44話 半年越しのオトシマエ
―― 最上詩子 ――
外は雲もまばらに浮かぶ晴れ模様。最近は温暖化で冬の日差しが強くなっているせいで、暖かさどころか暑ささえ感じてしまう。暑さと運動不足のせいなのか、地下鉄の長い階段を登りきった私は軽く目眩を覚えてしまった。手に持った贈答用のお菓子『達也の羊羹』がずしりと重い。目的地は出口を出て3分ほどの場所にある。目指しているのはYaーTaプロダクションの事務所だ。
「着込み過ぎや。カワイ子ちゃんが台無しやで」
「もっと寒いと思ったんです。電車内、暖房利きすぎです」
ガイ社長がからかうように言った。この人、目立つ格好だから恥ずかしいんだよね……。
マネージャーさんにも付いてきてもらいたかったけど、忙しそうだから断念した。世間ではもうすぐバレンタインの季節だ。女性アイドルを抱えるGーStateではイベント配信の季節。無理に付き合わせるわけにはいかない。
目的地に到着した。ちょっとした衝撃でも崩れてしまいそうなほどに古めかしいビルだ。とても新興した事務所が入っているとは思えない。
「ボロっちいなー。ええセンスや」
「懐かしい気分です」
「立ち上げを思い出すな。入ろか」
ビルの中へ入る。世間では休日とあってか、ビルの中は静かだ。入り口に設置されている、連絡用の電話でコールする。
「なんやこの電話。ウンともスンともカンとも啼かへん」
「あ。用がある方は直接お越しくださいって書いてありますね。調子が悪いみたいです」
「古い建物あるあるやな」
ガタガタと揺れるエレベーターに乗り、事務所のある階へ上がった。中は薄暗く、人のいるようには思えない。
「うわ。この給湯室懐かしい感じするー」
「ここまで
ガス式の給湯器とカセットコンロですよ。ここでルルーナさんはナティカさんの料理を作ったんだ……。あ。フライパンがある。ちゃんとYaーTaプロの物だってラベリングしてあるね。
GSも昔はこんな古いビルを借りて運営していた。雰囲気がよく似ている。今は今の良さがあるけど、時々、昔の事務所の雰囲気が恋しい時もある。タレントが増えてきて、さらに仕事が増えて、仕事場に対して人が多くなっちゃったから引っ越ししたんだよね。タレント総出で引っ越し作業を手伝ったのは懐かしいし、楽しかった。
……いけない。浸ってる場合じゃない。懐古気分でいるのは、もう卒業するんだ。昔『は』良かったじゃない。昔『も』良かったにしなきゃ。
「詩子ちゃん、余裕あるなー」
「今だけだと思います。事務所前まで来たら助けてください」
約束の時間より5分前。ちょうどいい塩梅だ。事務所の前に設置されている内線から社長がコールする。うわー、手汗すっごい。久しぶりに灯と会うから緊張しちゃうな。
「はぁい。GーStateの社長さんが来たでー。中入れてーな」
「社長、恥ずかしいです」
でも緊張は加速度的にどんどん高まってくる。灯も同じ気分なのかな。それとも何も気にしていないのかな。気にしていなかったら悲しいけど。
入り口のドアが開いた。あれ。灯じゃない。男の人だ。見覚えがあるけど……。あ。思いだした!
「あれー!? 舞人くんやないか!」
「
「ご無沙汰しております、ガイ社長。最上さん」
元じゅうもんじのライバー、
「ホンマにご無沙汰やったなーっ! キミ、ここで働いとったんか! いま名刺貰える?」
「承知しました。どうぞ」
「プロデューサー兼統括マネちゃん……ホー! ええなー! 新婚生活どう?」
「最高ですね。子育ては大変ですが」
「ええなええなー! ラブラブできるのも最初のほうだけやで! ぶはははは!」
既婚の男の人同士で盛り上がってるなー。でも拍子抜けして緊張が解けてきたかも。
「うっし、第一ミッション終わり。詩子ちゃんを無事に送り届けたことだし。オジサン行くわ」
……へ?
「行くとは、どちらへ?」
「デート。先約がおんねん」
「左様ですか」
左様でいいの如月さん!? なんで動揺しないの!?
「安心せえ詩子ちゃん。帰りもしっかり送っちゃる」
「はぁ!? ちょちょちょっ!? ガイさん!? 私、謝罪なんてしたことないですよ!?」
「今日は『これからもよろしくね』の挨拶やねん。ありのままでええよ。ほいたらな、詩子ちゃん。終わったら連絡よこしーや。バイバイキーン」
狼狽える私を一瞥することもなく、ガイ社長は去って行った。
会社としての訪問でしょ!? 何考えてるんだ、あのキツネ親父! 舞人さん笑ってるからいいけど、相手が顔見知りで冗談通じる相手じゃなかったら大問題だぞ!?
「あの人らしい自由奔放さですね。外で立ちっぱなしも寒いでしょうし、中へどうぞ」
「あ……えーと、失礼します」
一気に緊張がぶり返してきた! ちゃんと喋れるかな、私。頭の中真っ白だぞ。
中は思った以上にずっと綺麗だった。ビルの外見からは考えられない、令和の新興企業らしいシステムチックな内装だ。リノベーションってヤツですね。
「こちらでお待ち下さい。すぐに向かわせます」
応接間に通された私は、高級そうなオフィスチェアに腰を下ろした。応接間だけどソファーじゃないのか。普段は仕事用としても使用してそう。昔のGSも似たようなことしてたし。
こんこん、と控えめなノックが聞こえた。咄嗟に立ち上がって身構えてしまう。
ああ、いよいよか。半年ぶりぐらいなのに、10年ぶりの再会に感じる。どんな表情してるかな。
「お待たせしました」
如月さんが一礼して入室してきた。その背後には――。
「……っ!」
「………………」
灯は無言だった。表情がこわばっている。めっちゃ気まずそう。もうちっとも怒ってないんだけどね。緊張が圧倒的に勝っている。
それと、もう一つ。私は灯の顔をひと目見て真っ先に思ったことは――。
「本日はよくお越しくださいました。楽にしていただいて結構です」
「あ……ありがとうございます」
おっといけない。ぼーっとしちゃ駄目だ。如月さんの音頭に従い、私はオフィスチェアへ腰を掛け直した。如月さんがお茶とお茶菓子をそれぞれ配ると、二人は私の正面に並んで座った。
「本日はどのような用件でしょうか。先だって頂いていた連絡では、訪問理由は明記されておりませんが」
「え、えっと……今日は……」
しまった、まずい! 謝罪だよね? 謝罪でいいんだよね!? てっきりガイさんが応答するものだと思ってたから、私、作法とかまるで何も分かんないぞ!? えーとえーと!?
「まずはこれ、どうぞ」
苦し紛れに贈答用のお菓子を灯に差し出す。すると、灯と如月さんはきょとんとしてしまった。あ、あれ!? なんで!? 間違えた、私!?
「えーと、舞人くん」
「とりあえず受け取っておきましょう。頂戴します」
うわああ! 間違えたっぽい!! は、恥ずかしい! あのキツネ親父、立ち会わないなら立ち会わないって言ってよ!
恥ずかしさに身を縮めていると、二人とも肩の力を抜いて微笑んだ。なんだなんだ?
「あー……舞人くん。あの社長、しーちゃんと段取り決めずにほっぽりだしたパターンだ」
「ですね。最上さんは貴女と違って優等生ですから、会社としての謝罪はほとんど経験無いのでしょうね」
「喧嘩売っとんのか。改めて。しーちゃん、楽にしていいよ」
「え、あ、うん」
「一応、法人としての来訪だったから他人行儀モードで様子見したけど……その様子じゃ、いきなりガイ社長から引っ張り出されたクチみたいだね」
「お昼過ぎくらいに、いきなりウチに来た」
「あ、うん。想像できたわ。災難だったね、しーちゃん」
「ほんとに何もかもいきなりだよ……」
「でも、良かった」
「何が?」
「しーちゃん元気そうで」
「それはこっちの台詞だよ。元気そうで良かった」
「……ぷっ」
「ふふっ」
場の空気に耐え切れず、お互いに吹き出してしまった。
灯は、秘密にしていた病気の件を私に話さなかった罪悪感で私に嫌われていないか不安だっただろう。私は私で、そんな灯を突き放してしまったことに罪悪感を覚えていた。お互いがお互いに気まずさを感じていた。
でも、まったくもって杞憂だった。最初に顔を合わせたとき、灯も、きっと同じことを考えていたんだろうな。
思ったよりも元気そうで良かったなって。
灯の顔を見て初めに抱いた感情は――安堵だった。現代の社会人特有の疲れは見えない。元気そうな顔をしている。心臓に病を持っていると言われても、絶対に気づかないほどには健康そうだった。
呆気ない和解だったな。もしかしたらガイ社長は、私や灯の緊張を見越して去って行ったのかもしれない。全部ガイさん任せにしちゃうだろうし。
「もうお二人とも大丈夫そうですね」
如月さんは渡した菓子折りを手に、優しい笑みを崩さないまま席を立った。
「私は席を外します。あとはお二人でごゆっくり」
「もう行っちゃうの? 舞人くんもしーちゃんとは久しぶりなんでしょ?」
「私は、『不安とストレスで発作起きそう助けて舞人くん!』なんて泣きつくから仕方なく付き合っただけです。不安とストレスが無くなったようですし。用済みでしょう」
「ちょっとぉっ!?」
「それと申し訳ありませんが、最上さん。本日ルルーナさんは別件で事務所にはいません。彼女へのメッセージがあれば、後ほど社長か私から伝えておきますので、遠慮なく仰ってください」
「は、はい!」
「では、失礼します」
如月さんは丁寧なお辞儀をして部屋から出ていった。私より若いのによく出来た人だなー。
そういえばルルーナさんの件で謝りに来たんだった。灯のことで頭いっぱいで、すっかり忘れていたよ。私の恩人なのに……別の意味で罪悪感が出てきちゃったな。
「とりあえず羊羹を持って来たってことは、いちおう建前としては謝罪のようね」
「うん。ちなみに謝罪って、どう動くのが正解なの?」
「とりま謝って、相手から許されたら、今後ともヨロシクって渡すんだよ」
「へー。さすがだね、灯」
「こちとら謝罪のプロよ。訪問謝罪と謝罪メール書くのと土下座をやらせたら世界でも五指に入る自信があるわ」
「その前に謝罪をしない努力をしようよ……」
「しーちゃん――」
「灯。まずは私から謝らせて。灯の事情も考えずに冷たくしちゃったこと……迷惑かけて、ごめんなさい」
「うん。じゃあ私も。事情も伝えずにGーStateから――しーちゃんたちから離れてごめんなさい」
やっと――やっと区切りをつけることができた。長かった。この半年、本当に長かった。もうこんな辛い思いは二度とごめんだよ。心残りは、ルルーナさんへ直接謝れなかったことかな。
「ルルーナさんにも伝えておいてください。ルルーナさんの配信を邪魔したこと、ごめんなさいって。本当はこの件について謝らなきゃいけないんだけどね」
「ルルちゃんなら絶対気にしないから大丈夫。たぶん初めて羊羹を食べるだろうから、その分テンションが上がってお礼を言うくらいよ」
「本当に記憶喪失なんだねえ……設定じゃないんだ」
「相手を不快にさせずエンタメとして盛り上がってればウソでもマコトでもいいわよ」
「確かにそうだね。
灯は温くなったお茶を一口含んでから、表情を変えて私に向き直った。その表情は灯らしからぬ真面目さである。
話を変える気だ。それも、とてつもなく真面目な話に。私も咄嗟に身構えた。
「話は変わるけど、しーちゃん。YaーTaプロに来ない?」
ほらやっぱり。
「……驚かないね」
「灯なら言い出すだろうなって思ってた」
「なら話は早そうだ。言葉アリアの心は晴れても、GSのメンバーとの絆が戻っても、『ひとりぼっちのアリア』は解消されない。なまじ同期との過去が残っているから、昔の黄金期と比較されてしまう」
「否定しないよ。未だに昔の1期生との掛け合いを求める人は多いもん。対等な立場で話せる人、もうメンバー内じゃ誰一人いないから、余計にだよね」
言葉アリアは他の面子に比べて、比較的真面目で清純さが売りのアイドルだ。他のメンバーとはどうしても一歩引いた態度を取ってしまう。
でもGSの1期生相手には話が別だ。甘えるのも、冷たい態度を取れるのも、1期生相手なら全然問題ない。リスナーはそんな人間らしい言葉アリアが好きなのだけど、もうそのアリアを見られる機会は無い。
「ウチの1期の特待生として迎え入れるつもりだよ。しーちゃんとウチの1期生はお互いに物凄く相性が良いと思うし、デビューが近いならほとんど同期として見てもらえる。
「確かに、言葉アリアを引き抜くには今が一番の好機だね。追い出し環境も、受け入れ環境も整っている。新しい同期が生まれる。何よりも、間接的とはいえ、
私は歌以外のスキルはからっきしだ。1期生をはじめとした仲間のみんながいたから、辛うじてGS1期生としてやっていくことができた。その境遇は今も変わっていない。
でもYaーTaプロには、もう表舞台には立てないけど、藍川アカルという最高の仲間がいる。ルルーナさんたち1期生という頼りにできる仲間がいる。私を慕ってくれる人々がいる。
灯は私の心配をしてるんだ。私と相性がいい環境であり、サポートが充実しているからこそ、私を誘ってくれているんだろうな。
「……この話はガイ社長にも通してる」
「社長は?」
「しーちゃんにおまかせですって。突き放しも、引き留めもしなかった」
「あくまで私の問題かー……」
「今すぐには決断しなくていいよ。でも特待生として迎え入れられるには、タイムリミットがあるってことも頭に入れておいて」
本当に魅力的な提案だ。でも、GSを簡単に離れられはしない。だって、6年間の思い出が詰まっているんだもの。
「……考えさせてくれないかな。ちょっと時間を置いて気持ちを確かめたい」
「うん。大丈夫。でも長い時間は待てないよ。1期生として迎え入れたいからね。とりあえず――」
「もうすぐ配信する、言葉アリアの6周年記念ライブ。そこまでに答えを聞かせて、しーちゃん」
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