11話 可愛いあの娘は桃の香り
―― ルルーファ・ルーファ ――
「いくら社長でも、この時期に私へ話を通さず事を進める事は無い……そう思っていた時期が私にもありましたが……」
「今回はひでえな。むはは」
「笑い事じゃないよルル。演者さんが変わった事を舞人さんに連絡してないなんて信じらんない。さすがの推しでも擁護できないよ」
俺と舞人、お嬢は行方をくらました帝星ナティカの演者を捜索するために舞人の車で都内を走っていた。本来ならばスタッフの仕事であり俺たちタレントが出しゃばる事案ではないのだが……お嬢が心配してじっとしていられなかった事、事務所内で事を広げたくない舞人の意向もあって、俺たち3人での担当となった。最悪の場合、事件の可能性すらある。慎重に事を進めたい気持ちは分かる。
「一昨日の深夜にスカウトして昨日契約を進めたようです。奇跡のような連絡漏れですね。人見知りの激しい方らしいので逃げ出すのも頷けます」
「よく契約しましたね演者さん……たった1日しかないのに」
「呼ばれて数分で○ヴァに乗せられるシ○ジくんに比べたらまだ有情ですかね」
「あれはアニメですよプロデューサー……」
「大人だって現実逃避したい時がある。今がその時です」
大人だって、って便利な言葉よの。
「ところでプロデューサーとルル。新しい演者さんの配信テストってどんな感じなの? やっぱ代役を務めるくらいだから凄そう?」
俺はスマホに差した一つのイヤホンを舞人とシェアしながら帝星ナティカのテスト配信を試聴していた。していたのだが……。
返答に困り、俺と舞人で素早くアイコンタクトを送りあう。沈黙の攻防の結果は、俺が先行という形になった。
「お嬢。彼女を精一杯ケアしてやってくれ」
「フォローしておくと、声はものすごくいいですよ」
「光るものはあるんじゃないかな」
「頑張り屋の一面が垣間見えますね。磨けば光る可能性はあります」
「えええ……」
お嬢は不安そうな声をあげた。そりゃそうだ。直前の代役なのに、なぜ即戦力となる人材を選ばなかったのか。そこが分からない。
「時々、私は思うんですよ。今回の1期生、採用基準は『声』なんじゃないかって」
「私も声を褒められましたね」
「俺も」
「社長って声フェチ?」
「否定できませんね。配信でもよくボイスを買っていたと言っていましたし」
灯のセンスを疑ってはいないが、逆に困惑しちまうな。
「アカルんって事前告知で焦らすことがよくあったけど、まさかリアルでもやるとは思わなかったな」
「でも全部上手い方向に事が運んじまうのが藍川アカルなんだよな」
「乱数調整でもしてるんですかね……着きましたよ。帝星ナティカの演者の住まいです。本来なら個人情報なので秘匿するべきですが……」
「そうも言ってられない事態よな」
「外ではV側の名前で呼ばないようにしてください。彼女については無難に苗字呼びで行きましょう。私のことも役職では呼ばないように」
「合点承知です、舞人さん」
車から降りて彼女のアパートに入り、一階に位置する部屋の前に立った。見栄えに代わりは無いが、甘酸っぱい果実のような香りが漂っている。
「この香りはなんだい、お嬢」
「たぶん桃かな。もしかして、ルルは食べたことない?」
「スーパーで見た尻の形をした果物か。食ったことはないな。甘くて酸っぱそうだ」
「相変わらず記憶を無くして3ヶ月とは思えない振る舞いですね、ルルーファさんは」
舞人がインターホンを鳴らすが反応は無い。当然だな。扉の鍵は閉まっている。
「中に人の気配は無い。外出しているな」
「気配なんて分かるんですか」
「乙女の嗜みだ」
「はあ……頼もしいですね」
「舞人さん。ルルが言うなら間違いないです。ノールックでジェスチャーゲームを成立させる女です」
「漫画の世界じゃないですか」
実在したとはいえ漫画の世界から転生しているから、あながち間違ってはいないが。
「荒らされた形跡なし。施錠はされている。ならばお嬢が危惧していた事件の可能性は薄いだろう。舞人。人探しの経験はあるか?」
「いえ、まったく」
「結構。俺はそれなりに自信がある。指示を任せてもらえないか?」
「一任します。
立場や年齢に囚われず、躊躇なく教えを請うか。灯が重用するだけはある。
「承知した。二手に別れよう。舞人とお嬢は車を使って聞き込みを。俺はここで調べたい事がある。本当に事件ではないか確証を得たい」
舞人との段取り決めはとてもスムーズに進んだ。お互いに欲しい情報を交換したあと、舞人は俺に、情報拡散を防止するためネットを使った捜索をしないこと、彼女の家の中には入らないことを忠告してから、お嬢と共に捜索へ向かった。
「さて」
久しぶりの人探しだ。何年ぶりかな。若い頃、銀星団にいた時はしょっちゅうやらされたが。
結局のところ人探しは痕跡の仕入れに尽きる。特に住居は痕跡の宝庫。仕入れるだけ仕入れる。
「住人は軒並み外出中か」
ならば多少不審な動きをしても通報の心配は無いということだ。
アパートの裏手に回る。ベランダに通じる裏手のカーテンは閉まっていたが、隙間から中が見えた。あまり片付けをしないタイプの人間だな。ううむ。介入したい。しかし第三者に荒らされた様子は見受けられない。事件の可能性は更に薄くなった。
部屋に近づいた途端、桃の匂いが濃くなった。部屋の様子を観察していると、とある異物に気付いた。
「ビンが倒れている。なるほど香水か」
部屋の中は物が散乱しているが汚れてはいない。にも関わらず倒れた液体を放置している。ビンを倒したが片付けている暇が無かった、あるいは心の余裕が無かったか。
図らずしも香水をつけており、その香水も特徴的な桃の香りである。ならば話は簡単だ。辿ればいい。幸い、風も雨も無い。まだまだ匂いは残っているはずだ。
匂いは玄関から道に沿って漂っていた。部屋の主は運転免許証も車も所持していない事は舞人から聞いている。匂いが指し示す方向は――駅か。厄介な。
電車に乗ってひと駅ずつ降りる――これは非効率だな。沿線を走るか。駅の出口を確認していけば匂いに辿り着けるだろう。こういう時のために揺れを防ぐスポーツブラにして正解だった。ロングブーツはちと走りにくいがな。
よし。舞人に情報共有してから出発しますか。
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