3話 車に乗る


―― ルルーファ・ルーファ ――

 

 速い。揺れない。寒くない。

 半ば憧れだった『鉄の牛クルマー』……じゃなかった、車の後部座席に押し込められた俺は、その快適さに打ちひしがれていた。車の技術もさることながら、道路の舗装技術もやはり侮れない。道が平らなら乗り物は跳ねにくく、速度も出やすい。元の世界で同じ速度の馬車を走らせたならば中の荷物や乗客はしっちゃかめっちゃかになるだろう。

 車の中も快適の極みだ。尻の痛くならない椅子。外気の遮断による保温性。徐々に暖かくなる車内。乗客の飛び跳ねを抑える帯。死角を補う鏡の配置。御者と乗客の願望が全て叶えられている。おまけに車内からはどこからともなく音楽が聞こえてくるときた。楽器の形すら想像できない音の重なりが旋律を生み出し耳を飽きさせない。至れり尽くせりだな。うーむ、御者になりたい。気持ちよさそうだ。

 

「運転荒っぽくてごめんねルルちゃん。気分は悪くなってない?」

「絶好調だ。問題ない」

「お母さん、あとどれだけかかりそう? 事務所に電話入れたほうがいいかな?」

「一応大丈夫よ。なんとか10分前には着く想定」

「安全運転で急いでね!」

 

 対して隣に座るのり子嬢の顔色は悪い。光る板を握りしめて落ち着かない模様だ。あの光る板は、遠くの人間と会話ができるという、あの魔法の手鏡だろうか。俺の世界にも欲しかったな。伝令に苦労したんだ。


「よほど大事なのだな。ぶいちゅーばーなる仕事は」

「人生が変わるかもしれないからね」

「そんな緊張したって、高校受験で落ちるよりは人生変わらないわよ」

「その言葉覚えててよお母さん。詫びと訂正入れさせてやる。絶対合格するよ。YaーTaヤタプロじゃなきゃダメなんだから」


 並々ならぬ決意だ。なるほど、神社で必死に祈るのも頷ける。


「のり子。会場に着くまでルルちゃんに今の状況を説明してあげて。ルルちゃんは車も初めてみたいだし、不安もいっぱいだと思うわ」

「分かった。まずはVtuberが何たるかの説明から始めなくちゃだね」

「猿でも分かる内容で頼む」

「ミリ知ら前提かー……そもそもルルはデジタルの概念を知らない説、だよね……どう説明しようかな」

「思うままに話してくれ。俺なりに咀嚼そしゃくして理解する」

「そ、そしゃく……って、なんだっけ」


 ……俺のレーワ語、間違ってないよな?


「まあ、頑張ってみるよ」


 この後、のり子嬢が説明を始めるが、自信を持てないのも納得できる程度には拙い内容だった。要所要所は理解できたので問題は無かったのだが。

 以下抜粋。




「えーとじゃ、まずはこの動画見てもらおっか。この画面の中にいる二人がVtuber。言葉ことのはアリアと藍川あいかわアカル。私の尊敬するVtuberだよ」

「ほうほう」


「VtuberはバーチャルYutuberの略語なの。演者が仮装アバターの姿でゲームの実況動画を見せたり、みんなと雑談してお金を貰うの」

「ふむ」


「この二人みたいに歌を歌ったりグッズを出して買ってもらったりもする」

「ふむふむ」


「あと1番重要なのは、配信を見てる皆を笑顔にする仕事なの! 皆に元気を届けるお仕事なんだよ」

「なるほど」


「今向かってるのは、そのVtuberの配信をサポートしたりプロデュースしてくれる事務所『YaーTaヤタプロダクション』――通称YaーTaプロだよ。私はそのオーディションを受けるの」

「ん」


「YaーTaプロはね、さっき紹介した藍川アカルが引退した後に彼女が立ち上げた芸能事務所なの。で、アカルんはその社長さん。わたし、憧れのVtuberの下で働きたいの! 今日会えるかもしれないから楽しみなんだよ!」

「うんうん」


 


「だいたい分かった?」

「要するにVtuberは仮面をつけた旅芸人だな。その旅団にのり子嬢は入団試験を受けに行く訳だ」

「うんうん! ……んん?」

「んー……西洋ファンタジーで例えるなら、だいたい合ってると思うわ。正体を隠しながら歌って踊ってお金を貰うって考え自体は合ってる」


 ただ、芸を見せる相手の規模が俺の知る旅芸人とは圧倒的に違う。その場だけではなく国中はおろか国境を跨いで芸を見せるなど、レーワに来るまで考えもよらない。少なくとも争乱だらけだった元の世界では。

 国を跨いでを得られる仕組みがあるからこそ彼ら彼女たちが生まれたのだろう。優れた伝達手段が整ってこそ為せる興業だ。しかも観客はスマホを介して手軽に没入できる。この敷居の低さがあれば民草への浸透も早い。


「のり子。もう1回、最初の二人を見せてくれるか」

「お。ルルもKalーRiaカルリアがお気に入りになった? まあそうだよね、歌ウマだよねー」

「かるりあ?」

「藍川アカルと言葉アリアのユニット名だよ。二人の名前の最後を取ってKalーRiaカルリア

「なるほど」

「アカルんが卒業しちゃったから、もうこのコンビが見られなくちゃったのは残念だけど、今でも見返しちゃうんだよね。せめてアリたんも完全復帰してくれればねー」

「休業中か」

「縮小活動中なの。いろいろあったんですよ」

「ふむ」


 二人で歌うことが楽しくて仕方がない。壇上に立つ二人から、直接の言葉ではなくとも伝わってくる。純粋に物事を楽しむという行為。仮装アバターごしとはいえ、その光景を見る事も忘れて久しい。


『あー、気持ちいいーっ! やっぱりアリたんしか勝たん!』

『アカルん、めっちゃいい顔してるよー。見てるこっちも幸せだよー』




 ――惹かれる。



 

「夢中になってるところ悪いけど、ごめんのり子。もう着くわよ」

「うん、ありがとう……あれ。まだ30分前だけど……場所合ってる?」

「ナビ通りなら。今日はまったく信号に引っかからなかったのよね。毎日の通勤もこれくらい快適に走れれば良いのに」

「そういうこともあるんだね。あー、思い出したら緊張してきた……私もこれからカルリアみたいになるかもしれないんだよね……」


 しまった。Vtuberの話をしていて景色を見損ねてしまった。もう少し見たかったな。眼の前にある、ジルフォニアの城より背が高い塔のような建物が目的地だろうか。思わず窓にへばりついてしまった。


「すごい。雲まで突き抜けそうな高さだ」

「あはは。そこまでは高くないわよ。それに目的地はこっち」


 その塔を通り抜けて裏道へ入って少し走ると、オンボロな建物が現れた。塗装は剥げ、壁のあちこちがひび割れている。先程の眩いほど小綺麗な塔とは正反対の印象だ。


「趣があるな」

「駆け出しのアイドル事務所って雰囲気で、私は好きよ。さあ降りて、のり子。階を間違えちゃ駄目だからね」

「分かってる。そんなポカでこのチャンスをふいにできないよ」


 先ほどは活き活きとしてVtuberを語っていたのり子嬢だったが、今では見る影もない。心臓の音が聞こえてきそうだ。長らく銀星団の入団試験に関わってきた俺から言わせてもらえば、試験で緊張して自分を出せない奴は合格などさせない。戦場に出ても死ぬだけだ。


「のり子! 帽子忘れてる! ルルちゃん、届けてきて」


 傷のついた顔を隠すためなのだろう。前方に幅広ののついた帽子が俺の手元に置かれていた。母親の焦った声から察するにおそらく重要な道具のようだ。やれやれ言わんこっちゃない。しょぼくれた顔で試験を終える姿が容易に想像できるな。

 俺は帽子を手に取って車から降りた。


「お嬢。帽子」

「おっと。サンキュ」

「…………」

「どうしたの、ぼーっとして」

 

 私的な意見を言わせてもらえば。

 見てえんだよな。のり子嬢が画面の中で輝く姿を。


「額を貸してくれ」

「へ? ひたいって――ンン!?」


 俺はのり子嬢の肩をつかむと、自身の額とのり子嬢の額をくっつけた。お互いの吐息が交わるほどの距離だ。

 瞼を閉じる。


なれの旅路に導きの光あれ」

 

 額を離す。先ほどまで顔面蒼白だったのり子嬢は耳まで顔を真っ赤にしていた。おー効いてる効いてる。俺が美人じゃなかったら顔はくっつけねえんだけどな。おまけってやつだ。


「俺がいた国では親しい者にこうして別れの祈りを告げるんだ。迷って道が分からなくなっても神様女神様が正しい道を導いてくれることを願ってな」

「い、祈りは最後の手段じゃなかったっけ」

「俺にはこれ以上お嬢にしてやれることが無い。だから祈った。の祝福だぞ。効果は保証する」

「聖女じゃなくて女神でしょ……キスされたかと思っちゃったじゃない……あーもう、帽子!」

「あいよ。いってらっしゃい」


 感情の行き場を失ったのり子嬢は俺から帽子をひったくって深くかぶった。そして速足で入口に向かう。

 途中でお嬢の歩みが止まった。くるりと振り向いてこちらに叫ぶ。


「もし住むところが見つからなかったら私の家においで! 私が養ってあげる!」


 興奮冷めやらぬまま元気よく手を振ってそう告げた後、元気よく建物の中へ入っていった。のり子のように感情が出やすい子は少々の後押しで別人に変わるものだ。これはもう大丈夫だろう。戻るか。のり子嬢の大声のせいか、もしくは俺に対する物珍しさか。周囲の目線も集まっている。


「ん? 何を驚いてるんだ、母君」

「会って数時間の女子が我が娘のファーストキスを奪ったのかと思ったの」

「乙女の純潔を軽々しく奪わないさ」


 俺は合意を得てからモノにする主義だからな。

 

「とにかく、娘に応援ありがとうね。でも注目されちゃってるから行きましょうか。助手席に――私の横に乗って」

「おお、前からレーワの景色が見られるな。楽しみだ」

「まずは服をどうにかしましょうか。ウチの会社はアパレル会社なの。小さいけどね。試作品やサンプルがいっぱいあるから譲ってあげるわ。それと、もしルルちゃんが良ければお仕事も紹介できるかも」

「至れり尽くせりじゃないか」


 助手席に乗り込み、車を動かそうとした丁度の瞬間だった。


「ストーップ! ちょっと待って、そこのお姉さん方!」

「ちょちょちょっ! うぁぁっ!」

「おおっと」


 車の前に女が飛び出してきた。これまた東国系の美人さんである。母君よりも若い。


「ちょっと、危ないでしょ!」

「ごめんなさい、お姉さん方に今すぐどうしても話が聞きたくって。私、こういうものです」


 開いた窓越しに手のひらよりも小さな紙を渡される。しかしほとんど読めない。レーワ語を研究してきた俺だが、読みは一部だけだ。


「母君。なんて書いてあるんだ?」

「えーと……YaーTaプロダクション……社長……え、社長?」

「YaーTaプロ社長の朝倉あかりと言います。とりあえずお嬢さん。配信業に興味はありませんか?」


 女はニッコリと微笑む。まるでイタズラが成功した子供の微笑みだった。

 ふむ。面白くなりそうだ。

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