43話 決戦前の金曜日
―― 朝倉灯 ――
愛車の
混雑の時間は回避しているとはいえ、都心特有の交通量のせいで愛しのランエボちゃんを上手く転がせないのは寂しいけど、エンジンの重低音を聞いていれば気にならない。
『それでは次のニュースです――』
昔は音量増しめでGSアイドルの曲をリピートしていたけど、アイドルの曲を聞いていると現場に復帰したい欲が出てしまうので、再生を控えているうち、最近ではすっかりラジオのニュースへ変わってしまった。とはいえ、経営者としてはアイドルの作品よりも世間事情に精通している方がためになるのは間違いない。罪悪感が無いという点では最高のBGMだ。
YaーTaプロダクションの事務所が入る雑居ビルに到着する。今にもワイヤーが切れそうなほどグラグラ揺れるエレベーターに乗り、事務所の中へ。
時刻は午前10時。プロデューサーの舞人くんをはじめ、既にスタッフは各々の仕事へ取り組んでいた。皆はだいたい朝の9時から仕事を始めるけど、私は社長だから重役出勤をするのだ。社長なんだから、たった1時間とはいえ特権が無いとね。
「おはよーみんな」
「おはようございます」
舞人くんをはじめとするスタッフへ挨拶を送り社長室へ。扉を開けた瞬間、ふわりと淹れたてのコーヒーの香りが漂った。
おや先客。今日はメイド服だから掃除してくれたんだ。
「ルルちゃんだ。おはよう」
「おはよう灯。そろそろ来る頃だと思ったから温かいコーヒーを淹れておいたぞ」
「サンキュ」
コートを脱いで社長椅子に座った私へコーヒーを渡してくれた。うーん、いい香り、いい味。美人に淹れてもらったコーヒーは格別ですな。コーヒーメーカーはカプセル型のバリスタマシンだから、カプセルとお水セットしてスイッチオンするだけなんだけどね。気分気分。
いやーしかし、事務所にメイド服の女が居座っていてもまったく気にならなくなっちゃたなー。最初は気恥ずかしさと違和感しかなかったんだけど。慣れって恐ろしい。
「それで、今日はどうしたの」
「ウチ一番のコーヒーの味を確かめにな」
コーヒーミルクをドバドバ入れて角砂糖を3個もぶち込む子がコーヒーの味を語るわけがないでしょ。可愛らしい笑顔だけれども、これは何かしら面白いイベントを仕入れてきたに違いない。
しばらく雑談をしていると、手帳を片手に舞人くんが入室してきた。昨今の朝会はオンラインチャットで済ませる会社が多いだろうけど、我が事務所は古き良き対面スタイルである。なんだかんだで、アナログ環境で見聞きする声と表情に勝るものなし。
さて、その舞人くんですが。彼もまたニコニコ笑顔だね。
「どしたの、お二人。何か良い事あるの? 私、まだ今日の予定見てないんだけど」
「すみません。これから狼狽する社長が見られると思うと愉悦が止まらなくて」
「え。なになに。もったいぶらないで教えてよ」
「メールを見れば分かるぞ」
社内に展開するメールはタレントのルルちゃんにも特例として展開している。彼女はもはや半分スタッフのような立ち位置だ。
どれどれ……ん? んん!?
「はぁ!? ガイ社長がウチに来るですって!? 今日!? 何の用件ン!?」
「明記はしていませんが……おそらく言葉アリアの一件でしょう。二度目の謝罪ですね」
「もうしてもらったっつーのに……律儀だなー」
「いい表情だ、灯。来た甲斐があったぞ。しかし、なぜ二度も謝罪をするんだ?」
「ビジネスの場では珍しくないですよ。一度目は純粋な謝罪目的。二度目は関係性の修復が目的といったところですね」
急すぎでしょ! 私の都合とかお構いなしじゃない……あ。社内のスケジュール管理は全部舞人くんにぶん投げてるんだっけ。ジャッジ役がゴーサイン出したら通っちゃうよね。
「社交辞令だの落とし前だの……これだから日本のビジネスは嫌いなのよ」
「社会人の台詞ではありませんね。拠点を海外にでも移しますか?」
「私、日本語しか喋れないから却下!」
あのキツネ親父の事だ。所属タレントの謝罪へ出しゃばる立場じゃないくせにワザワザ来るって事は、別の用事や目的があるに決まっている。用心しなくちゃ。
「応接間の受け入れ準備を済ませておいたぞ。総理大臣でもヤクザのオヤブンでも受け入れられる。
残りの懸念は飲み物と茶菓子だ。この事務所の物は皆安物ばかりだったな。安物をビッグゲストに振る舞うわけにはいかないよな、灯」
……ルルちゃん、さては!
「買い物が目的だな!」
「ご
「奇抜な商品は避けて、過剰に買わなければ経費として認めます。抑えるべきポイントとおすすめ商品をリストアップしたメールをルルーファさん宛に送信済みです。チョイスは全ておまかせします」
「さすが。助かる」
私は助からないぞ! まだ収益ほぼ無いから私のポケットマネーなんだぞ!
「……ルルーファさん。社長と二人で話したいので、席を外してもらえるでしょうか」
「承知した。目的を果たしに行ってくるよ」
「メイド服からは着替えてくださいね」
ルルちゃんは去り際に舞人くんへ手をひらひらさせてから事務所を出ていった。あからさまな人払いだったけど、ルルちゃんは気にしていないようだ。
柔和な舞人くんの表情が一変。引き締まった顔でこちらへ顔を向けた。
「いよいよですね。鎧坂社長なら最上さんも連れ出しかねません。結局、今日まで最上さんには会っていないのでしょう?」
「だって気まずいもん」
ずっと騙してきたんだし。なんで話してくれなかったのって、めっちゃ怒ってきそう。初手呆れ顔で睨まれたら心の中で泣く自信があるぞ。
そういう奴じゃないのは分かっている。しーちゃんがどんな心境でいるのか予測もついている。でもあくまで予測だ。もしも怒っていたらと思うと、やっぱり怖いのだ。
「来るかなー。来るよねー。しーちゃん」
「十中八九、来るでしょうね。鎧坂社長がいらっしゃるならば。そもそも鎧坂社長の目的は、おそらく貴女方二人の関係修繕です」
「ですよねー」
私はもちろん、舞人くんもガイ社長との付き合いが長い。社長の行動はある程度予想可能だ。ガイ社長はしーちゃんを連れてくる。間違いない。
「さっさと話し合ってお互い謝ればいいだけなのに。たかが痴話喧嘩です。どうせ大したことにはならないですよ」
「対岸の火事だと思って。無責任」
「私の関心は、
「まあねー……」
「そろそろ、藍川アカルと言葉アリアの仲違いに決着をつけましょう。ひとりのファンとして、私はそう願っていますよ。
まあ……もしかしたら、今回の話で更に仲違いとなってしまうかもしれませんが」
―― 最上詩子(言葉アリア) ――
「――はい、ではその段取りで。ではよろしくお願いします。有難うございましたー」
リモート会議ソフトをオフにして、ヘッドホンを外した。相手は私のマネージャー。会議の内容はスケジュールの確認と調整である。最近は空白ばかりだったスケジュールも、どんどん文字の密度が増している。もちろん、予定は全部仕事の内容だ。半年間貯めていたツケが戻り始めたのだ。スタッフがこぞって収録へ呼んでくれたり、GSのみんながコラボへ引っ張りだこにしてくれて嬉しいけど、ちょっと疲れちゃうな。でも嬉しい悲鳴だよね。言葉アリアはまだ必要とされていたって分かるから。
ぴこんっ、とスマホからRIMEの着信音が鳴った。反射的に差出人を確認する。
「みなもちゃんか……」
おっと。今、あからさまにがっかりした声を上げちゃった。いけないな。ちゃんと気持ちの整理をつけないとだよねー……言っておきますが、みなもちゃんとはリアルでも仲いいですからね。
簡単に返事をしてタスクの整理をしていると、今度はインターホンが鳴った。通販は頼んでないんだけど。
インターホンに内蔵したカメラ越しに相手を確認する――って。
「
『よっす。詩子ちゃん、おひさー』
急いで玄関の鍵を開けて出迎える。サングラスをかけて派手なアロハシャツの上に分厚い蛍光色のパーカーを着た金髪の男の人が立っていた。にこやかに手をふる姿は、引きこもり気質の私にとって、どこか懐かしささえ感じる。
「お久しぶりですガイ社長。どうしたんですか?」
「遊びに来たで」
「嘘ですね」
「せやな。嘘やで」
GSが大企業となる以前と比べると、ガイ社長は私達タレントへ気軽に接触をしなくなった。ましてやここは私の自宅である。わざわざ顔を見せたということは重要な連絡があるということだ。
「詩子ちゃん。このあと用事ある?」
「無いこと分かってて言ってますよね」
「さすが詩子ちゃん。長いことやってるから、我々すっかり
はいこれ。なんやと思う?」
紙袋に入った何かを受け取る。ずしりと重たい。これは――。
「お菓子ですか?」
「達也印のようかん」
「高級品じゃないですか。私に?」
「ジョーク上手いな詩子ちゃん。
YaーTaプロダクション――もとい、灯ちゃんとルルーナ団長ちゃん宛やね」
「え」
「キミ自身からの謝罪、まだよね?」
「んぐぅ!?」
ルルーナさんの配信に出演してから、そろそろ一週間。意を決して会えないかのメッセージを送ったものの、灯との会話チャンネルに進展は無く、約束の対談も未だに宙ぶらりんのままだ。電話にも灯は反応しない。意図的に避けられている。
気まずいのは分かるけどね。私だって、メッセージを送ろうと決心してから送信まで、だいたい三日かかるほどの勇気が必要だった。ずっと私に隠し事をしてきた灯にとっては私よりも重荷になっていたはず。うん気持ちは分かるんだ。だけれど。
……何が言いたいのかって言うとね。私は筋を通しているから、応じない灯が悪いよねって話です。こっちは、いつ返事が来るんだろうって、毎日何度もスマホの画面を見てやきもきしてるってのに。
「せつな嬢や君のマネちゃん、プロデューサーにまで散々泣きつかれてなあ。オジサン情けないで。揃いも揃って、ええ大人がケジメのひとつやふたつもつけれんとは恥ずかしい」
「あれは灯が――」
「はいはーい言い訳は結構でござんす。それ持ってこれからYaーTaプロに謝罪カチコミや。GSの謝罪面談として公式に
「こ、これからぁ!?」
「せやで」
「準備させてくださいよ!? 私、アクシデントに弱いの知ってるでしょ!?」
「そうやってそのうちそのうちと、お互い後手後手取ってるうちに、踏ん切りつかないまま自然消滅して一生会わずじまいになるのが君らでしょ」
んんん! さすがガイ社長! 私たちへの解像度が高すぎる!
「どっちにしろ詩子ちゃんがルルちゃんに仕出かした件は完全にウチの営業妨害やし。たとえ災い転じて福と成しても、罪は罪や。相手方のお咎め無しとしても、会社を巻き込んだ以上、きっちり落とし前はつけなあかん。GSとYaーTa、今後の関係性のためにもな。面倒やけど、これビジネスなのよね」
ごもっともですけど……まさかガイ社長まで動くことになるなんて……。
「詩子ちゃん行かんのならオジサンひとりで無理くり行ったるわい。予定してた定例会議すっぽかしたから、元を取るくらいにはエンジョイしてきたる。君は草葉の陰でめそめそしながら結果待ってるとええわ」
「そういう責任押しつけがましい言い方、昔から嫌いです! もう! 行きますよ! 行けばいいんでしょ! ずるいですよ、その言い方されたら行くしかないんだもん!」
思わず暴言が飛び出してしまう。会社のトップに暴言なんて狂気の沙汰に見えるだろうか。だけど元々私たちの距離感はこれくらいが適正なのだ。社長と同じスタートラインでスタートダッシュを仕掛けてきた、1期生だけの特権だ。
だからガイ社長は私の返答に対してゲラゲラと笑っていた。
「ぶはは。ええなええな。昔みたいな元気出てきたやないか」
「よく灯がオッケー出しましたね。ガイ社長なら私を連れ出すって、1期生だった灯なら勘づきますよ」
「
詩子ちゃん覚えとき。相手が逃げるんなら、逃げ道を塞げばええんや。ぶはははは!」
うわ、ずっる。
「そんじゃま。オジサンと二人で、ケジメつけに行こか。主に君たちの心の、な」
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