109話 ヒーローの名は通行人L


―― 最上詩子 ――

 

「おい、あんたら! 危ないから逃げろ! 逃げてくれぇ!」

 

 轟音を鳴らすバイク集団。そのバイク集団に襲われている女子高生。

 誰がどう見ても不穏な構図を目の当たりした観客たちは、その異常性を感じ取り一目散に逃げ始めた。

 

「なんかこれ、滅茶苦茶ヤバくないですか……ルルーファさん、ここにいたら危ないですよ」

「………………」

「ルルーファさん!? どうしたんですか!?」


 ルルーファさんはバイク集団をじっと見たまま動こうとしない。あまりにも現実離れした光景だから脳の処理が追いついていないのだろうか。

 とりあえず私達は進路上にはいないからたぶん安全として――げぇっ!?

 

「えっ、あっ……」


 思い切り感情を込めて歌っていたせいだろうか。七海ナナミは突然の横槍に対応できず完全に放心状態だった。その場で腰を抜かし、へたりこんでいる。


「夏美っ!」

「ナナミさんっ!」

 

 私と女子高生が同時に叫ぶ。叫んだおかげで気合が入ったのか、私の身体が勝手に動いてくれた。

 私は七海ナナミ――もとい夏美さんに駆け寄り、立ち上がれるように体を抱えた。すると前にいた女子高生が歯を食いしばったかと思えば、決死の表情を浮かべながら逃走ルートを変更した。バイク集団の気を引いて、私達を助けるつもりだ。でも無理なルート変更をしたせいで、バイク集団に追いつかれてしまいそうだ。まずい。まずいまずい! はやく安全な場所まで避難しないと!


「立って! ここは危険だから!」

「あの、あの、ありがとうござ――」

「お礼は後で無事だったらください! 立って走ろう!」

「はいっ!」


 夏美さんも立ち上がった。とにかく、ルルーファさんの所に戻ろう。ルルーファさんがどれだけ助けてくれるのか分からないけど、なんとかしてくれるはず!


「ああっ! ヨーミさん危ない!」


 鋭い叫びが夏美さんから飛んだ。ヨーミさんと呼ばれた女子高生に視線を向けると、金属バットの一撃により学生カバンが弾き飛ばされ、その衝撃で足がもつれて倒れ込んだ直後だった。そのヨーミさんに情け容赦なく追随する不良たち。手に待った分厚い鉄パイプを地面にこすりながらヨーミさんへ近づいていく。あんな物でバイクの速度と一緒に殴られたら――。

 だめだ、私じゃ助けられない! ヨーミさんも、もう走る体力が残っていないみたいだ。ああ、そんなのって……っ!


「黒豹ォ! ったァ!」

「く……そがよぉお!」

「恨むならスカーフェイスを恨みな!」

「ヨーミさん!」

 

 悲惨な光景を夏美さんに見せぬよう、私は彼女を引き寄せて抱きしめた。ルルーファさんが私達に向けて駆け出した光景を最後に確認してからギュッと目と瞑り、その時が来るのを覚悟して――。


「あっっれえええええ!?」


 バイクの男から素っ頓狂な声が上がったものだから、私は咄嗟に女子高生へ視線を戻した。次の瞬間、私も「ぅえっ!?」、なんて普段は出さないような絶叫をあげていた。

 

 だって私の眼の前にルルーファさんがいたんだもん。

 ヨーミさんをお姫様抱っこしたルルーファさんが。

 

 私が目を瞑る前、確かに動き始めのモーションだったよ? でも私達を追い越して50メートル近く離れたヨーミさんに近づいて、お姫様抱っこしながら私達のところまで戻ってきたんだよ!? 何秒だった今の!?


「あ、え、あーし、なんで」

「やれやれだ。俺が現場にいるのに、不当な暴力を許すはずがないだろうに」

「あっ、えっ、あっ」

「すまんな。緊急事態だったもので不用意に触れてしまった」

「いえ、いえ! とんでもないっ!」


 ルルーファさんはヨーミさんを優しい手つきで地面に立たせた。ヨーミさんは耳まで真っ赤にしている。お姫様抱っこなんて、きっと生まれて初めてやってもらったんだろうな。

 私はいちど配信でやってもらったけど、他人の身体と密着するシチュエーションが思った以上に興奮して鼻息が荒くなって、リスナーやメンバーにからかわれたっけ。ましてや女神級のビジュアルにイケメンムーブ付き。これで平静を保てたらどうかしてるってものだ。


「さて、助けた手前で申し訳ないが、ひとつ最優先の確認があるんだ」

「はひっ」

「君たちはいま、映画やドラマの撮影中だったりするかい?」

「はひ?」

 

 私、夏美さん、そしてヨーミさんは、揃って目をパチパチさせた。その様子を見て、ルルーファさんは胸を撫で下ろす仕草をする。

 ひょっとして――。


「なるほど。助けて大正解だったな。撮影の邪魔になっているかもしれないと思って、ギリギリまで介入を避けていたんだ」

「ヨーミさん、本当に怪我しちゃうところでしたよ!?」

「ちゃんと手助けの見極めはしていたよ」

 

 呑気と天然がすぎるよ、この女神様!? さっきまでの必死な私達が、もう茶番に見えちゃうんだけど!?

 そんな風にびっくり仰天で呆れていると、ルルーファさんはスマホを持って呆然とするバイクの男のひとりを指さした。

 

「そこの彼がスマホを掲げているからな。動画サイトのCMで見たことがあるぞ。スマホで一線級の映画を撮っているメイキングシーンをな。まあ、俺の勘違いだった訳だが。すまないね、ヨーミ。無駄に怖い思いをさせてしまって」

「いえ……助けてくれて、ありがとう……ございます」

「君たちは近くにある建物の壁際にでも避難するといい。そこならバイクも不用意に突っ込まないだろう」


 ルルーファさんが改めて不良たちに視線を戻した。その瞳には余裕が宿っている。

 

「さてと」

 

 不思議だ。さっきまでの焦燥感が嘘のように消えている。安心感を通り越して、もはや気の毒とさえ思えてしまうほどに。きっと目の前の状況など、ルルーファさんにとっての危機ではないのだろうな。

 

「ふむ」


 何かに納得してから、ルルーファさんは無造作に歩き出した。


「な、何だよ姉ちゃ」

 

 先ほどヨーミさんに鉄パイプで殴りかかった男がルルーファさんへ絡んだ直後だった。

 

「ん――あれ? あよ?」


 彼が被っていたヘルメットが空中に弾き飛ばされていたのは。男は何が起こったのか分からないと言わんばかりに呆然としている。

 気がつけばルルーファさんの手には、男が持っていた鉄パイプが握られているではないか。奪い取ってヘルメットを弾き飛ばしたのだろうけど……まったく何も見えなかった。昔の動画で見た、鞘から刀を抜く動作を見せない居合の達人みたいだ。

 レベルが違うとか格が違うとか、そんな話にすらならない。ルルーファさんだけ別の世界線を歩いているような感覚だ。


「ふむ」


 ルルーファさんは男を横目に一瞥しながら通り過ぎ、そのまま残りのバイク集団へ歩み寄る。


「ンだよ!」「こちとら単車だぞゴラァ!!」


 アクセルをふかしてバイクと一緒に突っ込んでくる不良たち。しかしルルーファさんは先ほどと同様に男たちのヘルメットやバンダナを難なく剥がし取っていく。ただそれだけの対応だった。


「ふむ」

「さっきから何なんだよ女ァ!」


 ヘルメットを剥がされた男から声をかけられるけど、ルルーファさんは応えない。もう興味が失せたのだろう。不良たちも実力差を思い知ったのか、再び立ち向かおうとはしなかった。

 残りの男たちも次々と似たように対処され、残りはスマホで撮影していた不良だけとなった。

 

「ちィっ!」

 

 そいつは勝ち目が無いと分かったのか、スマホをポケットにしまうと、仲間を置いて逃げようとバイクの向きを反転させる。

 だけど、そんな薄情を見逃すほどルルーファさんは甘くない。目にも映らない速さでバイクに追いつくと、すれ違いざまにヘルメットを弾き飛ばし、スマホを奪い取って彼の前に立った。


「!?」

「生配信ではなかったか。型落ち品で助かったな。すまないが動画や写真は全て消去させてもらうぞ。念のため編集アプリもな」

「返せよてめェ――」


 不良の言葉は、突き出された鉄パイプの先端によって遮られた。先端が不良の眉間に触れている。

 

「物理的に破壊されたくなければ大人しくしていろ。すぐに返す」


 スマホを操作しながら警告するルルーファさん。「何を」破壊するのか、彼女は言わなかった。

 やがて彼女は鉄パイプを投げ捨て、持ち主のポケットにスマホを直接放り込んだ。そしてゆっくりとした足取りで私達の元へ歩きつつ、すれ違いざまに不良たちへ警告する。


「俺はこれから彼女たちを安全な場所までエスコートせねばならん。だから君たちは大人しく帰れ」

 

 その間、不良たちはルルーファさんから目を逸らさず、じっと彼女の動きを追うだけだった。下手に動けば返り討ちになってしまう――そんな確信に囚われてしまっているのだろう。

 

「まだ喧嘩腰でいたいなら止めはしないが。君らが再起不能になるという結果が追加されるだけだからね」


 ルルーファさんが私達の前まで歩いてから、不良たちはようやくその警告に従って逃げ始めた。こんな捨て台詞を吐きながら。


「今日は見逃してやる黒豹ォ! だが次はねぇ!」「デカい面して表を歩けるのも今日までだ!」「恨むならスカーフェイスの奴を恨みな!」

「おい君たち! ヘルメットや帽子を忘れているぞ!」


 ルルーファさんの呑気な忠告に耳を貸さず、不良たちは轟音と共に去っていった。まあ、構っていられないでしょうね。ルルーファさんという理不尽の権化が自分たちに敵対してるんだから。


「逃がしちゃうんですか? ルルーファさんなら簡単にやっつけられるのに」

「無闇に暴力を過信してはいけないよ。こんなつまらない事で法や世論という番人に牙を剥かれたくはないからね。とはいえ顔は憶えた。後でどうとでもなるさ。今は君たちの安全確保が第一だ」

 

 顔は憶えたって……そういえば記憶力がとてつもないんだったっけ。配信では記憶力を活かしてゲームの謎解きをしたり、フラッシュ暗算を披露して驚かせていたっけ。

 それにしても、どうしても気になるフレーズがある。

 

 スカーフェイス。


 これってもしかして……。


「あのクソ野郎どもが……のり子の奴に何しようってんだ……クソが!」

「やっぱり! 傷面スカーフェイスって、のり子さんのことだったんですね!」

「ええ、そうです……すんません、助けてくださってありがとうございます。あーしはのり子の友人でヨーミって言います。貴女が助けてくださったこちらの子は同じく友人の夏美です」

「私からもおふたりに感謝します。あ、あの……差し支えなければですけど……おふたりは、佐藤のり子さんとどんな関係なのか教えていただけると……」

「あ」


 しまった! 迂闊にのり子さんの名前を出すんじゃなかった! Vtuber仲間です、なんて大っぴらにできないし、友達にしては年齢に差がありすぎる。どうしよう、これ誤魔化せるのか?

 

「お嬢とはVtuber仲間だ。俺はYaーTaプロダクションという事務所でタレントのルルーナ・フォーチュンをやらせてもらっている、ルルーファという。連れの彼女は俺の関係者だ」

「はい、そうなんです――って、えええええ!? ルルーファさんン!?」


 突然のカミングアウトに対し、私は思わず絶叫してしまった。誤魔化すどころか正直に白状するなんて思わなかったからだ。

 夏美さんとヨーミさんも目をひん剥いて驚いていた。薄々予想はしていたけど、まさか予想が現実になるとは思っていなかったのだろう。ルルーファさんが嘘をついていない事は声と話し方が証明してくれている。


「夏美の質問は、俺がルルーナかどうかの聞き方だったよ、詩子。誤魔化しが通る状況じゃあない」

「配信と同じテンションで喋っちゃったからバレるのはしょうがないにしても、わざわざ自分から言わなくても良かったのでは……」

「今は少しの混乱も避けねばならん。下手な取り繕いは致命的なノイズになりかねん状況だ。身バレを気遣う余裕と時間が無い」

「佐藤さんが『お嬢』ということは……じゃあ佐藤さんが……っ!」

「ごめんよ夏美。こんな形で晒してしまって。後でお嬢にも謝らねばな」

 

 言葉通り、ルルーファさんの表情に余裕が見られなかった。先ほど不良たちを軽くあしらったとは思わないほどに。

 それと多分だけど……自分から正体を白状することによって注意を引き付けて、私が言葉アリアだという疑いを薄める目的もあったと思う。おかげで今の私はルルーファさんの付き添い人にしかならない。やっちゃたなあ……またルルーファさんに助けられちゃったよ……。

 

「タクシーを捕まえて皆でお嬢の家に移動しよう。固まって歩くには少し距離があるからな。今の状況では、あそこが一番安全だ」

「ルルーファさん……でしたね。余裕と時間がないって、どういうことなんです? 先ほど安全第一と仰っていましたけど……?」

「向こうに着いてから話すよ。驚かせてすまないね、おふた方。特にヨーミ。お嬢の親友である君とはもっと腰を落ち着けて話したかったのだが」

「あ……あっ……あーし、あの……」


 ヨーミさんは、お姫様抱っこを経験した先ほどとは比べ物にならないほど動揺していた。汗はダラダラ、顔は真っ赤を通り越して真っ青だ。

 あー……これ私、悟っちゃったぞ。


「……夏美。もしかしてヨーミは旅団のかたか?」


 ルルーファさんに問われた夏美さんは申し訳無さそうな表情で答える。

 

「でもあるんですけど……いわゆる『信者』です」

「ああ……確か、ルルーナガチ恋勢のファンネームだったな。だとしたら抱きかかえたり白状しちまったのは、思った以上に軽はずみだったかもなあ」

「あひっ、ひっ――っ」

 

 ガチ恋の相手からお姫様抱っこなんてされたら限界化不可避ですよね。

 他人の限界化を見るのって、こんなにも心苦しいものなんだなあ。


 

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