幕間2ー4話 兵どもが夢の跡


―― メイドカフェ『びくとりあん』オーナー 白石シライシ ――


 ルルさん怒りの説教は、我らの商店街で語り継がれるひとつの大事件となった。防音機構など備わっているはずもない古い家屋の中で全力のシャウトを長時間続けたのだ。『びくとりあん』の窓ガラスはひび割れ、食器類はいくつかが破損。その怒声は近隣の店舗にさえ響き渡り、少量の被害をもたらすほどであった。自分たちの鼓膜が破れなかったのは奇跡だと言える。

 さて、その説教と罵詈雑言の数々を披露したルルさんであったが、彼女の説教を聞いていくうちに、とある驚愕の事実に辿り着く。


 どうやらルルさんは、そもそもメイドカフェの仕組みを理解せずに俺の店へ応募したらしい。


 ルルさんが思い描いていたメイド像とは、客を架空の主人と見立てて給仕サービスを行うという一般的なメイドカフェのスタッフではなく、本格給仕を資本とするクラシカルスタイルのメイドであった。そんなルルさんが、あまりにも理想からかけ離れた『びくとりあん』の業務を目の当たりにしたのだ。彼女の怒りは納得の余地がある。

 とはいえ、彼女を理解するだけでは現状を解消できない。俺は急いで対策を練り、実行した。その結果は――。


「俺としたことが、とんだ無礼の数々を働いてしまった……っ! 愚の骨頂、愚か者の極み……真の痴れ者は俺だった……! 誠に、誠に、誠に申し訳ない!」

「私からも、この通り謝罪させていただきます! ルルちゃんにメイドカフェのアルバイトを許可したばかりに……本当に浅はかでした!」

「俺からも、すんません。二人にはしっかり言い聞かせときましたんで。二度とこんな恥ずかしい真似はさせません」


 ルルさんとその保護者の朝倉灯さんによる土下座。そして同じく保護者である灯さんの兄、朝倉進さんによる真摯な謝罪だった。渦中にあった俺たち三人が見守る中の、それはとてもとても綺麗な姿勢であった。

 危なかった。ルルさんの説教に終止符が見えない最中でトイレと称して無理やり中座し、急いで彼女の保護者である灯さんへ緊急連絡をしたのが功を奏した。もうひとりの保護者である進さんを引き連れて急いで俺たちの元に駆けつけ、暴走するルルさんへ決死の表情でメイドカフェの仕組みを説明する二人の姿は、間違いなく魔王へ挑む勇者の表情だった。

 もう少し対応が遅ければ被害はもっと深刻だっただろう。なんなら他のメイドカフェの店舗も襲いかねない勢いだったし。後々で商店街の古株さん達からも説教を食らうんだろうなー……騒ぎを聞きつけて集まってきた時は肝を冷やしたよ。今はルルさんが追い払っちゃったから話がこじれず済んで助かってるけど。


「まさかルルちゃんがここまでメイド狂いだったなんて思いもよらなかったんです……信じて送り出したルルちゃんが、まさかこんなご迷惑をおかけするとは……!」

「もう十分ですから。三人とも顔を上げてください」

「そんな! まだ謝りたりんぞ! あまりにも無情だ……! 土下座以上の謝罪は、もう古代日本の伝統ハラキリくらいしか思いつかん……っ!」

「切腹されたらもっと困ります! お気持ちだけで結構です!」


 ルルさんはなんか浮世離れしてるから本気でやりかねない!

 重ね重ねで説得を続け、三人はようやく顔を上げた。あー、しんどかったー。ほとんど体を動かしていないのにカロリー消費が尋常じゃない。


「短かったぞ、俺のメイド人生……」

「いやいや大丈夫! 大丈夫だから! ルルさんは二度とこんなに暴れたりしないって反省したよね?」

「恥の上塗りなど誓ってもやらん」

「じゃあ続投でお願い。リエちゃんとミホさんが良ければの話だけど」

「君は神か……!」

 

 リエちゃんとミホさんは未だに気まずそうだった。説教と罵詈雑言の大半は彼女たちへ向けられたものだったから無理はない。

 ルルさんは二人の前に立ち、改めて頭を下げた。

 

「二人には大きく尊厳を傷つけることを言ってしまったな。本当に申し訳ない」

「いやその……大丈夫だわ、ルルちゃん。あそこまでメタクソに言われると、かえって清々しい気分になってる。メイド名乗るのがマジで恥ずかしくなってるわ」

「リエも大丈夫。新人――じゃない、ルルが本気マジで怒ってるの分かったし。好きなものをバカにされた時の気持ち分かるから、本当に大丈夫だよ。それにリエも当たりキツくて感じ悪かった。ごめん」

「おん? おお、おお。そういえば確かにリエはカリカリしとったな。俺としては反抗期の孫娘を思い出して可愛いもんだと思っとったが」

「孫娘みたいで可愛いって……」

「ルルちゃんメンタルつえー」

「誤解だったとはいえメイドを馬鹿にされた怒りのほうが圧倒的に勝っとったよ」

「ルルのメイド愛、深すぎー。あはは、これもうリエの完敗だわー」

 

 三人とも、先ほどまでのいがみ合いを忘れてるみたいに打ち解けてしまったな。俺には向けることのない顔で談笑しているよ。

 あー、良かったー……ちょっとモヤっとするけど。君たち、距離詰めるの早すぎないか?


「ルルって話せば話すほどおじいちゃんっぽいねー」

「実際に中身はジジイだ」

「は?」


 ……ん?

 

「異世界転生というやつだ。君たちの世界で言う中世ヨーロッパのような世界から来た。もちろんメイドという概念が実在した世界だ。現役でな」


 今、とんでもないことをさらりとカミングアウトしなかったか?

 

「ルルちゃん、その話は――」

「ある程度は話しておいたほうが今後の話を通しやすい。それにメイドカフェで働いている以上オタク文化には精通しているはずだ。灯と同じように俺の存在も受け入れられるだろうよ」

「とりあえずの確認だけど……ルルさんの記憶喪失は表向きの理由なの?」

「まあな。転生よか筋の通る理由だろ。もっとも、この世界で目覚めたのは、ほんの7日前ほどだ。まだ常識を学習しきれていないぶん、記憶喪失とさして変わらん。おっと、ちなみに体は本物だぞ」


 俺とメイド二人はすぐに納得してしまった。一連の非常識な行動にも合点がいく。

 ルルさんがいた異世界について女性陣が話を聞いていると、被害の様子を見回っていた進さんが戻ってきた。正気を取り戻したルルさんに命じられていたらしい。ルルさんいわく、この人も転生者って話だったな。


「団ちょ――じゃなかった。えぇと……」

「団長で構わん。詳細は伏せてお前のことも話してある」

「なるほど、ある程度は信頼足り得ると」


 どんな団の団長なんだろうか。詳細を聞いたところでロクでもないだろうからスルーするけど。殺気だけでガラスや食器を割ったり、ソファーを軽々と持ち上げるあたり、サーカス団では無いだろう。

 

「被害額の想定は?」

「示談込みで数十万、高く見積もっても百万――リンゴ換算で2、3000個ってトコじゃないですかね」

「悪いが建て替えといてくれるか。出世払いで返す」

「あいよー」

 

 自販機のジュースみたいなノリで庶民に聞き馴染みが無い会話してるよ!? 出世払いに応じる人、初めて見たぞ!?


「よし、だいたいの経緯は把握しました」


 俺が異世界組に驚いていると、灯さんがパチンと手を叩いて注目させた。


「この件に関してはルルちゃんとバイトの許可を出した私――朝倉灯の責任になります。オーナーさん。私たちで出来る限りの応急処置をさせていただきたいですが、構いませんか?」

「すみません。助かります」

「悪いのこっちなんですから謝らないで。ルルちゃんは店の復元ヨロ。私は破損した備品の調達と、割れたガラスを交換する業者への交渉を担当します。諸費用は兄貴が全額負担で」

「役割は把握してるが、当たり前のように妹から命令されると腹立つな」

「だって私、会社を立ち上げたばかりでお金ないんだもん。連帯責任ってコトで」

「ようし、ではこの際だから徹底的に掃除をしてしまおう。少し店の汚れ具合が気になっていたんだ。

 シライシはすまないが現場監督を頼む。オーナーである君に許可を取らなければならない場面があるだろうからね。

 リエ、ミホ。君らは次の勤務に備えて養生しておいてくれ。これは俺の責任で、俺の仕事だ」


 リエちゃんとミホさんはぽかんとした表情でお互い視線を交わした。そして直後に微笑んで頷きあう。


「手伝うよルルちゃん。あたしらも原因みたいなもんだし。それにシライシの適当指示で現場荒らされたら困る」

「リエも手伝う。てゆーか、ルルって本場のメイド知ってるんでしょ? リエ、ちゃんと聞きたいな。怖くて話半分でしか聞けなかったから」

「お? 俺の世界のメイドに興味があるのか。ンむ、ええぞええぞ。存分に聞かせてやろう。むはは!

 それじゃあミホは俺ではなく灯の補佐をしてやってくれ。リエは俺の手伝いと、改めて先輩としてご指導ご鞭撻を頼むぞ」

「任せろし」「おっけー!」

「むはは。良い子たちだ」

「じゃあ俺も――」

「てんちょーはいいよ別に。疲れた顔してるし。てんちょーにしかできないことをやっててよ」

「ここはリエちゃんの言う通りかな。オーナーさんは休んでて。よーし、話がまとまったわね。各自お仕事はじめましょっか。健闘を祈る!」


 灯さんが音頭を取ると、彼女たちは一斉に動き始めた。俺は熟練された指示の一部始終を眺めることしかできなかった。

 あっという間にルルさんと灯さんに指揮権が奪われてしまった。

 灯さんは人を使うことに長けている様子だ。リーダーシップ能力が高い。彼女に指示されたくなるような安心感がある。

 そしてルルさんは数時間しか経っていないのに、気難しい二人と完全に打ち解けている。俺は一ヶ月以上も二人といるけど、出てくる言葉は罵倒とモラハラばかりだっていうのに。

 ずるいと凄いと羨ましいの感情が交錯して頭の中がモヤモヤしている。このまま黙ってぼーっとしていても逆に落ち着かない。


「おう。暗い顔だな青年」


 勘定周りの指示しか出されなかった進さんは、俺の肩を軽く小突いて会話アピールをした後、手持ち無沙汰なのか一人がけの椅子を運び、俺の目の前に座った。無言で近くの椅子を指差し、俺に座るよう促す。俺は黙って従った。この人はルルさんとは違う圧があるな。ちょっと苦手かも。

 

「普段の団長はもっと聡明なお方なんだがな。メイドが絡むと正常な思考がぶっ飛んじまうんだ。あの人唯一の欠点だよ」

「確かに浮かれているようでしたね。ご自宅からメイド服で出勤してきましたし」

「あー……解釈一致だ。団長ならやりかねん。災難だったな白石くん」

「いえ。彼女の要領の良さとビジュアルに甘えてルルさんを表に出してしまったのは俺の判断ミスでもあります。もっとルルさんの事情を知ってからでも遅くはありませんでした」


 もっと慎重に運用するべきだった。そうすれば事件は起こらなかったのに。


「焦りが出てしまいました」

「焦りィ?」

「オーナーとしての結果が出せてなくて」

「ははーなるほど。たしかにそんな感じの顔をしてるわ今の君。辛気くせえもん」


 やっぱりこの人苦手だ。


「結果ってのは、売り上げかい?」

「ええまあ。赤字経営です」

「プラス人間関係とその他諸々ってトコか」


 進さんの図星な言葉にドキリとした。ミホさんとリエちゃんの様子を窺う。彼女たちは作業と雑談に没頭しているから俺たちの会話を聞いてないみたいだ。

 いつの間にか、進さんの表情がニヤニヤと軽薄な笑いから一転。冷酷な無表情へと変わっていた。

 

「先ほど君はリエちゃんの手伝いを申し出ていたな。どうして手伝おうと思った?」

「それは……じっとしていると落ち着かないからです。それに皆が働いているのに、俺だけ動いていないのはなんか悪いです」

「なるほど。君、面白いくらいに根本が腐ってるな」

「はあ……はあ!? 腐ってるって言いました!?」

「おう」


 悪いことを何も言ってないのに、なんで悪口で返されなきゃいけないんだよ! 腹立つな、この人!


「今の君の回答には、君自身の意志がなかった。ただ状況に流されているだけだ。君にはが無い。そんな回答が本音だって言うなら、これ以上君に団長を関わらせられねえな。あのお方の時間が無駄になる」

「これだけ迷惑かけておいて、あまりにも無責任じゃないですかね」

「今の俺は、団長にこの日本を謳歌していただく事が生きがいとなっている。そのためなら君を切り捨てていただくよう動くことに躊躇いはない。下手な情が移る前にな」


 冗談で言ってないな。この狂信者め。そう罵ってやろうとしたら、また温和な笑みに戻った。

 

「だが逆を言えば、君が団長を就かせるだけの価値のある男だというなら、俺は喜んで君の悩み解消に協力するぞ」

「価値……なんですか、それ」

「エゴだよ。夢と言い換えてもいいな」

「我が儘になれってことですか?」

「君にはそれくらいがちょうどいいかもしれねえな。何にせよ、まずは君が最終的に何をやりたいのか目的を持て。あとはそいつに向けて人を動かせばいい」

「目的……」

「店のオーナーである今の君に一番足りないものだ。思い切ったほうが良いぞー。まだ君の下には団長という最高の手札がある。期間限定、されど回数無制限のランプの魔人。どんな戦況もひっくり返す古今無双のワンマンアーミーだ」

「ルルさんのことをそこまで高く評価してらっしゃるんですね」

「だから出世払いにも応じられるのさ。即答でな」


 でも、その評価を裏付けるだけの実行力と心意気をルルさんは持っている。彼女のメイドへの真摯な愛はここにいる誰よりも熱い。でなければ店を壊すほどの怒りなんて見せられる訳がない。

 もしかして……この人たちがいれば、俺たちの状況をひっくり返してくれるかもしれない。俺の採用したかったプランが実用できるかもしれない。

 

「ま、出会ったばかりの野郎に偉そうなこと言われたって今すぐにどうこう出来る問題じゃねえ。焦らずいこうや、若いの」

「……いえ。目的ならあります。俺は持っています」

「お?」

「ただ、時間と金銭の余裕が無かったんです。残り2か月。それまでに月の売り上げが黒字にならなければ、この店は撤退しなくちゃならない。商店街の振興組合の方からの勧告です」

「繁盛しなかったのは残念だが、そんなに悲観することでも無いんじゃねえの? 場所を変えて再出発すればいい」


 俺は大きく首を横に振った。

 

「撤退後はこの建物の取り壊しが決まっているんです。それはリエちゃんとミホさんの家が無くなることを意味しています」

「ええっ!?」

 

 ルルさんと一緒に片付けをしていたリエちゃんが大きな声を上げた。

 俺はまだこの事実を二人には話していない。

 

 

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