82話 彼女は歴戦の将なり


―― 航空自衛隊 空将 北島きたじま総二郎そうじろう ――


 前代未聞の作戦会議ブリーフィングだった。会議場に集まる全ての隊士が全員そう考えているであろう。


「作戦は実にシンプルです。団長が突っ込んで殴る。ただそれだけです」


 壇上に立つビジネススーツ姿の男は堂々たる口調で宣言した。

 彼の名は後江慧悟。警視庁所属の警視正であり、そして扱いは民間人である。その民間人が部隊の壇上に立ち、指揮官まがいの振る舞いをしているのである。前代未聞だ。


「もう少し具体的に説明を。私、後江慧悟。九頭竜宏。エージェント『16シーリゥ』。そしてルルーファ・ルーファの計4名を犯罪国家『天結』の推定領空まで空輸していただきます。輸送完了のリミットはルルーファが宣戦布告した本日09:00マルキュウマルマルより24時間以内をお願いします」

「何で公安の俺が付き添いで要るんだよ……」


 私の背後でぼやく九頭竜宏。公安警察といえど、彼も立派な民間人である。警察からは、後江慧悟の監視役と聞いているが。同じ警察の監視を自衛隊の管制下で行うなど、もちろん前代未聞だ。

 

「領空付近まで接近後、ルルーファ・ルーファを空中から。以後、ルルーファは天結への単騎突入を敢行してください。突入達成後は敵構成員の制圧、並びに施設兵器破壊を中心としたを開始していただきます。なお、突入以降における任務の管制は、天結の内部事情に詳しい工作員である16シーリゥ氏に一任いたします」


 16シーリゥと呼ばれた女は、両手に手錠を付けたまま立ち上がり、我々に向かって一礼した。手錠を付けているのは彼女自身からの提案である。余罪が確認できないため厳密に言うと犯罪者ではないのだが、彼女が罪の意識を自覚していること、そして天結の工作員であったことは確かである。そんな元工作員が自衛隊の指揮下で管制を行う。言うまでもなく前代未聞だ。


「ルルーファによる単騎制圧・武装解除を確認後、我々も天結領内へ突入。ルルーファの回収、そして戦後の応急処理を自衛隊の主導で行います。回収後はルルーファの日本帰投を最優先としてください。具体的な作戦進行はルルーファとの審議のうえ、自衛隊の主導で進めていただいて構いません。

 作戦概要は以上です。なお、本作戦の実行許可は内閣総理大臣から正式な許可を頂いております。区分はあくまで警護出勤、および災害派遣。つまりルルーファ団長の護衛任務と事後処理です。民間人である団長への負担を抑えるよう、可能な限りの協力を惜しまないでくださいね」


 ざわつきと共に、室内の視線が私の隣に座る凛々しい顔つきの女性へ注がれる。ルルーファ・ルーファ。元大人気読者モデルであり、現アイドルVtuberの配信者だ。この場で最も民間に近い民間人であり、そして同時に異世界転生者でもある。

 そしてこの可憐で美しい女性が作戦の中枢であり、そして今から犯罪国家『天結』へ単独殲滅を強行する人物でもあるという。もう自分でも何を言っているのか分からない。情報を盛ればいいというものではない。

 「では質疑応答とさせていただきます」と後江慧悟が発言した瞬間、エージェント16シーリゥが挙手した。


「どうぞ、16シーリゥ氏」

「私はもう組織の一員ではありません。エージェントでもありません。そのクッソ呼びにくいナンバリングで私を呼ぶのは、今後一切やめていただきたい。

 私は『リン』です。ルルーファ様から頂戴した名で呼んでください。必ずです。以上」

「それは大変失礼しました。以後、貴女の事はリン氏とお呼びしますね」


 後江慧悟とルルーファ・ルーファは、やや気苦労した様子で16シーリゥ――もといリンへ苦笑する。九頭竜がルルーファへひそひそと小声で語りかける。


「おい、ルルーファ・ルーファ。あの元スパイ、あんな弾けた性格だったか?」

「本人は吹っ切れたと言っとったぞ。スパイという枷が外れて地が出たようだな」

「イメージと違いすぎて困惑するんだが」

「元々そういう傾向は垣間見えたし、俺は今の彼女が好きだよ。活き活きとして大変よろしい」


 天結の工作員、クォンはエリートだと聞いていたが……本当か?


「他に質問のあるかた……はい、そこの男性」

「小林2等空佐だ。作戦時間が24時間以内である理由は?」

「明日は団長の案件収録があるんですよ。大手企業とのタイアップです。無断欠勤など以ての外となりますので、真摯なご協力をお願いします」

「茶化さないでいただきたい! 国の命運もさることながら、隊員の命もかかっているのだぞ!」

天邪鬼あまのじゃくはやめろ慧悟。もう少し真面目に答えてやれ……主目的は天結によるテロの防止だ」


 ルルーファ・ルーファが声を低く発すると、室内の空気がシンと静まった。後江慧悟に「代わろう」と伝え、彼の代わりに壇上へ立つ。


「天結側は、俺が出向くとなれば戦力を確保しておきたいだろう。そのためには世界各地に潜伏させているであろうエージェント達を集合させる必要がある。

 長すぎては搦手からめてを仕込む時間ができてしまう。短すぎては合流を諦めるかもしれん。ある程度の緊急性を意識させつつ、戦力を整えられる丁度いい塩梅あんばいの猶予を24時間以内とした。ちなみにこいつは後江慧悟の入れ知恵だがな」


 彼女の口調は確信に満ち溢れていた。根拠はない。しかし的外れすぎてもいない。腑に落ちきらずとも納得した様子で小林2等空佐は着席した。入れ替わりで女性の隊士が手を上げる。


「聞こうか、淑女レディー

「才賀空曹長であります。先ほど警視正殿は領空まで貴女を運んだらとおっしゃいました。しかし我々は天結との空対空戦闘を回避するため、領土より数百キロも離れた位置までしか接近できません。領土まではどのように移動を? 確か漫画では短時間での長距離移動は不可能なはずですが」

「飛んでいく」


 彼女の即答に、またもや室内がざわつく。飛ぶ。人間が。なるほど。分からん。

 

「……その……飛行する、という意味でありますか?」

「ああ。合っているよ。光鎧装ルクサルで飛ぶ。不壊剣ラグニスと同じ、ルーファスの魂器アルマニスとなる。癒術クラーティオの力を物理に転換し、万物を弾き返す神秘の鎧だ」

「飛行機能なんて付いてませんよね? ただの硬い鎧ですよね?」

「漫画ではそうだな。この機構が追加されるのは、まだまだだいぶ先の出来事だよ。なんなら漫画の作者も知らん機能だ。君らの所持する戦闘機と似たような感じの機構だな」

「バーニア飛行……ですか?」

「それに近い。推力がジェット燃料ではなく俺の癒術クラーティオだから、ちと疲れるのは難だけどな。自分で言うのもおこがましいが、なかなか速いぞ。そしてこいつのお陰で、俺は必殺のキックを繰り出すことができるんだ。それも令和の特撮ドラマやゲームを参考に改良した進化版だぞ」

「……月並みな言葉しか思いつきませんが……本当に何でもアリですね……」

「むはは。褒め言葉として受け取っておこう……そういえば、今の情報はネタバレになってしまうのか。すまない、配慮に欠けていたな」

 

 もう完全にコミックの世界だ。いや、実際にコミックの住人でもあるのか。


「にわかに信じがたいので、少し披露していただいても?」

「それは勘弁してほしい。今の俺の体には全然フィットしなくてな。まともに立てやしないんだ。飛ぶ分には問題ないから安心してくれ」


 彼女の発言の逐一がとぼけているので、隊士は皆、不安な表情を浮かべていた。私も隠せていないだろう。堪らず後江慧悟へ視線を送る。


「団長はいつも通りですよ。作戦会議で冗談を言う人ではありません」


 余計に心配である。その後も質問が飛び交うが、どれもとぼけているとしか思えない回答しか得られなかった。非現実的な説明の数々を受け、隊士たちがどんどん浮足立っていく。士気が下がっているのは宜しくない状況だ。

 ここは少し、伝説の騎士殿にご助力していただくか。

 私は手を上げた。


「北島空将殿。どうぞ」

「これまでの質疑応答をふまえての感想を遠慮なしで忌憚なく伝えたい。

 はっきり申し上げると、民間人の妄想に付き合わされている感が否めない。突発的な妄想に命をかけ、国民の税金を浪費できるほど、自衛隊の懐は深くない。この作戦は隊士の命と国の命運をかけるだけの価値はあるのか――貴女の決意を聞かせていただきたい」

「ふむ。妥当な意見だ」


 私の意見を聞いた彼女は一度深く頷いた。私の真意を汲み取って頂けたようだ。本場の鼓舞とやらを拝ませていただこうか。

 彼女は目を閉じて深呼吸を一回。そしてすぐに見開く。

 変化は本当に一瞬であった。戦争を経験していない身でもはっきりと分かる。


 

 歴戦の将が、そこにいた。



「――ここに来るまでの道中、資料を拝見した。天結が犯してきた所業を記録したものだ」


 空気がじりじりと灼けるような感覚。それでいて脳髄からつま先にかけて一筋の悪寒が走る感覚を同時に味わった。

 先程まで見せていた、呆けている好々爺なイメージは消え去っている。完全に別人だ。私はおろか、隊の一同が皆、息を呑む様子がはっきりと分かった。

 

の者は警官を殺した。彼の者は薬物をばらまいた。彼の者は子供を攫った。彼の者は資産を奪った。どれも擁護の必要性を微塵も感じさせぬ悪の所業だ。

 その悪行の数々はおおやけには開示されず、倉庫の片隅で今日こんにちも眠り続けている。その事実を秘匿せざるを得なかった警察や自衛隊諸君の中には大きな無念を抱いている者も多いだろう。深い敬意を払わざるを得ない」


 彼女の作りだす荘厳な空気が会議室内を掌握している。場の人間が真剣な眼差しで演説を傾聴している。理屈で起こせる反応ではない。

 

「自衛隊諸君らに問う。この中で悪行を犯したものはいるか? もしくは罪を犯したが更生しなかった者はいるか?」


 誰も反応しない。するはずがない。


「当然だ。君たちは正義の模範だ。平和を守り、悪を挫く。るべくして或る兵士の鑑だ」


 彼女は壇上を離れ、ゆっくりとした歩みで我々の間を縫って歩いていく。隊士一人ひとりの顔つきを見て回りながら演説を続ける。

 

「本件は軍事介入である。そして侵略である。歴史の表舞台に出れば、誹謗中傷も免れない行為である。

 しかし本件の真髄だけは断じて何者にも否定させん。我らが善であり、彼らが悪である。この構図は誰にも否定させぬ。神でも天でも否定させぬ。これから君たちが執り行う行為は、如何なる理由であろうとも、純然たる勧善懲悪となる。繰り返す。これは勧善懲悪である」


 壇上に戻った彼女が、我々に背を向けたまま虚空に手をかざすと、光と共に一振りの大剣が現れた。不壊剣ラグニスである。彼女は振り返りざまに先端の折れた刃を地に立てた。敷地内での抜剣。しかし、彼女の行為を咎めるものは誰ひとり居なかった。

 

「これから俺は、いわば私利私欲のために君たちを利用する。その事実は否定しない。

 しかし同時に、俺は天結の者どもを許しがたい悪であると確信している。ならば彼らの殲滅を躊躇う理由など何もない。悪の撲滅もまた俺の意志であり、俺が果たすべき使命である。

 君たちは俺を利用する機会を得た。その機会で君たちが成すべき正義を執行してほしい。

 君たちが願うならば、俺は巨悪を討ち滅ぼす廻天の使徒であることを宣言しよう。葬られた歴史のために一矢報いる義胆ぎたんの士となることを、この刃に誓おう」


 彼女が剣を宙へ掲げた直後、椅子に座り拝聴していた隊士のひとりが立ち上がって敬礼をした。最初に彼女たちへ食ってかかった小林2等空佐であった。敬礼の直後、彼は驚愕の表情を浮かべていた。それはきっと理ではなく、魂の衝動に付き従った敬礼なのであろう。

 彼に続き、他の隊士たちも次々と立ち上がり、彼女へ敬意を示す。最後に私が立ち上がり、彼女へ向けて敬礼する。全ての隊士が彼女の協力を誓うという意志の表れとなった。


「……以上だ」


 息をつかせぬ間もなく場の空気を完全に支配し、私を含めた隊士全員の心を一つにしてしまった。感服と同時に畏れ入る。これが銀星団団長ルーファス。何度も死線をくぐり抜けた軍団の長か。将として遥かなる高みに彼女はいる。平和を享受し続けた私では至れぬ領域だ。


「貴女の決意、承った。見ての通り、我が隊は貴女に全面協力を誓う」

「ありがとう。良い部隊だな、北島空将」

「最上の賛辞、ありがたく頂戴する」

 

 不壊剣を収め、優しく微笑むルルーファ・ルーファ。もはや語る言葉など、これ以上は必要あるまい。

 敬礼を解き、私は部屋中に響き渡る声で命令した。


「これ以上、作戦の是非の議論は不要である! 各自は任務遂行のため、成すべき責務を果たせ! 解散!」

 

 一斉に隊士が動き始める。その動きは非常にスムーズだ。この作戦に疑問を持つ者はもう居ないだろう。

 ……とはいえ。


「素晴らしい……これがルルーファ様の鼓舞なのですね……演説がこれほど素晴らしいひと時だと感じたのは生まれて初めてです」

「ええと、リン? さっきから思っていたんだが……俺は『様』とつけるほど立派な人間じゃねえぞ。この世界じゃ偉業など無い、ただの一般アイドルVtuberだ」

「いいえっ! ルルーファ様が立派でないなら人類全てなど底辺を這いずる芋虫みたいなものです! 誰が何と言おうと、私はルルーファ様を崇め讃えます!」

「おおう……リンが喜んでいるなら、まあええけどよ……」


 ……ううむ。これはしかし。


「司令官」

「後江慧悟警視正。何か――ぬおっ!?」

「実に、実に素晴らしい采配でした! どうやって貴方がたに協力を仰ぐかばかり考えていましたが、団長の檄を引き出してくれたのは計算外です。いやあ、前世の記憶を思い出して良かったなあ。この感動を貴方に分けられなくて残念ですよ! あははっ!」

「……期待にお応えできて何よりだ」

 

 後江慧悟は私と握手を交わして思いの丈をぶつけてから、ルルーファ団長の元へ合流した。あまりの豹変ぶりに耐えかね、何気なく九頭竜宏へ視線をやると、彼は私の肩に手を乗せ、同情の意を示してから後江警視正の後に続いた。

 感動で咽び泣く元諜報員。その諜報員に戸惑うルルーファ・ルーファ。彼女の演説に酔いしれている後江慧悟。三人をやつれた目で見る九頭竜宏。

 ううむ。どうにも危機感に欠けるな。

 

「司令」


 そんな私に声をかけてきたのは、我が隊の広報担当であった。彼は真剣な表情のまま、私へ耳打ちをした。


「彼女の影響力は見過ごせないものがあります。アイドルとしてでも構いませんから、我が隊の広報に協力していただけるよう、打診を検討しても構いませんか?」


 ええい、貴様も危機感の欠如か。

 まったく。軍事大国ジルフォリアを支えた騎士団の団長が、令和の世ではアイドルVtuberとは。人生史上で最も信じがたい冗談だよ。

 

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