6話 アンダーハート
―― 朝倉灯 ――
先行きか怪しくなった状況に悶々としながら、広い表通りから裏通りに入り、兄貴が住む一軒家の駐車場へ乗り付ける。来客用のスペースに停めてから再度連絡をするが、やはり無反応。やだやだ、舌打ち出そう。
「だめね。携帯にも自宅にも電話に誰も出んわ。たぶんひと仕事終わって真っ昼間から酒でもカッ食らって家のリビングで寝てるんじゃないかな。もしくは二日酔いでダウン中」
「良い暮らしをしてるじゃねえか」
「ジル戦、けっこう売れてるからね。結婚もせず一人暮らしのくせに6LDK住まい。イカれてんのか」
「メイドは雇ってないのか」
「家事代行サービスくらいは利用してるかもだけど、メイド服はたぶん着てないかな」
「そりゃあメイドとは呼ばねぇな」
メイド服着た家事代行サービスもあるけど、そいつを利用している兄貴の姿は見たくないな。
インターホンを鳴らす。案の定、無反応。知ってた。
「こりゃ
「さしずめアマノイワドと言うやつか。美人登場に期待できないのが残念だが」
「天岩戸の話ってジルフォリアにも伝わってるんだ……どうなってるんだ、あの世界は……」
インターホンを連打する。勝手知ったる我が兄である。超迷惑行為だろうと罪悪感は無い。ただし良い子の皆は真似しちゃだめだぞ。
連打すること5分ほど。やっと反応があった。
『うるせえな誰だよ……って、灯か』
「やっと出たのか兄貴!」
インターホン越しに聞く兄の声は普段よりもやたらと低い。酒やけしている。あーこれ、ダメなやつだ。徹夜明けでひと仕事終わって酒を吞みまくった挙句2時間くらいで起こされた時の声だ。つまり眠りを妨げられて超不機嫌である。初見のルルちゃんが居なかったらもう少し口汚かっただろう。
『こんな半端な時間に何の用だ。仕事中だろ』
「兄貴に合わせたい人がいるから連れてきたの。メール見た?」
『電源切ってたから知らねえよ。今日はムリだ。とてもじゃないが会える状況じゃない』
「また二日酔いでしょうが。あんまり飲めないクセに懲りないな」
『俺の楽しみくらい俺の好きにさせろよ……あー、灯の後ろにいる君。悪いけど今日は帰ってくれ。理由はさっき話した通りだ。文句はアポ無しで来たそこのバカに言ってくれ。じゃあな』
ぶつりと通話が切れた。
「え? ちょっとウソでしょ!? 話くらい聞いてもいいと思うんだけど!?」
再度コールしても無反応。インターホンの音量下げたな。今日は完全無視をキメこむスタイルのようだ。
「困ったな。ルルちゃん、ちょっと日が悪いみたい」
「あいつのねぐらを前にして手をこまねくだけで退散ってのも癪だな」
「誰なのか予想通りだった?」
「確信に変わったよ」
「いくら兄貴の家だからって、あんまり派手な事は駄目だからね」
「分かっているさ。移動中に町中を見てきた。破壊跡がまるで見当たらない。暴力の痕跡が皆無だ。こんな穏やかな国は見たことがないと感動していた。俺だってみだりに荒らしたくない」
「治安の良さは先進国でもトップクラスだからね。どうするの?」
「俺なりに岩戸を開けてみるさ」
「……ッッッッ!?」
ルルちゃんが兄貴の家へ視線を移した瞬間、なぜか分からないけど背筋が凍りつくように冷えた。冗談ではなく寒気と鳥肌が止まらない。それでいて冷や汗が止まらず、呼吸もままならない。気がついたら私は自分の車まで後退してルルちゃんから距離を取っていた。周囲の電線や枝に停まっていたであろうハトやカラスが鳴き叫びながら一斉に飛び立ち、どこかの家の中からペット犬の大合唱が聞こえてくる。
これってもしかして……。
「少々強めに威圧した。余波が飛んでしまったようだな。すまんすまん」
殺気を飛ばしたってコト? マジか。創作だけの表現だと思ってたよ。ご近所に心臓の悪い方がいませんように。
ルルちゃんがインターホンを鳴らすと、音が鳴り終わらないうちに兄貴が反応した。
『何もんだ、あんた』
今まででも聞いたことも無い兄貴の声だった。ヤクザが相手を威圧するときの、ドスの効いた重低音である。こういう声には弱い。実の妹でもちょっとドキッとしちゃったぞ。
でも
『灯は生きているな。目的は?』
「懐かしい顔へ会いに来ただけだよ」
『あ?』
「酒癖の悪さは相変わらずだな。改善しろと言っておいたんだが、俺の言いつけは通じなかったか」
『あぁ?』
「こっちの世界で毛根は無事なのか? 俺はお前の姿をまだ見ていないから、これからお前の頭髪事情を聞くのが楽しみでたまらないよ。
なあ。チェイス」
チェイス? 誰だ? そんなキャラ漫画にはいなかったし、兄貴はハゲていない。
長い沈黙の後、兄貴は絞り出すような声で言った。
『もしかして団長っスか』
マジかよ。
「今から3つ数える。それまでに顔を出さなければここを去る。もう二度とお前とは会わない。良い返事を期待している」
反応は早かった。『二度と会わない』と言ったタイミングで既にインターホンが切れていた。
そして3秒も立たないうちに兄貴は玄関から飛び出してきた。数ヶ月前に会った時と変わらず漫画家としては不釣り合いなほどにムキムキ筋肉質のボディを惜しげもなく晒している。その兄貴は呆然とした表情でルルちゃんを見つめつつ門戸を開いた。
「マジで団長っスか? なんちゅう……なんちゅう姿してるんですか」
「なっちまったもんはしょうかねえだろ。元気そうで何よりだ。髪が生え揃っていて、ちと寂しい気分だがな。これじゃハゲとは呼べねえじゃねえか」
ルルちゃんが兄貴の頭をポンポンと叩くと、兄貴は大量の涙を流し始めた。
「いくらでも呼んでくださいよ……その呼び方、32年ぶりっス……また聞けるなんて夢にも思わなかったっス……」
「バカヤロウ。俺はもっと久しぶりだよ」
「だんちょおおお!」
兄貴はルルちゃんの胸元に飛びついて抱きつき、脇目も振らず号泣を始めた。みっともない姿の兄貴の頭を慈愛の表情で撫でるルルちゃん。もはやただのママである。
「団長! だんちょおおお!」
「おおよしよし。元気そうで良かったよ、チェイス」
……いやしかし。それにしても。
ほぼ事情を話してもらってないけど、世界を超えた感動的な再会という場面だってのは雰囲気で分かるよ。まあいいよ。なんとなく想像でカバーできるから。
でもさあ。
傍から見てると、ハート柄パンツ一丁のムキムキ三十路男がデリヘルに特殊な野外プレイを仕掛けてる構図にしか見えないんだよなあ。感動の場面に水差しちゃいかんと思ったから、玄関から出てきた瞬間のツッコミはグッと堪えたけどさ。
これ我が兄なんだよなあ……異世界転生者でも兄貴なんだよなあ……うわ、ご近所さんがガン見してる。なんで私、衆人環視で羞恥プレイしてるんだろうか。
「俺はこのために生きてきたっス! 今日は最高の日だあぁ!」
私は割と厄日だよ、兄貴。
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