24話 伝説の一夜・二幕 帝星ナティカ 前編


―― 六条安未果 ――


 どうしよう。失敗した。

 ボロボロに泣きながら依頼元の会社から出る。涙で目の前が見えないし足もフラフラだ。

 

「うえぇ……ぐすっ、うええ……」


 フリーのイラストレーターをしている私にとって簡単な仕事だったと思う。依頼どおりに絵を描いてメールに添付して送信するだけだったから。私の予測通り、出来上がり自体は期日に間に合った。

 でも一晩寝かせて見直しをしてから送ろうとしたのが間違いだった。メールを送信する前に契約している携帯キャリアが通信障害を起こしたのだ。パソコンのネット回線はスマホの回線を繋いでいるし、フリーWiFiはビジネスで使うにはセキュリティが甘いのでクライアントから禁止されている。直接届けるしか手段が無かった。即座に家電店でUSBメモリを購入し、画像データをメモリに入れてクライアントの元へ急いだ。

 そこからはもう滅茶苦茶だ。時間に間に合ったはいいけど、コピーがうまく行ってなくて、データは破損している事が発覚。自宅へ戻ってもう一回コピーしようとしたら、元データは消えていた。データコピーではなく移動をした上で失敗していたらしい。容量削減のためにバックアップは取らないようにしていたので復旧はできない。つまり、私は仕事を落としたのだ。

 結果をクライアントに報告したら、ずさんなデータ管理について散々責められた後、私はお役御免となった。駆け出しのイラストレーターである私の代わりなんていくらでもいる。

 今までも何件か依頼を受けてきたけど、まだ1つも満足に完遂できていない。もだいぶ溜まっている。新しい仕事も絶望的だ。

 やっぱり私、駄目なんだ。駄目な子なんだ。今まで成功したことなんて何一つ無かった、生きてたって何の役にも立たないんだ。

 私なんて。

 私なんて。

 気がついたら歩道橋の真ん中で突っ立っていた。時刻は深夜を回ろうとしている。でも自宅で明日を迎える気力は無い。泣き喚く元気も無くなった。まだ頑張りたいけど、頑張る気にはならない。

 歩道橋の下を高速で走り抜ける車へ目が移る。

 もういいかな。

 歩道橋の柵へ向けて一歩進んだ瞬間。


「ちょっと失礼しますよ」

 

 顔が現れた。


「ぴぎええぇぇええ!?!?」

「うわ。ごめん驚かせちゃった」


 あまりにも唐突に現れたからその場で腰を抜かしてしまった。その顔は何の悪びれもない様子で私の前にしゃがみこんだ。


「なななな、なんですかあなた! お金なら持ってませんよ!」

「強盗じゃない。ちょっと気になって観察してたの。むしろ貴女から慰謝料を請求してもいいくらい」


 明るく話しかける彼女の笑顔は、私とは正反対だった。きっと成功している人の笑顔だ。無性に腹が立つ。

 私なんかとは違う。


「放っておいてください。私なんかに構ってないで帰ってください」

「いや無理っしょ。置いて帰ったら自殺しそうだもん」

「あなたには関係ない!」

「声かけちゃったし、もう無関係は無くない?」

「放っといてよ! 私だって一生懸命頑張ったんだよ! でも駄目だった! 全部駄目だった! 明日頑張ってもどうせ失敗する! 頑張っても頑張っても絶対失敗する! だったらもう明日なんて要らない!」


 叫んだら、また涙が出てきてしまった。私の自殺を見越して声をかけてくれた見ず知らずの人に当たり散らかす自分が最低で惨めで、恥ずかしかった。


「……なんとなく察した。大変だったんだね」


 同情はいらない。早く立ち去ってほしい。こんなめんどくさい女に構わないでほしい。


「まあその辺の事情はどうでも良くて」


 そうだ。私の事情なんてどうでも――あれ?

 肩をぽんと叩かれる。


「貴女、良い声してるわね。自殺するそんなことより、ウチの事務所でアイドルVtuberやらない?」

「………………はい?」

「私と一緒に人生変えてみようよ」


 街頭に照らされた彼女の目には酷いクマが作られており、化粧もボロボロだ。どれだけ嫌なことがあったんだろうか。

 それでも彼女の表情は明るい。いや、明るく振る舞おうとしている。凄いな。こんなに心が強い人がいるんだ。

 こんな風に、変わりたいな。漠然とそう思った。

 だから私は後先を考えずに返事をしちゃったのだと思う。


「じゃあ、よろしくお願いします」

 

 これが私、六条安未果とYaーTaプロダクション社長、朝倉灯との出会いだった。


 この出会いからおよそ。私は『帝星ナティカ』としてアイドルVtuberデビューする事となる。



―― 帝星ナティカ(六条安未果) ――

 

Natica Ch.帝星ナティカ

【#初配信】初めまして 帝星ナティカと申します【YaーTaプロダクション】

6.5万人が視聴中 チャンネル登録者数3.21万人

 


 初配信で説明することは3つ。

 

 キャラの設定。

 配信の経緯。

 これからの活動内容。


 これが今回の配信ノルマだ。

 最悪、30分の配信時間も、ハッシュタグの公開やクリエイターの紹介も守らなくていいと指示された。

 待機画面では帝星ナティカが大量に星が流れている夕暮れの空を見上げている。徐々に日が傾いて画面が夜へと移り変わっている。気合入ってるなあ。


:待機

:お姉ちゃんキャラ期待

:待機画面のエモさよ

:見守り配信から来ますた


 お客さんがいっぱいいる……でも社長から焦らないコツを聞いてきたぞ。同時視聴の数が0人でも100万人でもやることを変えないこと。言われてみれば確かに納得。カラオケ大会を開いているのに客が多いからって一発芸大会を開く人はいないもんね。

 だから怖がっちゃだめだ。やれることはやってみよう。私ができることなんてちっぽけだけど、それでも出来ることを精一杯やろう。

 頑張るぞ。私は勇気があるんだ。ルルちゃんのサポートが無くたって、私ひとりだってやってやるんだ。今日こそ惨めな六条安未果から卒業するんだ。

 もうすぐ待機画面が明ける。


:きちゃ!

:日が落ちたな(確信

:ワクワク

:COOL属性確定


 いよいよ配信だ。深呼吸を1回。やるぞ!


「みみみみなさん、はじめましがべべべえええあえ!?」


:ファッ!?

:何事!?

:吐血?

:え? やばない?


 何!? 何なの!? いきなり鼻と喉に粘液が絡みついたように喋れなくなったよ!?

 ぼたぼたと水音がするからよく見てみると、鼻から大量の鼻血が垂れ落ちてキーボードやマイクにかかっていた。

 なんで? どうして!?

 

「ひ、ひぃ!? はなひぃ!? たたたたひゅけへぇ! げほっ、げぼっ!?」


 鼻を塞いだら逆流して血が喉を通り盛大にむせる。慌てて手持ちのハンカチを鼻と口に押し当てるも、ハンカチはどんどん赤く染まっていった。

 そうだ。私は昔からこういう体質だったんだ。興奮や緊張がめいっぱいになると鼻から血が出ることがある。最後になったのは高校の頃だったし、アグニスちゃんの配信を見ても問題なかったから、今回も大丈夫だと思ったのに! よりによって、今ならなくてもいいじゃない!


:放送事故

:カメラ止め

:こっわ……

:運営仕事しろ


 まずい。リスナーさん達が混乱してる。まず謝らなくちゃ!


「ほ、ほへんなさい……おおろかせひゃっへ、ほへんなさい」

 

:何言ってるか全然わかんね

:本当に大丈夫?

:まずは病院行こう? な?


 駄目だ。ぜんぜん話にならない。血を止めなきゃ。席を離れる? でも本当に止まるのかも分からない。それにこんな事故をしでかして、この部屋に戻れる自信もない。画面を見るのが怖くなるに決まっている。


:進まねえ

:初手ASMRと思えば

:つまんね

:がんばれ!


 がんばるがんばらない以前の問題だよ! 喋れないVtuberなんてどうすればいいのよ!

 ああ、やっぱり。私なんかじゃ務まるわけなかったんだ。社長やルルちゃんの甘い言葉に踊らされただけの滑稽な女なんだ。


 昔からそうだ。

 小学校はいじめられて。

 中学校は登校拒否して。

 高校は3年間友達もできなくて。

 大学は2回浪人した後に4年間ほとんど引きこもって中退して。

 お仕事に就いてもどんくさくてすぐに辞めさせられる。


 何をやっても落ちこぼれ。何をやっても成果は出せない。結局、私はそんな女なんだ。底辺を這いずり回って、親兄弟に頭下げてお情けでお金を貰って、汚い部屋に住んでいつの間にか孤独死するのがお似合いの女なんだ。

 今回も駄目だっただけ。いつもの事じゃないか。そんな私なんかに奇跡が起こるわけないじゃないか。

 悔しい。惨めだよお……。


「ぐすっ……うええ……うえぇぇ……」


:泣き出した

:がんばれ

:ガチ泣きじゃねーか

:なんでこの子採用したの?

:大丈夫、まだ大丈夫!


 どんどん視聴者数が減っていく。どんどん否定的なコメントが占拠していく。

 ああ。私、失敗したんだ。

 今回も変われなかった。私は駄目な女だって再認識しただけだ。


:紅焔ちゃんの流れを見事に断ち切ったな

:やっぱダメ運営

:事情がよく分からんが事故ってるのはハッキリ分かった

:落ち着いてー

:大丈夫だよ


 もういいよ。配信切ろう。このまま続けたって意味不明なうめき声とみっともない鳴き声が流れるだけだもん。こんな女、世の中にいないほうがいいよね。そうすればこんな事件も起こらず皆に迷惑をかけることもなかったんだし。


:音ないなった

:マイク切ったな

:あーあ

:これは……しゃーない

:はやく終われ

 

 マイクプラグを抜き取り、配信停止のボタンをクリック。


「ナティカちゃん! まだ! まだ失敗してないよ!」


 クリックの手前で声が聞こえた。顔を上げる。

 社長だ。


:お?

:なんか反応したな

:きょとんしとる


「よく見てナティカちゃん。コメント、よく見て」


 コメントなんて見たところで酷い事が並んでいるばかりだ。


「まだナティカちゃんを待ってる人がいるよ。だから失敗じゃない」


 え?


「まだ応援してくれている人たちがいる。だから前を向いて。まだ諦めるには早い。変われるよ、ナティカちゃん」


 社長から言われるままにコメントをスクロールする。ほとんど誹謗中傷ばかりだけど、たしかに応援してくれる人たちもいる。いっぱいいる。


:ストップ! まだ見てるぜ!

:切らないでくれー!

ゆめうつつ@帝星ナティカのマッマ:がんばれー!

eldld:いかないでくれー!

:↑ママもよう見とる

:↑パッパもおるで(eldld)

Ya-Taプロダクション【公式】:負けるなナティ姉!

:アグニスちゃんもたまらずコメント

:紅民は総出で応援だよなあ? 応援してないやつおるー?

:↑紅民だけど聞く必要ある? 応援するに決まってるだろうがよ!

Aria Ch.言葉アリア:頑張れー!

:アリたん!?

:コメント大丈夫!?

Aria Ch.言葉アリア:最後まで応援する! 私は応援するよ!

:ただのリスナーになっとるww

:古参はこういう失敗をいっぱい経験してるからな

:他の見守りV勢も続々参戦しとるぞ!

Luruna Ch.ルルーナ・フォーチュン:悪い、遅れた

:ルルーナいるじゃねえか

:待ちわびたぞ!(ガチ

Ya-Taプロダクション【公式】:遅えぞルル! さっさと全力で応援しろ!

:ひっ

:紅焔ちゃん!?

:ブチギレwwwww

Luruna Ch.ルルーナ・フォーチュン:君はひとりじゃないよ

Luruna Ch.ルルーナ・フォーチュン:皆が待ってる


 ひとりじゃない。

 そうだ。私はひとりじゃなかったんだ。勝手にひとりで頑張ろうって空回りしちゃっていたんだ。

 私は皆に大丈夫だと伝えるため、カメラに向かって大きく頷いた。


:おっ!

:ナティ姉復活ッ!

:流れ変わったな

 

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