5話 ウチの兄貴が異世界転生者だった件


―― 朝倉灯 ――


 『ジルフォリア戦記』

 月刊の青年誌で連載中となる、中世ヨーロッパを彷彿とさせる世界が舞台のファンタジー漫画だ。神護国ジルフォリアを舞台に、傭兵団――後に騎士団となる『銀星団』に所属する主人公3人の視点で描く、タイトル通りの戦記ものである。感情を揺さぶる人間ドラマと圧巻の戦闘描写、時折差し込まれるコミカルなギャグシーンで多くの読者を生んだ。作者は観照かんしょう退さがる。我が兄、朝倉すすむのペンネームだ。

 そのジルフォリア戦記では数多くの場面が描かれてきたけど、「別れの祈り」は名場面トップ3の常連だ。後にルーファスの妻となるヒロインが彼を戦地へ送り出す際の――それも絶対死ぬだろこんなの、って戦いの際に描かれた場面だ。

 死んでほしくない、でも送り出さなきゃ国が滅ぶ。もはやルーファスの声を聞くだけでも姿を見るだけでも涙が出てしまう。彼を引き止める理由を見せたくないヒロインは、目を閉じたまま祈りを捧げ、祈りの後はルーファスの唇に指を当てて声を封じた。対してルーファスは彼女の額にキスをして応じ、結婚の約束を交わすのだ。ジル戦ファンの間ではあまりに雰囲気が良い場面なのでプロポーズの場面なんかで使われる事もしばしば。ちなみにルーファスは余裕で生き残ってヒロインと結婚した。死亡フラグブレイカーとしても有名である。

 そんな名シーンをめっちゃいい女がめっちゃいい声で、そしてめっちゃエモいシチュエーションで堂々とカマしてみせたのだ。気がついたら私は彼女たちの車の前に飛び出して彼女をスカウトしていた。しょうがないよね。スカウトの鉄則は一期一会ですよ。

 金どころか服も無いだのスチール缶を噛みちぎるだの、挙句の果てに「俺がルーファスだ」なんて言い出した時なんかは、超ド級の地雷を踏み抜いちゃったかな、黄色い救急車呼ばなくちゃかもって内心焦りもしましたが。うん、直感を信じてよかったよ。スカウトよりも数億倍面白いことになっちゃったのは計算外だったけど。流石にマンガの中からリアル異世界転生は予想できんわ。

 

『YaーTaプロ1期生のオーディションより優先したい用事ってなんですか! 貴女の会社でしょう!? 貴女抜きで審査しては意味が無いでしょうが! バイトの学生か貴女は!』


 電話先で応答しているプロデューサー兼統括マネージャーの舞人くんは、それはもうスマホのスピーカーとマイクが壊れるかもと思うほどに絶叫していた。私ありきのオーディションなのに要となる主催者にドタキャンされたら、そりゃ怒るよね。私が社長雇用主じゃなかったら即クビになってもおかしくない。私、社長で良かった。

 

「とりあえず審査の様子は録音よろしく、舞人くん。後でラーメン奢るから説教は勘弁して。運転中だし」

『言っても無駄でしたね。分かりました。慰謝料代わりでスタッフにご馳走してあげますよ。会社の経費でね! 今夜はうな重です!』

「経費ってほぼ私のポケットマネーなんですけど!? もしもし、舞人くんもしもーし! F◯CK! あのヤロー電話切りやがった!」


 イヤホンを耳から抜いてスマホをカバンの中に投げ捨てた。まあ自業自得なので実際には怒ってないけど。私が100パーセント悪いし。それに舞人くんはちょっと変わり者だけど超絶優秀なので全く心配していない。


「上の暴走に意見を言える直属の部下か。いい信頼関係だ」

「ありがとう。実際、舞人くんは優秀だからつい頼っちゃうんだよね」

「だが上に立つ者として公共の場では上下関係をはっきりさせておけよ。君たちの場合は公私混同のきらいがありそうだから助言させてもらうが」

「あーうん、気をつけてる。なんか自分よりも若い人に諭されると違和感あるなー」

「心はジジイだよ」


 そういえば享年70過ぎだって言ってたっけ。ジルフォリア戦記じゃまだ中年だから余計に混乱しちゃう。

 苦笑しながら助手席に座っているルーファス元団長――もといルルちゃんは私のタブレットをスリープ状態にした。ジルフォリア戦記の作者である兄貴がいる自宅に着くまで作品をチェックしていた……んだけど。読み始めて10分も経ってないんですけど。


「まだ着くまで時間かかるから急がなくてもいいけど」

「文字はあまり読めんから見ただけだ。言葉は記憶で補完した。史実に沿って忠実に描かれている。大したもんだ」

「全部覚えてるの?」

「いつ別れが来るか分からん。記憶は風化させないように心がけている」


 重たい! 令和の現代人には生き方が重たい! 考え方は分かるけど理解はできないだろうな。

 そういえばルーファスって頭はいいんだよね。勉強をぜんぜんしていなかったから知識が無いだけで。確か瞬間記憶能力カメラアイを持ってたり、ひと月くらいで異国の言語をマスターしたり、ボウガンや鎖帷子くさりかたびらを開発して実戦投入してたりしたっけ。本当に一字一句覚えてそう。

 

「ちゃんとレーワ語――じゃなかったな。日本語を勉強して改めて読み直すよ。

 で、結論なんだが……観照退は銀星団の団員だ。間違いない。そしてこいつは創作物なんかじゃない。歴史書だ。ちと改変されているがな」

 

 ウチの兄貴が異世界転生者だった件。

 確かにちょっと変かなーとは思ったけど。なんか考え方が老けてるし、やたら喧嘩強いし。

 でもルルちゃんと違って、いきなり異世界で目を覚ましたパターンじゃなくて、たぶん生まれたときから前世の記憶を持っているパターンだ。血を分けた我が兄である。少なくとも日本生まれは間違いない。

 

「君には正体を明かしていないのか?」

「ええ。明かしたところで信じないでしょうし。賢明だと思う」

 

 『これは創作ではない。全ての出来事が史実である』ジルフォリア戦記のモノローグではそう書かれていたけど、言葉通りの意味だったのか。

 観照退は細かな指示や絵の表現は編集の指示に従った。だけど物語や設定の大幅な改変だけは決して受け入れようとはしなかった。編集と対立が極まった結果、一度は出版社を変更したほど、兄貴は頑固だった。

 まあでも、本人が歴史書のつもりで描いてるならそうなるよね。エンタメとして成り立っているのは兄貴と編集の才能ではあると思うけど。


「誰が転生したのか具体的な心当たりはある?」

「戦記は俺と幹部どもしか知りえない出来事が描かれている。細部に至るまでな。だから十中八九、幹部の者だ」

「幹部って言うとズットリオ!?」

「ずっと……なんだって?」

「ズットリオよ。主人公の3人。光盾こうじゅんのアンゼム。蒼槍そうそうのリーサス。音斬おときりのバジカミ。銀星団が誇る最強の側近にして永遠の盟友。通称ズットリオ。3人とも人気キャラなの。でもおかしいな。ウチの兄貴はその誰にも似ていないんだけど」


 各キャラを簡潔に表現しよう。

 アンゼムは猪突猛進の言葉が似合う単細胞なおバカキャラ。ムキムキのマッチョゴリラ。だいたい攻め。

 リーサスはインテリ眼鏡の言葉が似合う耽美系男子だ。むさくるしい銀星団の黒一点とも呼べる美形の細マッチョ。だいたい攻め。

 バジカミは強さを求める求道者みたいな陰キャだ。ザ・貧乏侍とも言えるガリガリの風貌をしている。だいたい受け。

 対して兄貴はアンゼムほど脳筋じゃないし、リーサスほど理知的じゃないし、バジカミとの比較に至っては論外と言えるほどに陽キャな部類である。外見だけで言えばアンゼムとはそっくりだけど。漫画家のくせにムキムキのマッチョゴリラだし。


「誰なの?」

「着いたらの楽しみにしようぜ。そっちのほうが面白いだろ」


 めっちゃ嬉しそうだな、ルルちゃん。仲間に会えるから、はしゃいでるんだ。かわいい。

 いやーしかし。ホントにいい仕事したわ私。ジルフォリア戦記でも屈指のチートで、ナイスダンディなキャラだよルーファスって。美人にTS女体化して私の部下になるなんて想像できるわけないっしょ。我らアイドルVtuber事務所ぞ。

 ……ん? いや待て。よく考えたらマズくないか? あののルーファスだよね? 作中でどんだけ人殺してたっけ?


「誰が観照退か、そんなに気になるのか? 眉間のシワが凄いぞ」

「んぅえ!?」


 話題転換!

 

「いやほら、あのルーファスがVtuberでいいのかなと今さら思っちゃって。アイドル路線の事務所だよ、ウチ」

「中身がジジイじゃアイドルはできんか? この界隈じゃ男でも女になれるのだろう? 性別は関係なかろうて」

「むしろアイドル活動に興味あるの!?」

「君の勧誘は天啓だと思ったが。誘った君がなぜ驚く。俺は確かに同意したよ、灯」


 あのときはエモボイス持ちの不思議な面白ちゃんだと思ったからだよ。中身が武闘派武将のおじいちゃんだとは思わんでしょうよ。

 ぶっちゃけた話、Vtuberと一言で括ってもそのジャンルは多種多量だ。バ美肉おじさん然り。心はジジイ、演者は美人、その正体は異世界転生者……そんな設定の配信者がいてもおかしくない。

 でも……異世界とはいえ、人を殺してきた人間がアイドル活動ってどうなんだ?



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