105話 推し活動に貴賎なし


―― 最上詩子(言葉アリア) ――


 東京駅。どれだけ季節が巡っても、人の往来が大人しくなることは無い、あらゆる線路の収束点。人類が生み出したモンスタークラスのダンジョン駅のひとつである。

 私はいま、そんな東京駅でもメジャーな待合場所に立っている。同僚のせつなちゃんとショッピングの待ち合わせをしているからだ。私はいつも通り5分前に到着し、せつなちゃんもいつも通りの15分遅れで到着した。

 ここまではいつも通り。ここまでは。


「そんな訳で、本日あたしたちと同行するゲスト、ルルーファ・ルーファだ。

 ルル、紹介するよ。こちらは最上詩子。あたしの先輩だ」

「おお、ということは! これはどうもはじめまして! の担当者のルルーファ・ルーファだ。手土産も持たず申し訳ないね、詩子」

「……いえ、お構いなく。こちらこそ、はじめまして。その節はお世話になりました」

「元気そうな顔が見られただけでファンの冥利に尽きるよ」


 まさかのとんでもビッグゲストが召喚されていた。もちろん、せつなちゃんからは何も聞かされていない。きっとサプライズだったのだろう。指定の待ち合わせ場所で、ものすごい美人がスマホゲー (Anima Scoreアニスコ)をプレイしているものだから気になってはいたのだけど、まさか関係者だったとは。


「見とれるのはまだ早いぞ詩子。ルルはまだもう一段階変身を残している。こいつの髪ツヤキューティクルは、かつらウィッグとは比べものにならんくらいのバケモンだぞ」

「大袈裟な。手入れの賜物だよ。現代日本が誇る美の探求のお世話になっているだけさ」

「勝ち組の余裕を見せやがって」

 

 余裕だって出ると思う。せつなちゃんはそこそこな美人さんだけど、ルルーファさんは、そのせつなちゃんが比較にならないくらいの美人だもの。私? 普通オブ普通だから引き立て役Bにすらなれませんね。


「しかしせつな嬢。君のサプライズは常に楽しいものばかりだな。友人の輪が広がるから嬉しいよ」

「詩子は人見知りだけど、相手がルルなら問題ないだろ。な、詩子」

「え? ええと……たぶん?」

「仲良くなれるかどうか、今日の行いにかかっておるな。気合を入れなければだな。むはは」


 配信と全然変わらないんだなあ、ルルーファさんって。うわ、ルルーファさんが話し始めた途端に人の目が集まってる。芸能人はオーラで分かるって聞くけど、この人はまさにその典型だ。


「む。落ち着かないようだな。少し場所を変えようか。チケットも取らねばならんし」

「チケット? 映画ですか?」

「電車だよ。おや。もしかして、せつな嬢から今日の目的を聞かされていないかい?」

「はい。ただのお出かけだと思って。でも電車って、どういうことです?」

「……せつな嬢。君、なかなかの意地悪をするね」


 ルルーファさんがせつなちゃんへ呆れ顔を向けると、せつなちゃんはばつが悪そうに視線を逸らした。

 嫌な予感がする。


「まあ色々と事情があってなー」

「せっちゃん。何を企んでるの?」

「たいしたことじゃないんだ。ルルの友達のところへ遊びに行くだけで。ついでにお前も連れて行こうと思って」


 なるほど、ルルーファさんのお友達か……。

 …………。

 ………………まさか。


「せっちゃん。そのずっしり重そうな紙袋、なに?」

「これか? 渡す用のおみやげ」

「……羊羹?」

「よく分かったな」

 

 せつなちゃんへ視線を送る。その凝視に対して、せつなちゃんは苦笑いで返答した。

 完全に悟ったぞオイ! その重量感、完全に謝罪用じゃないか! 蒼火セッカから紅焔アグニスへの!


「私、帰る」

「ははは。逃がすかバカタレ」


 遠ざかろうとした私だったけど、すぐさませつなちゃんに回り込まれてしまった。ちくしょう、ハメられた! そのまま話すと大声になりそうなので、こそこそ話の距離でせつなちゃんに詰め寄る。


(せっちゃん、私を紅焔アグニスちゃんのところに連れて行く気でしょ! 私があの子を避けてる理由、知ってるよね!? どういうつもり!?)

(お嬢や紅民の皆さんがそろそろ我慢の限界を迎えてるから、顔合わせをさせようと思ったんだ。無理やり誘わないと絶対に会わないだろ、お前)

(さては紅焔ちゃんに一人で謝るのが気まずいから、気まずい仲間の私を連れてって注目ヘイトを私にも向けさせる気だな! なかなかゲスなムーブかますねぇ!?)

(だって不安なんだよぉ! 気分を悪くさせるかもしれないから怖いんだよぉ!)

(ルルーファさんが居るのに贅沢いってんじゃないわよ! 意気地なし! せめてもっとおめかしさせろ! 完全に身内用の格好しちゃってるわよ、私!)

「お二人さん。それくらいにしよう」

 

 ルルーファさんはせつなちゃんの肩に手を乗せて諌めた。私の意見を汲み取ってくれたのかと感激したのもつかの間。彼女のとった行動は正反対だった。


「指定席が取れたぞ。他の予約客が少ないから、多少の会話は問題ないだろう」

 

 手には乗車チケットが3枚。私達が言い争っている間に、もう行動を済ませてしまったらしい。外堀を埋めるの早すぎるよ……。


「君がお嬢を避けている理由は電車の中でゆっくり聞こうか。お嬢と会ってほしいと俺も個人的に思っているから、悪いがせつな嬢の味方をさせてもらうよ」

「でも私、よそ行きの格好をしていなくて――」

「乗車まで時間がある。それまでに服を調達しよう。お嬢仕込みのコーデ力を試される時が来たな。存分に協力させてもらうよ」


 あっ。駄目だ。こんなキラッキラした瞳でそんなお誘いされたら断れるわけがない。やっぱり行動力のある陽キャって最強の生き物なんだね……。

 ううう……しょうがない。腹を括ろう。

 

 

・・・・・

・・・



 乗り込んだ電車内は、ルルーファさんの言う通り、乗車している人はまばらだった。コンパートメント席に向かい合って座り、買ってきた駅弁でお腹を満たしながら、私は紅焔アグニスちゃんへの態度に対する真実を正直に白状した。


「ただの限界オタク化限界化を隠すためです」

「やはりか」


 既に変装を解いて完全なる女神様の姿へと変化したルルーファさんは、私のカミングアウトに一切動揺することなく、駅のホームで買った駅弁を呑気な表情で頬張っていた。こんな超絶美人さんが男らしい言葉遣いをしながら、女性向けのコンパクトな駅弁を食べている光景を眼の前にしていると、脳みその認識がちぐはぐになって逆に落ち着く。だから私も冷静になって告白することが出来た。


「第一声を聴いた時から完全に一目惚れでした。GSどころか業界――いえ、世界にも通用するクラスの歌の上手さがあるし、それでいてトークも上手だし、愛嬌があるし、謙虚ですごく良い子だし……私が思い描いているアイドルの到達点なんです、紅焔アグニスという存在は。だから私という存在が犯していい領域じゃないというか、壁になって彼女の配信を見ていたいとか……そんな気持ちなんです」

「べた褒めじゃないか。今すぐお嬢を隣に座らせたい気分だよ。間違いなく悶絶する」

「紅焔嬢の初配信を見た直後の詩子は、そりゃもう情緒不安定の典型だったよ。そこからナティ姉とお前の配信、メンタル大狂乱の二連追い打ちでさあ大変ってな。落ち着かせるのに苦労したわ」

「お二人には本当、お世話になりました……」

「あたしとしてはルルじゃなくてお嬢のほうに気が行っちまってることに驚きだけどな」

「ええと……ごめんなさい。ルルーファさんには感謝の気持ちがいっぱいで、今こうしてお会いできているのは嬉しいんです。その気持ちに嘘偽りは無いんですけど……」

「君の心の在りように、俺がとやかく言う権利なんて無い。思うがままでいればいいさ。

 そうだな。強いて理由付けするなら……君はアイドルが好きでこの業界に参入しているのだから、王道アイドルVtuberのお嬢がひときわ輝いて見えたのではないかな」

「そう……なんですかね」

「アリアがお嬢を好いてくれている。その事実を知っただけでも、せつな嬢についてきた甲斐があったというものだがね。今のところ、今日一番の大収穫だ。同時にお嬢の罪深さへ戦慄しているが。紅焔アグニスのママ先生といい、七海ナナミといい、そして君といい……あいつは他人の人生を良い方向へ狂わせるのが得意だなあ」

「そのセリフを言葉アリアの前で言える面の厚さよ。人それを特大ブーメランと呼ぶんだぜ、ルルよ」

 

 とはいえ、私も自分自身で疑問に思うんだけどね。あれだけお世話になっておいて、一番好きになっているのは紅焔ちゃんだし。ルルーファさんにも、すぐに惹き込まれてしまいそうになるけど……同時に依存してしまいそうな危うさを覚えて、どうにも冷静になってしまう。紅焔ちゃんとは別ベクトルで神聖な存在なんだよね。


「しかし、ただの限界化だけならばお嬢を避ける理由にはならないと思うが。限界化が露呈したらしたでアリアとお嬢のリスナーが喜ぶ種になるだけでは?」


 ごもっともである。私はアグニスさんへ伝えないように前置きを言ってから、その疑問に答えた。

 

「憧れもありますが、同時に嫉妬心も生まれてしまったんです」

「嫉妬。業界の最前線を走る君が。なるほど」

「たった16・7歳の女子高生が、自分よりも……そして藍川アカルよりも、あの紅蓮烈火を完璧に歌いこなせただなんて、ありえない。そんな感想も抱いている自分がいるのも確かです。そんな嫉妬を持ったまま紅焔ちゃんに合わせる顔が無いんですよ……」

「改めてその話を聞いたけど、やっぱ詩子ってめんどくせえなあって思うわ」

「それでも世話を焼いてくれるせつなちゃんには感謝してる……ごめんなさい、嫌な話でしたね」

「いや。至極真っ当な感情だよ。現に俺は、君から嫉妬を受けている紅焔アグニスを羨ましいと感じている。卑屈になることは無いさ」


 そんな屈託のない笑顔で返されると、ますます自分が小物なんだなあって思い知らされちゃうよ……。それにしても、ルルーファさんが多くの人に好かれる理由がよく分かる。否定をしない。常にベストアンサーを返してくれる信頼感がある。話していると居心地がいい。せつなちゃんもドップリ浸かっちゃうわけだ。


「とはいえ、お嬢が傑物である所以は、決して素質だけで出来上がったのではない。絶え間ない練磨に練磨を重ねたからこそ今の紅焔アグニスがいるのだ」

「十分に承知しています。でなければ、あの紅蓮烈火は決して歌えない」

「本当に相当歌いこんでると思うぜ。何百回も歌ったって初配信で言っていたけど、アレは決して嘘じゃねえな」

「毎日3時間4時間と歌いこみ続ければ、俺もいずれはお嬢の領域までたどり着けるのかな」

「それはあきらかに過剰ですよ。喉を痛めちゃいますから。長くて一日1時間くらいがちょうどいいです」

「え? そうなのか? お嬢のやつ、忙しくなる前は毎日それくらい歌ってたって聞いたぞ」

「はぃぃ!?」

「ヴェエ!?」

「おお?」


 せつなちゃんと一緒に素っ頓狂な声を上げてしまう。毎日3時間だなんて完全にオーバーワークだ。


「い……いつからその練習量をこなしてたんですか?」

「物心ついた時からと言っとったな。休日で時間がある日は6時間や12時間コースもあったそうだが……もしかしてダメなやり方だったか?」

「………………」

「………………」

「ああ、ダメみたいだな。わかった、一応お嬢には伝えておこう。本人は17年間この練習量でやってきていたから、今さら変えられんと思うが」

 

 二人そろって絶句する。そのペースで見積もると、一週間のうち丸一日ぶん歌の練習に費やしている見積もりだ。常人なら喉が確実に潰れる。少なくともダメージは負っているはずだ。そのはずなんだけど……。


「その練習量で、何であのアニメ声を維持できてるんだよ……ありえねえだろ」

「お嬢はとても単純な子だ。たぶんあまり深く考えず、練習したぶんだけ上手くなると思い込んだ結果なのだろう」

「料理は全部強火でやればいいみたいな安直発想じゃねえか」


 せつなちゃんがキレのあるツッコミをした直後、ふと驚愕の事実に気づく。アグちゃんの練習量に疑問を持っていなかったということは……!

 

「ええと、一応確認したいのだけど……もしかして、ルルーファさんもそれくらいのボイトレを毎日やってたりします?」

「きっちり毎日3時間だ。お嬢と違って俺は時間があるからな。ちなみに、喉に関しても常人よりも強いと自負しておる。無理はしとらんよ」

「……ナティカさんは」

「同じくらいやっとる。彼女ともよく通話するが、声枯れの兆候はまったく見られんし、無理をしている様子も無いなあ。歌が上手くなっていく感覚が楽しいそうだ」


 せつなちゃんと顔を見合わせた。お互いに口を閉じられないくらいの衝撃を受けている。私の指導でも、1時間くらいを目安にやればいいと伝えているけど、それ以上やったらいけないとは伝えていないな。そりゃ歌だってモリモリ上手くなっていくよ。

 YaーTaプロの初配信を同時視聴をした日を思い出す。あの日、灯は自信満々でこう言い切った。

 

 1期生の三人は藍川アカルを軽く超えていく。

 

 あの表現は誇張じゃなくなってきたぞ。きっと私もすぐに追い抜かれてしまうだろうな。人気にしても、歌にしても。

 

「バケモンか、お前ら1期生」

「お嬢はともかく、姫をいっしょにするなよ。彼女は頑張り屋さんなだけだ」

「頑張り屋っていう単語で片付けられるほど安くねえんだよなあ」

 

 私も気合いを入れ直さないと。もうちょっとだけ頼りになる先輩として三人に接したいからね。

 

「でも……その練習をこなせる素質があったからこそ、あの歌の巧さがあるんだろうね」

「加えてあの夜のグレレンはデビュー日で気合が入りまくってたから、あのバケモンクオリティーが出せていたと」

「デビューによる興奮だけではないがね。お嬢はあの夜、正真正銘の崖っぷちに立たされていたんだ」

「崖っぷち……なんですか?」

「俺の口からこれ以上は話せない。会えば分かるよ」


 そう言って空の弁当箱を片付けたルルーファさんは、デザートとなるどら焼きの包みを開けた。そして一口かぶりつくなり、目を光らせんばかりの喜びにあふれた表情となった。お弁当の時はクールな表情で食べてたのに、一瞬で切り替わっちゃったな。きっと甘いものは集中して食べたいのだろう。話題を逸らしたい、あるいは変えたいという強い意志の表れでもある。

 会えば分かる、か。便利な言葉だなあ。でも話を聞いてUターンするって選択肢は無くなったぞ。

 私だってGSのアイドルVtuberなのだし、藍川アカルのファンであり、そして紅焔アグニスの大ファンなのだ。

 もしかしたら、あの紅蓮烈火が私にも歌えるかもしれない。その可能性を恥じらいや嫉妬心で捨てるにはもったいなさすぎるでしょ、この状況は。

 

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