幕間2ー11話 二人のグルメ
―― 佐藤のり子 ――
Victoria Springの中は西洋クラシックという言葉が似合う内装だった。大人3人が手を広げて並んでも十分なスペースが確保された玄関の奥には、順番待ちのお客さんが座るソファーの間が確保されていて、自分たちの順番はまだなのかとそわそわ待ち構えていた。かなり豪華なシャンデリアがぶら下がっている店内は吹き抜け状になっており、窮屈な印象は無い。ここ、本当に日本かい?
文化遺産の館に通されたような感覚になりながら、メイドのミホさんの案内に従って2階のテラス前の席に案内される。もちろん、館内もアンティーク家具や雑貨満載で、雰囲気は大変よろしい。というかよろしすぎて緊張しちゃうぞ。うひー。
ミホさんに椅子を引いてもらって座る。お婆ちゃんは私の正面に向かい合う形で座った。
「飲み物をお持ちします」
ミホさんは優雅に一礼して離れていった。小さな柱時計がコチコチと音を鳴らしていて少し空気が重いように感じるけど、他のお客さんの喧騒や仄かに聞こえてくるクラシック音楽のおかげか、思ったよりは落ち着けている。
「思ったよりも本格的ですね。机とか傷つけそうで怖いです」
「素人目にはそう見えるだろうね。安心しな。デザインが古いだけ、見せかけだけの新品だよ。たいした値段じゃない」
お婆ちゃん、姑さんモードになっちゃてるよ!? き、気まずいぃぃ……。
無言で周囲に圧を放つお婆ちゃんにどう声をかけようか考えていたら、メイド長とミホさん飲み物を運んできた。ワゴンには紅茶のポットやお水が積まれている。でも、紅茶は頼んでいないんだけど? 困惑している間に、私とお婆ちゃんの前にティーカップやミルクが並べられていく。
「こちら、お飲み物でございます。ご自由にお召し上がりください」
「紅茶がサービスなんですか!?」
「客人への最低限の礼儀となります。よろしければご用意させていただきますが、いかがなさいますか?」
メイド長の静江さんは淡々とした口調で答えた。お婆ちゃんが「よろしく頼むよ」と伝えると、テキパキとした動作で紅茶やパンが用意されていく。注がれた瞬間、嗅いだこともないような高貴な香りが漂った。これ、専門店で700とか800円は取ってもおかしくないモノじゃないの? 大丈夫、美味い紅茶は我が友シズの家で何度かいただいている。今更驚きなんて――。
「嘘だろ。この紅茶、記録更新するウマさなんですけど」
「ありがとうございます」
この店、認識を改めよう。メイド喫茶だと思って舐めてかからないほうがいい。給仕さんがメイド服を着ている高級料理店の認識でいこう。
「お客様がたは我々の大切なお客様です。滞在時間は設けておりません。ご自由におくつろぎくださいませ。
ご用命の際はこちらのハンドベルをお鳴らしください。迅速に対応させていただきます」
メイド長が言うや否や、他の席から鐘の音が鳴った。メイド長がミホさんを一瞥しながら頷くと、ミホさんは律儀に一礼し、早歩きで駆けつけていった。か、かっけぇ!
「食事のご用意もさせていただきます。お気軽に申し付けくださいませ。注文にお困りでしたらメニューがございますので
言われるままにメニューを開く。ポエムめいたメニュー名が並んでいるかと思えば、『サンドイッチ』や『ナポリタン』など、一般的なカフェメニューが並んでいた。一品ごとにこだわりポイントがアピールされた説明が書いてあるので迷いにくそうだ。館内から漂ってくる、ザ・洋食な香りが私の食欲を加速させる。
お値段は……書いていない。本来ならワンオーダー制で、学生の身分では手の出しにくいお値段設定になっているんだけど……私達に限っては違うのだよ。なんたってVIPだからね。
「お嬢様、ご婦人がたは我々により招かれた大切なお客様となります。お金はいただきません。遠慮なさらずお申し付けくださいませ」
「招待状にはタダって書いてあったけど、改めて聞くと畏れ多いなあ」
「相手がいいって言ってるんだ。お嬢ちゃんが気にすることじゃあないよ」
「もちろん遠慮なくいきますけど……それじゃ私、オムライスとハンバーグ、食後にショートケーキをお願いします!」
「承知しました」
「そんな細い体でよく食べるねぇ」
育ち盛りなもんですから。それに、この時のために今日の朝食を抜いてきたんですよ。さてさて、お婆ちゃんはどう出るのかな。私まで緊張してきたぞ。
お婆ちゃんはパラパラとページを一通りめくってからメニューを畳んだ。んん?
「あたしの
んんんんん!? メニュー外!?
「承知いたしました。以上でよろしいでしょうか」
「ああ」
はぇ!? 即答!?
「注文を確認いたします。オムライス、ハンバーグ、食後にショートケーキ、お客様のオーダー料理。以上でご用意させていただきます。追加のご用命の際は、またお呼びくださいませ」
メイド長はそれだけ言うと、ぺこりと頭を下げてから去っていった。私は一連のやり取りに対し、口をあんぐりと開けて聞くしかなかった。
メニュー外の料理、それも『食べたことがない料理』なんて指定がやんわり過ぎるでしょ!? 言ってのけるお婆ちゃんも意地悪だけど、その意地悪に眉ひとつ動かさず即答しちゃうメイド長も大概だな!?
驚いたままの私に、お婆ちゃんは呆れ気味に言った。
「忠告したよ。不愉快にさせるかもしれないって」
「驚きの方が勝って怒りなんて湧いていませんよ。あんな注文が通るなんて思っていませんし」
「メイド長はメニューを『参考にしろ』と言った。メニューから『選べ』じゃなくてね。つまり、何でも対応してみせるって意味合いの裏返しだよ。いわば、あいつら流の
「……ちなみに、外食や料理はよくするんですか?」
「旅行はそれなりに好きだよ。フランスやイタリアなんかは好物だねえ」
紅茶を飲む姿も心なしかエレガントに見える。長生きしているだろうから、きっと色んな変わった料理を食べてきたんだろうな。これは強敵だ。
さて、ここからは長期戦だ。オムライスはともかく、ハンバーグはきっと時間がかかるに違いない。お婆ちゃんの注文がどんな形になるか分からないし。このままダンマリ決め込むのも居心地が悪い。
何か話題で繋ぎたいね。でも肝心の共通事項、ルルの話題はお婆ちゃんにとって鬼門っぽいし、どうしよう。
お。そうだ。とっておきの話題があるじゃないか。
お婆ちゃんにとって一番関心がある、あの人の話題が。
・・・・・
・・・
・
「なるほどー。イメージ通りの大人しい方だったんですね」
料理が提供されるまでの間、私はメイド長の静江さんについて聞くことにした。
お婆ちゃん曰く、とても人の上に立つような性格じゃないと言う。何事にも受け身で自発的に行動しない、誰かの後を着いていくことばかりが得意な子だったらしい。
「運悪く男に引っかかって、『夢』なんて幻想を抱いて東京へ駆け落ちしちまった結果がこの始末さ」
話し出すとお婆ちゃんは止まらなかった。静江さんの悪いところや不運な話を並べては顔をしかめている。
そんなお婆ちゃんの話を、私は紅茶とパンを頂きながら、やや頭空っぽ気味の相槌を交えながら聞き入っていた。
「そんな娘が、いきなり誰かの上に立って統率をするだって? しかもメイド姿で? 何かの悪夢だと思ったよ」
「見る限りでは、しっかりメイド長を務めていそうですけどね。頼りにしたいオーラがバリバリ出ていますよ」
「いつボロが出るか、見どころだねえ」
「私としてはそうなってほしくないなあ。静江さんのメイド姿、素敵ですもん」
「……」
いつの間にかお婆ちゃんがションボリとした面持ちで私を見ていた。あれ。私、なんかお婆ちゃんを落ち込ませること言ったっけか?
「……悪いね。娘とはいえ、人の悪口ばかり聞いて、いい気持ちにはならんだろ」
なるほど。私、このお婆ちゃん好きだな。
「いえいえ、興味深さで中和されてますのでお構いなく。それに、悪いところを言えるのは身内の特権ってヤツですよ」
それに、私には声で分かっちゃうんだよなあ。静江さんを貶すのは、寂しさと心配の裏返しだって。お婆ちゃんは、ただ娘さんを心配しているだけだ。
だから、いくらネガティブなことを言われたって気分は悪くならない。言い方が俗っぽくなるけど、むしろ母娘愛てぇてぇです。
気持ち悪い笑みを堪えるのにカロリーを消費したせいか、ぐぅぅ、と腹の虫が盛大に鳴ってしまった。
もうちょいパンで誤魔化すか、とパンに手を伸ばした瞬間だった。
「お待たせいたしました」
「待ってました――うおっ?!」
ようやく注文の料理が静江さんの手によって運ばれてきた。私の歓喜の表情は、一瞬で驚きへと変化する。注文したオムライスとハンバーグだけど、もうホテルの洋食店にもひけを取らないクオリティーだった。オムライスは焦げ目ひとつ付くことなく、ツルツルに輝いた真っ黄色な卵でライスが完璧に包み込まれている。たぶん熟練の技術ってやつだ。ハンバーグも肉厚で、肉汁がしっかりと閉じ込められていそうな肉塊がたっぷりのデミグラスソースに溺れている。今までの誕生日でさえお目にかかったことのない、最高の品々が私の前に並べられていた。見ているだけで涎が渋滞してきた。
「え? これ、タダなの? いいの?」
「勿論。我々の好意の証です」
そして、お婆ちゃんが注文した料理は――。
「こちら特製のボロネーゼパスタとなります」
出てきたのは、特に代わり映えのしないボロネーゼソースのパスタだった。変わり種のパスタが入っているでもない。摩訶不思議な食材を入れているでもない。ひき肉・玉ねぎをトマトソースで和えた、本当に変哲のない一品だった。
さて、肝心のお婆ちゃんの反応は――おっと。特に驚いた様子もなく見下ろしているんですけど。このそっけない反応、大丈夫ですかねメイド長?
私がじっとボロネーゼパスタを見つめていたことが気になったのか、お婆ちゃんはため息をつきながらメイド長に言った。
「年寄りのあたしには少し多いね。お嬢ちゃんに少し分けてもらえるかい?」
「承知いたしました」
「催促したみたいでごめんなさい」
メイド長はテーブル上に置いてあるシェア用の皿を取り寄せて私の前に並べた。そんなメイド長の行動を、お婆ちゃんは相変わらずつまらなそうに見つめている。
「それで、どうです? 食べたこと無い料理でしょうか」
「あんたは、あたしが驚いているように見えているかい?」
ですよね! ボロネーゼなんて私ですら食べたことあるし! レトルトだけど。
お婆ちゃんはメイド長を睨みながら言葉を続ける。
「よりにもよって、この料理とはね。正直に言うと期待外れだよ」
「ご期待に添えず申し訳ありません」
「お前の好物だったね。昔、小さい頃によく作ってやった。見た目もそっくりだ」
「僭越ながら参考にさせていただきました。ですが、提供させていただいたこの一品。決して期待を裏切ることはございません」
メイド長は微笑みを崩さないまま、堂々と勝利宣言をした。
お婆ちゃんはがっかりしながら言っているけど、そんな負け戦をルルたちがするとは思えないんだよなあ。きっと何か隠し玉を用意しているに違いない。
そんなメイド長の反応に、お婆ちゃんは顔をしかめながら「そうかい」と答えるだけだった。ここから言葉は無粋。あとは味で語るのみ。
さあ、準備は万端。一緒に「いただきます」の挨拶をしてからお互いにパスタをひと口いただく。
「は?」
そして、ガチで驚愕した。
「うっま! 肉ヤッバ!? なんじゃこりゃ!?」
瞳孔と毛穴が一斉に開いたような感覚だ。美味すぎて感動よりも衝撃のほうが勝っている。
オリーブオイルやバター、にんにくの旨味とトマトの酸味がマッチしたソース。そのソースに絡まるパスタの懐の深さたるや。そんじょそこらの一級品を名乗ってもおかしくない。ここまではまだ耐えられる。
でも肉が違う。肉の存在感が非常に強い。油っぽさは少なく、赤肉の旨味が凝縮されたような味わい。ボロネーゼという、小粒の肉を少しずついただく料理だったから良かったものの、この旨味の塊をハンバーグで出されていたら胃がひっくり返っていたかもしれない。
一緒に食べたお婆ちゃんも私と同じように驚いた反応をしている。食べ飽きた味を口にしたって反応じゃないぞ!
「………………」
お婆ちゃんは無言でボロネーゼを食べ進めている。肉をほぐして中身を見たり、ソースだけを味わってみたりと、料理番組でプロの人が味の分析をしている時の動きをしている。
そんな様子を5分ほど続けてから、お婆ちゃんは観念してメイド長に言葉をかけた。
「
「仰るとおりでございます」
おお。さすが年を取っているだけある。
「だが、何の肉を使っているのか。そこまでは分からないねえ。羊のようなクセは無い。馬や鹿のような軽さもない。猪のコクでもない。こいつは市場に流通しているものかい?」
そうお婆ちゃんが質問をすると、メイド長は言いにくそうな顔をしてから、答えた。
「当館の調理担当が調達した、野生の
「……それは確かに食べたことが無いねえ」
その言葉を聞いて、お婆ちゃんはすっかり呆れ返ってしまったし、私も素直にびっくり仰天していた。
……いや待て? 調理担当が持ってきたクマ肉ってコトは――。私は急いでスマホのアルバムアプリを開き、とある写真の中身を確認した。そこには倒れ伏したクマの横で、猟友会のオジサマと一緒にサムズアップで写っているルルの姿があった。数日前にルルから送られたものだ。
……まあ、ルルならやりかねんか。この写真はインパクトが強いから見せるのは止めておこう。
「お嬢様。よろしければオムライスとハンバーグも冷めないうちにご賞味くださいませ」
「あーっと、そうですね! あはははは!」
クマ肉のインパクトですっかり忘れちまっていたよ。オムライスとハンバーグもいただきます――って、アカン。こいつらも全然手を抜いていないぞ。オムライスの卵はフワフワ、ライスはコクウマだ。ハンバーグは肉汁ドバドバ、そいつがアッサリめなデミグラスソースと絡んで肉の旨味を引き出している。ボロネーゼのインパクトでだいぶ霞んじゃうけど、それでもちょっと頭おかしくなりそうなくらいウマすぎなんですワ……涙出てきた。次の食事は絶対ジャンクフードにしよう。じゃないと普段の食の貧相さに私が耐えられない。
だから、ごめんよVictoria Springの方々。私は胃袋のリミッターを外させてもらう。このチャンスは逃せない!
思わずメイド長に追加注文を入れようとした、その時だった。
『ふざけるな! 客である僕に意見をするつもりか!』
その男の怒声は、階下から聞こえてきた。
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