73話 プリティー・フット・イン・ザ・ドア
―― 六条安未果 ――
インターネットが普及した現代日本では、ネット環境さえあれば会社の位置を調べるなんて簡単な話だ。だからヤヤちゃんにお願いされた、YaーTaプロダクションへ連れてって、というお願いを断る理由を見つけられなかったよ。無関係な者を許可なく案内することはできません、なんて言えないもんね。関係者だって自白しているようなものだし。
「着きました。あの古いビルが事務所です」
「ほえー、ボロっちぃー。でも、ほんまおおきになー。感謝感激雨あられやで」
とりあえず会社の近くまで案内をしてから退散することにした。会社に立ち寄る用事も無いし。
「もう大丈夫ですね。それじゃ私は行きますね――」
「ちょい待ち」
「ぴっ!?」
「おっと、すまんなあ」
立ち去ろうとする私の肩をガッチリと掴んできた。すぐに放してくれたから良かったけど、ビックリしたよ……お礼はもう何もいらないですよー!?
「なんでしょおか」
「六条ちゃんもGSのファンみたいやし、YaーTaプロにも詳しいんやろ?」
そりゃ詳しいも詳しいですねぇ! 関係者だし! というか帝星ナティカ本人ですし!
「せっかく事務所の近くまで来たんやから、ルルーナ・フォーチュンの顔、拝んでいかへん? 六条ちゃんも興味あるやろ?」
昨日拝みました! 相変わらずの超美人でしたよ!
「配信じゃ、住まいが徒歩圏内で近くに住んでる言うてたし……ちょいと歩いて、イケボでえっぐいベッピンのナイスバディーにぶち当たったら、まずもう確定やろ」
はい、確定ですね! というか、この状況でルルちゃんと出会うのはまずい。私を見かけたら声をかけてきそうだもん。「姫にまた新しい友達が出来たんだな。歓迎するよ」なんて喜びながら。人柄が良いのはルルちゃんの美徳だけど、良すぎるのも難点だ。
「ええと……きっとビックリして迷惑かけちゃいますよ」
全っ然そんなこと思わないけどね。ルルちゃんなら。
「それよりも、面接の約束してるんですよね? 時間は大丈夫なんですか?」
「問題オールナッシング。このヤヤちゃん、失敗の二文字はあらへんよ。なあ、どうや六条ちゃん。ひとりでぶらついてもつまらんし、人助けと思って一緒に行こや」
その「人助けと思って」ってフレーズ知ってる! この人も陽キャ族だったかー!
もう観念するしかないかな……そう思っていた時だった。
「六条さん? そちらのかたは?」
「はぇ!?」
聞き慣れた声を耳にして、思わず声が裏返ってしまった。私に声をかけてきたのは、スタッフのキィちゃんこと
キィちゃんが私の名字を呼んだ瞬間、ヤヤちゃんの目が一瞬だけカッと大きく開いた。
「あんた、YaーTaプロの社員さんやね? ウチはそちらの面接へ来たモンですー」
「面接ですか? そんな予定は入っていませんでしたが……」
「何も聞いとらんかい?」
「申し訳ありません。連絡が漏れていたかもしれません。責任者は外出中ですので、少々お待ちを――」
「
「あ、ちょっと!」
「せや」
キィちゃんの静止も聞かず、ヤヤちゃんは事務所へ歩いていく――と思いきや、すぐに引き返して私の耳元に顔を近づけた。
「声と見た目で薄々感づいとったけど、やっぱ六条ちゃんが帝星ナティカやったんやね。こんな出会い方できるなんて、なんか運命感じるわー」
「はひっ」
ASMRのような囁き声にぞくりとする。そんな縮こまる私に、ヤヤちゃんはにっこりと微笑みかけてから、改めて事務所に向かっていった。呆然とする私とキィちゃん。
「い、行っちゃいましたね。ていうか、バレちゃいましたね」
「ごめんなさい、迂闊に声をかけるべきじゃありませんでした」
「しょうがないですよ。事情が分かってなかったんですから。でもあの子もVtuberの守秘義務は理解していそうですし、きっと秘密は守ってくれますよ。ところで、本当に面接の子なんですよね?」
「私は聞いてないですね。でもあの社長のことだから、本当に連絡を漏らしていたのかも」
「あー……無いとは言い切れないですね」
「とにかく、社長と舞人さんがもうすぐ会社に戻ってくるはずです。お二人が帰ってきたら事情を聞いてみましょう」
・・・・・
・・・
・
我が家のように応接間でくつろぐヤヤちゃんと話して時間を潰すこと十数分。
真相は、会社へ戻ってきた社長のひとことですぐに判明した。
「え? 誰?」
社長、私、キィちゃん、舞人さん。応接間に居た4人全員が顔を見合わせあった。ヤヤちゃんはそんな私達の様子を気にすることなく、来客用の餅菓子を黒文字 (菓子切)で上品に切りながら食べ続けている。
誰も面接の予定なんて入れていないし聞いていない。つまり、完全なる部外者が我が事務所に居座っているのだ。
「ヤヤちゃん!? 面接の約束を社長としてたんじゃなかったんですか!?」
「約束なんてしてへんで。ウチ、そんなことひとことも言っとらんやろ。面接に行くは言うたけど」
……それは確かに! いや詐欺の手口だよこれ!?
ヤヤちゃんは残りの餅をしっかりと飲み込んでから、優雅な仕草で口を拭き、立ち上がった。
「そちらのおにーさんがプロデューサーですね。ウチ、御社YaーTaプロダクションへ応募に来た、矢島ヤエと申します。お近づきの印に、こちらをどぉぞ」
ヤヤちゃんはスーツケースから京都名物の八つ橋の菓子折りを取り出し、その箱の上に自分の履歴書を挟んだクリアファイルと、映像データが入っているであろうSDカードを乗せて、舞人さんに深々と頭を下げながら手渡してきた。あまりの図々しさに、あの舞人さんもタジタジだ。
「えーとえーと……舞人くん、とりあえず受け取ろう! データ確保と共有の準備よろ!」
「ちょ、頂戴します。そちらの席にかけてお待ち下さい」
「キィちゃん、ルルちゃん呼んできて! 駆け足ダッシュで! この娘ちょっと怖い!」
「了解です! 全速力で呼んできま――した! ルルーファさん来ました!」
「騒々しいな。見慣れない顔だが。新人か?」
「ルルちゃんマジ女神! タイミング神すぎィ!」
「騒がしい気配と面白そうな予感がしてな」
「ルルちゃんてコトは、ルルーナ・フォーチュン!? ――って、ウソやろ!? LUFAやん!? ルルーナ・フォーチュンってLUFAやったん!?」
「お? 懐かしいな、その名前も。しかし愉快な娘さんだ。お名前は?」
「矢島ヤエ言いますー。ヤヤちゃんと呼んでください。この度はYaーTaプロダクション2期生に応募させていただきました」
「ルルーファ・ルーファだ。ついに2期生がお目見えか。矢島ヤエ……頭文字2つを取ってヤヤかな。可愛らしいちぢめ方だね」
「おおきにセンパイ。お褒め預かり光栄ですー」
「待ってくださいルルーファさん! その方はまだ面接どころか書類選考すら済ませていない部外者です!」
「おん? 部外者なのか? 舞人がここまで慌てるなんて珍しいな。まあでも、この娘は面白そうだし、もう採用しちまっても良いんじゃないか?」
「今晩の献立みたいに軽く決めないでください! 矢島さん。アポ無しの来社は困ります。日程を調整しますので、今日のところはお帰り頂けますか?」
「ごめんなさいなあ。ウチ、家出してもうて。というか、勘当やな。もう帰る家が無いねん。家なき子や」
「はぁ!?」
「金も残り少のうてなあ。ホテル暮らしなんかしようもんなら、明日にはもう
「ヤヤは強引な娘だなあ。むはは」
待って待って、情報がなだれ込みすぎて渋滞してるって! ルルちゃん、笑い事じゃないんですけど!?
「社長。データの控え終わりました。いつでもすぐに確認できます」
「オッケーご苦労さま舞人くん。みんな。これから舞人くんとルルちゃんで緊急面接をします。警察案件かもだけど、通報は一旦
なんか医療ドラマの大手術前みたいなやり取りがはじまっちゃったよ。
―― ルルーファ・ルーファ ――
矢島ヤエとの面接は実に愉快なひと時だった。受け答えよし。笑顔よし。声よし。アイドルとしての素養よし。愛嬌よし。配信業界の知識よし。パフォーマンスもよし。よしよしだらけの優良物件な子であった。
一番重要とも言える志望動機も十分だ。ついでに、書類選考の過程を蹴ってまで面接を強要した理由も判明した。
「もともとアイドルVtuberが好きやから、ウチも目指そ思うてな。んで、一番面白そで、のびのびやれそうなYaーTaプロに入りたかったんよ。
気持ち踏ん切りついたし、いざ応募しよーと思うたら、お見事に家から叩き出されてしもてな。書類を受け取る家も無いなったから、ココに直接きたんよ。身も蓋もない事を言いますと、就職活動も兼ねとるんどす」
多少強引な性格ではあるものの、その欠点は逆に強烈な個性としても輝く。もはや即戦力クラスの逸材だろう。舞人ですら受け入れ姿勢を示し始める中――。
「……キープで!」
なんと灯社長、まさかのキープ宣言。似たような境遇だった俺の時は即採用だったのに、である。このジャッジにはヤヤ嬢もむくれ顔だ。
「えー? 何でなんー?」
「ごめん、ちょっと考えさせて。まあでも、内定が出るまで、空いてる社員寮の部屋を使っていいわよ。お金はしっかり徴収させていただきますけどね」
「
と文句を垂れ流しながしつつも、姫とキィ、そして舞人の三人に案内されてヤヤは事務所を出ていった。その様子を俺と灯で見送ってから、彼女は大きく息を吐いてその場で弛緩し、デスクチェアへ深くもたれかかった。
「今までの応募者の中ではダントツで適正が高いと思うんだが。灯。キープの心は?」
灯は椅子に深く持たれながら腕を組み、そして出した答えは――。
「もうひと押し……かな」
「手厳しいな」
「いやいや、ルルちゃんの言う通り、すっごい逸材だと思うのよ、彼女。六条さんのような癒し系ボイスだし、ルルちゃんのようなユーモアもあるし、のり子ちゃんみたいな愛嬌もあるし。1期生三人とも凄く仲良くなれると思う」
「ふむ。慎重になっている、とまではいかなそうだな」
「正直、内定でも全然大丈夫なくらい。何だったらキィちゃんよりも評価高いよ。でも、まだ『これだ!』っていう衝撃が無いのよ。私も腑に落ちてないけど、何かが足りない。
言うなれば、ビーフの旨味たっぷりなのに、肉そのものが入ってない最高級ビーフカレーを食べさせられた気分だわ」
「微妙を具現した感想よのう。しかし言わんとしたいことはなんとなく分るぞ。そんなカレーを食べたのならば肉を喰らいたくなるは必然だ」
「我ながら、本人に説明できないのも悪いと思ってるけどねー」
「ふむふむ、なるほどなるほど。他の理由は無いのか」
「無いけど……何か言いたげかい、ルルちゃん?」
「いやな。俺が思っていたキープ理由と違ったのでな」
「と言いますと」
うーむ……これは灯の奴、気づかなかったみたいだな。というより、この場に居た全員が気づかなかったようだ。
俺は自分の体の、とある部分を指し示した。
「左手の薬指? 結婚指輪をはめる指だねえ。お姉さん指」
「彼女のココ、
「へー。だからあの子、こんな暑くても手袋してたんだ」
ぼけっとした表情で無味乾燥な感想を呟く灯。しかし、その表情がみるみる険しくなっていく。俺の言いたいことに気づいたようだな。
「いやいやルルちゃん? その妄想はいくらなんでも発展しすぎでしょ?」
「俺はごく最近、そういう輩と関わり合いになっちまったからな。その意味合いを知っているぞ。もっとも、俺の知識では
だから彼女の身元がしっかり判明するまでという意味合いのキープだと思ったんだよ」
「やめてルルちゃん。そういうの、ホントやめて。せっかくの上玉を手放すなんて考えたくない。心が折れちゃいそう」
俺という、地球の歴史上で誰も成し得ない程の人殺しを雇っておきながら常識アピールをされてもだな。
「あくまで可能性の話ではあるがね。ひとまず彼女の身元調査を慧悟に依頼することを勧めるよ。なんてったって、あいつは
「それは結果出ないほうがいいやつ!」
ビルの壁を貫通しかねない、渾身の叫びだった。
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