104話 Mother’s Counterattack

 

―― 佐藤のり子 ――


 あの忌まわしき体力テストから一夜が明けた。登校するなりクラスメイトが話しかけたそうにソワソワしていたけど、私が不機嫌オーラ凝縮の目つきでいることが分かると、関わらないように私から視線を逸らして我関せずモードに移行した。実際に不機嫌だし、テストの話題をあの三人以外とは共有したくない。おかげでクッッッソ面倒事になっちまったからね。

 現在は授業後の時刻である。皆が部活や遊び、勉強に勤しんでいる最中、その面倒事はやってくるのだ。

 私がいつもの空き教室にて、スマホを使ってお仕事を潰していると、やがて待ち人が現れた。若めの男女が一組。


「お疲れ様です、のり子さん」

「忙しいところをごめんなさい、舞人さん」

「いえ、必要な事だと思いますので。この程度の労力は惜しみませんよ」

「お母さんも、ありがとうね」

「こういう時のための母親ってもんでしょ」


 なんとYaーTaプロのプロデューサー如月舞人氏と、私のお母さんが並んで我が校にやってきたのである。事情を知らないとサプライズだよね。

 これから私たちが取り掛かるのは学校側との面談である。原因はもちろん、私の体力テストだ。

 学校側は私を運動部に入らせて結果を残してもらい、スポーツ面の強化と知名度の向上を狙いたいらしい。私の学校は私立なので、利益を重視する姿勢はそうおかしな話じゃない。

 対して私たちは今まで通りの待遇を希望している。ただでさえ紅焔アグニスで忙しいのに、部活なんてやってられるもんか。私の高校生活は永遠に帰宅部なんだよ。そんな私の立場を説明してもらうためにプロデューサーが召喚されたのだ。ちなみに私がYaーTaプロに所属している事は、学校側では今から対談するお偉いさん二名と私の担任だけが知っている。

 以上が今の状況だ。私を巡って学校対YaーTaプロの熱いバトルが始まろうとしている。


「娘には手を抜いておけって毎年言ってたんですけどねぇ。ごめんなさいね如月さん」

「お気遣いありがとうございます。我々に対してはお気になさらなくて大丈夫ですよ。では行きましょうか」


 なんという頼もしい両翼。敏腕プロデューサーと、ルルの次に頼れるお母さん。この布陣なら楽勝っしょ! このバトル、勝ったなワハハ!



・・・・・

・・・



 すまん。私が甘かった。

 面談は穏やかな挨拶から始まったけど、その数分後には、プロデューサーが決死の表情で熱弁を展開する反面、中年オヤジな校長先生とインテリオバサンな理事長がのらりくらりと熱弁をかわす構図が出来上がっていた。

 

「佐藤さんは配信者の世界でも頂点に立てるほどの実力を秘めた御方です。一夜で100万のファンを集めた実績からも明らかではないのですか」

「しかし彼女のポテンシャルは世界にも届きうる……いえ、世界のタイトルホルダーたちを凌駕する存在です。このまま埋もれていくには惜しすぎるかと」

「いいですか如月さん。彼女は磨き込めば更なる高みを目指せる……陸上界のスターとなりうる逸材なのです。誰からも拒絶されない、明るい未来が――輝かしい栄光が確約されるのですよ」


 プロデューサーの思い入れは予想以上でちょっと面食らったけど、校長と理事長の商人魂も予想以上だ。どちらの意志もカチンコチンで揺らぐことはないだろう。もうひとりの頼れる――と思っていたパートナー、お母さんは私達のレスバにぼんやり聞き入ったまま黙りこくっている。お母さん、援護射撃が欲しいんですけど!

 

「佐藤さんの希望は配信者です。世界一のトップアイドルを夢見ているのです。いま佐藤さんは夢に向かって全力で努力をしています。その夢を潰してまで陸上を強要させるなど、我々大人がするべき事ではないと思いませんか」

「夢を見させてあげる事も、そのサポートを行う貴方がたの意志を否定はしません。ですが、より輝かしい道を示すことも我々大人の義務です。アイドルとアスリート。どちらが多くの人々に受け入れられているか、比べるべくもないでしょう。それに、今の配信者業を止めろとは言いません。授業後に数時間だけ練習に参加していただき、大会に一度出ていただく。それ以上の拘束は致しません。場合によっては授業の一部免除も考慮いたします」

「ええと、あの……ごめんなさい先生がた。その『数時間』をできれば避けたいんです。配信をやる以外にもめっちゃやることがあるので、できる限り時間は欲しいなって」

「なるほど。その仕事の肩代わりを務めて差し上げるのも企業の腕の見せどころではないのですか、如月さん?」

「事務所の方針は相互承認です。タレント側にも必ず承認を通すようにしています。佐藤さん本人の承認なしで仕事を進めることはできません」


 この承認制ってのは助かるんだよね。いくつもの仕事内容に目を通して頭に入れるのは大変だし、強制みたいな説得もあるけど、事務所の独断で事を動かすことはまず無いから安心設計なのである。

 だがしかし。校長と理事長は、ああ言えばこう言う事が上手い人種である。


「彼女は学生なのですよ。貴重な学生の時間をできるだけ学生生活に充てるべきでしょう。そちらの完全主導で配信者業の仕事を進めてしまえばいいじゃないですか。今回を期に業務システムの再検討をしていただけないですか?」

「それを許してしまえば自主性の放棄になります。彼女はアイドルですが、あくまで人間。奴隷ではない。本人承認のラインだけは、たとえ彼女が学生であろうと譲れません。

 ここまで時間を割いていただいて申し訳ありませんが、今回の件だけは手を引いていただきたい。佐藤さんはいま、17歳としての青春を最大限に享受している最中なのです。17歳のアイドルは17歳にしか出せない輝きがあるのです。その輝きを少しでもファンにお届けしたい……これは我が社一同と、そして佐藤さん自身の願いなのです」

「17歳という時間が大切なのはこちらの十分承知しております。しかし17歳の輝きは17歳にしか持ち得ない――というご意見ならば、陸上の世界でも同じですよ」


 駄目だこりゃ。完全にミリも進展していない。このままお日様が沈むまで話して、結局何も決まらないまま後日の第2ラウンドが始まっちゃいそう。

 

 今回の件、一見すると学校側の一方的な我儘だし、私が部活と大会の参加に否定的だ。生徒の意見を押しのけて、ここまで粘り強く説得するのは異常に見えるかもしれない。

 でも、私の記録は世界を塗り替えるらしい。世界一が確定しているのだ。喉から手が出るほど欲しいってことは、いくつかの企業づきあいを経験してきた私には分かってしまう。

 一方、私のアイドルという立場はまだ発展途上で不安定だ。このまま突き進んでもトップアイドルに輝けるとは限らない。その不安を、プロデューサーはつけ狙われているんだろうな。

 栄光の将来が確定した陸上界か。不安の残るアイドル界か。正論パンチの殴り合いじゃ、いくら私の意思があっても分が悪いんだよなあ……どうすれば説得できるんだろう。


「ですから――」

「いやしかし――」


 不毛だなあ、この時間……早く帰って、気分転換に歌の練習がしたい。

 

「あの。すみません。私からも宜しいでしょうか」


 平行線のやりとりをすること数分。ついにお母さんが動き出した。この時を待ちわびたぞ! よっしゃガツンと言ったれお母さん! このインテリ教育者ふたりをぎゃふんと言わせたれ!


「もちろん。ご意見があれば遠慮なくお聞かせください」

「では失礼ながら――」



「この話し合い、不毛だから娘たちと一緒に帰っていいです?」



「……え?」

「!?」

「ちょっとお母さん!?」


 ガツンと言ってくれとは願ったけど、思った以上にガツンと行き過ぎィ!? 子どもからのおふざけビンタを覚悟したらヘビー級ボクサーの全力ストレートがぶっ飛んできたみたいな顔してるよ! お母さん以外の全員が!


「だって、学校の人が何か困っているからのり子を頼ってるのかと思って同行したのに、そういう話がちっとも出てこないんですもの。ただの商談じゃない。じゃあもう話し合う必要なんて無いわよね。

 のり子はアイドルをやりたい。だからそちらの話は引き受けられない。これ以上の結論なんていらないでしょ? 時間の無駄遣いよ」

「そりゃそうだけど言い方ァ!」

 

 忘れてた……お母さんが勤めてる会社の同僚の人がぼやきまくってたっけ。

 お母さんは要らない会議をバッサリ切り捨てて、別のタスクを進めたがるタイプなんだって。たぶん相当トサカに来てるぞ、このひと!


「お母様! いくら何でも無責任な意見ではありませんか!? お子様の未来がかかってるんですよ!?」

「責任は全部のり子に取らせているわ。この学校に通学しているのも、のり子がアイドルをやっているのも、全部この子の責任――この子の意志です。私は親として責任をまっとうさせる手助けをしているにすぎません。私は無思考な決断を取るような娘に育てた覚えはありませんので――のり子の決断を信じています」

「しかし彼女はまだ子どもです。間違った決断をするかもしれません!」

「間違ったら正せばいいじゃないですか。それが大人の役目なのでは? 先ほどだって、輝かしい道を示すのも大人の仕事だと、自らおっしゃっていたではありませんか」

「ですが貴女の――」

「ごめんなさい。無意味な意見で話を引き伸ばすのを止めていただける? 私の聞きたい回答が聞けるよう、反論する機会もすぐに設けますので」

「なっ――」

会話をしましょう。この時間を使う意味があったと誰もが満足できるような会話を」


 かっけえ。でもそれ以前に怖い。喋るたびに言葉の圧が増しているように聞こえる。先程のプロデューサーたちの応酬が牽制ジャブの小突きあいなら、今のお母さんの言葉は、さながら体重を乗せたデンプシー・ロールの連続フック。そんな殺人フックの言葉を、笑顔を崩さないままま矢継ぎ早に繰り出しているのだ。相手はたまったもんじゃない。


「ところで理事長さん、校長センセ。貴方がたは娘を大会に出せば輝かしい未来が待ってると仰っていましたが。輝かなかった時はどんな形で責任を取ってくれるんです?」

「そんな事はありえません。お子さんには記録という最高の武器がある。その記録が否定的に働くなんて考えられません」

「考えてくれないと困るんですけど。全国区となればメディア取材も来るんでしょ? そうなったらウチの娘は――」


 お母さんは私の頭に優しく手を乗せた。


「この傷が晒し者になってしまうわ。果たしてどれだけの人がこの傷ついた顔面を好意的に取ってくれるかしらね」

 

 お母さんの発言に対し、誰もすぐに意見を言えなかった。みんな気づいていたけど、あえて話題に出さなかったのだろう。敏感すぎる話題になるって思っているから。できれば私も避けてほしい。とはいえ。


「その話題はあまりにもデリカシーに欠けるのでは……」

「それ娘が言いましたか? 娘は嫌がってますかね?」


 お母さんの言う通り、傷について話題にすること自体はぶっちゃけ気にしていない。位置的に私から見えない傷だからイマイチ実感が沸きにくいし。

 ――でも。


「娘が嫌がるのは、顔を見て怖がられたり、悪口を言われることです。メディアに出たら、傷は絶対に避けられないでしょ? 否定されて炎上した場合、アフターケアするプランは用意できていたのかって聞いてるんです」

「………………」

 

 黙っちゃった。記録に目が眩んでノープランか、分かっちゃいたけど黙っていたかの二択だなコレは。とはいえ私もメディアの存在をすっかり忘れてちゃっていたけど。


「貴方がたの意見は一理あります。否定もしません。ですが、そんな浅はかな配慮では絶対に肯定もしません。今回の件、お引き取り下さい」

「でしたら早急にプランの見直しを――」

「必要ありません。娘の気が変わらない以上、未来永劫に考えなくて結構ですわ。

 ……貴方がたを気づかって、少し遠回しに伝えすぎたかもしれないわね。言い方を変えます」


 一呼吸だけ間を置いてから、お母さんは阿修羅のような表情で先生がたを睨みながら啖呵を切った。



大人てめぇの都合で可愛い娘の人生、勝手に決めるんじゃねえよ」


 

・・・・・

・・・



 お母さんのひと言は面談の全てを終わらせた。

 現在は学校から離れ、来賓用の駐車場に停めてあるプロデューサーの車の横で反省会中である。主に私とプロデューサーが。


「もっとドカンガツンと言ってやりなさいよ、のり子。ああいう手合いはつけあがるだけだって分かってるでしょ」

「だって、あの人達も一生懸命だったから、あんまり怒りが沸かなくて……」

「怒ってなくても演技で怒りなさい。素顔じゃなくても芸能の道に入ったんだから、きっと自分の感情が出せない場面、演技をしなくちゃいけない場面だって出てくるはずよ。貴女の素直さと優しさは美徳だけど、絶対に正しいとは限らないわ」

「お母さんは演技してたの?」

「ええ、もちろん。今すぐにでもアイツらの両手両足の骨をブチ折って、バイクに括り付けて街中を引きずり回したいくらいには怒ってたわよ。それを必死に抑えていたわ」


 怒りの演技じゃなくて、怒りを見せない演技かよ!? もうそれ殺意じゃん!?


「改めてごめんなさいね、如月さん。娘の優柔不断でこんなところまで来てもらったうえに、あんな嫌な役割も押し付けてしまって」

「滅相もない……私こそ、大変申し訳ございませんでした、お母様。私の力が至らぬばかりに、不愉快な想いをさせてしまった。統括役として恥じるばかりです」

「いいえ、貴方が落ち込むことなど何もありませんよ。私はあの場に立ち会うことができて、本当に幸運だったと思っています」

「幸運……ですか。無駄な時間を使わせてしまったのは?」

「あの二人の話は不毛です。でも、貴方は違うわ」


 お母さんは幸せそうに舞人さんへ微笑みかける。


「貴方はのり子に真正面から向き合ってくれている。真剣にのり子の行く末を考えてくれている。のり子たちに情熱を注いでくれている。そんな気持ちがはっきりと伝わってきました。こんな真っ直ぐなかたが、のり子の面倒を見てくれると分かったのです。嬉しいに決まっているじゃないですか」

「………………」

「これからも娘をよろしくお願いしますね。如月さん」


 プロデューサーが感極まって少し男泣きとなってしまった。でもその姿を、私はちっとも恥ずかしいと思わない。だって私もお母さんとまったく同じ気持ちなんだから。

 YaーTaプロに入って、藍川アカルの下で働ける喜びは確かに大きかったよ。でも、熱くて真っ直ぐなプロデューサーに出会えたことも、私にとっては本当に幸せだったと思っているからね。

 プロデューサーが気恥ずかしそうに頭をかいていると、不意にスマホが鳴り出した。お母さんのスマホだ。「ちょっとごめんなさい」とお母さんは前置きを言ってからスマホを操作し始めた。どうやらメールみたいだ。

 おや。


「舞人さんのスマホも鳴ってる」

「失礼。少しお時間いただきますね」


 そう言ってプロデューサーも私に背を向けてスマホをいじり始める。どっちも仕事の連絡っぽいなあ……あれ? いきなり二人が顔を見合わせたぞ……そんでもって、二人でスマホを見せあいながら、こっちをチラチラ見ながらコソコソ話し合い始めた。なんやねん。

 ちょっとした疎外感にやるせなさを感じていると、プチ会合が終わったのか、ようやくスマホから目を離した。


「のり子さん。お伝えすることがあります」

「なんですか改まって」

「明日、ルルーファさんがそちらの家へ遊びに行くそうです。それとも帰省と言うべきでしょうかね」

「おお、ルルが。それはいいですね。ルルならいつでもウェルカムです」


 ちょうどいい機会だから、謹慎に追い込んだ事について謝ろうっと。

 でも、なんで謹慎中なのにプロデューサーへわざわざ連絡を入れるんだ? お母さんは分かるけどさ。家主だし。

 そんな疑問に、プロデューサーはしっかりと答えてくれた。私の耳元まで顔を移動させ、ひそひそ話で。


(蒼火セッカと一緒にいらっしゃるそうです。仕事に一段落がついて時間が取れたそうなので、くだんのコラボ配信時の謝罪と、今後の相談をしたいと)

「ほわ?」


 なるほど。そりゃプロデューサーにも話が飛ぶわ。そういやルルとセッカちゃんってマブダチ関係だったっけ。

 おおい、大変だぞ在校生諸君。登録者数200万超の大物Vtuberが我らの町にやってくるぞー!


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