106話 仮面を外したアイドルたち
―― 佐藤のり子 ――
YaーTaプロで初めて社長と対面するとき以上……そして、旧校舎の教室で峰さんを待ったとき以上の緊張が私の中で渦巻いていた。
蒼火セッカ。GーStateでもトップクラスのVtuber――そして私の推し御三家のひとりが我が家にやってくるのである。大事なポイントは『我が家』である事だ。私個人だけじゃなくて、私の生活の場も見られてしまうという意味である。
セッカちゃん (Withルル)がやってくると話を聞いてから、私は爆速で帰宅した後、家中の大掃除に明け暮れた。普段あまり掃除はやらないものだから発狂しそうなくらい大変だったけど、たぶんどうにかなったはずだ。いま思えば家事代行サービスでも頼むべきだったかな。紅焔アグニスのおかげで、めっちゃお金ができちゃってるし。
さて今の私の状況。玄関の中で仁王立ちである。ルルから連絡があり、もうすぐセッカちゃんと一緒に我が家へやってくるとの話だ。気が気じゃない。
「のり子」
玄関の掃き掃除は特に頑張ったけど、まだ汚れてそうなんだよなあ……無限に砂埃が入ってくるからいつも薄汚いし……ああ、床についた傷が目立ってしょうがない。今すぐ消したい……ルルなら上手いことできるのかな。
「ちょっとのり子。無視しない」
「ぬああ!?」
眼の前でひょこひょこと手が振られた。お母さんだ。
「何だよ。精神統一の邪魔しないでよ」
「そんな気合を入れてると、お客さんにも緊張が移っちゃうわよ。それになあに、そのお面」
お母さんが指をさしたその先には、狐のお面で顔を隠した私がいた。中学の修学旅行に行った時、厨二っぽい雰囲気に一目惚れして買ったモノだ。お値段それなり。
「顔を隠したい気持ちは分かるけど、来客に対して流石にどうかと思うわよ。のり子の先輩なんでしょ?」
「いやでも、これは私の……そう、
「ああそう、ケンカしたいの? じゃあやってあげましょうか。5秒たったら始めましょう。そのイカした相棒ぶち割ってあげるわ」
「やめてやめて。これ以上顔面崩壊させたくないから待って。脱ぐから待ってろくださいお願いします」
投げ捨てるように狐面を外した。ちなみにお母さんもルルと同じく有言実行スタイルなので、5秒後には私の額に正拳突きが叩き込まれていただろう。ケンカ宣言した時、自分の手のひらに拳をぶつけてアピールしてきたから間違いない。
「これからもお付き合いする先輩なんでしょ。素顔くらい見せておきなさい。貴女の顔を馬鹿にして失礼な態度を取ったら、たぶん私が辛抱きかなくなってるから。安心して出迎えなさいな」
「それホントやめてね。セッカちゃんリアルガチに立ち直れなくなる」
愛が重くて辛いのう。
母親の溺愛に感動していると、呼び鈴が鳴らされた。全身が硬直する。
『お嬢。母君。ルルーファ・ルーファただいま帰還だ』
ルルの声だ。いよいよか。うわ駄目だ、心臓のバクつき半端ない、破裂しそう!
緊張がクライマックスに達した私は、とっさに両手で仮面を持ち、再び顔を隠した。そんな私にお母さんは呆れ顔で見ながら外のルルへ返事をする。
「おかえりルルちゃん。あがってどうぞー」
玄関の扉が開け放たれる。毎度おなじみ銀髪の女神様。そしてその後ろには、同年代の女性がふたり並んでいた。セッカちゃんと……マネージャーさんかな。
「おお。可愛いお出迎えだなあ、お嬢」
「ど、ども」
仮面を構えたままペコリと一礼すると、ふたりも軽く会釈した。うおお、私の声に反応してる! セッカちゃんが反応してるぞ! うおお、滝汗やべえ!
オシャレなショートカット、そして耳たぶに小さなピアスをしたお姉さんがセッカちゃんに違いない。なんとなくヤンキー味あるし。あと、その人も滝のような汗を流して私をガン見してるし。これきっと、舎弟モードに入っちゃってるんだろうな。
緊張で動けない私に変わって、お母さんが前に出た。
「はじめまして。紅焔アグニスの母です。今日は遠路はるばるお疲れ様です」
「い、いえ! とんでもねえッス! こちらこそ、この度は多大なるご迷惑をかけてしまい、大変申し訳ございませんッしたァ!」
「まあ、配信と同じで元気な声。いつも楽しく拝見させていただいてます」
「そんな……恐縮ッス! チンケな配信、お耳汚し失礼させていただいてやすっ! また貴女へお目にかかれるなんて、光栄の極みッス!」
体をくの字に曲げ、とても丁寧にお辞儀をするセッカちゃん。そういえばお母さんって伝説のヤンキーだったっけ。イメージ沸かねー。
「お隣のかたはマネージャーさんかしら」
「いえ、こちらは――」
「あい待った。先陣は若輩者に譲ろうぞ。一番の若造が自己紹介もせずにだんまりとはこれいかに」
「え」
「ほらお嬢。お面を取って、ご挨拶」
おめーが一番の若造だろうが半年児! ああいや、中身はおじいちゃんの延長の可能性が大だから、一番年上なのか? ええい、ややこしいなルルの奴は! ニヤけ顔も腹たつなー!
心のなかでプリプリ怒っていると、ルルは優しい口調で私に語りかけた。
「このふたりなら顔を見せても大丈夫だよ」
ぐぬううう、そんな有料級イケボボイスで言われたら、やるしかないじゃない!
傷だらけの素顔を見せるには勇気が足りない距離だったので数歩だけ後ろに下がる。そして覚悟を決めて仮面をそっと横に置いた。直後に息を呑むふたり。大丈夫。ちゃんとリアクションは予想済みだ。メンタルダメージはぬるりと回避しているぜ。
「はじめまして。紅焔アグニスをやらせていただいています、佐藤のり子です」
ふたりともカッと目を見開いたまま私をガン見して動かない。予想以上のブサイク顔面が出てきたからショック受けてるのかな。おいルル、本当に大丈夫だったんだろうな!?
などと同期に
心あらぬようなフラフラとした足取りで二歩め。
三歩。
四歩。
五歩――って、あれぇ!? ウチの玄関ってそんな広かったっけ!?
「おい詩子!?」
うおぉい!? マネージャーさん、土足どそく!!! 靴のまま家の中に入ってきちゃってるんですけど!? 我が家は欧米式じゃないよ!? どうなってんの!?
混乱の極みで動けないでいると、既にそのマネージャーさんは私の前に立っていて。
「ぷぎょっ!?」
両手でほっぺたを覆うように鷲掴みされていた。ひんやりとした両手に包みこまれ、この行動が現実のものだと思い知らされる。
「えあ、あにょ?」
「――やっと分かった」
「んぇ!?」
細くも透き通った声。どこかで聞いたことがある。でも記憶を探るような余裕は無くって。
なぜなら、そのお姉さんは両目から大粒の涙をぼろぼろと流していたのだから。
「貴女がどんな気持ちで紅蓮烈火を歌ったのか……どうしてあんなに魂を込められたのか……どうして命を削るような歌い方をしていたのか……ずっとずっと考えていたけど、ようやく答えが分かった……その傷、辛かったね……今までよく頑張ったね……本当に頑張ったんだね……」
「あ……あい」
そう涙声で語ってから、彼女は両手を離して私の背中に腕を回し、私を包み込むように抱きしめてグズグズと泣き始めてしまった。あんまりにも号泣してるものだから貰い泣きしそう。
視界が開けたので、お母さんとルルに視線で助けを求める。ルルは微笑ましく私達を見つめつつお母さんに向かって何やらアイコンタクトをして、その反応を見たお母さんは、笑顔をこちらに向けてから胸に手を当てて私にハンドサインを送った。ああ、ぐずるお姉さんをなぐさめろってことね。
促されるままに背中をさすってやると、お姉さんは私を力強く抱きしめかえしてきた。新しい服の匂いと仄かに漂う香水のめっちゃ良い香りで、ようやく冷静になってきたぞ。
「頑張れて偉いよ」
「ど、どうも……へへへ……」
なんか引っかかるなー。なんで私、見ず知らずのお姉さんに上から目線でハグされて、抵抗感がぜんぜん無いんだろ。音楽アーティストがライブで客席にダイブするパフォーマンスみたいなもんか――。
………………いやいや!? 見ず知らずの人だけど、聞いてるし知ってる声だよこれ!? スマホやPCからよく聴いた声ェ!
「もしかして言葉アリアさんでいらっしゃいます?」
私の問いかけに、彼女は私の肩に顔を寄せながら、コクコクと何度も頷いた。その反応に思わず絶叫しかけて口を手で塞いだ。
マジかよ!? 推し御三家の三人目が来るって聞いてねえし、ファーストコンタクトで感極まったハグされるなんて聞いてねえんだけど!?
どこに視線を向ければいいか分からなくて視界がぐるぐるしている。とりあえず、いたずら顔でサムズアップしているところは見たからな、ルルゥ!!
推しに最接近される喜びと、ルルにおちょくられた怒りと、推しに泣きじゃくられる哀しみと、もうカオスな状況で混乱しきった楽しみ (?)で、私の喜怒哀楽がどこに向かってんのか分からねえ! アリたんの背中ぽんぽんマシーンになるしかないやん!
でも……そうか。初配信の紅蓮烈火のあと、どうしてアリたんが放心していたのか、ちょっと分かったよ。要するに限界化だ。あのグレレンを聞いて、どうやって歌ったのか何度も何度も自問自答して迷って苦しんで。そして今になって私の顔を見て、私の人生をすごくリアルに妄想して、すごく的確に的中させちゃって感極まっているんだろうな、きっと。アリたんならやってのける。だって歌へのストイックさはVtuber界でも一番だもん。
さて、どうしたもんか。この流れをどうやって断ち切ろう。そろそろ誰か助けてくんねえかな。
と諦めていた時。アリたんの体が突然大きくビクンと飛び跳ねた。
あ。冷静になったかな。
「ええと……もう大丈夫でしょうか?」
ゆっくりと。非常にゆっくりとした動作でアリたんは私から体を引き剥がしていく。眼の前には大量の冷や汗をかいて顔面蒼白となった言葉アリア――もとい、詩子さんがいた。そうですね。落ち着いて考えたら完全に事案ですもんね。
「わ……わたっ……わたしっ……なんてことを――」
「なっにやっとるキャオラァァァア!? うたこおおおオオオオオオオオオ!?!?!?!?!?!」
配信でも聞いたことのないくらいの絶叫を上げながら、セッカちゃんが電光石火の勢いでアリたんの首根っこを掴んで私から引っぺはがした。そしてバスケットボールのダンクシュートをキメるが如く、我が家の床にアリたんの頭を叩き込むセッカちゃん。そしてふたり揃って、とても綺麗な土下座を私に向けていた。
「大丈夫ですか!? すごい音がしましたけど!?」
「すみませんごめんなさい申し訳ございません! あたしが殴り殺してでも言い聞かせますので、どうかあたしとこのバカの命だけはご勘弁を! 平にひらに平にひらに平にひらに!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いや……その……ぜんぜん大丈夫ですから。ちょっとびっくりしただけで……」
土下座の姿勢のままガタガタ震えるふたり。ああ、これは暫く止まらねーな。気が済むまでやらせることにしよう。まさか社長 (藍川アカル)から名物の土下座をされるより先に、アリたんとセッカちゃんから貰っちゃうとは。配信でも言い辛い自慢ができちまったなあ……これも全部ルルのせいだ。
満足げな笑顔でこの惨状を静観するルルに対し、私は怒りの視線で睨みつけた。
「ルル」
「なんだい、お嬢」
「今日の夕食、責任取って全部ルル持ちで」
「うん? 元よりそのつもりだが?」
すっとぼけた表情で、すっとぼけた返答をよこされた私は思わず舌打ちをした。直後にビクリと震えるアリたんとセッカちゃん。
これだからデキる女はたまに大嫌いなんだ。クソがよ。
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