあげて」

「ンむ。スカーフェイスってのは『傷を負った顔』という意味だ。この近辺で条件に当てはまる者といえば有無を言わさずお嬢となるな。つまりのバイク集団は、自分たちが犯罪を起こす原因はお嬢にあるとふれ回りながら、一般市民を相手に好き勝手して暴れておるのだ。佐藤のり子の心象を悪くするためにね」

「はあ!? それ八つ当たりってこと!? しかも何で私に直接来ないのさ!?」

「暴力では君に敵わないと分かっているからだろう」

「めっちゃヤバい状況じゃん!? こうしちゃいられないでしょ、止めなくちゃ!」

 

「それは駄目です!」「駄目ッス!」「それだけは駄目だよ佐藤さん!」「落ち着けのり子!」


「ぐぬっ……」

 

 上げかけた腰を再び座布団の上に落ち着ける。一斉に上がった皆の声が必死だったから、よほどマズい選択なのだと直感した。お母さんとルルも頷いているので、ここは従うべきだね。

 

「お嬢を心配してくれてありがとう皆の衆。お嬢。今は外に出ないでほしい。君の姿が大衆に晒されれば糾弾の対象となってしまうからね。敵の思うツボだ」

「誰だよ敵って」

「首謀者さ。ヨーミを襲撃した男たちには憎しみが見受けられなかった。おそらく首謀者から金で雇われているのだろう」

「くそ、陰険なマネしやがって……」

「その場でひっ捕まえて尋問も考えたがね。変装しているとはいえ無闇に人道を踏み外すわけにはいかん。ひとまず襲撃者の人相をその場で覚えておいて、先ほどその情報を警察に連絡しておいたよ。彼らはじきに捕まるだろう」

 

 さすがルル。どんな時でも大人で冷静な対応だ。それに比べて私はすぐにキレちゃうんだもんなあ……私も早く大人の落ち着きってヤツが欲しい。

 

「お嬢は母君と一緒に皆を守ってほしい。母君はお嬢が暴走しないように傍にいてやってくれ」

「任されたわ」

「ルルはどうするの?」

「地道に現地で救助活動だ。警察では即応性と小回りに乏しいだろうからな」

「ん。分かった」

「ちょちょっ、ルルとのり子ちゃん!? いま簡単に納得したけど、ルルだって一般人なんだぞ!? 下手に動いたら警察の邪魔しちまうんじゃ――」


 ルルの越権行為に対して赤羽根さんは心配して声を上げたが、もちろんただの取り越し苦労である。


「大丈夫ですよ。ルルは私が全力で立ち会っても簡単にあしらっちゃうくらい強いですから」

「……マジで?」

「いちど組手をしてみたんですけど、本気のホの字も出してもらえなかったです」

「インフレ極まれりじゃねぇですか……」

「さて。お嬢に話を共有できたから佐藤家での目的は達成だ。ヒーロー活動へ移らせてもらうぞ」

「変装無しで行くんですか? ルルーファさん、容姿が良すぎて目立っちゃいますよ。最悪、身バレの可能性も……」


 最上さんの指摘に対し、ルルは不敵にニヤリと微笑んだ。

 

「いや。今回は逆に悪目立ちさせてもらう。フフフ……任せておけ。我に秘策ありだ。コンコンとな」


 そう言ってルルは私の私物である狐面を装着した。随分と心もとない変身スーツだ。ライダースーツに銀髪の狐面の女……ルックスは超怪しい。とりあえず顔バレは回避できるか。


「では行ってくる。良い子にして待っておくれよ、お嬢」

「私も力になるわ、ルルちゃん。と言っても他人頼りだけどね。昔の知り合いに助けてもらえないか連絡してみる」

「ありがたい。母君の友人ならばきっと百人力だろう」

「やりすぎないようにね」

「あいよ」

 

 ルルとお母さんは熟年コンビのようなやりとりをしてから、颯爽とした足取りで客間を出ていった。

 さて。私達はどうしようね。外が危ない以上、中からできることなんてSNSやニュースを監視して状況を把握するくらいだろうか。でもそんなことすると、かえって心配になって我慢できなくなりそうだ。

 ちくしょう。なんだってこんなことになったんだよ……。


「ごめんねみんな。私の変な因縁に巻き込んじゃって」

「起こっちゃったもんはしょうがないスけど……のり子ちゃん。首謀者の心当たりとか無いんスか?」


 未だに下っ端な口調が抜けない赤羽根さんの問いに、私は申し訳ない気持ちになりながら答える。

 

「全然ですよ。ぶっ飛ばしてきた不良は山ほどいますし」

「ここまで恨まれるなんて相当ッスよ!? 誰かひとりくらい印象に残った相手とか――」

「庭に生えてる雑草を踏んでも種類なんていちいち憶えてられないでしょ? それと同じです」

「「「………………」」」

「のり子らしいなあ……ハハッ」


 赤羽根さんと最上さん、そして峰さんが怯えた表情で私を見つめてきた。ヨーミは苦笑いだ。え、なに? 今の発言、そんなに人としてダメなヤツだった?


「のり子とあーしはこの辺りの不良どもから相当に恨まれていると思います。悪さしてる連中は片っ端からぶっ飛ばしてきましたから」

「不良どもって……そんなに多いんですか、この地域?」

「舐めたらいけませよ、最上さん。ここは不良の聖地なんです。生半可じゃ外にも出歩けません。夏美ですら重装備なんですよ」


 峰さんが手持ちの鞄を漁ると、中から防犯ブザーや催涙スプレーなどの不審者撃退グッズがいくつか飛び出してきた。我が地域では標準装備である。


「そんな可憐な見た目で過激なモノ持ってんだなあ。たくましいよ」

「私は地味だから、幸いにも怖い経験はしてないですけど……」


 私にとっても幸運だ。もし峰さんに不幸な思いをさせていた奴がいたら、それはそれで今から家を飛び出しかねないからね。

 

「ねえヨーミ。犯人の中で一番あやしい奴って誰? 具体的な心当たりがあるの? 私が知ってる奴?」

「やっぱりレーナだな」

「誰?」

「あーしが所属してたチーム、波瑠窮理亜ヴァルキュリアの元総長だよ」

「あー……えーと……どんな奴だったっけ」

「お前、自分の顔を削った相手くらい憶えてろよ。お前の不良フィルター精度よすぎだろ」

「ヨーミさん、あの学生ギャングのメンバーだったんですか!? というか、のり子さんの顔の傷って、ヴァルキュリアのリーダーがつけたんですか!?」


 どこか聞き覚えのあるワードが飛び出た瞬間、峰さんが過剰に反応した。彼女の横に座っている赤羽根さんも驚き顔だ。

 

「その名前は聞いたことがある。ここ近年じゃ関東圏でも一番大きなチームだったな。恐喝や薬物販売なんかで新聞にも載ったことがあるくらいだ」

「あーしにとっても思い出したくない歴史ではありますが、確かに所属していました。入ったことは今でも後悔してます」

「そんなに後ろめたい顔をしなくても大丈夫だよ、ヨーミちゃん。あたしも元ヤンだ。悪いことしたって点なら、ケンカをやらかしてきたあたしも同罪を背負ってる。大事なのは、その反省を活かして今後世の中にどう貢献するかだよ」

「……あざっす、赤羽根センパイ」


 さすがはG-Stateの姉御代表。世話を焼かせたら業界屈指で頼りがいのある人である。これで私への下っ端ムーブを取っ払ってくれたら最高なんだけど。


「でもどうして学生ギャングの元リーダーが佐藤さんに恨みを持ってるんです? 確か3年くらい前に解散したって聞いてますけど」

「幹部会に乗り込んだのり子が全員叩きのめして、なし崩しの形で解散させられちまったんだ」

「叩きのめし……え? 佐藤さんが叩きのめした? 解散の理由って、チームの抗争だったんじゃ……」

「そいつはチーム関係者が流したデマだ。たったひとりの女子中学生に解散させられたチームって汚名を着せられたくなかったんだろうな」

「じゃあ佐藤さんの傷はその時が原因で……?」

「いや。話すと長くなるが別件だ。殴り込みの時、のり子は掠り傷しか負わなかったそうだ」

「……佐藤さん、そんなにすごい人だったんだね……アイドルですらトップクラスなのに……」

「いやいや。まだまだトップアイドルじゃないし、ケンカはルルの足元にも及ばないからね?」

「あの人と比較できる時点でお前はちょっとどうにかしてると思うが」

 

 ああもう。峰さんとの距離が縮まりかけたのに、クソみてーな暴力エピソードでまた距離が開いていくぞい……。


「当時のあーしはチームを抜けて関係者じゃなくなったんだが、その事を気に食わなかった下っ端が襲いかかってきてな。病院送りにされちまったんだ。で、その事を知ったのり子がブチ切れちまった」

「いやその……あれは仕方がなかったんだよ。若気の至りだよ。私もやりすぎたって反省してる。当時の私はガキだった」

「ケンカ自慢な不良の精鋭30人を蹂躙しておいて恥ずかしがる思考回路が相変わらず理解できん」

「はい、このお話やめ! 私の武勇伝なんて聞いたところで誰も得しないし、もっと実りのある話をしよう!」


 赤羽根さんが私を見る目、パニック映画でモンスターに襲われる前の外国人みたいになっちゃったし。これ以上バケモノ扱いされると堪える。

 最上さんが空気を変えるべく、こほんと咳払いをした。

 

「ええと……話が膨らんできちゃったから元に戻させてもらうけど……そのレーナって人は自分のチームをのり子さんに解散させられたから、今回のヘイトクライムを起こしたんじゃないか……ヨーミさんはそう考えているんですね?」

「はい。やっていたことはクズの極みですが、人望と頭のキレはある奴でした。今回の事件も十分に起こせると思います。大体の奴らは過去の悪さが露見して刑務所や少年院送りになりましたけど、そいつらも刑期を終えてシャバに復帰していてもおかしくない」

「じゃあその人たちが今どうなってるか、ネットでいいから調べてみるのはどうかな? 今の私達にできることって、たぶんこれくらいじゃないかなって思う」

「その提案、イエスですね! さっそくやりましょうよ!」

 

 興奮気味に返事をする私だったけど、最上さんの態度はやや消極的に見える。おかしいな。完璧な提案だと思うんだけど。


「調べるのであれば、さっきの事件の詳細を私達は知らないから、話してもらわないと手伝えないんです。だからその……のり子さんの傷のこともきっと聞かなくちゃいけないと思います」

「あぁー……なるほど。一理ありますね」


 そして他人から見ればデリケートな問題だから、最上さんは聞くのをためらっている、と。

 であれば許可を取らなくちゃいけないのは私じゃない。

 

「三人とも私の傷がどうやってできたか気になってるだろうし、スッキリしてもらうにはちょうどいい機会か」


 私はヨーミに視線を移した。どちらかと言えば、傷の件に関してはヨーミが一番つらい立場なのである。ヨーミが話したがらないなら、この話は取り下げてもらう。


「ヨーミ、どう? 話せる?」

「……話そう。今回の件はあーしにも責任があるかもしんねー。のり子の傷はあーしが原因だし、事件にまったく関係無いかと言われると否定もしきれん」

「話すのはヨーミがメインでお願いしていい? 私はこういう語りが下手だからさ」

「分かった」

「峰さん。最上さん。赤羽根さん。だいぶグロテスクな話になっちゃうけど大丈夫?」

「お願いします。私、もっと二人のことを知りたいから」


 誰よりも早く峰さんが即答した。その表情は真剣そのものだ。続いて残りの二人も強く頷く。


 長い話になりそうだ。

 ルルの作戦とやらが上手くいくよう祈りながら、私も思い出してみますか。


 顔の傷を巡る、私とヨーミの物語を。

 


 

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