74話 エージェント・16


―― ????? ――


 明晰夢という存在をご存知だろうか。自分が夢の中にいることをはっきりと自覚している状態で見る夢である。

 私はよく、この明晰夢というやつに出くわすことがある。それも自分で介入できない、見ていることしかできない劇場型のタイプだ。たちが悪い。

 内容はいつも決まったパターンだった。

 

 どこまでも続く路地裏の中で、一人の男が血まみれになって倒れていた。そして男の娘と思われる女の子が、その男へ覆いかぶさるように泣きじゃくっている。服や肌に鮮血がこびりつくのを躊躇わず、「パパ、死んじゃやだ!」とわめき続けるのだ。体裁を取り繕おうともしない、必死で悲痛な叫びだった。

 そんな少女のそばで佇んでいる私は、彼女の頭に向かって、手に持った 消音機構サイレンサー 付きの銃を向ける。そして引き金を引こうとして、ふと気づく。

 少女と、死んているはずの男の顔が、恨みがましい視線で私を見ていた。そして彼女たちだけではなく、気づけば別の人間たちも傍に佇んでおり、血まみれだったり口から泡を吹いたまま、同じような恨みの視線で私を射抜いてくる。どの人間も、私が任務で手にかけた者ばかりだった。

 分かっている。彼ら彼女らは私を脅かす存在ではない。だから私は引き金を引いた。ターゲットや関係者が確実に閉口できるよう――そして二度と起き上がってこないように。何度も、何箇所も撃ち貫く。


 その凶事の最中に、ようやく私は目を醒ます。眠りから醒めると言うより、止まっていた呼吸を取り戻す感覚だ。

 汗で服が肌に張り付いて気持ちが悪い。早くシャワーを浴びなければ。

 シャワールームへ向かい、洗面所の鏡に映る私の姿は、死体と間違われそうなほどに青ざめていた。


「……仕事にいこう」


 温かいシャワーを浴び、気が滅入った時の抗不安薬トランキライザーを飲んでから、私は指定の場所へ向かった。


 

 

 3月某日。イギリスのロンドン。

 厚手の防寒具が欠かせない、薄暗さと肌寒さが目立つ早朝の時間帯。私は指定された路上販売店に向かい、指定された品を店員に注文する。店員は無表情で箱入りの菓子を渡すと、私から顔を背けてしまった。いつも通りだ。

 買い物の後、指定された公園へ向かい、指定されたベンチへ座る。遠くの遊具で見知らぬ子どもたちがはしゃいでいる様子を眺めながら菓子の箱を開けると、パスポートや各種証明書、そして爪先程の大きさとなる、小型のカード型記憶媒体が封入されていた。その媒体を手持ちの情報端末PDAへ挿し込み、約束の時間までに中身のデータを確認していく。

 いつも通り、諜報の指令である。

 が。


「……なんだこれは」


 荒唐無稽な指令内容であった。特定人物の監視。まだ分かる。だが、相手は配信者だと? それも企業所属のアイドル……Vtuber? 客観的に見て非常に美しい女性である以外、専門外の相手すぎて人物像が掴めない。

 しかし添付の動画を見た瞬間、指令の重要性を納得することができた。


「それが今回のターゲットだよ」


 革靴の音を立てながら歩いてきたのはスーツ姿をした中年の男だ。話す言葉は流暢なイギリス英語――ではなく、日本語である。優しい口調ではあるが、私はその声の下に潜む本当の姿を知っている。私は彼の姿を一瞬だけ確認してから、端末へ視線を戻した。


「貴方が今回のメッセンジャーですか、大師マスター

「別用のついでに教え子の様子を見に来たんだよ。相変わらず、君は愛想という言葉を知らないな。その魅力的な声と容姿が泣いているよ」

「私の声と容姿は色仕掛けハニートラップ 用です。人工物を褒められても返答に困ります」


 豊満なボディーと艷やかな黒髪、そして不自然なほどに整った顔。それらは全て、私が天から授かったものではなく、意図的に作り変えられたものだ。私の本当の姿は私自身にさえ分からない。

 彼はため息をつきながら、私が座る隣のベンチへ腰をかけた。


「先のミッション、実に見事だった。やはり君に依頼して正解だったな。標的の始末、ご苦労さまだった」

「成すべきことをしたまでです」

「だがターゲットの娘を見逃したな。あからさまなマイナスポイントだ」

「標的以外の無用な殺傷は不要と判断しました」

「我々が求めるのは流儀ではなく過程と結果なのだけど」

「…………」

「まあいい。結果は出しているし、上層部も不問としている。そもそもあの標的は薬物を無作為にばらまくクズだ。死んで当然の人物。いわば天誅だよ」


 私達がばらまくクスリの価値が下がるから始末しただけだろうに。そう言いかけて口をつぐんだ。

 彼は一度大きなため息をついてから、私に現状の任務についての話を始めた。今の私には、彼の憂鬱に構っている余裕など無かった。目の前の非現実をどう受け入れるのかで頭が精一杯だった。

 

「ターゲットが八重橋会のヤクザどもを壊滅させた時の映像だ。日本トップのジャパニーズマフィアだよ」

「返答を分かっていて敢えて聞きますが、作られた映像フェイク ではないですよね?」

「混じり気無しの本物だ。そんなB級映画以下な三流カメラワークの映像を君に見せるほど、俺は暇じゃないよ。もっとも、演出だけは一級品だけど」


 一度彼に視線を向けてから、すぐに画面へ視線を戻す。敵対していた最後のヤクザを昏倒させ、丁寧な所作でその場に寝かせた後、監視カメラに向かって笑顔で手を振るターゲット――ルルーファ・ルーファの姿があった。まるでピクニックじゃないか。


「彼女は東京都内の各事務所や部署を襲撃して回り、相手を誰ひとり殺すことなく沈黙させた。それも、たった半日程度で」

「沈黙させるだけなら我々の組織力と戦闘力でも造作ないですが……期間と人員が必要です。殺害無しとなれば不可能に近い」

「おまけに、その夕方にはホラーゲームの配信をしたそうだ。どうやら彼女には疲れという概念が無いらしい」

「……あの。仰っている言葉が理解できません」

「事実を言っているだけだ。ちなみにアーカイブを拝見したが、思ったよりも可愛らしい配信だったよ。彼女は心霊現象が苦手のようだ。彼女も完璧な人間ではないという事だね」


 本当に何をやっているんだ、この人は。


「元は異世界の人間というのだから、我々とは感覚がずれているのかもしれないな」

「……異世界?」

「そんな異常者を見るような目で見ないでくれ。異世界転生だよ。彼女はその経験者なのだと。昨今の日本では、小説・漫画・アニメで引っ張りだこなテーマだな。こんな馬鹿げた情報でも、確かな筋からの提供だ」


 とはいえ、その情報があるのならば、画面の中で繰り広げられる非現実にも多少の納得がつく。

 

「君に与える任務はターゲットの観察と観測。あわよくば組織への勧誘・ないしは強制招致だ。観察対象は、彼女に関連するありとあらゆるものとする。起床から就寝までと生ぬるいものではない。彼女の趣味・好み・仕草・性格・癖・日課……エアコンの温度から寝返りの頻度まで……森羅万象全てを記録してもらう。頭髪や皮膚の採取も忘れないで欲しい。貴重なサンプルだ」


 優しい声のまま、冷酷な指令を大師マスターは淡々と言ってのけた。これだから、この人は安心できないんだ。紳士の皮を被った悪魔め。私が後ろを向いた瞬間に弾丸が叩き込まれても、私は何も疑問に思うことなく受け入れてしまうだろう。

 それにしても、ただのストーキングにしか聞こえないのだが……まあ、『観察と観測』と表現するのだから、そういうものか。

 

「まずはターゲットへの接近・接触を第一としてくれ。手始めに彼女が所属する事務所のスタッフとして潜入してもらう。ターゲットへの監視環境を整えたらメインミッションは達成だ。監視の環境が整い次第、後続の者に引き継ぐ予定となる」

「私企業への諜報活動ですか……もっと下級のエージェントにやらせたほうがいいのでは? 経験を積むにはうってつけかと」

「ターゲットの看破力を上層部は高く評価しているらしい。任務の難易度を検討した結果、君が適任だと判断された。

 普段の君には刺激の足りない任務だろうけど……日本へのバカンスと思えば悪くない任務だろう?」

「任務に良いも悪いもありません。与えられたならば完遂するまでです」

「頼もしいね。総帥閣下は彼女のと戦闘力に興味が尽きないご様子だ。しっかりと報告するように。質問と要望は?」

「特に何も。用意していただいている内容で十分です」

「宜しい。『我ら天の民が幸福へ導かんことを』。

 成果を期待しているよ、『16シーリゥ』」


 『16シーリゥ』と呼ばれた私はベンチから立ち上がった。

 

 さあ、仕事だ。

 

 

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