幕間1ー5話 君へできること、僕ができること


―― 撮影ディレクター『カトー』 ――


 エックスデーが来たのは、ルルちゃんの宣言からそう遠くない日だった。スマホのアラームと共にソファーベッドの上で目を覚ます。いつもの光景だ。気持ちもいつも通り。僕らの恩人が旅立つ日だとはとても思えない。

 身だしなみを整え、パンとコーヒーを頂いてから仕事の服へ着替える。午前中にスタジオでの撮影がある場合、瑠菜るなが起きてくるのは僕が家から出て行った後だ。自分の会社へ出社してから撮影現場へ行き、詳細な手続きや段取りの調整を行うので、少し出発が早くなってしまうのだ。

 ちょっと前なら瑠菜と顔を合わせなくてラッキーと思っていたけど、最近この考えは悔い改めている。バカな考えだ。こんなことを考えているから父親として娘から見向きもされないのだ。

 何を言われようが我が子と向き合うことは大切である。まだ顔を合わせると罵倒してくるけど、口調はだいぶ穏やかになった……気がする。


「ちょっと待って」

「おわっ。おはよう、瑠菜」

「娘と朝会ったくらいでいちいち驚くな。うっとうしい」


 玄関先で後ろから声をかけられたのでびっくりしてしまった。パジャマ姿の寝起き姿で、ぶすっとした表情で僕を見ている。早く反抗期終わらないかな。穏やかになっても罵倒は無しが嬉しいよ。


「今日は早いじゃない瑠菜。どうしたの」


 瑠菜は回答しないまま、袋を僕に渡した。中には先日僕と瑠菜が作ったものと似たクッキーが詰められている。


「この前あんたを家まで送ってくれたお礼をLUFAルーファさんにしそびれちゃってるから渡してあげて。今日が仕事納めなんでしょ、あの人」

「あ……うん。ありがとう、瑠菜」

「どうせあんたの事だから、お礼なんて考えてないだろうし」

「そういう訳じゃないけど……でも何で二つなの?」

「材料の都合でいっぱい作ったから大きい方は会社の人で分けてあげて。ついでよ、ついで。そんじゃあね」

「ああ、なるほど……いってきます」


 瑠菜がダイニングへ引っ込むのを見届けてから、クッキーの袋を鞄に詰めて、玄関を出る。

 そしてふと気づいた。


「いま、瑠菜にお見送りされた!?」


 『いってらっしゃい』ではなかったけど、昨日まではそれすらも無かったのだ。しかも大袋のクッキー、シチュエーションからして、僕が食べても許されるやつだよね!? いやっほう! 大進歩だ! やっば。思いっきりガッツポーズとか、力の限りジャンプしたい。この喜びを発散したいぞ。まあ無理なんだけどね。恥ずかしいから止めろって言われるに決まっている。また娘から嫌われたくない。

 おかしいな。こんな彩りのある人生だったっけ。薄暗い灰色がイメージカラーの、不幸のどん底がお似合いな、終始アンニュイな空気を吐き出している男だと自分では思っていたのだけど。

 たった三か月。ルルちゃんとの出会いから今日までの間で、僕の人生は大きく変化している。それも、とても良い方向に。

 実のところ、お別れに何を送ろうか、今日までずっと考えていた。でも何も思いつかなかった。心の奥底で、彼女はモデルの道を突き進むものだと勝手に考え込んでいた――いや、そうであってほしいと思い込んでいた。だから心が受け入れ切ってないのだろう。とりあえずお礼を用意してくれた瑠菜に感謝だ。



 

 ぼーっと考えながら通勤していたら、いつの間にか会社に着いて、いつの間にか現場のスタジオへ到着していた。初めてルルちゃんと出会った場所だ。スタジオの管理者以外の関係者は流石にいない。

 ……と思いきや。


「おはようございます、カトーD」

「あれ城間クンおはよう。早いね」


 城間クンの現場入りは比較的遅いほうだ。それこそ、時々電車遅延などで遅刻するくらいには。


「たまたま早く起きたので、そのぶん早く来ちゃいました」

「嘘だね」

「……すんません。ちょっとでも長くルルーファちゃんと一緒にいたいので」

「素直が一番だ。男性陣女性陣、分け隔てなくすっかりメロメロになっちゃったね」

「随分と濃い三か月でした」

「僕らルルちゃんのおかげで何年分の進歩を遂げたんだろうね」

「出会う前からは進歩してないッスよ。ルルーファちゃんという革命で方針が変わっちまった。あの瞬間から俺っち達は完全な新規チームになったんすよ」

「なんか情けない気分になるね。ルルちゃんと会う前の僕、ダメな男じゃないか」

「俺っちも一緒ですよ」

 

 城間クンと雑談していると、他のスタッフも合流を始めたので本格的に準備へ取り掛かることにした。皆ルルちゃんとの仕事が最後になると落ち込んでいたけど、仕事のモチベーションまでは失っていない――それどころか僕が発破をかけずとも、ルルちゃんに有終の美を飾らせようと皆最高の動きをしてくれている。

 

「やあ、待たせたねカトー。今日もよろしく」


 一通りスタジオのセットが終わろうとするタイミングで主役のルルちゃんが合流となった。

 ルルちゃんの態度は普段通りそのものだった。未練は見当たらない。薄情と言うより、どちらかと言えばベテランの教師が卒業生を見送るような、といった印象だ。

 ルルちゃんのセッティングが終わり、撮影が始まる。

 僕は始まりの号令を放った。


「それじゃ始めよっか。今日もよろしくね、みんな」


 撮影は静かに、厳かな空気の中始まった。ルルちゃんを含め、これでお別れだからといって仕事のリズムが崩れる者は誰一人いなかった。淡々と、順調に撮影は進んでいく。

 そもそもルルちゃんは一介の読者モデルである。プロモデルではない。ましてや専属モデルですらない。いつだって音信不通になってもおかしくない立場の子だし、そもそもルルちゃんにとってのモデル業は社会勉強の場という側面が強い。数ある職業の中でたまたまモデル業を選び、たまたま僕らのチームが担当になった。本当にそれだけの事態なのだ。だけど、『それだけ』に巡り合ったのは僕らにとって本当に奇跡だと思う。

 何かルルちゃんにしてあげられないかな。このままハイサヨナラはしたくないな。だって彼女が与えてくれたものに対して、僕は何も与えられていないんだもの。


「カトー。照明の位置、ここでいいか? 俺の顔、影ってねえ?」

「あ。うん。そうだね。照明、移動しようか」


 集中しよう。最後にへっぽこなところは見せられない。

 ルルちゃんを失望させないよう、僕は今日の仕事をやりきろう。

 

 

 撮影は今日も驚くほど順調に進み、やがて予定よりも早く終了した。最近は他のモデルさんが相手でも段取りが滞ることも少なくなったけど、やはりルルちゃんが相手だとチームの動きが段違いで早い。以心伝心。もう最高のチームだと胸を張って言えるよ。

 ルルちゃんの周りにスタッフたちが集まり、それぞれがお別れの挨拶をしていた。お互いに贈答品や花束を配りあっている。


『おいおい泣くなよ。今生の別れでもあるまいし。モデルは卒業するけど、君に教えてもらったスキンケアはこれからも欠かさずやるよ。いつまでも綺麗だって、ちやほやされてえもんな』

 

 最初にルルちゃんと仲良くなったメイクさんは感極まって号泣していた。他のスタッフも少し貰い泣きしている。泣いていないのはルルちゃん本人と――そして僕くらいだった。


「カトー」


 皆との挨拶が終わったルルちゃんは僕の目の前に来ていた。出会ったばかりと変わりない、自信に満ちた笑顔で僕を見つめている。


「悪いな。この後付き合えなくて。送迎会も考えてくれていたんだって?」

「大丈夫。しょうがないよ。ルルちゃんの門出のほうが優先です」

 

 ルルちゃんの予定が合えば仕事終わりにみんなで飲み会でも開こうかと思ってたんだけどな。残念ながら彼女はお仕事が終わり次第、新しい職場へ向かい、夜遅くまで勤務するそうだ。長く拘束してはいけない。

 おっといけない。


「ルルちゃん。僕から……というより、娘から。この前僕を介抱してくれたお礼」

「お。いつぞやのクッキーじゃないか。気が合うな」

「気が合うって?」

「俺からもクッキーを配っているんだ。アレルゲンフリーのクッキー。この前調べて渡したレシピの改良版だぞ。より美味く、より簡単に、そしてよりローカロリーに。思春期の女の子でも、体重を気にせず、安心して食べられる俺の傑作だ。ぜひ娘さんと一緒に食べてくれ。前回渡せなかった分、カトーには特別サービスだ」


 ルルちゃんは僕の小袋を受け取ると、トレードする形でより多くのクッキーが詰まった袋を僕に渡した。うう、完全に量負けしてるじゃない。罪悪感半端ないよ……。


「あれ? カトーD、娘さんいたんですか?」

「ん? いるけど……城間クンには話してなかったっけ?」

「初耳です」


 スタッフの方々から「僕も」「私も」と声が上がる。おかしいな。城間クンには話してたと思ってたんだけど。コンビを組んだのはこの会社に入ってからだから……2年くらい? んー……確かに話してないかも。

 

「おいカトー」


 ルルちゃんは呆れ顔で僕を見ていた。


「新参者の俺に娘さんの情報を初公開ってどーゆーことだよ。チームなんだろ」

「ええと……まずかった?」

「昨今じゃ個人情報保護が謳われているが、このチームはしばらく続くんだろ? だったら、上に立つのなら自分も含めてチームの事情内情はしっかり共有と把握をしておけ。それにはまず自分の事情も打ち明けていく努力も必要だぞ。どうりで俺に相談がよく来ると思ったんだ」

「そんな事されてたの、ルルちゃん!?」

「これからは君の仕事だぞ、カトー」


 うわぁ、情けない……この中で一番給料が安いのに、この中で一番重要なお仕事してるんじゃないの? どうしよう。ますます僕の立つ瀬がない。撮影の管理はもう慣れっこだけど、人生の悩み解決と、感謝の仕方はいまいち分からないままだ。


「カトー」

 

 そんな焦りを見せる僕の肩をルルちゃんは優しく叩いた。


「もしも次に君を目にする機会があれば、俺はもっと高みへ至った姿で君を迎え入れる」

「高みって……モデル業で、じゃなくて?」

「ああ。違う形で会うと思う。俺から言えるのはここまでだ。だから次は成長したチームの姿を俺に見せてくれ。俺からの課題であり、俺の願いでもある。頑張れよ。期待してるからな」


 ルルちゃんは悪戯っぽく笑って僕に言った。

 つまり、世話を焼いてやった結果を出してお返しをしろとルルちゃんは言っているのである。なんてこった。最後の最後で、またルルちゃんに助けられてしまったな。同時に大きな課題を押し付けられちゃったけど。

 情けないな、僕。でも僕らしいか。


 

 ルルちゃんが去って午前の撮影が終わり、午後の撮影も滞りなく終了した。午後のモデルさんは初めての方だったけど、概ね好印象で僕たちの仕事ぶりを褒めてくれた。実に清々しい気分だ。3ヶ月前なら確実に嫌な顔されてたね。

 いつも通りの仕事上がりとなる。明日も普通にこのスタジオでお仕事があるのに、今日がスタジオ閉鎖のように思えてしまうな。


「カトーD」


 声の方向を向くと、そこには女神様ではなくて見慣れた城間クンの姿が。でもこの時間の城間クンを見るのは初めてだ。


「城間クンが残ってるなんて珍しい。今日は珍しい尽くしだね。どったの?」

「いやまあ……飲みに誘ってみよっかなと」

「若い女の子誘えばいいのに。僕がルルちゃんから言われたこと気にしてるんだ。ありがとね城間クン」

「どちらかと言うと、若い子の誘い方を相談したいっす。既婚者だし、そういうのちょっとは分かるでしょ?」

「あ、そっち。言っとくけど僕バツイチだし、スタッフの女の子からも良く見られてなかったでしょ。期待しないでね。

 それと、今日はこれから大事な用事があるんだ。それからなら全然付き合うよ」

「お? 用事は何です?」

「本屋だよ。ルルちゃんにも発破かけられちゃったし、もうちょっと上を目指そうと思ってね。勉強用にちょっと下見してみる」

「意識高いなあ……そうだ。ついでですけど、おすすめの漫画教えましょうか? 我らのキングに勧めたらドハマリしたとっておきがありますよ」

「ジャンルは?」

「ラブコメ」

「いやおじさんが読むもんじゃないでしょ……一応、内容聞こうか」

「鱗フェチの女子高生が現代に転移してきたリザードマンに一目惚れする話っすね」

「何それ超気になる」

「よしきた1名ご案内」


 城間クンは嬉しそうに歩き始めた。本音を言うと気になるのはちょっとくらいだけど。彼らの話題に合わせてみるのも悪くないと思うんだ。

 ルルちゃんは言った。もっと大胆になれ、積極的になれ。一歩踏み込めば世界はひっくり返る。

 そしてルルちゃんはこうも言った。成長を見せてくれ、と。

 だから僕なりに第一歩を踏み出さなくちゃいけない。

 今度は頼る側じゃなくて、頼られる側にならなくちゃ。

 おじさん頑張ってみるよ、ルルちゃん。

 君ならきっと大丈夫だと思うけど……それでも君の快進撃を楽しみにしてるよ。





 

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