幕間2ー12話 当館は女神信仰で御座います


―― メイド喫茶『Victoria Spring』オーナー 白石 ――


 喫茶店のオーナー業を始めてから数ヶ月。前の店でもそれなりに忙しいと思う瞬間はあったけど、今ほどの忙しさを感じたことはない。もっと仕込みの量を増やしておけばよかったと後悔しつつ、俺は大量の食材と共にVictoria Springの裏口から駆け込んだ。

 

「ただいま!」

「てんちょーおかえりー」「ご苦労さま、シライシ」


 駆け込み先のキッチンでは、メイドカチューシャの代わりに三角巾を頭に巻いたルルさんと、空いた食器を食洗機にセットしたリエちゃんが出迎えてくれた。

 

「ルルさん、野菜と肉と調味料系をしこたま買ってきたよ。足りないものあったらまた買いに行くから遠慮なく言って」

「助かる。君の栄養補給用に余った食材でスムージーを作っておいた。エネルギー補給しておけ」

「ありがとうルルさん。

 リエちゃん。カイロを買ってきたから、外で待っているお客さんにサービスでよろしく。商店街のガイドマップも一緒に持ってきたから、お客さんが暇を持て余していそうなら案内してあげて」

「ガッテン承知!」


 リエちゃんがカイロやガイドマップを持って行ったことを確認して、俺は近くに置いてあった椅子に座り、ルルさんの言葉に甘えて休憩に入る。うーん、このスムージー、余り物とは思えないクオリティーだなあ。メニュー化したい。


「よし確認した。助かるよ。これでまだまだ戦える」

「ルルさんこそ大丈夫? ぶっ通しで料理作ってるけど、疲れてない?」

「雪中泥中の夜通し行軍に比べれば軽い軽い。しかも作って楽しいとくれば、作れば作るほどに元気が湧くさ」


 うーん、かー。どんなシチュエーションなんだろうなー、ははは。未だにルルさんの異世界事情は詳細を聞いていない。ちょっと血生臭そうで恐いからね。

 

「トラブルは無かった?」

「今のところは問題ない。だが耳に入れて欲しい事項はあるぞ。静江の母が来た。成り行きではあるが、俺の友人と一緒の卓に付いている」

「っ! とうとう来たか」

「すでに静江が料理を提供して対応している。俺と静江の予想バッチリな展開だよ」

「ということは、アレ、作ったんだ。いいなあ。俺もまた食べたい」


 試食の時、本気で顎が外れるかと思ったくらい美味かったからね。惜しむらくは熊肉の入手ルートだよなあ……安定確保の目処さえ立ってしまえば恒常メニューにしてもいいのに。


「好感触ではある。だが油断は禁物だ。物事が好調なときほど魔が潜むと相場が決まっている」


『ふざけるな! 客である僕に意見をするつもりか!』


「ほうらな」

「ルルさん。そのひとことフラグじゃない!?」

「人を疫病神みたいに言わないでくれ。それじゃ、頼りにしているぞ。


 惚れてしまいそうになるほどのウィンクと会心の微笑みだった。女神様から頼りにされてしまっては、男たるもの応えるが義務でしょ。中身はお爺ちゃんだけどね!




 

 

 ホールから突然聞こえてきた男の罵声を聞いて、俺は急いで現場に駆けつけた。男は席から立ち上がり、ミホさんに向かって怒鳴りつけている。


「僕が注文したのはミートソースだ! 何だ、この肉の量は! ほとんど肉じゃないか! こんなのはミートソースじゃない! ボロネーゼだ!」

「お言葉ですがお客様。こちらは間違いなく当館で提供しているミートソースパスタとなります」

「減らず口を! こっちは本場のイタリアで何度もミートソースを食べているんだよ! 間違えるはずがないだろう!」


 そのお客様の罵声を、ミホさんは無表情で受け入れていた。

 ルルさんのご友人たちに対応していた静江さんと合流する。気後れは見られない。キリリと引き締まった顔だ。こういう人が横にいると精神的にありがたい。

 

「旦那様」

「トラブルだね。頑張ろう」

 

 そしてミホさんと男の元へ向かう。


「お話のところ申し訳ございません。私は当館オーナーの白石、横はホール責任者、メイド長の静江となります」


 静江さんがスカートを持ちながら一礼をすると、男はフンと鼻を鳴らした。

 おおっとミホさん、なかなかお目にかかれないほどのうんざり顔じゃないか。お客さんには見せないようにしているから大丈夫として、これは客側の問題っぽいぞ。客とのトラブルを避けるために仕事はキッチリこなすタイプだからな、ミホさんは。


「ここは受け持つから、キッチンのヘルプお願い」

「承知しました、旦那様」

 

 すれ違いざまでとある指示をミホさんへ伝え、そしてキッチンへの撤退を見届けてから、改めて男に向き直る。騒動の原因は聞いていたけど、しっかり話は聞き直しておこう。

 

「お客様、いかがなさいましたか」

「さっきから言っているだろうが。このメイド、僕の注文を間違えてきやがった。それなのに、開き直って謝罪のひとことも言いやしない。おたくの教育はどうなっているんだよ、ああ?」


 改めてテーブルの様子を確認する。テーブルの上に並んでいるのは、間違いなくである。ミホさんの受注ミスやルルさんの調理ミスではない。肉の量を見て勘違いをしてしまったようだ。豪華さを主張したくて肉を使いすぎたのが仇になったか。残念だけど、このメニューは見直ししなくちゃだね。

 とりあえずお詫びの姿勢だ。

 

「大変申し訳ございませんでした。料理はすぐに作り直し致します」

「もういいよ。ずさんな対応されて食欲が失せたし」

 

 うーん? ミホさん、そんなに塩対応していたか?


『なんか雰囲気悪くない?』

『早めに出るか?』


 まずい。トラブルを避けようとしてお客様が離れてしまいそうだ。

 ……でも、おかしいな。クレームの割には、思った以上に彼から怒りが見えない。

 その理由を、俺はすぐに悟ることとなる。

 

「誰が悪いとか、もういいからさあ。とりあえずシェフを呼んできてくれる? その人にも一言もの申したいんだけど。僕からしっかり文句を言いたいからさ」


 苦言を放つその男は、ニヤニヤと笑みを隠そうともせず、そう私に言ったからだ。なるほど、ルルさん目当てか。LUFAがいるかもしれないという噂の真実を確かめに来たのだろう。普通の手段では引きずり出せないだろうから、難癖をつけて強引に理由を作り上げたんだな。


「この忙しさの中、メイド3人で店を回せるワケないもんなあ? 居るんだろ。調理担当のスタッフが」

 

 くそ、勝ち誇った顔しやがって。俺たちが忙しいことを知ってるなら黙って食ってろよ。

 こいつの目的は分かった。ひとまず交戦だな。

 

「申し訳ありませんが、調理の者を出す事はできません」

「はあ?」

「今、調理の者は多忙となっております。代わりに、話はオーナーの私が受け持たせていただきます」

「駄目だね。シェフにも文句を言いたいと言っている。なんならここで大声あげようか。シェフにも聞こえるようにさ」

「それはお控えしていただいたほうがお客様のためかと。法へ触れることになりますので」

「へえー。やる気なんだ」


 怒りを抑えきれずに男が詰め寄ってきた。なかなかの圧力である。だがルルさんに比べたら怖くもなんともない。彼女からキレられたとき、説教から抜け出す口実を伝えたときは本気で死を覚悟したからね。

 

「そんなこと言える立場かよ。僕は客だよ? お客様は神様だろうが」

「たとえ神様だとしても、度が過ぎれば受け入れかねます。

 お客様。私は今、警告をしています。心苦しくはありますが、これ以上は営業妨害として対応しなければなりません」

「やってみろよ。僕の知り合いには有力な弁護士がいるんだ。法廷で勝てるとは思わないことだね」

「っ!」


 法廷という言葉を聞いて、一瞬心が弱気になりかけてしまった。でも動揺の必要はない。訴訟ってのは軽々しくできるもんじゃないからだ。金と名誉の前に時間という問題がお互いに降り掛かってくる。そんな面倒を起こしてまで文句を言ってくるまい。

 とはいえ、これ以上好き勝手をされると困る。ルルさんが耐えかねて表に出てきてしまうかもしれない。その前に決着をつけなくては。

 神様がなんだ。こっちにいるのは女神様なんだよ。悪いけど折れてはやれない。

 でもどうしようかね。俺の頭じゃ何も思いつかない。強がりだけで手一杯だ。静江さんヘルプ!


「ああそう、そういう態度とるんだ。じゃあもういいよ、僕もやぶれかぶれになっちゃうから。もう呼んじゃうから! おーい――」

「お話中に申し訳ございません、お客様。調理の者を呼ぶ前に、お伝えしたいことがございます」


 押し負けていた俺にとどめを刺そうとした男の言葉を静江さんが遮った。その様子は少し変だ。少し弱気にも見える表情だけど、これから謝罪しようという様子は見えない。どちらかと言えば気の毒そうな顔をしている。


「ああ!? なんだよさっきから。ミートソースも満足に作れない本格気取りが」

「大変申し上げにくいのですが……ミートソースは日本食でございます。イタリアンではございません」


 一瞬だけ、店がしんと静まり返った。うん、確かに申し上げにくいね。そういえばこの男、ミートソースを食べたって言ってたっけ。

 たちまち男の顔が青くなったが、すぐに赤みを取り戻す。

 

「ボロネーゼに似たソースがイタリアからアメリカに、アメリカから日本へ渡り、日本人の手により日本人好みにアレンジされたものが所謂いわゆるミートソースとなります」

「ちょっと間違えただけで揚げ足を取りやがって……名誉毀損だぞ! それにミートソースの発祥なんて、今の問題には関係ないだろうが! この肉の量を見ろ! あからさまに多すぎるじゃないか!」

「ミートソースとボロネーゼの違いは、肉の量ではございません。ボロネーゼは粗めのひき肉をメインに、赤ワインと少量のトマトソースで味付けをした、食のメインが『肉』となるパスタ。対してミートソースはひき肉を細かくして粒を立たせて食感を作り、食のメインが『料理全体』となるよう、赤ワインを使用せずに多めのトマトソースにケチャップなどで甘みと水分を加えたパスタとなります。味付けと指針スタンス、そして発祥。それが両者の差異でございます」


 そう解説したところで、ミホさんがキッチンから戻ってきた。その手には一皿のパスタ料理が。ミートソースとほぼ同じ量の食材を使っているけど、その色はトマトソースの赤ではなく、赤ワインの紫のほうが強く表に出ている。

 

「こちらが当館で提供しているでございます」

「………………」


 とうとう男が押し黙ってしまった。ナイスアシスト、静江さん、ミホさん! ボロネーゼを運ばせたのは俺の指示だ。タイミングがバッチリすぎでしょ。見た目の違いを説明したかっただけだけど、静江さんの指摘で相手の攻撃力がだいぶ削れたのは助かった。

 それにしても、ミートソースの発祥って日本だったのね……もうちょっと料理の勉強もしておこう。世の中、どんな知識が役に立つか分かったもんじゃないな。

 さあ、最後のひと押しだ。

 

「誤解を与えてしまうような品を提供してしまい、大変申し訳無く思っております。当館一同、改めてお詫び申し上げます。今後は誤解を与えること無きよう、協議させていただきます」


 俺の謝罪に合わせてメイド二人も頭を下げる。相手の訴訟理由を無くしたうえで、こちらの非も認めた上での謝罪である。傍から見れば男の印象は最悪だろう。そしてこちらの面子も潰していない。

 男は顔を真っ赤にして、拳を握りしめながら羞恥心に耐えていた。これ以上は本当に警察呼んじゃうよ? だから大人しく帰ってくれ。


「ああもう! もういい! キッチンにLUFAが居るんだろ! 意地でも暴いてやる!」

「お客様!?」


 ミホさんが悲鳴じみた声を上げる。

 嘘だろ、逆ギレしやがった! 追い込みすぎたんだ!

 咄嗟に俺と――そして静江さんは、キッチンへの道を塞ぐために男の前へ立ちふさがった。静江さんも下がらせたいけど、彼女の決死の表情を見れば分かる。彼女は決して下がらないだろう。

 非常にまずいぞ。たとえ男が警察の御用となったとしても、ルルさんの存在が明るみに出れば俺たちの頑張りの意味がない。くそ。守るものが多すぎる。しかも反撃不能の状況下じゃ無理ゲーだろ! つくづく運がないな、俺たち!


「どけ! 邪魔なんだよ!」


 男が乱暴をするべく一歩を踏み出し、その衝撃に耐えるべく目を瞑った、その瞬間。


 ダァンッ! と雷鳴の轟くような衝撃音が店内に鳴り響いた。


 目の前で突然発生した音に驚き、閉じていた目を開いた直後。その音の正体に気づいた。

 。もちろん着地は成功している。

 女の子の顔には深く大きな傷跡。ルルさんのご友人と言っていたっけ。


「………………」

「ひぃっ!」

 

 ……ていうか、その……滅茶苦茶怒ってるね、この子。ルルさんが怒ったときのように命の危機を感じるとまではいかないけど、威圧感はまったく負けていない。機嫌よくルルさんや静江さんの料理を食べている最中に近くで口うるさくネガキャンされてたら、そりゃ怒るか。

 男はすっかり怯えきって尻もちをついていた。たとえ顔に傷が無かったとしても、その眼で睨まれたくはないな。死ぬ。

 

「……あのさあ。私、お腹すいてるんだよね。美味しい料理を美味しく食べたいんだよね。私の言いたいこと、分かるよね?」


 女の子はカツンカツンとつま先を鳴らした。意味は伝わらないけど、意図は分かる。スズメバチが縄張りに入ってきた相手に対してカチカチと顎を鳴らす警告音みたいなものだ。

 男は気丈にも立ち上がる。相手が年下の女の子だからだろうか、わずかに負けん気が勝ったらしい。お客さんも彼女の様子を固唾をのんで見守っていた。しかし、誰一人として彼女の心配などしてないだろう。


「勝手に食べればいいじゃないか。あんたは関係ない――」


 男の言葉は、カァンッ! という彼女の鋭い踵の音に打ち消された。刻んでいたリズムがピタリと止む。

 間違いない。最終警告だ。



「……あぁ?」



 そのひとことは、場を収めるには十分だった。

 

「やれやれ。ボロネーゼと言ってミートソースを出されたら怒っていいと思うけど、逆は無いだろ、逆は」


 二階から年老いた女性が降りてきた。俺の背後で「お母さん……」と静江さんが小さく呟く。

 静江さんのお母さんは尻もちをついたままの男に気をかけることもなく、パスタをミートソースに絡めてからフォークに巻き、スプーンの上に盛り付けた。そして、そのひと口を男の前に差し出す。


「食ってみな。一番の恥は、ここの料理を食べもせずに喚き散らしたお前の浅はかさだ」


 男は無言のまま差し出されたスプーンを手に取り、口の中へ入れた。直後に目を大きく開きながら咀嚼そしゃくする。

 このミートソースパスタは、進さんの知り合いであるホテルのシェフから指導を受けたルルさんのお手製だ。ひと月の指導でそのシェフをも唸らせた手腕は伊達じゃない。

 これはもう決定打だろう。男から戦意がまったく感じられなくなったのだから。

 お母さんは、俺と静江さんをじろりと一瞥してから、言った。


「確かに、私の要求には応えてもらった。給仕に対する姿勢もまあまあ出来ている。評価するよ。とはいえ、及第点だね」


 既に帰り支度を済ませている彼女は、俺に一枚の名刺を渡した。

 

「メニューに華が無い。王道のラインナップもいいが、ちょいと変わり種も差し込んでおくと良い。その手のやつが得意なヤツを紹介してやる」

「お母さん……」

「精進しな」

 

 お母さんは、静江さんの物申したげな視線から目を逸らした。見るべきは見た。娘をよろしく頼む――今にもそんな言葉が飛び出してきそうだ。

 

「あたしは帰らせてもらうよ。あたしの代金は、そちら持ちで良かったんだろ」

「お婆ちゃん、もう帰っちゃうんですか? ひとりで大丈夫?」

「まだ食べ足りないんだろ。ゆっくりしていきな」


 ルルさんの友人から放たれた、先程の剣幕からは想像付かないような可愛らしい声に対し、お母さんは手を上げてジェスチャーを送ってから、彼女は店を去っていった。静江さんを連れて帰る様子は無かったし、及第点――つまりギリギリとは合格点も貰えた。静江さんの件は一件落着ってところかな。

 そういえば、渡されたこの名刺、何だろ。


「え? は!?」


 俺は驚き慌てて静江さんに振り向いた。彼女と一緒に渡された名刺を確かめる。


「確か、お母さんの知り合いが開いている料理チャンネルですね」

Shockショックかみチャンネルって……料理チャンネルの最大手じゃないか……!」

「お母さん、昔は日本の料理ガイドブックギッド・ミシェラの審査員もしたことがあるから、料理関係の顔が広いんですよ」


 これ以上無いくらいな有名どころが出てきちまったよ……料理界隈の中でも世界に通ずる最高峰のガイドブックじゃないか!? そんな本の審査員を務めていた人から、及第点とはいえお墨付きを貰っちまったぞ……!

 飛び上がりたい衝動に駆られつつも、ぐっと堪える。慢心は禁物。それに営業中だ。

 男は放っておけば勝手に出ていくだろう。ルルさんの友人が睨みを聞かせている以上、この男は無害だ。追い出すほうが安心だけど……それはそれでこの店の品位を落とす。放置で。


「とりあえず、仕事に戻ろうか」



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