107話 南国リゾートの氷将


―― 後江慧悟 ――


 荘厳な彫刻が施されたマホガニー製の机。心を落ち着かせるベージュの色合いを基調とした壁。緻密な文様が施されたカーペットは、数百万円はくだらないだろう。最高級に囲まれた、米国アメリカの大統領にも劣らぬ執務室の中で、僕は部屋のデザインには似つかわしくないモニターとにらめっこしていた。要するにデスクワークである。職場環境は変われど、職務の前では高級家具など飾りにすらならない。

 もちろん僕が居る場所はアメリカなどではない。元は天結と呼ばれた島国の総帥閣下が使用していた部屋である。贅を尽くした最高級レザーチェアがただのオフィスチェアに成り下がっている現状を、持ち主だった総帥閣下が見たら、きっと憤慨するだろう。なお、もうタバコの焦げ跡がついてしまったので、この椅子は二束三文の価値となっている。


「……そろそろか」


 僕が呟いた直後、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。室外の熱風と仄かな汗臭さが飛び込んでくる。


「くああっ! いつ入っても寒いなこの部屋! 氷獄コキュートスだぜ、コキュートス!」

「早く閉めてください。暑苦しい」


 皺の刻まれた顔に似つかわしくない横文字ワードをぼやきながら入室してきたのは、公安課所属の九頭竜くずりゅうひろしである。ここに来てから日差しを浴び続けているせいか、ほのかに肌が焼けて黒くなっている。

 彼がここにいる理由。それは団長による天結の壊滅後に辞令がくだされ、僕と同じく復興を主軸とした天結の事後処理を担当しているためだ。僕がデスクワーク担当だとしたら、彼は現場監督といったところか。なお左遷の理由は、リン氏を取り逃がしたミスへのペナルティ、そして我々の異世界や天結の事情を知るが故に色々と融通が効くからと彼の上司から聞いている。

 

「コーヒー貰うぞ! あとタバコ!」

「ご自由に」


 僕が持ち込んで備え付けた冷蔵庫から、缶コーヒーを取り出してプルタブを開け放ち、一気に煽った。風呂上がりの中年そのものだ。


「毎日まいにち思うけどよぉ。何で公安の俺が汗水垂らして土木工事をやらなきゃならねえんだよ。餅は餅屋にやらせろよ」

「仕事なんだから諦めなさい」

「その仕事に文句があるって言ってんだよ。俺は日本の平和を守りたいから警察になったんだぜ。せめて国内で仕事させてくれ」

「貴方が100人いるよりも、団長おひとりが東京に在中している方がよほど平和ですよ」

「……いろいろとツッコミたい反論だけどよ。的を射てる内容で言い返せねえってのが怖いな。現にココの住民さんはルルーファ・ルーファの奴が怖いからって誰も文句を言いたがらねえ」

「島民を駆逐できるだけの戦闘力がいつ帰ってくるか分かりませんからね。それに我々日本の対応も紳士的と評判です。あえて反旗を翻す者はいないでしょう」

 

 彼に関しても、毎日ぼやきながらも仕事はキッチリこなすし、島民や自衛隊との関係性は上々だ。団長にご迷惑をかけた時は肩書きだけの無能かと思ったが、今はなかなかの仕事ぶりを見せてくれる。おかげで復興の進捗は微笑ましい結果だ。これなら日本へ帰れる日も遠くないだろう。


「……にしてもよお」


 彼はソファーに腰をかけて煙草を一服した後、部屋の一角に視線を向けてから、げんなりとした顔になった。僕が作ったを見て呆れているのだ。


「アレ、何?」

「自信作です」

「ああ、そう……」


 彼の視線の先。そこには銀星団の鎧を身にまとい、不壊剣ラグニスを傍らに構えたルーファス団長の氷像がそびえ立っていた。おかげで常夏気候なこの島にあってもエアコンの設定は控えめにできるというものだ。


「もしかして、お前ご自慢のあの槍か? グラス……ええと――」

蒼槍グラスリーシェ

「そう、それ」


 コキュートスの単語はスラスラ言えるのに、何故グラスリーシェが駄目なのか。

 

「たしか氷を生成できるんだったな。ほぼ無制限で」

「ええ」

「すげえな。全世界の水不足がお前のおかげで円満解消だ」

「食の安全は保証しませんよ。それで、どうです?」

「なにが」

「像の出来です」

「ああ?」

「一応、真面目に聞いてます」


 彼は怪訝な顔で氷像を一瞥してから、答えた。


「良く出来てると思うぜ。札幌の雪まつりに出展しても違和感ねぇぐらいだ」


 「あっちは雪だけどな」と締めくくってから、彼は2本目の煙草をふかし始めた。皮肉ではあるものの、冗談で発言してはいないようだ。この精度ならば実戦投入にも応えうるだろう。


「人間離れしていく感想はどうだい」

「便利な手段が増えましたね」


 蒼槍グラスリーシェの扱いも転生前と同等のレベルまで馴染んだ。前世の記憶が戻ってからリーサスとしての力を取り戻すべく鍛錬を続けていたが、今の発言でようやく成し遂げたと言える。


ねぇ。何に使うのやら」


 彼が遠い目で虚空をみつめながらぼやいたところで僕のパソコンからメール通知が発せられた。


「グッドニュースですよ。資材運搬の定期便が予定時刻どおりに到着するそうです」

「それに乗って俺は日本に帰れるんだな」

「乗降の監視に決まってるでしょう。やりがいのある仕事が増えますよ。良かったですね」

「あーはいはい頑張りますよ。もちっとだけ、だらけさせてくれ」


 目障りでもないので受け入れることにする。ついでに僕も休憩することにしよう。離島の勤務なので退屈だが、本島と違ってマイペースで仕事ができる点は素晴らしいと言える。

 僕はポケットから、とある機器を取り出した。先進国には馴染み深いアレである。


「お? スマホじゃねえか。よく持ち込み許可が取れたな」

「軍用の物を用意させました。こんな島に何日も無理やり閉じ込めるんですから、これくらいの見返りはあって当然でしょう」

「自由の権化かよ。つーかネットが繋がるのか?」

「電話もいけますよ。一応、国内線扱いです」


 日本との時差を確認しつつ、とある人物へメッセージを送る。もちろん相手は団長――ではない。しかし気軽に話しかけられる人物ではある。メッセージの内容は至ってシンプル。要約すると『日本の様子はどう?』である。目的の無い会話は好きでないけど、暇ならば多少はよかろう。なにせ暇なのだから。


「いいよなーお偉いさんは。涼しい部屋に籠もってネットやゲームとお友達できるんだからよ」

「僕と仕事を交代したら、たぶん半日と保たずにパンクしますよ――おや」


 他愛のない話で暇を潰そうとしたら、スマホから『キャンキャン!』と甲高い犬の鳴き声が聞こえてきた。画面には大きく『ポメラニアン』の文字。


「急に何だ。騒々しい」

「今のメール相手から電話ですね。珍しい」

「着メロが犬の鳴き声て……趣味イマイチだな」

「ふざけて設定したらイメージ通りすぎて気に入っちゃいましてね。ということで通話します」

「気にせず話してくれ」

 

 一応プライベートの通話になるので、通常応答で対応した。


「どうしましたか?」

『何の用ですか、このクソ忙しいときに!』


 第一声は着信音に勝るとも劣らぬ甲高い罵声であった。彼女の名は小室千代という。


「いきなりのご挨拶ですね。僕はただ日本の様子を聞きたかっただけですよ」

『それくらいネットで調べてください! いきなりメールが飛んできたもんだから、慌てて会議を抜け出してきたんですよ。あんた、メッセージを放置してるとめんどくさいから』

「直属じゃないにしろ、上の者に向かって酷い言い様だ」

『普段の行いが悪すぎるんですよ、あんたは』


 ごもっともな指摘だ。もちろん矯正する気はまったく無い。そして小室の態度も気にしていない。むしろ叩けば鳴るおもちゃみたいで面白い女だとは思っている。

 閑話休題そんなことはさておき


『それじゃあ切りますよ。特に何も用事が無いようですし』

「いえいえ、たったいま出来たばかりですよ。事件が起きましたね? それも東京の警察が大きく動くほどの」

『っ!?』

「東京は昼休みの時間帯。なおかつ、たかが巡査程度の君が会議に駆り出される。それも焦りで怒鳴るほどの重要な会議だ。予想は容易いですよ」


 僕の言葉を聞いて、九頭竜の目の色が変わった。先程までぼやけていた視線がしっかりと僕に定まっている。

 パソコンで日本のニュースを検索しつつ通話を続ける。


「まだ記事はできていないみたいですね。とはいえSNSから拾うのは骨です。話してください」

『無理に決まってるでしょ。これプライベートの通話なんですから。捜査情報の漏洩にあたります』

「話しなさい。そちらの上司には話をつけておきますから」


 数秒の葛藤の後、彼女から軽い舌打ちが聞こえてきた。応じてくれるようだ。

 

『都内で起きた事件ではないです。ただし、あんたら異世界組のご友人関連だから、事情を知っている私にも声がかかってるんですよ』


 そう前置きを言ってから、彼女はなかなかに衝撃的な事件の内容を語り始めた。

 


 

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