102話 女神の一手
―― 佐藤のり子 ――
『ルルちゃんだけが活動自粛ってどういうことですかっ! 納得いきません!』
土曜の夜に行われたナナミンの配信から一夜。朝早くに開かれたYaーTaプロのオンラインミーティングにて、挨拶もそこそこに安未果さんが怒りの叫びを上げていた。その怒りを聞いた私と舞人さんはしばらく絶句するしかできなかった。安未果さんから会議の申請がきて参加したら、おっとりな彼女からは想像できない剣幕だったから驚くというもんだよね。それだけ今回の決定には不服だったのだろう。こんな怖い安未果さんは初めてだ。
『七海ナナミさんの配信を邪魔してしまったというなら私も同罪です。私にも何かペナルティーがあって然るべきじゃないんですか!?』
『落ち着いてください六条さん。今回の裁定に関して、ルルーファさんは我々との間で話し合い、お互いに納得した形で決着しています』
『私が納得できていません』
話題の中心となっているルルはこのミーティングに参加していない。RIMEで予定を聞いたら「Victoria Springでケーキ食ってくる」なんてのんびり回答だったけど……まさか内輪でこうも荒れているとは思うまい。
『そもそもです。今回の騒動ですが、ルルーファさんとお二人ではコメントの質が全く違います』
『質ですか?』
『佐藤さんは単なる書き込みミス。六条さんは故意であるものの書き込み内容自体に主張性が無い。
しかしルルーファさんのコメントは明らかに介入の意思がある。これは自治を目的とした、あからさまなマナー違反です』
『でもルルちゃんのコメントに悪意はありません』
『その通りです。しかしリスナーがどう捉えるか。それは話が別となります。残念ながらルルーファさんの行為はネガティブに捉えた人の意見が強くなりすぎてしまったのです』
『そんな……そんなのって、あんまりじゃないですか。ルルちゃんはナナミさんを励ますために書き込みしたっていうのに、報われないじゃないですか……』
『もちろん善意ゆえの行為であることも世間には伝わっています。むしろネガティブな意見よりも多い。その事は救いですが、今回は悪い結果が目立ってしまいました。無理に配信をして状況を悪化させては今後に関わる。その防止のための自粛措置となります』
『それは……しょうがないですよね……マイナスイメージを大きくするわけにはいかないし……』
『これは教訓です。私も皆さんも、今後はより慎重に動きましょう。暫くの間、各1期生のアカウント使用を会社からの承認制とします。各自配信の際は使用申請をお願いします。
本件に関して、これ以上は配信やSNSで言及しないように。配信自体はしていただいて構いません。もっとも、少しコメントが荒れるかもしれませんが』
『分かりました』
『今後も予期しない誹謗中傷が度々あると思います。しかし気を留めすぎないよう心がけていきましょう』
気にするなってことだよね……ちょっと無理そうかも。だってこの事件を起こしたのは、元はと言えば私のポカなのだし……それに……。
『佐藤さん? いま話した方針で問題ないでしょうか。意見があればお聞きしますよ?』
「え。あ、大丈夫です聞いています。ごめんなさい。自分の仕出かしたことがこんな大事になるなんて思わなくって……ごめんなさい」
『反省して頂いてますし、再発防止を心がけていただければ十分です』
「……プロデューサー、安未果さん。ルルは私について、何か言ってましたか?」
『のり子ちゃんについて? 若いからしょうがなかった、みたいな事は言ってたけど……それくらいかな』
『私も似たようなものですね。特に怒っている様子はありませんでした。普段通りのルルーファさんでしたよ。佐藤さんには何か言っていたのですか?』
「今回ルルにあそこまでコメントさせたのは、たぶん私が原因なんです。私の行動を読んでいたからやったんです」
画面越しの安未果さんは困惑顔となり、プロデューサーは逆に顔を引き締めた。
『つまりルルーファさんのコメントが無ければ、もっと酷い状況となっていたのですね』
「ナナミンの配信が私のコメントで荒れてしまった後、理不尽に耐えられなくて怒りで前が見えなくなってしまって……荒らしていたリスナーに脅しのコメントを打っている最中だったんです。名前を晒し上げてやるとか、訴えて数百万の金を払わせてやる、とか」
二人が息を呑む。その声がはっきりと伝わった。
「文章が完成する数秒前にルルのコメントが目に入って、それにナナミンが反応して……ようやく我に返ることができました」
『それは……もっと大惨事になるところだったって、私でも分かるよ』
『冗談抜きで背筋が凍るような報告でしたね……駆け出しのタレントが特定の者に対して誹謗中傷を行えば破滅は免れません』
「私のタイピング速度がもっと早かったら現実になっていました。ルルが居なかったらと思うとゾッとします」
私の涙声の告白後、そこから少しの間だけ沈黙が続いた。次の発言をしたのは、中身をいち早く纏めたプロデューサーだった。
『ルルーファさんはこの件について、私にこんな言葉を送りました。『これは未来への投資である』と。最初は七海ナナミについて語ったのだとばかり思っていましたが、紅焔アグニスも含まれていたのですね』
「私、ガキんちょでした……YaーTaプロの一員なんだから、もっと大人の対応をしなくちゃ駄目なのに……」
『貴女はよくやっていますよ。それこそ高校生の女の子であると感じさせないほどです』
『時々、私よりも大人だって感じる時があるくらいだもん』
『今の共有は私達にとっても大変ありがたい話でした。改めて、佐藤さんを年頃の女の子だと認識しなければいけませんね。ルルーファさんにお伝えは?』
「してないです……自分が惨めに思えて」
『いいえ。そんな事は決して思いません。確かにやってはいけない事ですし、その行動を肯定しません。しかし貴女はあくまで人間です。完璧な存在ではありませんよ。怒りの感情はしっかりと持っておくべきです』
「もちろん、完璧でないのはルルーファさんにも当てはまりますからね」とプロデューサーが締めくくってから、この話題は終わりとなった。これだけ落ち込んでいると、呑気にケーキを食ってるルルのお気楽さが逆に腹立たしくなってくるぞ。もちろん八つ当たりだって分かってるけど。
ルル。今回の行動は本当にずるいと思うよ。私達に罪悪感をいっぱい作っているんだもん。
だから絶対にいつか恩返ししてやるからな。覚悟しろ、ルル。
・・・・・
・・・
・
涙のミーティングが終わってさらに一夜明け、とうとう月曜日がやってきた。
学校がある。そして峰さんとも顔を合わせなくてはならない。気分は晴れないままだ。
「もしかしたら学校こねーかもと思って迎えに来たが……ひでぇ顔だな、のり子」
我が家の玄関先でヨーミがげんなりした顔で言った。鏡を見たら目のクマが半端じゃなかったし、ひどいって言われても仕方がない。こんなに眠れない土日を過ごしたのは初めてだよ。
だがしかし。こういったケースで落ち込んでいても、お母さんはマジで容赦がない。「自業自得よ」のひとことで叩き出されてしまった。
「あの人らしいなあ。まあでも、今日は朝イチから体力テストだから、どっちにしろ行かなきゃ後がめんどくせえんだよな」
「あー……あったねそんな恒例行事」
体を動かすことが好きな私だけど、今日の私にはただのかったるイベントでしかない。
覚悟を決めて歩き出す。でも足と気が重い。両足に鉄球が繋がれている気分だ。どんな顔して峰さんに会えばいいんだよぉ……。
「そんな落ち込んでても夏美を心配させるだけだぞ。ポジティブに考えろよ。七海ナナミの人気が出て紅焔アグニスはコラボがやりやすくなったじゃねえか」
「ナナミンはそう考えてもいいけど、ルルの件はねー。ほんっと紅焔ちゃんの落ち度しか無いんよ」
「あ……あー、まあ、そうなるのかな。詳しく分からんから何とも言えねえけど」
ルルの名前を出した瞬間、ヨーミは気まずそうな面構えになった。おっと、しばらくルルの話題を出していなかったから忘れていたけど、ヨーミはルルのガチ恋勢だったな。たぶんルルの様子を聞きたくて仕方ないのだろう。
「親友のよしみだから特別に教えるけど、ルルは何も気にしてないよ。デビュー時にプチ炎上した時ですらミリも動じなかった奴が、今回の件くらいでへこたれるもんか」
「そっか……安心したよ。やっぱすげえな、ルル団長は。きっと自分に被害が出るって分かっていてナナミンを励ましたんだろうな」
「惚れ直したか」
「……ぶん殴るぞ」
図星だな。顔赤いし。でもその反応は否定しないぞ。行動だけ見れば完全にイケメンなんだよなー。
今回の件で、ちょっとだけヨーミの気持ちが理解できたよ。私の顔に傷をつける原因をつくったヨーミの気まずさが。被害者本人が許しているからこそ落ち着かないってやつだね。
……しかし、そろそろヨーミにも伝えておいたほうがいいだろうか? ルルがヨーミと本腰入れて会いたがっているって。前回ウチに来た時はスケジュールの都合で断念したから会わなかったけど、今回の自粛で暇を持て余してるから、ワンチャン我が家に来るかもだぞ? しかも長期滞在で。
「そういやのり子。体力テストの時はお前のクラスとあーしのクラス、一緒に動くから夏美ともカチ合うぞ。ちゃんと覚悟しとけよ」
そういえばそうだった。ううう……ほんと運に見放されてるなぁ、私ってば。今日だけは無心で過ごそう。孤独なロンリーウルフで一日を乗り切るのだ!
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