35話 アップデート
―― エリート販売員 中田 ――
私はスマートフォンショップ販売員の中田。大手ショッピングモールにあるスマートフォン販売店に配属されてはや5年目となる。
業績は上々だ。お客様の声を真摯に拝聴し、できうる限りの要望を叶える。この地味で愚直なスタンスで多くの顧客を満足させてきた。近頃は昇進の声も上がっている。もうすぐ支店長を任される日も遠くはないはずだ。
「ウーッス。先輩はよざーす」
この気の抜けた軽薄そうな男は後輩の村谷だ。今はとぼけているが、いざ仕事となればベテラン顔負けの接客で顧客のハートを鷲掴みにしていく我が店きってのエースでもある。始業前の挨拶はいつも緩い男だが……今朝はいつもにまして酷いな。何度もあくびをしている。
「おはよう村谷。今日はいつになく眠そうじゃないか」
「昨日ちょっと遅くまで動画配信見てまして……ふぁぁ」
「またブイチューバーか。いい年した大人がみっともない」
「先輩時代遅れですよ。今じゃ老若男女問わずの人気コンテンツっす。時代のニーズの最先端なんスからおさえときましょうよ」
「ガールステイトとジュウモンジだろう。お前から何度も聞かされた。もう耳タコだ」
「そこにYaーTaプロも加えてください」
「ヤタプロ?」
「YaーTaプロダクションです。昨日所属ライバー3人がデビューして事務所活動が始まったばかりなんですけどね。俺、今日の仕事のことガチで忘れて配信の見返しと切り抜きの巡回ずーっとしちゃいましたよ。業界の二大巨塔がもうすぐ御三家になりますよ。それどころか今年の覇権コンテンツになりかねないっすね」
「相変わらず言っていることがよく分からん……もうすぐ始業だ。客もまだ少ないだろうから、忙しくなる前に整えてこい」
村谷は生返事をして店を出ていった。今は腐っていてもエースである。手洗いから返ってくる頃にはその甘いフェイスで客を虜にしているだろう。それにしても、仕事への態度は意外に真面目な、あの村谷を寝不足にするとは……。
おっと。さっそく客だ。開店と同時とはせっかちだな。
「おー。いい店知ってるじゃねえか」
「品揃え多くてお気に入りなんスよ。正規販売店で端末探すならここっスね」
客は男女一組。男性の方は何度か目にしたことがある。立派な体格の男で、よく妹さんや友人と一緒に店へ来ていた。
女性の方は見覚えがない。新規の客だ。それも恐ろしく上玉の。思わず食い入るように見てしまう。慌てて目をそらした。俺としたことが礼を失してしまった……気づいていないことが幸いだ。
しかし不思議な関係だ。男性はあからさまに歳上なのに、砕けているとはいえ年下の女性へ敬語を使うなんて。
よし。気を取り直して、ひとまず声をかけてみるか。彼女ほどではないが美人の相手なら何人もしている。相手の容姿によって接客を変える私ではない。
「お客様。よろしければご案内しますよ」
「おお。ちょうど呼ぼうとしていたところだよ。このスマホについて聞きたいんだが」
彼女が手にしているのは、耐衝撃性能に特化したスマホだ。頑丈さに関しては軍用にも耐えうる最高峰の逸品だが、デザインの無骨さと平均をはるかに超える重量のため、女性の購入者は皆無。彼女の華奢な腕には不釣り合いではある……しかし、ただの興味本位での質問かもしれないな。顧客のニーズには答えねば。
「はい、大丈夫ですよ。お答えします」
「このスマホ、ダンプカーの衝突には耐えられるのか?」
……ん?
「ダンプカーって……ダンプカーですか?」
「前のスマホは耐えられなくってな。この世で一番頑丈なスマホを捜しているんだ……いや待て。ダンプカーよりもいいの貰われたら困るな。通過中の電車とか離着陸時の飛行機とか、耐えられそうか?」
「……映画のスタントシーン撮影用ですか?」
「常用だが」
「日常生活でダンプカーや電車や飛行機に衝突しませんよ!? スマホの前に命が割れます!」
「命が割れる……詩人だな、君。むはは」
はっ。いかん。客の前で大声を上げてしまうなど。私はエリート販売員中田。顧客のニーズに答え続ける男……!
「こらこら。無理難題言ってお店の人を困らせちゃいけませんよ」
「聞いてみたら案外解決するかもしれないじゃねえか。捜索の基本は聴取だろう」
「否定はしませんが……すみません。ウチの――あー……いとこがご迷惑を」
「いえいえ。想像力豊かなお方で楽しいですよ」
「ところでそのスマホ、握力500キロくらい耐えられませんかね?」
「ゴリラにでも使わせる気か、あんたら!?」
―― ルルーファ・ルーファ ――
「いやー面白い店員さんだったな。大人しそうな見た目をしながらノリがいい。配信者にしたらきっと伸びるぞ」
「結局は最初のスマホに落ち着いちゃいましたね」
「こいつが最硬っていうんだからしょうがない。人類の叡智の発展に期待するしかないな」
ショッピングモールの中にあるフードコートで新しいスマホの初期設定を済ませつつ、早めの昼食を取ることにした。
動作チェックがてら配信業界隈のニュースを追いかける。やはりというか、話題はYaーTaプロ関連一色で染まっている。Twisterのトレンドワードのトップ10がYaーTa関連と言えば、その影響力が伺い知れるだろう。
「いやーすげえっスね。たった一夜にして超有名人じゃないですか、団長」
「進。その呼び名、外では禁止だと言っただろう」
「おっといけね。もう俺だけの呼び方じゃありませんでしたね」
「次、その呼び名を言ったら、俺はお前の彼女設定で過ごしてやろう。お前のことをダーリンと呼ぶし、オッパイ押し付けて腕は組むし、このパフェはあーんして食ってもらう」
「悪魔かあんたは……!」
いくらガワが整っていても中身がジジイじゃ嫌がらせにしかならんよな。むはは。
「動作確認、アプリ引き継ぎ、おおよそ終わりっと。ゲームも動くし配信にも耐えられそうだ。いい買い物をした。
さて、と。進。折り入って本題だ」
「お? なんです?」
俺はオンラインストレージからデータを引き出し、進のスマホへ、とあるデータを送信した。
「圧縮ファイル?」
「俺の配信音声といくつかのサンプルボイスを録音してまとめておいた。音声研に知り合いはいるか?」
「いえ、いませんけど……でもどうしてです?」
「俺の声を解析してほしい」
「!」
進の眼光が鋭くなった。
「お前もルルーナの配信を見ていただろう、
「手厳しいフリっすね。お見通しのくせに」
「言葉で聞きたい。正直に言ってくれることを願う」
長い沈黙を経て、進――チェイスは何度も目を泳がせながら答えた。
「全てをなげうってまで、心の底から貴方を救ってあげたいと思いました。そして直後に、恐怖でぞっとしました。完全に心が掌握されていたと感じました。あの言葉と声は……どこか異常です」
「期待通りの解答だな。助かる」
チェイスは直情的なようでいて、実は計算高く理で考える男だ。俺とは何もかもが正反対の男なのだ。だからこそ銀星団副団長を任せられたのだが。
そのチェイスが我を忘れて感情で動きかけた。完全にサプライズだった俺との再会とは状況が違う。心を保てる状況下でチェイスは心あらずとなったのだ。
「でもあの後、俺は何度もあの声を聞き直しました! 普通の感謝の言葉でした! ただの偶然です!」
「しっかり驚異を感じて研究してるじゃないか」
「うがっ……」
「だからお前は信頼できるんだ。落ち着け。周りが見ている」
進は項垂れてしまった。
「日本には言霊ってあるだろ。知ってるか?」
「言葉には魂が宿る……言語そのものに霊が宿る……信仰のひとつですね」
「俺はその言霊信仰を想起したよ。言ったことが現実になるとまではいかないが、言葉に力が宿る……まあまあ近いとは思わんか?」
「オカルトじゃないですか」
「俺もお前もオカルトの権化みたいなもんじゃねえか。この世界にとっては。
それに忘れてると思うが。俺、
「……そういやそうでしたね。『アルトデウスの聖女』……俺、未だにあんたが聖女認定されたこと納得いってないスからね」
「あっちじゃ
だが俺という例外が現れた。もちろん前代未聞の出来事である。教会が管理する聖女認定会の面々は俺の扱いをどうするかの審議で多いに荒れた。結局、特例ではあるが聖女として認定される運びとなり、力の行使が初めて観測された場所の名前を借りて、俺は『アルトデウスの聖女』として時折その名を呼ばれるようになった。
「今じゃ名実ともに聖女だから堂々と名乗れたはずなんだがなあ。
「でも
「いやそうでもないんだ。お前が死んでから10年後くらいかな。俺の次に現れた聖女があの感謝に近い事をしていた。そいつは言葉で傷を癒やし、言葉で人々の
「!?」
「言葉通りの意味だ。彼女が働けと言えば骨が折れても働くし、彼女が死ねといえばその場で舌を噛み切らせることもできた。彼女が言葉に
すぐに俺が依頼を受けてぶっ殺したがな。聖女の言葉に対抗できたのは聖女だけだったんだ。俺がいなかったらジルフォリアは狂信者の巣窟になっていたかもな。
進は無言だった。俺の依頼の意図を理解できたのだろう。
配信を通しての人心操作。
事実ならば、もはや無差別に拡散する催眠兵器だ。
「あの時、俺は心の底から感謝と懺悔を乗せて発言した。だからこそ現象が発動した。俺の意図とは関係なくな。俺はそう考えている。このままお嬢みたいにライブで歌をやってみろ。曲によっては
「大袈裟です……杞憂っスよ」
「俺はまだまだ資金難だし伝手が無い。そして灯には軽々しく打ち明けられん。顔が広く、どんな事実も受け止めて最善を尽くし、そして実行に移す資金力のあるお前にしか頼めない。
こいつばかりは今のところ防ぎようが無いんだ。滅多には起こらんだろうが、その滅多が起こっちまったら困る。俺が目指したいアイドルの道にこんな力は必要ないんだ。何としても対策を立てたい」
「贅沢っスね」
「お前だって同じだろう。受け継いだ銀星団副団長の力を使わず漫画家の道を選んだじゃねえか。大して変わらん」
「……うしっ」
進は、ばちんっ、と自分の両頬を叩いた。
「うじうじ悩んだところで気持ちが沈むだけです。やることは単純でしたね。あんたの仮説が正しいなら対策を立てる。そうじゃないなら杞憂だったと笑って流す。どっちの結果に転んでも、俺はあんたの味方である真実は何も変わらないんです」
「頼りにしている。せめて録音くらいは無事だと思わせてくれ」
「お任せあれ! うはは!」
本当に頼りにしてるぜ、進。
そうじゃないと俺、アイドル活動で一番やりたいことができないからさ。
歌くらい、自由に歌いてえもんだ。
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