20話 勇気を出して


 ―― 六条安未果 ――

 

 無理無理無理無理無理! 何なのあれ、何なのあの子!? ルルちゃんが大げさに脅すから半信半疑だったけど、大げさどころかルルちゃんの表現を三回りくらい超えてきたんですけど!? そりゃ幻の3人目ちゃんも辞退するよ! 立つステージが違い過ぎるってば!

 現実逃避したくて慌てて個室に駆け込んだけど全然解決しない、むしろ考えがまとまらなくてぐるぐるする……うわああ、頭の中で紅焔ちゃんのファイアーが繰り返されるぅぅ……濃縮された電子ドラッグじゃん、あんなの! うう……緊張と興奮で頭に血が昇るぅ……。


「姫」

「どうしよう、どうしよう……佐藤さんの後に私なんかが出るなんて、それこそブロードウェイの大舞台が公演された直後に幼稚園のお遊戯会を開くようなものだよ。世間の笑い者。恥さらし。YaーTaプロダクションのお荷物筆頭だよおお……」

「姫、もういいかい?」

「ふぁ!? え、ああ、姫って私のことか。えーと、まーだだよ」

「かくれんぼじゃないよ。余裕あるじゃないか、姫」

「あるように見えます!?」

「俺が思っていた以上にはね。まだ配信まで20分ほどだ。気持ちが落ち着くまでゆっくりしていけばいい」

「じゃあ一生出られませんね」

「出るまで付き合う。俺は持久戦も得意だよ」

 

 それは卑怯だよね。ルルちゃんをエアコンも効かないトイレの中に付き合わせるわけにはいかなくなっちゃう。でも出たくないよぉ……うう、寒いぃ……。


「姫。差し入れだ。受け取れ」

「へ? うをおお!? あっちぃ!?」


 個室上部の開いたスペースから円柱状の物体が投げ入れられる。その物体は私の胸で1回弾んでから私のひざ元へ落下した。ホットのレモネード缶だ。


「未開封のホット缶はさすがに危ないよルルちゃん……」

「落とさなくて良かった。まだ兵糧はいっぱいあるから安心してくれ」


 今の受け取れなかったら延々と缶ジュース爆弾を投下されてたのか……全身全霊でゆっくり味わおう。まだ死にたくない。

 でも実際ありがたい。レモネードってチョイスが良い。きっと今いちばん欲しかった飲み物だ。


「もうすぐYaーTaの公式チャンネルでお嬢が俺たちを見守る同時視聴配信が始まる」

「そんなスケジュールでしたっけ?」

「緊急対応だよ。姫が心配だからと社長が仕掛けた精一杯の配慮だ。社内はお嬢のやらかしに対する電話対応で手一杯でな。その他雑務はぜんぶ俺がワンオペ中だよ。君の配信サポートも含めてね。ひでえ会社だ。だいたい終わらせてきたけどな。あとの仕事は君の様子を見るくらいだ。むはは」


 悪態をつきながらもルルちゃんは滅茶苦茶楽しそうだ。ルルちゃんだってこの後に配信を控えてるのに凄く余裕を感じる。

 

「すごいなルルちゃん。怖くないの?」

「興奮が勝るな。お嬢も世間の反応も俺の予想を超えてきた。まだまだ学べる世界だよ」

「私はルルちゃんみたいにポジティブになれないよ……佐藤さんみたいに歌も上手くないしお喋りに自信ないし……絵はそこそこ自信があるけどバレちゃうから過去絵は使えないし……なんにも無いよ」

「勇気があるじゃないか」


 ……あれ? 勇気? 勇気って言った今? 今の私に一番遠い言葉じゃない?


「勇気があったらこんなところでウジウジしてません」

「でも逃げてない。と違ってね」

「……このお仕事は成し遂げたいんです」

「立派だ。灯に吹き込まれたな」


 図星です。内容は恥ずかしいのでノーコメント。暴露するほど時間も無いし。

 

「今回のケースの場合、間違いなく放棄していい権利が姫にはあるよ。実際、灯はそのリスクを込みで君をスカウトした。

 当然だ。契約は昨日したばかりで、Vtuberの基礎知識もほとんどゼロからスタートの一般人なんだからな。おまけに帝星ナティカの代役採用ときた。とんだ地雷案件だ。正気の沙汰じゃない。

 それでも姫は頑張ろうとしている。これはとても凄い事だよ。姫が思っている以上にね。今の姫は何をしたらいいか分からなくて混乱しているだけ。解決できない問題から逃げずに立ち向かっている真っ最中じゃないか。勇気と言わずして何と表現するんだ」

「もしかして、私、変なことしてます?」

「だいぶね。でも姫を見て確信した。灯が姫を採用した理由が分かったよ。君はお嬢と並ぶに相応しい逸材だ」


 扉がノックされた。『もう大丈夫だろ?』という合図だ。見抜かれてるなぁ。

 扉を開ける。缶コーヒーを片手に佇むルルちゃんの姿があった。


「自分の配信を質の低い幼稚園のお遊戯会に例えていたね。一流とは程遠い幼稚な演技や演出なのに、それでも親たちはそのお遊戯会を見に来るだろう? 彼ら彼女らは子どもたちの成長と努力の軌跡を見に来るんだ。

 いいじゃないか、お遊戯だって。お嬢の配信も、お遊戯会も、本質は何も変わらないよ。皆は姫が歩んできた歴史と意志を見たいんだ。俺を含めてね。

 だから俺の我儘を聞いてくれよ。大丈夫。社長やプロデューサーはいないけど、俺が直接サポートするよ。お嬢も見守っている」

「……じゃあ、頑張ってみようかな」


 手が差し伸べられる。私も手を伸ばしてルルちゃんの手を掴んだ。


「ありゃ!?」

 

 ――はずだった。差し伸べられた手は途中で引っ込められてしまった。ルルちゃんの意地悪かと思いきや、どうやらそうでもないようで。私の方ではない、どこか別の場所を鋭く睨んでいる。


「ルルちゃん?」

「招かれざる客だ。くそ、社長の気遣いが裏目に出たな」

「ほえ?」


 ルルちゃんは手に持っていた飲みかけのコーヒーを洗面台へ置いた。


「ごめんよ姫。ちょっと俺じゃないと対処できない問題が来ちまった。姫は時間になったら配信を開始してくれ。準備は済ませてある。君の勇気なら大丈夫」

「時間になったらって……直接サポートは!?」


 ルルちゃんは答える代わりに私の両肩を掴んで固定し、ルルちゃんの額と私の額をくっつけた。唇と唇が触れるか触れないかの距離だ。視界の外で、からからとレモネードの缶が落ちる音がした。


なれの旅路に導きの光あれ。忘れないで。君はひとりじゃないよ」


 額が離れる。ルルちゃんは申し訳なさそうに微笑んでから、トイレの奥側へと姿を消した。


「え!? 今の何!? 何のおまじない!?」


 はぐらかされた!? いやいや、ルルちゃんは中途半端な励ましなどしない子だと思う。うー、頭が茹りすぎて考えがまとまらないよ。

 ……あれ? ちょっと待った。ここビルの5階だよね? トイレは入口しか無いわけで、でもルルちゃんはトイレの奥側へ向かったわけで。

 急いで個室から出た。どの個室にもルルちゃんの姿はなく、外に面した窓が開け放たれていた。


「飛び降りた!?」


 窓から外を見てもルルちゃんの姿は無い。やだ、なになに。怖いよ。なんかオカルトチックになってきたんですけど。話を信じるなら、ダンプカーを横転させるルルちゃんなら飛び降りても平気だろうけど……なんで急いでたのかな。

 ……あ。やばい。すごいことに気づいちゃった。

 佐藤さんは見守り配信で離れられない。ルルちゃんは姿を消していつ戻るか分からない。社長と社員は電話対応でサポートにつけない。


「私ひとりで配信するってコト!? うそでしょおおおお!?」


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