34話 お姫様とお嬢様


―― 六条安未果 ――


 瞼越しに光が差し込んで目が覚めた。

 物が散らばる汚い部屋。仄かに香る桃の香り。いつも通りの私の部屋だ。狭いワンルームの安アパートだけど住めば都。すぐに物へ手が届くこの広さは十分に気に入っている。

 時間は朝の9時半。早くもなく、遅すぎもせず。中途半端な時間だ。

 今日は何をする予定だっけ? 今は無職だから何も予定は無い。いつも通り求人サイト巡りかなー。

 寝起きだから頭が回らない。朝のルーティン始めちゃおっか。私は朝にチーズトーストとコーヒーミルクをキメないと頭が働かない体質なんです。


「ちぃずぅ~ちぃずぅ~」


 動画サイトの広告CMで聞いたフレーズを口ずさみながら、冷蔵庫からスライスチーズと牛乳、ペットボトルのコーヒーを取り出す。食パンにチーズを乗せてトースターへイン。マグカップの中にコーヒー少々と牛乳を入れて電子レンジへイン。温めている間にハロゲンヒーターと電気毛布をオン。家電4連撃にも耐える我が家のブレーカー、頼りになるなあ。そういう意味でも我が家は好きなんだよなー。


「今日はぁ~はちみつぅ~ゴージャスデリシャストースト~」


 自分でもよく分からない謎フレーズを口ずさみながら朝食をセット。今朝も完璧な仕上がりだ。今日は奮発してチーズトーストにハチミツかけちゃう。気分が良かったり自分にご褒美をあげたいときはこの贅沢に限る。しかもパンは安売りしていた米粉パン。贅沢ここに極まれりですな。


「いっただっきまーす。パンもちもちぃぃ……」


 至福です。この瞬間が一番のご褒美。おはようを言う相手もいない寂しさだって忘れられるね。でも、なんで今日は奮発しようと思ったんだっけ?


「もち、もち……」

 

 ブブブ、とスマホからバイブが鳴った。いつもの迷惑メールかな。おやすみモードにして通知が後から来るようにセットしてるんだよね。でも通知表示が邪魔だから見ておくか。

 ……おや。通話アプリRIMEから? 佐藤? どこの佐藤さん? 私、登録するような佐藤さんはいないよ?


「もち…………もちっ!?」


 いやいるよ! 知ってる佐藤さんだよ! ていうかこの3日間くらいで爆増したよ、私の連絡先!

 急いで連絡の内容を確認する。


『おはようございます! 今朝の調子はいかがでしょうか? 体調がよろしければ、昨日の約束通り、一緒にショッピングしましょう!

 集合場所と時間ですが、10時に有名な渋谷のハチ公前に集合でいきましょう。今日はよろしくお願いします!』


 ……思い出したっ! 初めて佐藤さんと会った時か!? 確かに買い物行こうって誘われましたけど!?

 

「私、行くって返事してないんですけどぉぉ!?」


 あの時に約束したよね状態ですね理解しました! あと30分しか時間がない! しかもよりによって陽キャの聖地、渋谷だって!? 私には一生縁のない場所だと思ってたんですけど!?

 断りの返事は……だめだ、こんなに楽しみにしていそうな佐藤さんに無理ですって言えるわけない! 佐藤さんはルルちゃんと一緒に行けないし……佐藤さんを悲しませたくないよ! 行くっきゃない!

 チーズトーストとコーヒーミルクを流し込み、ひとまず最低限の身だしなみを整えてから、私はクローゼットの中を見て絶望した。


「着ていく服が無い!」


 普段着は洗濯していなくて全滅してるし、ぼっちの私にお出かけ用の服なんて必要なかったから、おしゃれ服なんて我が家には存在していない。唯一着られそうなのはメイド服……可愛いけど論外! どうしよう、どうしよう!?

 ……いや、ある。この服があるじゃないか。どの場面でも使える淑女御用達な最強の戦闘服が!

 これだよ!



・・・・・

・・・


 はい。ほぼ初の渋谷です。佐藤さんにはちょっと遅れると連絡したら、私がハチ公に着くまで別行動するって言って、今は逆に私が佐藤さんを待っていたんだけど……。


「へぇ。お友達を待ってるんだね。とりあえず待ってはいるんでしょ。それまで落ち着いた場所で時間潰そうよ。近くにいい場所知ってるんだ」

「い、いえ、いいいいえ! その……ここここここまっ、困り、困りましゅ!」


 ナンパされるなんて聞いてないよぉぉ……。この服ならどこにでもいる一般通過女性にしかならないと思ったのに! これが陽キャの街、渋谷……こんな洗礼お断りなんですけど!

 相手は頭が残念そうなチャラ男ホスト系の男だ。言葉遣いが意外に丁寧な人だから何とか我慢できてるけど、今すぐ帰りたいです。佐藤さん、早く来てぇぇ……ルルちゃん、社長、助けてぇぇ……。


「まあここで立ちっぱなしも寒いし、とりあえず行ってみようよ。もちろん奢るよー」

「ひぃぃ!」


 肩抱きかかえられたぁぁ……誰も助けてくれないよぉぉ……泣きたいぃぃ……。


「ごめんなさい、お兄さん。その子私の友達なんですけど」

「ささささ! 佐藤さんっ」


 救世主! しかも友達って言ってくれた! でも雰囲気が怖いよ!?

 

「ん? 君が友達? 可愛い声してるねー。ここで会ったのも何かの縁だし、君も一緒に……えーと」


 キャスケット帽で隠れた佐藤さんの顔を覗き込んだ瞬間、大きな傷を見てしまったチャラ男は口ごもってしまった。

 

「おい、早く続き言えよ。可愛い声の続きはどうした? あ?」

「ご、ごめん! お二人の邪魔しちゃったね! ひぃっ!」


 私が瞬きをして瞼を閉じた瞬間だった。次に瞼を開いた時には、棒立ちしていた佐藤さんが、いつのまにか男の顔の前へ靴底を向けていた。空手の足刀ってやつかな。姿勢が滅茶苦茶きれいだ。


「次、この人に用もなく声をかけてみろ。その顔面ぶっ潰すぞ」

「すすす、すぃゃせぇん!」


 チャラ男は腰を抜かしながら逃げていった。かっこ悪いけど、しょうがないと思う。だって佐藤さん、シンプルに怖いもん。あ、でも、足を戻す動作がゆっくりでかっこいい。


「ありがとう佐藤さんんん……」

「ごめん六条さん! 怖い思いさせちゃいましたね」


 違う意味で怖かったよ佐藤さん! 今は可愛いけどね!


「とりあえずここから離れましょう。私たち目立ってるみたい」

「はいっ、はいっ! 行きましょう!」


 佐藤さんに手を引かれてハチ公から離れ、人通りの少ない裏路地へ。ふう、落ち着く……やっぱり人が多い場所って苦手だな。


「怖かったー……やっぱり渋谷は怖いよぉ……」

「ほんとにごめんね。まさか六条さんが本物のナンパに出会っているとは思いませんでした」

「ルルちゃんが一緒のときに一回あったけど、誰かと一緒じゃないと怖いもんだね……それにしても凄かったよ、佐藤さん。格闘技やってたんだね!」

「いえ、やってないですよ?」

「へ?」

「見よう見まねです。私、体幹を鍛えるために中国拳法や空手の演舞みたいに毎朝体を動かしてるんですよ。強いて言うなら我流ってやつですね」


 あの動き完全に空手のプロそのものだったよ!? 動きがまったくブレてなかったし。ルルちゃんは人間離れしてるけど、この子も大概だなあ……。


「アイドルたるものダンスにも力入れたいですもん。健康になる。体幹も良くなる。体が柔らかくなる。動きにキレが出る。ついでに不良も怖くない。良い事づくめです」

「不良なんているの?」

「ウチの地元めっちゃ多いですよ。なんなら私のお母さん、元ヤンですし」

「お母さんが……はー……どおりで」

「え?」

「なんでもないデス!」


 怒った時の威圧感が一般人には出せないんだよね。納得の血筋です。


「言っておきますが、私、不良にはなってませんからね」

「それはそれで逆に怖いよ……」

「それにしても六条さん。なんでビジネススーツ姿なんですか? お仕事の最中ってわけでもないですよね?」

「あ、いや……外行きの服が全滅してまして……この服だったらどんな場面でも違和感ないし」

「たった今違和感バリバリ覚えてますが」

「そうなの!?」

「なんで驚くんですか……デートにスーツ姿で来られたら、そりゃ違和感ありますよ」

「デデデ、デートォ!?」

「女同士ではありますが、二人きりですし」


 言われてみれば確かに! 出会って1日も経ってないのにデート! 一緒に遊びに行くって意味合いだろうけど、これ、デートなんだ……佐藤さんの陽キャムーブ半端ないな。これが渋谷へ行こうって言い出せる子のスゴ味……っ!


「はぁ……やっぱり、服が無かったんですね。予想通りです」

「へ?」

「私が今日渋谷へ誘ったのは、六条さんの服を買うためです。おでかけ用のオシャレ服、持ってないですよね?」

「んぐぅ!?」

「やっぱり。昨日の格好を見て、ひと目で分かりました。オシャレしたことない人だなって」

 

 だってぼっちなんだもん! 遊びに誘われる機会なんて皆無なんですもん! あるわけないですよ! って声に出したい。威張れる内容じゃないから言えないけど。


「いいですか六条さん。貴女はもっともっと自分を磨くべきです! 素材が極上なのにもったいない!」

「えええ!? 買いかぶり過ぎだよ!?」

「現にナンパされてたじゃないですか」

「た、たまたまじゃないかな」

「昨日の服装だったら、たぶんナンパされていませんよ。フォーマルなスーツ姿だったから声をかけられた。私はそう思っています」

「そんなに私の服って残念なの!?」

「申し訳ないですが絶許コーデですね」


 ぐおお……ファッションにはまったく力を入れてなかったけど、面を向かって言われるとショックでかい……!

 佐藤さんは不意にスマホを掲げてRIMEの画面を映した。


「RIMEペイ2万円。お母さんに六条さんのことを話したら一発で入金してくれましたよ。私のお母さんはアパレル会社務めだから話を分かってくれました」

「2万円も!? そんな、もったいない! もっと自分たちのために使おうよ」

「何をおっしゃいますか! むしろ足りないです! だから私のお小遣いバイト代2万円も倍プッシュします。コスメだって買いますからね。覚悟してください! 今日はとことん骨の髄までコーデしてあげますから!」

「なんで増えたぁ!?」


 なんか佐藤さんのテンション異常だよ!?

 

「ど……どうしてそこまでしてくれるの? 出会ってまだ1日も経ってないのに」

「え? えーと……私の個人的な話になるんですが、怒らないで聞いてくれますか?」


 ほっ。よかった落ち着いてくれた。

 

「びっくりしてるだけだから大丈夫」

「私、オシャレにお金を使わなくなったし、他に使い道もあまり無いので……でも六条さんの魅力を引き出せないまま埋もれていくのがどうしても嫌で……お金は全然気にしなくて大丈夫ですよ。私のこだわりですから」


 あああ!? 顔の傷か!? 特大の地雷を踏み抜いちゃったぁああ!? 今の話、私はどこに怒ればいいのかな!?

 

「腕は安心してください。今朝もルルのコーデを担当して喜んでくれましたし、お母さんの会社の人にもよく褒められるんですよ」

「大丈夫、大丈夫だよ! 今日は佐藤さんと一緒に買い物する! とことん買おう! お姉さんも出します! 今日は佐藤さんの着せ替え人形になります!」


 このあと滅茶苦茶ショッピングした。

 あと、佐藤さんと滅茶苦茶仲良くなったよ。

 やったね。へへへ。


 

 

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