17話 伝説の一夜・序幕 紅焔アグニス 前編
―― 佐藤のり子 ――
話は中学の2年生まで遡る。中学生といえば思春期真っ盛りで1番のヤンチャ盛りな頃。当時の私はアイドルになるんだ、とやる気をみなぎらせて歌やダンスを毎日のように猛特訓していた。そこそこ上手かった自信もあったから、まーチヤホヤされてましたよ。胸は無いけど顔もそこそこで男子からの告白も経験させてもらいましたよ。断ったけど。アイドル目指してたし。
歌もダンスもトークも鍛えた、さあオーディション受けてサクッとデビューしてセンター取っちゃるわ! と意気込んだ矢先ですよ。
顔面を削られた。
そうなった過程はちょっとデリケートな内容なので詳細は省略。大雑把に言えば喧嘩中の事故、とだけ言っておくよ。後悔はしていない。その喧嘩のせいで
とにかくセルフケアが大変だった。アイドルとなるために人生を全身全霊で捧げてきたのに、その夢が空前絶後のバッサリ感で断ち切られちゃったからね。おまけに傷のせいでクラスメイトたちの関係はほぼリセット。やる気出るかよこんなの。もう歩く植物人間状態でしたよ。
気力がとにかく湧かない。でも自殺する気にはならない。もうこのまま死ぬまでぼ~っとしてようかな、と人間として大切な何かを捨てようとしたとき。
藍川アカルのライブ動画に出会った。
アイドルとしての活路を見出しただけじゃなくて、実物のアイドルとも負けず劣らずな感動のダブルショックである。
『暗闇を照らす希望の光』
彼女が放つ毎度の挨拶は、私にとっての真実となった。
シンプルでベタな展開? 私も思っているよ。だがそれ故に想いもデカいぞ。
あれから2年。その後の私がどんなふうに過ごしたのか、説明しなくても分かるよね。
『10分前です』
心臓の鼓動が聞こえる。胸を飛び出さんばかりに脈打っている。緊張と興奮が自重もせずにはやくはやくと私を急かしている。こんなに心も身体も昂ぶった経験はただの一度もない。この先もきっと無いだろう。代わりの体験なんて絶対にありえない。
『もしもしのり子ちゃん。寝てないよね? ずっと目を閉じてるから社長心配なんですが』
配信用のパソコンから灯社長の声が聞こえた。配信部屋は機材室と放送室に分けられており、社長は機材室から話しかけている状態だ。お互いの様子はガラス越しに確認できるけど、それでも社長は不安だったみたい。夢みたいだな。ガラス越しに
「大丈夫ですよ」
『グッド。社長のありがたい言葉ほしい?』
「是非とも」
『グッド。放送まで10分を切りました。もう10分もしないうちに紅焔アグニスは――いいえ、YaーTaプロダクションは始動します。貴女はその産声を上げる役目を担ってもらいます』
「はい」
『ただ問題があってね……今の待機人数、何人だと思う? 5000ちょいなのよ』
「十分に大盛況ですけど」
『でも藍川アカルのネームバリューを使って、
「そうですか? 大した問題じゃないと思いますよ」
『それでこそ紅焔アグニス。言いよるわ。私の言いたいこと、分かるよね?』
「世間様の手のひらをクルックルさせてやりますよ」
『ベリーグッド。完璧。これから30分、YaーTaプロダクションの全てを紅焔アグニスに託します。藍川アカルを過去にしてこい!』
通話が切られる。再び鼓動が全身に迸った。瞼を開いた先には、燃え盛る炎のエフェクトの中で元気に微笑む紅焔アグニスの姿。醜い顔の佐藤のり子とは対象的に紅焔アグニスは綺麗な肌で微笑んでいた。
あれから2年。待たせたな相棒。やっと君に生命を吹き込めるぞ。やっと私たちは表現できるぞ。
やろう、紅焔アグニス。
「――
―― 紅焔アグニス(佐藤のり子) ――
Agnis Ch.紅焔アグニス
【#初配信】燃えていくぜぇええ!【Yaーtaプロダクション】
5069人が視聴中 チャンネル登録者数 4301人
:配信マダー?
:こいつずっと燃えてんなwww
:焚き火動画かな?
:同期二人もよう見とる
:待機画面に音量注意って書いてあるんだけど、何?
:エロイムエッサイム エロイムエッサイム……
:↑センシティブ通報しました
:中坊乙ww
盛り上がってるなー。紅焔ちゃんが画面内で燃えてるだけなのに大喜利が始まってるよ。手慣れてる。今まで色んなVtuberのデビューを見てきた猛者ばかりだろうね。もうソムリエ名乗っていいんじゃないの、君たち?
画面が動いた。炎のエフェクトが消えて、落ち着いた黄の色調のステージ背景に紅焔ちゃんは立っている。
:来ちゃー!
:待ちわびたぞ!
:ハジマタ!
配信が始まったものの、紅焔アグニスは微動だにしない。
:動いてなくね?
:アグニスちゃん生きてるー?
:テストプレイちゃんとやったんですかね?
:不 動 明 王
:動作不備やんけ
開始から30秒経過。流石に歴戦のツワモノたちにも動揺が走り始める。
動作不備だと? いやいや、そんな訳なかろう? こちとら藍川アカルの配信環境をそのまま移植した入魂モノのパソコンぞ。
部屋の向こうにいるプロデューサーたちに視線で合図を送る。プロデューサーの遠隔操作で画面に変化が起こった。
:暗くなった
:目が、目があああ!
:スポットライトとか、もうライブじゃん
:なんか曲流れハジマタ
:!?
:ファッ!?
聞き慣れたイントロが流れ始める。
:紅蓮烈火!?
:グレレン!?
:藍川アカルの曲じゃねーか!
:ヤベーぞ鼓膜がレ○プされっぞ!
:初手全力シャウトやばいやつ
:もう藍川アカルでいいじゃん
:愚廉劣化の予感
:愚廉劣化www誰うまwww
紅蓮烈火。通称グレレン。
作詞は藍川アカル。作曲はGーStateの姉御代表、2期生の
私の人生を変えた曲。今日までの私をここに連れてきた曲。世界で1番大好きな曲。
紅焔アグニスはこの曲をイメージして私がデザイナーさんに頼んだキャラクターだ。開幕の選曲はこれ以外あり得ない。
:いやこれ歌えるヤツおる?
:歌い手への嫌がらせ全ブッコミみたいな曲よな。本人もひとり生で歌い切るのは無理言うてたぞ
:そもそも生じゃデュエット前提だよな? 一人で歌うの?
:ライブのときはセッカちゃんやアリたんと分担してMVのダンス切り捨ててなお全員が満身創痍や
:人類には早すぎる歌
何をおっしゃる。失敗前提で紅蓮烈火を選曲する訳がないでしょうが。
開幕の全開シャウトも。人間の声帯を壊しにかかるほどのメロディラインも。舌を噛みちぎらせようとする速すぎるリズムも。
私にとっては全部
さあ聴かせてやるぞ。YaーTaプロダクションの産声を。
私の魂、全部持ってけ!
『
:!??!?、!?!
:!?!??!!!
:凄
:
:やべえ
:
:コメント無い民多発
:鼓膜が蒸発する
さすがは藍川アカルのカラオケ用マイク。全力でシャウトしてもなお君臨し続ける。いいぞ。分かるぞ。今日の紅蓮烈火は間違いなく人生で最高の出来になる。
前座は終わり。歌の本編だ。
:うっっっま!
:やべえ
:パワーあるのに音がまったくズレてねえ
:なんだこれバケモンか
:なんで舌が回るんだ
:【悲報】ここから2分間休憩ポイントなし
:鳥肌止まらん助けてくれ
:奇遇だな俺もだ
まだいける。私の16年は――そして暗闇の2年間はこんなもんじゃ晴れない。吐き出しきれない。
もっと出せる。もっと燃やせる。限界を超えろ。曲終わりの私なんか意識するな。
もっと……もっと!
:まだ声出るの!?
:息継ぎどこでしてんだよ
:喉やばいんじゃない?
:リツイストはよ! 拡散!
:歴史的瞬間
:✕藍川アカルの劣化 ○完全上位互換
:↑アカルんには悪いけど否定できん……
:上手いとヤバいの差
:命削ってるでしょコレ……
2番のサビが終わり間奏の時間となる。歌も佳境だ。テンポが速いせいか、歌っているとこの歌は特に短く感じる。好きな曲だけに残念だ。
:クールタイム
:うわ視聴者数の伸びえっぐ
:拡散の動きが半端ない。下手なチェーンメールよりヤバい
:そりゃ同時視聴組以外のGーStsteメンバーが軒並み宣伝したからな
:GSのイングリッシュ経由でめちゃ拡大したな
:いやしゃーない。共有するわこんなん
:俺はじめてRTボタン押したわ
でも気は抜けない。この曲は特に、ほんの僅かでも緩めてはいけない。さあ、ラストスパート。駆け抜けよう!
:そろそろ〆
:クライマックス
:きた
:一切衰えてねえ!
:歌ってるの人間じゃなくね?
:録音か 録音と思わせてくれ
:録音だとしてもヤバい
:流石に苦しそう
:最後のロングブレス行けるか?
『――僕は歩み続けよう 罪に汚れた灰を被っても――』
:いけえぇえぇ
:いけえー!
:うおおおおお!
:すげええあええ!
:イったっ!
:歌いきりおった!
:ギネス載せるべきだろこんなの
:喉大丈夫? 配信あと20分以上あるんだけど
:声カッスカス予定のアイドルはここですか?
大きく息を吐く。汗がだらだらと止まらない。いつもならこんなに汗をかかないけど今日は明らかに違う。充実感。達成感。そんな満ち足りた余韻が全身を駆け巡る。でもまだ配信は続いている。歌動画じゃあないんだ。自己紹介しなくちゃね。
「いやー、気持ちよかったー……いい汗かいたわー」
:は?
:!?!?
:いwいw汗wかwいwたw
:うせやろ!?
:めっちゃクリアボイスwwww
「みなさん、はじめましてー! YaーTaプロダクション所属、1期生の紅焔アグニスって言います! 今日からアイドルVtuberとして活動させていただきます。みんな、よろしくね!」
:お、おう
:普通に可愛い子の普通に可愛い声で普通の自己紹介はじまった
:いつ中の人交代したん?
:声無理しなくてええんやで
あ、あれ? なんかドン引きされてるんですけど? なんでぇ!?
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