幕間2ー3話 爆発


―― メイドカフェ『びくとりあん』オーナー兼キッチン担当 白石シライシ ――


 疲れた。いやもうホント疲れた。何に疲れたって、リエちゃんとルルさんの対立である。一方的にリエちゃんが目の敵にしてるだけっぽいけど。

 ルルさん自体の能力は申し分ない……というか、リエちゃんミホさんよりもずっと手際が良い。配膳練習の様子をちらりと見てたけど、トレイ上の水を一切揺らさずに運んでいたのは流石に仰天した。なんというか、俺たち一般人とは根本が違う。

 きっとリエちゃんはルルさんを脅威に感じているし、見下されているとも考えているんだろうな。客観的に見て自分より美人。スタイルも負けている。人当たりも良さそう。仕事に隙はない。今まで二人しか居なかったとはいえ、リエちゃんは一番人気である。その座も一瞬で奪われてしまうだろう。

 でも逆を言えば彼女が入ったことによりこの店の知名度が上がれば赤字状況も好転するかもしれない。多少の心労は覚悟の上だ。

 

「お疲れ白石クン」

「お疲れさまミホさん。休憩?」

「マジで疲れるわ、あのギス空間」


 彼女は自前の電子タバコを取り出した。ウチは紙巻きタバコでなければ室内喫煙を許可している。


「どうルルさん。見た感じだいぶ仕事ができそうな雰囲気だけど」

「完璧。あたしらの仕事にダメ出しして速攻で改善点指摘してくるくらい完璧。その指摘聞いて一切ムカつき無いのが完璧。もう完璧すぎて逆に欠点だわ。新人ちゃん、あたしらの仕事ぶり見て必死にイラピキこらえてる感じする」

「協調性はあるけど、天才肌すぎて周りを置いてけぼりにしちゃうタイプかな」

「足並み揃えようとはしてくれているけど時間の問題。どーすんの、この適性高すぎちゃん。リエと仲良くなる未来が見えない」

「キッチンをメイン担当に回してもいいかなって思ってる。料理が得意って言ってたから」


 俺たち三人は料理周りがイマイチなのに対し、ルルさんはどうやら料理が得意のようで、基本の動きは問題ないらしい。ついでに料理の知識も深めたいとの話だ。『包丁の扱いなら任せてほしい』と豪語していたが……ウチは レンジ調理レンチン 主体で提供してる事、まだ黙っとくか。


「じゃあキッチンを離れた担当の白石クンは何すんの?」

「オーナーの仕事をするよ」

「サボりの口実乙」

「いやちゃんと仕事はあるからね?」

 

 それから少し雑談をして、最後にエアコンの温度を上げるよう僕に言い残してから彼女は控室を出ていった。確かに今日は室内にいても肌寒い。この建物も随分と年季が入っているし、そろそろ寿命か?

 少し時間ができたので経営の本を広げたところに内線がかかってきた。オーダーだ。電話の相手はリエちゃんだった。


『てんちょーオーダー。オムライスー。コショーバター増しでー』

「お客さん来てくれたんだ。ありがとう、すぐ行く」

『あとエアコンの温度上げたげて。お客さん、寒い言ってる。クレームまで時間の問題かも。なんならリエも寒いまである』

「あれ。さっきミホさんに言われたから上げたんだけどな」

『リモコン壊れてんじゃないの? さっさと買い換えろ』

 

 不機嫌な声とともに内線が切られた。買い替えるお金が作れるなら悩んでないんだよなぁ……。ひとこと多いんだよね、彼女。

 スタッフルームのある2階からキッチンのある1階へ降りる。通りがかりにルルさんの様子を見たけど、普通にお客さんと談笑していた。とりあえず三人ともお客さんの前では問題なさそうだな。

 冷凍庫から業務用のチキンライスを出してレンジにかけ、解凍したらバターと塩コショウで炒めながら味を整える。皿にそれっぽく盛り、続けて牛乳を加えた卵2個を広げて焼いてチキンライスにオン。これで完成だ。俺にはライスを卵で包む技術が無いからこれが限界。練習はしてるんだけど上達しないんだよなー。

 しかし、どうした? 火を使うキッチンに立ってるのに、まだ寒気がするぞ。というか、どんどん気温が下がってないか? 風邪ひいたか?

 出来上がりのベルを鳴らすと、ミホさんが来た。


「オムライス上がったよー」

「ん……白石クン、また増し無視ったっしょ」

「っ!? 胡椒とバター増しだったか! ごめん、忘れた!」

「あーいーよいーよ。テキトーに何とかすっから」


 ミホさんはサワークリームと胡椒を容赦なくオムライスにふりかけて客に持っていった。しかし配膳が終わると、すぐに戻ってきた。接客をルルさんとリエちゃんに任せたらしい。あれ、ちょっと震えてる?

 

「白石クン。来て早々なんだけど、あたし早上がりするかも。寒気する」

「え。ミホさんも? 僕もなんだよ」

「なんだったらリエも言ってる。え、やだ。集団感染? 勘弁しろし」


 店の全員が? いや、客も寒いって言ってたぞ。


「ルルさんはどう? 何か言ってた?」

「寒さについては何も。北国の子っぽいし、寒さ強いんじゃね?」

「確かに。あのメイド服で外を歩いてたし」


 リエちゃんの十八番おはこ、『おいしくな~れ! おいしくな~れ! 萌え、萌え……きゅーんっ!』が聞こえてきたけど、心なしか元気が無いように聞こえる。しかもまた気温が下がったな。何なんだ、今日は?


「後続のお客さんが入らないようだったら俺もホールをチェックするよ。臨時休業も検討する」

「珍しく英断。好感度上がったぞ」

「メイドのいない『びくとりあん』に価値はないよ」

 

 カシャァァンツ!、とプラスチックコップが床に落ちる音がキッチンまで響き渡る。続いて『あーん、また失敗しちゃったー! てへっ!』と、リエちゃんがわざとらしい声で客に謝罪する声が聞こえてくる。


「リエの奴、またやったな。狙ってやったポカをお色気パッション系ドジっ子メイドで誤魔化すのも大概にしろし」


 でも嫌悪感なしで聞けちゃうのがリエちゃんの才能なんだよな。これ狙いのお客さんまでいるし。

 ミホさんが悪態をつきながら、こぼれたであろう水かジュースを拭くために布巾を手に取った瞬間だった。


「ひっ!?」

 

 ミホさんの短い悲鳴と同時に、俺の。ここに留まったままでは死んでしまうかもしれない――そんな細胞からの無言の警告で背筋がこわばり、人生でも過去一番の鳥肌が全身を覆っている。店内の至る所で劣化したプラスチック食器がパキパキと音を立ててひび割れ、周囲の建物に留まっていたハトやカラスが鳴き叫びながら一斉に飛び立っていった。耳をすませば棲み着いていた虫たちが一斉に移動を開始した音まで聞こえてきそうだ。


「白石クン。あたし、こわい」


 普段の冷静なミホさんは見る影もなかった。弱々しいひとりの女性となっている。無理もない。こんな意味不明な未曾有の現象に遭遇したら対面なんて気にしてられない。

 ホールに繋がる通路へ俺とミホさんは目を向けた。彼女と俺は同じことを考えているはずだ。

 『この先に行きたくない』。

 とはいえお客さんやスタッフが心配だ。我が儘も言ってられない。俺はミホさんの手を取りホールに向かった。差し伸べた手をミホさんは抱きかかえるようにくっついてくる。胸の感触がダイレクトに伝わってくるけど、味わっている余裕は微塵も無い。襲い来る息苦しさを我慢しながら、俺たちはホールへ進んだ。

 異様な光景だった。目に飛び込んできたのは、失神してぐったりとしたリエちゃんと、それを無表情でお姫様抱っこをしているルルさん。そして二人の様子をポカンと口を開けた表情で見ているサラリーマンのお客さんだった。お客さんは今の状況を理解できていない様子だ。

 

「何が起こったんだ……? リエちゃんが水をこぼしたら突然倒れて、そこらじゅうがミシミシ音立てて……地震……じゃないよな? ねえルルちゃん。リエちゃんはいったい――」

「すまない」


 ルルさんはお客さんの言葉を遮ると、丁寧な動きでリエちゃんをソファーに寝かせた。手折れた花を慈しむかのような、丁寧な動きだった。そしてお客さんの前に移動すると、深々と頭を下げた。


「非礼粗相の数々、心よりお詫び申し上げる。全て我々の失態だ」

「い、いや。気にしてないよ」

「重ね重ねの無礼を承知の上でお伝えしたい。当店、これ以上は君に対して満足たりえる奉仕を続けることができない。まことに申し訳ないが、本日の給仕はこれにて終了とさせていただきたい。日を改めてお越し願う」


 え? いやちょっと、何を勝手に客を帰そうとして――。


「よろしいな? 旦那様。先輩」


 顔を上げたルルさんから放たれる鋭い眼光が俺たちを射抜いた。一言でも声を上げれば喉仏を砕かれる――そんな錯覚を抱かせるような恐怖心。俺とミホさんは反論どころか満足に反応もできないままルルさんを見つめ返すしかできなかった。この異常な寒気の正体はルルさんだと確信した瞬間である。


「じゃあ代金を「結構」いやしかし「結構だ」あ、ああ……また来るよ」

「道中お気をつけて」

 

 お客さんはルルさんより放たれる威圧から逃げるように店を出ていった。いや、じゃないな。実際に彼女から逃げたのだ。

 ルルさんはお客さんが店から離れていったことを確信すると、店の出入り口の鍵を内側から閉めた。そして無言のまま、店のおしぼりを使ってリエちゃんがこぼしたであろう水を拭き始める。

 その手際は鮮やかのひとことだ。給仕が初めてとは言っていたが――とてもじゃないが初心者とは思えないぞ。動作は軽快であるにも関わらず一切の淀みはない。そして作業の合間、その背筋が曲がることは無かった。まるでコルセットを着込んでいるかのようだ。二人には悪いけど、たしかに彼女たちとは格が違う。

 ルルさんの鮮やかな手際に魅入っていたミホさんだったが、ルルさんが水を拭き終わるところでようやく我を取り戻したようだ。


「ちょっと新人! お客さん帰しちゃったらダメじゃん! ウチらの商売あがったりだよ! あんたタダのアルバイトなんだよ? 客を帰す帰さないの決定権なんて無いでしょ!」

「………………」


 ルルさんに食ってかかるも、彼女は反応しないままおしぼりを片付け、無言で周囲を見渡した。そしておもむろに、リエちゃんが横になっていないほうの、客用の二人がけソファーの前まで歩み寄る。


「ムシすんな、新じ――」


 それ以上ミホさんの言葉は続かなかった。そりゃ無理だよ。

 だってルルさん、重量60キロくらいの二人がけソファーを顔色ひとつ変えること無く片手で持ち上げて、米袋みたいに肩に抱えちまったんだからさ! ターミネーターかよ!?

 足取りを乱さぬまま出入り口まで移動して、床へ叩きつけるようにして置いた。衝撃で天井や電灯から埃が舞い落ちる。鳴り響いた轟音でリエちゃんが目を覚ました。


「ぴぇゃん!? な、何!? 爆発ぅ!?」


 いや、俺には分かるぞ。だってルルさん、俺たちを逃さないようにソファーで退路を防いだんだろ? 

 ルルさんは俺たちから視線を切ったまま、小さく、しかしはっきりと伝わる声で俺たちに問いかけた。


「貴様らに問う。メイドとは何ぞや?」

「ハァ? 今はそんな禅問答なんてやってる場合じゃないだろ!?」


 ミホさんが叫んだ瞬間、ガラス製の窓とテーブルにヒビが入った。肺が締め付けられるように息苦しい。気がつけば、ミホさんとリエちゃんは可能な限りルルさんから離れた場所で縮み上がっている。


「俺の日本語が分からなかったのか? それとも、俺の言葉の意味が理解できなかったのか? どちらでもないなら質問に答えろ。貴様らにとって、メイドとは、何だと聞いている」


 答えを求められているのに答えることができない。返答が許されない状況を作り出しているのに、ルルさん自身がそれに気づいていないのだろう。俺たちを怒りの形相で睨みつけるルルさんの視線が物語っている。


「貴様らの奉仕とは、仮初めの主人に媚びへつらい、真の主には無礼を働くことなのか?

 謎の呪文と儀式を執り行い、故意の不行儀無作法で来賓を困惑させることなのか?

 肌を露出し局部を想起させ男女の契りへと誘惑する者のどこに品格を感じることができる?

 貴様らが身につけている装衣は娼婦の衣装か? 違うだろう? 品格と奉仕の象徴たるメイド服だ。その信念を貴様ら令和の民は汚した。土足で聖域を踏み荒らした。その軽薄な思念思想、万死に値する……!」


 ルルさんは胸元のリボンを緩めた。そして溜め込んでいた感情が一気に解き放たれる。

 

「品格も奉仕の心も持ち合わせない者がメイドを名乗るなッ! この痴れ者どもがぁぁああッッ!」


 知らなかった。

 人間はこんなにも怒りを見せることができる生き物だったのか。




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