88話 日本の象徴は時空を超える


―― 佐藤のり子 ――


 4月5日。微妙に曇り空。本日の気温はボチボチな温かさといったところ。そんな陽気にもアンニュイにもなれない天気の中、私はお母さんと一緒に、離れに寝かせた金髪エルフちゃんの様子を見守っていた。畳にちゃぶ台、和箪笥という純和室の中に、バリバリ洋風な少女が横たわっている光景はなかなかにミスマッチで目を惹かれる。

 初めてエルフちゃんを見て心底驚いていたお母さんだったけど、さすがに24時間も眠りっぱなしにもなれば、この不可思議珍妙な状況に慣れてしまっていた。すぐに起きるだろうと近くで監視していたら、まさか丸一日かかっても進展しないとは。人の目に触れたら世間が大騒ぎしちゃうだろうから警察にも届けられないし。

 ちなみにエルフちゃんの服装に関してだけど、奴隷のような服装があまりにもみすぼらしかったし色々と汚れていたので、二人で話し合った結果、私達が持っている服へ着替えさせることにした。それでも胸囲の格差社会だけはどうにもならない。ルルと同じ方針をとらせてもらったよ。

 

「おまたせ。なかなか起きないわねえ。この年で徹夜はつらいわ」


 朝食のおにぎりを運んできたお母さんが疲れ気味に呟いた。30超えるとどんどん辛くなるってよく言ってたな。

 

「ごめんねお母さん。付き合わせちゃって」

「のり子。今日のお仕事はどうなんだっけ?」

「ホントはゲーム配信する予定だったけど、流石にキャンセルの告知を入れたよ。何が起こるか分からないし」

「会社のお仕事が済んでいて良かったわねえ。あとはこの子が起きてくれれば万々歳なんだけど」


 エルフちゃんの様子を眺めながら、二人でおにぎりを頬張る。私が食べている具材は、お手軽おにぎりのお供、焼き鮭だ。最近は紅焔アグニスの収入が良すぎるから、安物の鮭フレークから卒業できたとお母さんが喜んでいたっけ。

 いやあしかし、こんな状況下でも美味いね。我が家は料理全般がイマイチだけど、お母さんのおにぎりだけは世界にも通用するよ。


「ルルちゃんからの連絡はまだかしら?」

「うん。音沙汰なしだよ」

「ルルちゃんなら突飛とっぴな状況にも慣れていそうだから、どうにかしてくれそうなんだけど……ルルちゃんもますますアイドルらしい忙しさになってるわねえ。身内から二人も有名人が出たみたいで――」


 そこでお母さんは会話を切り、エルフちゃんをじっと見つめはじめた。私もつられて視線を移す。まだ眠っているようだけど……あ。呼吸が浅くなってる。


「おはよう。寝たふりなんてしなくても、貴女をどうこうするつもりは無いわよ」

「………………」


 優しい口調をしたお母さんの言葉を聞いたエルフちゃんは、一瞬ぴくりと反応したけど、頑なに目を瞑ったままだ。バレてないと思っているのだろうか。

 

「……うーん」


 お母さんは一瞬悩んでから、おにぎりを乗せたお皿を私に預けて、


「えい」


 ちゃぶ台を台パンした。パァンッ! と破裂音にも似た小気味良い音が響き渡る。この怪音にはおもわずエルフちゃんも驚いて、飛び跳ねるように起き上がってしまった。


【ひぃぇ!?】

「のり子の真似をしたけど、なかなか気持ちいいわね」

「お母さん。私はビジネス台パンだからね?」


 エルフちゃんは素早い動きで私達から距離を取ると、急いで周囲を見渡して何かを探したかと思えば、手刀を突き出して独特の戦闘ポーズを取る。ああ、探していたのは武器か。


【おのれ蛮族どもめ! 吾の肢体を勝手にじろじろと視姦しおって! 品定めもこれまでじゃ! 今ここで吾の寝首をかかなかったことを後悔させてやるぞ!】

「のり子の言った通り、本当に聞き馴染みのない外国語ねえ」

【〝シナツミコト〟! ええい、今いちど力を貸さんか! 奴らが油断している今が好機なのだぞ! ……腹が減って力が出んだと!? 情けない、それでも国を司る神の言葉か!】

「さっきから誰と話してるんだろ」

「幽霊かしら。そこそこ年季の入った家だし、居てもおかしくないかもだけど」

【そこにオニギリがあるから食え!? オニギリとは、あのオーガ娘が持っている三角の物体か!? 敵の食料を奪えと!? 吾が、あの獰猛なオーガから!?】

「いやだからオーガじゃないっての」

「のり子。あの子、おにぎりを指さしてるわよ」

「お腹すいてるのかな」

【冗談ではない! 吾にあんな得体のしれない物体を口に入れろなどと――】


 ぐうううう。と、お約束な音が鳴り響いた。ルルと出会った時とは違って、今度は私じゃないぞ。もちろんお母さんでもない。


「腹ペコみたいだね」

「1日中眠っていたんだもの。お腹も空くわね」

【ぬぐぅ……】

 

 少女が私とおにぎりを交互に睨んでくる。そうか、私がいるから警戒してるんだな。

 私がちゃぶ台におにぎりの皿を乗せて離れると、少女は素早い動きでお皿を奪い取り、再度距離を取った。


【貴様ら近づくなよ。少しでも変な動きをしたら微塵に切り刻んでやるからな。しかし、何だこのネバネバの麦は。ばらばらになってしまうではないか。米? 麦の亜種か。ううむ、蛮族の食べ物は度し難いな。我が国のパンを見習って粉を固めればいいものを……】

 

 おにぎりの匂いを嗅いだり掲げてみたりと、まるで原始人を思わせる仕草をしてから、ばくりとかぶりついた。


「お。いった」

【~~~~~~~~~!!!!!!!!】


 あ。これ、お気に召したパターンだね。口に入れた瞬間の表情で分かるよ。ルルが初めて甘味を食べた時シリーズの顔だもん。

 エルフちゃんは1個めを瞬殺で平らげると、続いて2個、3個と口の中に入れていった。


「あの、もうちょっと落ち着いて食べないと……」

【!!??!?】

「ああほら、お米は喉に詰まりやすいから……ほら、このお茶飲んで。紅茶だから飲みやすいよ」


 私が紅茶の入ったコップを差し出すと、エルフちゃんはグビグビと飲み干してから大きく息を吐き、そして米粒だらけの両手を私の肩に置き、叫んだ。


美味うまし! 実に美味いぞ、オーガの娘!】

「いやだからオーガじゃ――」

【この米という穀物はなんだ!? 甘味と旨味が一気に押し寄せてくるではないか! 我が祖国の麦とは比べ物にならないほどの重厚感だ!

 そして米の中心に入っている味の濃い食材の塩気が米の甘味を引き立てておる! それでいて個々の主張もしっかり分かれていて吾の舌を飽きさせん!

 その米と具材を包み込む、この黒い板の香りと風味が全体の味を引き締めておる! 小娘! この板は何という!?】

「えーと、それは海苔だね。ノリ。ノリ」

「ノリ!」

「そうそう」

【ノリか! 吾はこのノリが気に入ったぞ! いっそのこと中の具材を抜いたオニギリも食べてみたいのう! とりあえず、ここにあるオニギリは全て吾がいただく! 追加を所望するやもしれん! その際は迅速に用意せよ!】

「……美味しいって、お母さん」

「それは良かったわ」


 エルフちゃんは続けて残ったおにぎりを食い散らかしていった。ああ、さようなら。私の大好物、明太子ちゃん……。

 私の肩に着いた米粒を引っぺはがしながら、次々と軽快なリズムで平らげていくエルフちゃんを見ていたのだけど、突然ピタリと食べるのを止めた。そしてエルフちゃんは手に着いた米粒を丁寧に舐め取り、そして残りの汚れを着ている服で拭き取る。ようやくそこで、自分の着ている服が違っていることに気づいたらしい。じっと私とお母さんを見つめるエルフちゃん。


「えーと、ごめんね。貴女の服は一応洗濯してるけど、ちゃんと元に戻るかどうか分からなくて」


 無表情で見つめ続けるエルフちゃんに、どうしたもんかと困り果てた瞬間、エルフちゃんは右手の手のひらを自分の耳に押し当てた。まるで電話で喋る時のような体勢だ。


「吾の言葉が分かるか、人間」

「いきなり日本語!?」

「でも口の動きが合ってないわねえ。日本語吹き替えの映画みたいだわ」

「これも魔法なの?」

「魔法なぞの邪道と一緒にするでない。神降術ゴドゥケイズという。そなたらでいう……あー……降霊術みたいなものだとシナツミコトが言っておる。吾の身体を依代として神を降臨させ、奇跡の代行を行う術だ。今こうしてそなたらと話ができるのも日本の神であるシナツミコトの賜物である」

「うおお、ファンタジーとオカルトの融合や……」

「シナツミコトというのは神様の名前かしら」

「そうだ。そなたと吾が出会ったやしろにて祀られておる神様の名じゃ。今は吾を依代として身体に力を分け与えて降臨しておるぞ」


 私とお母さんはお互いを見て、お互いに首を横に振りあった。全然知らん、そんな神様。


「ええと……とりあえずお話が通じるようになったのは良かったよ。とりあえずごめんね。いきなり襲いかかっちゃって。私も頭に血が昇っちゃったっていうか……」

「いや。皆まで言うでない。おそらく吾の発言がそなたの怒りを買ってしまったのだろう」


 彼女は右手を胸に当て、片膝立ちとなって私達に頭を下げた。


「数々の非礼をお詫びする。すまなかったな」

「え。あーっと……こちらこそ、ごめんね」


 傲慢な言葉遣いのエルフちゃんらしからぬ振る舞いだ。それはきっと、エルフちゃんにとっては最大限の謝罪なのだと直感した。

 クソガキだと思っていたけど、案外、いい子なのかもしれないな。


「よし、これで謝罪は済んだな! そなたと吾のいさかいはこれにて終着という訳だ。どの発言が気分を害したか全く分からんが、ひとまずの決着とさせてくれ!」


 アウト発言わからんで謝罪したんかい! ……うーん。なんか逆に安心するなあ、このクソガキ感。偉そうだけど、まあいいか! 可愛いし!


「さてそなたら。名前は何と言う? 名乗ってくれ。オニギリと服の礼を言いたい」

「私は佐藤のり子。後ろの人は私のお母さん」

「のり子か。吾の世界では聞かん名前だな。吾の名は――」

『お嬢、母君。そこにいるな? 要件が片付いたから来たぞ。入ってもいいか?』


 部屋の入口、障子扉の向こう側から私達が待ちわびた人物からの声が聞こえた。

 

「ルル!」

「待ってたわルルちゃん。入っても大丈夫よ」

「む。吾の名乗りを邪魔するとは無礼な奴め」

【その声は!?】


 未だかつてないほどに驚いた声を上げ、障子扉を勢いよく開け放つルル。その両目は、かつてないほどに見開いていた。


【ソーリャ!? 何故ここにいる!?】


 出会ったばかりに喋っていた、あの意味不明な外国語でルルは叫んだ。

 その名前を呼ばれたエルフちゃんはルルを思いっきり睨みつけた。


「ソーリャだと……その名を呼んでいいのは姉上のみだ! 吾の名はソルフェリーア! エルフ族の次期皇女筆頭、『無垢なる太陽の花』のソルフェリーアだ! その名前を軽々しく呼ぶな、下郎が!」


 どうなっとんじゃ、これ。とりあえず、このふたりだけのミュージカルは中止とさせていただくとしますか。我々、置いてけぼりになっちゃうから。

 ……それと、やっぱりルルは異世界人で確定だな、こりゃ。納得しすぎて、もう驚かないぞ。


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