52話 ダンボールは戦士の必需品


―― 六条安未果 ――


 目の前の光景に、私はひたすらに圧倒されていた。事務室の一角に積まれているのは引っ越し用段ボールの山。その数……40くらい? 事務室の敷地を確実に圧迫している状況に、私は完全に戸惑っていた。


「引っ越しでもするんですか?」

「いえ。これは引っ越しの荷造りではなく、チョコレートやクッキーなどの菓子です」

「はぁ……ハァ!? この段ボール全部ですか!?」


 あっけらかんと言い放つプロデューサーに対して、私は声を裏返すしか出来なかった。だって40箱だよ!? この中にみっちりチョコやクッキーが詰まってるんだよ!? YaーTaプロダクションはお菓子屋でも開く気だろうか。

 待てよ? チョコやクッキーって……まさか。


「ば、バレンタイン……ッ!」

「はい。男女が愛を伝え確かめ合う神聖な日……セントバレンタインデーです。もちろんスタッフ宛ではなく、タレント宛てですよ」


 バレンタインは女性が男性へお菓子を送るイベントだ。私(ナティカ)と佐藤さん(アグちゃん)はどちらかと言えば男性ファンが多いから――。

 

「もしかして……これ全部――」

「ルルーナ・フォーチュン宛てですね」

「やっぱり! ルルちゃんモテすぎぃ!」

「しかもルルーファさん含めスタッフ総出で仕分け整理して、この量ですからね。私も予想以上でした。総数として見るなら、これでもかなり少ないほうですけどね」

「これで少ないんですか!?」

「じゅうもんじは男性ライバーが多く所属していますから、この10倍くらいは届くこともありましたね。逆を言えば、ルルーファさんはたった一人で、それも女性の身でこれだけ多くの女性ファンの心を鷲掴みにしているのですから大したものです」

 

 規模が大きすぎてイメージ湧かないや。ルルちゃんがイケメン男性ライバーでデビューしていたら、このダンボール箱がさらに増えていたのかな。想像が付かない。

 

「流石に毎年大量のダンボール箱を送られてしまうと厳しいので、その後のじゅうもんじではバレンタイン対策として、グッズやデータ販売を行うなどしてファンの受け止め先を用意していましたが……ウチは時期と資金的に用意が間に合いませんでした」

「私たちのデビュー、半月前くらいですし。ここまで人気が出るとも思っていなかったですよね」

「おっしゃる通りです。愛されていること自体は喜ばしいですが」


 プロデューサーは嬉しそうに微笑んでいた。自分の関わった仕事が成功して嬉しいんだろうな。私も、帝星ナティカがリスナーに受け入れてもらえて嬉しかったから、気持ちは分かるよ。


「今朝この箱を見たルルーファさんも困惑していましたね。彼女の場合、バレンタインデーをよく知らなかったので余計に驚いていましたよ」

「ルルちゃんはどこへ?」

「製菓用のチョコやクッキーの粉だけ持ち帰って、お菓子作りのための材料を調達しに行きました。料理配信のネタにするそうです」


 お菓子が作れるルルちゃんにとっては一番嬉しいチョイスだったんだろうな。じゃあ、ここに残っているのは、既製品や手作りのチョコってことか。


「こんな量のチョコレート、どうやって消化するんですか?」

「既製品なら開封の形跡が無ければ、事務所のスタッフたちでいただくなり、持ち帰って近所に配るなどで処理します。開封済みの製品や日持ちのしない生菓子、手作りの物は……焼却処分ですね」

「ええ!?」

「相手の気持ちをないがしろにしてしまうのは申し訳ないですが、劇物や毒物、異物が混入されているリスクを考えると避けられないんですよ。九割九分の善意だったとしても、残り一分の悪意や手違いでタレントを失う可能性があるならば致し方なしです。本来なら有無を言わさず全処分が衛生面の観点から最も安全なのでしょうけど。

 ちなみに規定通りの対応ですし、改めてルルーファさんの配信を通して注意喚起が入ります。来年までにはグッズの発注ができるほどの資金は作れるはずですから、この光景も今年限りでしょう」


 世知辛いなー、とぼんやり考えていると、プロデューサーの携帯が鳴った。


「佐藤さんからです。時間ができたら連絡していただくように伝えておいたのです。六条さんにも話に参加して頂きたいので、会議室――もとい、応接室へ来ていただけますか」


 プロデューサーに続いて応接間へ入ると、スピーカーモードでの通話が始まった。


『お疲れ様ですプロデューサー』

「お疲れ様です。今はお昼休みの時間帯でしょうか。無理を言って申し訳ありません」

『大丈夫です。アイドルのお仕事してるみたいでドキドキしてます』

「負担となっていなければ何よりです。六条さんにも来ていただいています」

「ご無沙汰ですー」

『ご無沙汰です……って、会ったのも話したのも最近じゃないですか』

「そういえばそうだった……」


 最近、佐藤さんとルルちゃんとは通話ソフトでよく話す。といっても、自分から話しかけたことはないけどね。陰キャは常に誘われ待ちで、誘われると飛び上がって喜ぶ生き物なんですよ。

 YaーTaプロに入る前は、ひと月以上会話しない日もザラにあったから、あまりこの会話頻度に慣れないなー。

 

『写真見ましたよ。すごいですね、ルルの女性人気』

「はい。自分事のように嬉しくもありますが、素直に喜んでもいられません」

『あの量ともなれば、プロデューサーが現役の頃にやった、あの伝説の企画を私たちも再現できるのでは? ちょっとサイズは落ちるでしょうけど』

「あの企画ですか……私も同じことを思い出していました。ただし、あの企画は会社のイメージを著しく損なうので却下です」

『ちぇっ』


 あの企画?


「六条さんが困惑しているので説明しましょう。先ほどじゅうもんじにも大量のチョコが送られたと言いましたね。いくら企業とはいえ、段ボール400箱ものチョコを消費するのは至難の業です。そこで、我々とある企画を遂行し、大量消費に成功したのです」

「往来で配っちゃうとか?」

「我々のために送られたチョコをその辺の人々へ大々的に配ってしまってはファンの怒りも買ってしまうでしょう。ポイントとなるキーワードは、大量消費ですね」


 プロデューサーは、いつの間にか立ち上げていたノートパソコンに画像を表示し、私へ見せた。その画像を見た私は思わず絶句してしまった。


「チョコの全身像1/1スケールです」

『胸囲120センチ! 上腕囲45センチ! 筋肉系Vtuber『アグル=スタル』!

 見た目は妖精! 頭脳は外道! 腹黒クソガキ系Vtuber『胡蝶蘭こちょうらんはちく』きゅん!

 その完全再現を、チョコを使って実現したんだよ! 神造形ですね!』


 テカテカに黒光りする、絵にかいたような筋肉モリモリのボディービルダーの姿をしているアグルさん。

 可愛らしい少年の妖精姿だけど、白や赤のマーブル模様がおどろおどろしい、はちくくん。

 こ、このコンビは……すごいけど、なんか気持ち悪い。

 

「安心してください。中身は全部溶かしたチョコと砕いたクッキーです」

「もちろん分かりますよ!?」

『神企画だったんだけどなー。あの動画で会社がかなり炎上しちゃったんですよね』

「ノリが理解できるじゅうもんじファンからは概ね好評でした。しかしその他の方々から、食べ物で遊ぶなとか、気持ちを踏みにじられたとか、それはもう散々に叱られましたね」

「そりゃ叱られますよ!? 私だって思いましたもん!」

「でも、ちゃんと全部美味しく食べたんですよ。スタッフとライバー総出で。特にアグルさんの――すみません、ここから先はセクハラになるので私からの発言は控えさせていただきます」

 

 滅茶苦茶気になる引きで話を終わらせないでください。でもこれ以上聞きたくない自分もいる。

 

「この話題は話し出すと止まらないので捨ておきましょう」

『エピソードがいっぱいありすぎて語れる事が多いんですよね……』

「すっかり脱線してしまいました。流石に40箱ものダンボールをルルーファさんひとりに背負わせるのも酷ですし、お二人にも消費を手伝ってもらおうと思います。それと、紅焔アグニス宛と帝星ナティカ宛のチョコも回収していただきたいです」

ナティカとアグちゃんのチョコ!?」

『私達にもあるんですか!?』

「もちろん。ルルーファさんと比べたら微々たる量ではありますが。バレンタインを口実とした純粋な応援ですよ」

『なるほど……お。思いついた。私、料理動画やりたいです。チョコは自分たちで買ってきて、作る物は立像みたいなおふざけじゃなければ大丈夫ですよね』

「そうですね。市販のチョコを使ったアレンジレシピもありますし、そう問題にはならないかと。簡易的な内容で構いませんので、後ほどメールで企画書の提出をお願いします」

『ラジャーです!』

「佐藤さん、お料理できるの? 前聞いた話だとできそうになかったけど」

『できないですよ。まーでも、レシピがあればなんとかなりますよ。そういうことで六条さん』

「私? 何ですか?」

『ちょうどナティ姉とのコラボをやりたいと思っていましたし、私の家で一緒に料理動画、やりません? お泊りスペースも用意できますよ』

「へ?」

『お泊り、しませんか?』

「お……お泊りぃぃ!?」


 は、初めてのお呼ばれ――それもお泊まりのお誘いだぁぁ!?



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