75話 プロフェッショナルの仕事


―― エージェント 『16シーリゥ』 ――


 幼少期。私が6歳の誕生日を迎えた翌日だった。気がつけば私は他の孤児たちと一緒に、とある国のエージェントとして教育を受けさせられていた。親に売られたのか、拉致されたのか。気がついたら、ほどほどに甘やかされた生活から、訓練だらけの過酷な環境に放り込まれてストレスだったことだけは憶えている。

 幼少期の私はひとりぼっちだった。皆が大人や先輩の言う事を聞いて褒められているのを、私は遠巻きで他人事のように見ていた。そんな孤独な私を、仲間は煙たがって近づこうとはしなかった。感情が表に出にくいのも良い印象ではなかっただろう。

 面白みのない子。言うことを聞かない変人。何を考えているか分からない異常者。だいたいそんな評価だったと思う。評価がどん底へ落ちる前に、射撃の腕や潜入任務の訓練などで成績を残せたため、早めの処分とはならなかった。幸運だったか、それとも不幸だったか。

 エージェントとして配備されるよう進路が決められた際、自分という人格を徹底的に殺すように指示をされた。そして誰からも目立たぬよう、そして記憶に残らぬよう、無難な言動をするように矯正される毎日を送った。毎日のように繰り返される人格否定。人道から外れた訓練の数々。それでも生き残るためには地獄の毎日をクリアしなければならなかった。そのうち、私は真っ当な人生を諦めるようになった。

 なんて不公平。なんて不平等。この世に神様なんていやしない。そして愚痴を言っても私の世界は変わらない。

 そんな地獄の中でも、私は今日も生きている。

 


・・・・・

・・・

・ 

 

 

 ルルーファ・ルーファが所属する事務所『YaーTaプロダクション』への潜入は実にスムーズであった。

 既に別のエージェントが『新卒生の戸村とむら睦美むつみ』という架空のプロフィールを送りつけて書類審査を通過させており、面談を控えるだけとなっていた。大手企業でもない事務所のため、軽い面談を一度受けただけで即採用の流れとなった。


「本日はありがとうございました」

「こちらこそありがとうございます、戸村さん。貴女のような即戦力に来ていただき、我が社としても助かります。明日から宜しくお願いします」


 お互いに頭を下げる。相手は社長とプロデューサーである。業界トップクラスの知名度を誇る事務所でも、まだ社長が雑務に対応できるくらいの余裕はあるのか。重役でもフットワークが軽いのは小さな会社の特権だ。


「………………」


 その社長が、私の顔をじっと見ている。素顔を見られるとこの任務が終わった後の活動に支障が出るので、16シーリゥの姿とは結びつかないよう変装をしているのだが……怪しまれたか? いや完璧なはずだ。一度だって見破られたことはない。

 

「あの、何か」

「……貴女って、配信する側には興味ないかしら?」

「え」

「社長」

「ごめんごめん、何でもない。これからよろしくね」


 朝倉灯の話は聞いている。彼女は配信者の適性問わず、声だけでスカウトの基準を決めているらしい事を。潜入を命じられているとはいえ、世間に私の声を乗せるのは流石にまずい。プロデューサーの静止がありがたかった。

 明日からの初出社に備えて事務所を出る。


「おや」

「お疲れ様です」


 ルルーファ・ルーファと鉢合わせてしまった。無難に会釈で対応する。

 迂闊に接近しては目をつけられてしまう。彼女と直接対面するには、まずスタッフの一員として溶け込んでからだ。


「見ない顔だね。タレントかい? スタッフかい?」

「スタッフとして入社させていただきました、戸村睦美といいます」

「睦美だね。ルルーファ・ルーファ。タレントをやっている者だ。よろしく」


 手を差し出され、握手を求められる。しかし私はそのコミュニケーションに応えることはできなかった。武術の達人は握手をしただけで相手の力量を計れるのだという。さすがに躊躇してしまう。


「おっと。詰め寄りすぎたかな。すまないね」

「ごめんなさい。少し緊張してしまって……これからお仕事ですか?」

「ああ。少し事務所に用事があってな。しばらく事務所でカンヅメだ。また機会があれば話そう、睦美」


 彼女は不機嫌になることなく、手を振って事務所へ入っていった――と思いきや、ふと振り返って私の顔をじっと見る。今度こそバレたのか? いやさすがに初見ではありえないだろう。


「どうしました?」

「いや、どこかで見たことがある顔だなと思って。ちと思い出せん。時間を取らせてすまないな。ではまた」


 にこりと笑顔を浮かべてから、今度こそ彼女は事務所へ入っていった。もちろん彼女と面を合わせたのは今が初めてである。何だったのだろう。この変装が知り合いに似ていたのだろうか。

 とりあえず、暫くは事務所内での仕事に追われる情報をルルーファ・ルーファから得られたのは幸いだ。彼女の家に潜入するなら今。早速仕事に取り掛かろう。



・・・・・

・・・


 

 何の障害も発生することなく彼女の部屋へ監視カメラと録音マイクを各所に仕掛けた私は、組織が用意した拠点のマンションで、コーヒーとブロック型の栄養調整食品を摂取しながら監視作業に移行していた。指令の意図的に、本来ならば直接尾行・監視をするのが定石ではある。しかし彼女の探知力を侮るなと上層部からの指示があるので、今回は遠隔監視の方法を取らせてもらった。

 彼女のアパートは、シャワールーム・トイレ・キッチンと6畳ほどの一間で構成された安物のアパートだった。もちろん 案内人コンシェルジュ も居なければ、オートロックすら無い物件だ。侵入は容易い。セキュリティが強く叫ばれる現代社会において、彼女ほどの美人がこんな安アパートに住みながらもプライベートが無事で居られるのは奇跡としか言いようがない。強者たる驕りか。

 彼女は生活用の部屋と、仕事用となる配信部屋の2部屋を借りている。その2部屋にしっかりと仕掛けさせてもらった。もちろん部屋の外、玄関前やアパートの入口も完備している。抜かりはない。後はデジタル回線で接続された拠点のPCへ勝手に録画・録音される仕組みだ。録画である以上リアルタイムでの監視は必要ないが……彼女は規格外の存在だ。念のための待機監視である。

 楽な仕事だ。彼女が相手でなければ、私には決して回ってこない指令だろう。そもそも暗殺や襲撃が目的でないならば、もっと下位のエージェントでも良かったと思うのだが。


「来た」


 銀の髪をなびかせ、淀みない足取りでアパートの2階に向かうルルーファ・ルーファ。変装をしていないところを見ると、どうやら近場に位置する事務所からの帰りのようだ。彼女は生活用の部屋に入り、そしてすぐにスマートフォンを取り出してテーブルに置き、スピーカーモードで通話を始めた。


『はい、慧悟です。どうしました、団長』

『いやなんか、急に声を聞きたくなっちまってな』


 相手は男だ。恋人か? スキャンダルには興味ないのだが。まあ、報告させてもらうが。あわよくば脅しのネタにもなる。

 

『無意味にかけてくるなんて珍しい。とはいえ、無用な通話は避けていただきたいものです。立場上、いつまでも相手をしていられるほどの時間はありませんよ』

『なんだよ、冷たいじゃねえか。友人と雑談したくなるのに理由なんてあんまり要らねえだろ』

 

 喋りながら、彼女は高所に 埃取りダスター をかけて掃除をしていく。設置したカメラやマイクは普段の生活に干渉する位置から離してあるので見つかることは無いだろう。


『目的の無い会話は好きじゃないですね。時間は有限だ。であれば実りのある時間の過ごし方をするべきだと、僕は考えています』

『心に余裕が無い生き方だなあ。俺なんてお嬢や姫、社長なんかと、じつのないくだらん会話を延々としとる時があるぞ。そいつを無駄とは感じないが』

『貴方の生き方や考え方を否定しませんよ。同意できないだけです』


 生活用の部屋を一通り回った後、スマートフォンと共に隣の配信部屋へと場所を移した。彼女は部屋の壁の一角に扉を設け、簡単に行き来が出来るようにしている。


『それじゃあ、時間を無駄にしたくない慧悟へ有意義な話をしてやろう』

『あ、もう大丈夫ですか?』


 ん? 何の話だ?


『んむ。協力感謝する』


 彼女は仕事部屋のゲーミングチェアに腰をかけ、そして私が仕掛けたカメラへ、言った。


『監視と盗聴をされとる。こっそり除去してやろうと思うたが、数が多すぎるな。後でゆっくり対処するよ』

『だと思いました』


 ぞっとした。部屋に入って5分も経っていないのに、もう発覚だと!?


『僕へ電話したのは、状況共有をしたかったのですよね? でなければ、僕に無意味な電話を寄越すはずがありません』

『優秀な友人を持つと実にありがたい気分になるな。以心伝心だよ、むはは。

 ところどころ、物の位置がずれとる。それに俺じゃない者の匂いが残っていた。どちらもほんの僅かだがな。以前、俺に付き纏ってきた素人の犯行じゃない。きっとプロの仕業だ』

 

 馬鹿な。全て痕跡を消しているはずだ。設置場所も完璧に計算した。失敗はしていない。

 

『ストーカーに遭われていたのですか。初耳です』

『被害届は出しとらんよ。説教して勘弁してやった。ところで、仕掛けられたカメラと盗聴器はどうすればいい? 破壊して燃えないゴミにでも出せばええか?』

『できるだけ壊さないようにして、僕たちに預けていただけるとベストですね。調査に回しますので。もっとも、団長がプロと仰る相手ならば、痕跡なんて残していないでしょうけど』

『やれやれ。この配信用のカメラは買い替えだな。どうせすり替えられとるんだろ? 近々配信が無くてよかったよ。経費で落としちまおう』


 彼女の指摘通り。彼女の目の前にある配信用のカメラは、私がすり替えた監視カメラだ。そのカメラに視線を合わせるルルーファ・ルーファ。


『いいかい、カメラで俺を見ている君に告ぐ。初犯だから今回だけは見逃してやる。だが断言しよう。君がいま録画している映像や音声の流出が見つかった瞬間、君は地の果てまで追われることになる。決して無謀な真似はしないように。

 できれば、次は犯罪者としてではなく、ひとりのファンとして清き応援をしてくれることを願うよ』


 その言葉を皮切りにカメラの電源が切れた。そして私が設置したカメラと盗聴器は、全て発見されて処分されてしまった。



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