黒いもやもや
……なんだかよくわからないけど。
「もしかして、この暗闇みたいなのから、さっきみたいなやばそうなのが出て来るってこと……?」
何故あんな光景が見えたのか。全く心当たりがないし、正直恐怖を感じている。
オレは魔物と遭遇する機会があまりなかった環境で育った身だ。だからあんな衝撃的な光景を見たとしたら、前後の記憶も必ず残っているだろう。にも拘らず、そんな記憶は片鱗も持ち合わせていないとすると……もしかしたら、この女の子の記憶なのだろうか。知らない回復魔法を不意に使えたこともあるし、あるのかもしれない。
「魔物が現れる黒いもやもや……。もしかしてこれが、魔物が現れる『門』ってやつかな」
ぼそりとつぶやいたところで、ファーフォルト近くの森の中で聞いた、カインの言葉が思い起こされる。世界に魔物が蔓延る理由の一つとして、門の向こうから魔物が来るケースがあるのだとか。
「……何でこんなところに門が開いてるのか分からないけど。こんな城の中に魔物が現れたら大変だ!?」
オレは慌てて立ちあがり、周囲を見回した。誰かに言伝て何とかしてもらおうと思ったのだが、生憎と周囲には人影はない。
「これ……少しの間置いてても大丈夫なのかな?」
偶然にも発見できたのはいいのだが。今の状態が危険なのかどうか……目を離して誰かを呼びに行く猶予があるのかどうか、判断が付かない。小さいので、少し離れても大丈夫なような気もするが、目を離した隙に急に大きくなって……みたいなことになるかもと思うと、動くに動けなかった。
もし危険な状態なら、この場で何とかしなければならない。
「何とかって……オレどうやってこれを塞ぐのか分からな――」
…………いや、分かる。これならオレでも……――リア様でなくても、何とかできる。
渦巻く暗闇に対して、不安で小さくなっていた胃が、不意に元に戻る感じを覚える。命の危機に瀕していたカインを回復させたときや、重傷を負ったニケを回復させた時と同じように、何故だかオレの脳内に解法が思い浮かんだ。それに加え、靄がかってうまく思い出せなかったが、誰かの名前のようなものも。
「……リア様? 誰だ……何でオレ、その名前が思い浮かんだんだ?」
これもこの少女の記憶なのだろうか。
「……よくわからないけど、今は取り敢えず閉じ方を知ってるこの子に感謝だなっ」
オレは軽く袖をまくり花瓶台に近寄ると、右手を暗闇にあてがう。そして右手に集中しつつ、溢れてきた呪文を口にする。
「……彼の門は偽りの
直後、オレの手のひらから魔力が光となって放出され、渦巻く暗闇を照らし始めた。その光は、普段見る癒しの光とは異なり、白く差すようなものであった。すべてを押し流すような、無慈悲にも思える強い光だった。
強い光に当てられ、渦巻く暗闇は多少抵抗のようなものを見せたが、瞬く間に消えていった。それを感じ取ったのか、光はひとりでに粒子となって周囲に霧散していく。
「……ふぅ」
そうオレが一息つくころには、暗闇も強い光もきれいさっぱりなくなっていた。
「……さっきの暗闇が原因だったのかな。少し気分が良くなった気がする」
小さく深呼吸をする。先ほどまで感じていた胸の痛みがかなり安らいでいる。先ほどの暗闇から何かよくない空気でも出ていたのかもしれない。魔物も出るくらいの門なら、そういう人に良くない空気とか出ていてもおかしくない気もする。今まで見たことないので、実際のところは分からないけれど。
「しかし……この体すごいな。白魔法も使えるし、何を使えばいいのかちゃんと思い浮かぶし。この門を閉じる魔術も白魔法なのかな? あんまり聞いたことないけど」
オレは両手を見下ろして、ポツリとつぶやく。
こんな白くて細い、華奢な身体なのに、今まで男の時のオレが出来なかったことができる。実際元の少女が操っていた時は、さぞ高名な使い手だったのだろう。
「ほんと、この子は誰なんだろう。こんな強力な魔法がガンガン使えるのに、わざわざオレと入れ替わる必要なんてあったんだろうか」
少しだが直接会話したことがあるというソータの言葉では、彼女は何かやりたいことがあって、それを実行するために体を入れ替えたのだという。
まあオレが見たとき、彼女は剣を突き立てられてて拘束されていたようだったし、その剣さえ抜くことが出来れば、入れ替わるのは誰でも良かったのかもしれない。
「入れ替わるんだったら、ソータの方が絶対に良かっただろうに。こいつ使えないなーとか思われてたら、いやだな……」
とは言え。そもそもあそこまでたどり着く者を待つこと自体が、相当な根気がいることだと思う。あんなところ普通の人間は近寄らないし、道も閉ざされていて解法を知らないものは近づけないようになっていた。あの封印がどのくらい前に作られたのか分からないが、疎いオレですら、周囲の環境の劣化具合から、あの魔術は最近の物ではないことが分かった。
分かったのだが……。
「……何でオレはあの時、扉の開け方が分かったんだろ?」
あの時は必死で深く考えなかったけれど。改めて考えるとおかしなことである。
見たことない術式で、自分でも初めて聞く呪文。不意に回復魔法が思い浮かんだ時と同じような感覚だったと思うが。あの時は何故か封印の開け方が分かったのだ。
あの時はこの女の子の身体じゃなかった。だから、この子の記憶が不意に思い出された……ってわけじゃないはずなんだよな。そうなると、オレ自身に何かがある?
……そう言えば、確かあの時声が聞こえてた。その声は、思い返すとこの子の声じゃなかったか。実は知らない間に、この子がオレに指示をしていた? ……あんまり記憶にないけど。
「んー……。よく分かんないな。……やっぱり一度、この体の元の持ち主に聞いてみるしかない、のかなぁ」
そのためには、彼女の行方を捜すため一度オルエンランドに戻る必要があるだろう。それを為すためには、まずここから離れないといけない。そして離れるためには、捕まっているソータを何とかして解放しなければならない。
「……結局そこに行きつくんだよな」
改めて、ここ数日頭を悩ませている案件にたどり着く。
「……一旦部屋に戻るか。あーもうっ。ソータお前、何者なんだよ!」
オレははぁと大きくため息をつくと、花瓶台から離れ客間に戻るために踵を返した。
門らしきものを閉じた後。たまたま通りかかったカインにそのことを話すと、彼はひどく真剣な表情を浮かべた。その時は用があると言われすぐに別れたのだが、『これからは外出は控えて客間から出ないように』と言われてしまった。オレも不意に門の被害を受けたくない気持ちはあったので、その時は素直に頷いたのだが。
後々オレは気が付いてしまった。
門は、まだこの城の中に現れている気がする。
と言うのも、門の付近で感じた不快感……胸が引き締められるような気持ち悪さが、わずかだが残っていたのだ。
客間で大人しくしていろとカインに言われていたが。その後もオレは城の中を散歩がてら、門を探してみることにした。メイドのアイラには、不安にさせたくないこともあって黙っている。城内に魔物が現れる可能性があるなんて知ったら、不安で仕方ないだろう。
歩き回ることで、どうやら門との距離によって感じる不快感に大小があることが分かってきた。その感覚を頼りに、鬼のように広い城内を歩き回っていると。
「……あった!」
これまた広大な中庭に設けられた複数の噴水。そのうちのこじんまりとしたものの脇に、先日見た黒い靄と同じものを見つけた。
「こんな人の目が多いところなのに、誰も気が付かないんだ」
丁度城勤めの者たちの憩いの場として機能しているのか、中庭に設けられたベンチには、騎士やメイドなど複数の姿がある。丁度オレの横をメイドが一人通り、挨拶を残していったが、やはり目の前の黒い靄には気が付いた様子はなかった。まるで見えていないようだ。
「もしかしたら、普通の人には見えないのかな――」
「アリエルちゃん!?」
とそこで背後からオレを呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、焦った様子で近づいてくるカインの姿が。軽鎧を着込んでいることから、騎士の仕事の最中なのかもしれない。
「客間にいてくれって前言ったじゃないか。どうして一人で出歩いてるの!」
「いやぁ……あはは」
カインが止めていたのを承知の上で、黙って部屋から抜け出した手前、何も言い返せない。なのでオレはへらへらと愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「あ! それよりさカイン! ちょっと」
更に何か言葉を畳みかけようとしていたカインを見て、オレは慌てて言葉を割り込ませる。そして小さく手招きをした。門を見つけたことを普通に報告するには、ここは少し人の姿が多い。手招きに加えて内緒話をするイメージで口元に手を添えると、カインは怪訝そうな表情を浮かべて顔を近づけてきた。
「また門みたいなのを見つけたんだ」
「……何だって」
オレの言葉を聞いて、カインが少し身を引いて驚いた表情を向けてきた。
「まさかひとつだけじゃなかったとは。どこに?」
「丁度ここだよ。このあたり」
オレは黒い靄が浮かぶあたりを指さす。するとカインは何度か瞬きをしながら、まじまじとその空間を眺める。
「……確かに、瘴気が漂っているように見える。でも、相当目を凝らさないと俺には見えないな。魔力で補助してようやっとだ。言われて気が付く程度だよ。よくこんなもの見つけたね」
「……え? そんなに見えないの、これが?」
カインの言葉に、オレは目を見開く。
改めて確認しても、オレにははっきりと黒い靄がうつる。明らかに異質で、白石を使った噴水の脇にあるだけあって遠目でもはっきりと認識できる。だからこそ見つけることができたのだ。
そんなことを話すと、カインの目はオレの顔と黒い靄とを行ったり来たりした。
「――やっぱり俺には、そこまではっきりは見えない。法術士の適性が高ければ、その分瘴気の気配に敏感になるって聞いたことがあるけれど。やっぱりアリエルちゃんは相当な使い手なんだね」
「そ、そうかな……?」
他人の体とは言え、手放しで褒められると照れくさい。無意識に熱くなる頬をごまかすように、オレはぶんぶんと手を振った。
「と、ところでこれどうするんだ!?」
オレのその様子に何を思ったのか、カインは一度小さく笑みを浮かべると、直ぐに表情を改めた。
「これだけ小さな門だ、今すぐに何かが起きるとは考えにくいけれど……。確かに野放しにはできないな。生憎と俺は門を閉じる方法を知らないから、誰かに頼むことくらいしかできないけれど。……確か前に見つけた時は、アリエルちゃん一人で閉じたんだっけ? お願いできるだろうか」
「ああ、任せとけ! たぶんこれくらいなら問題ない。……だから、勝手に部屋の外を出歩いた件については、許してくれよな!」
パンと両手を合わせて、我ながらあざといくらいの上目遣いでカインを見上げる。
それに対してカインは。
「まあ、それとこれとは話が別だけどね」
「何でさ!?」
約束を破ったことを何とか誤魔化そうとしたのだが、あっさりと一蹴されてしまった。
相変わらず真面目で融通がきかない奴だな、カインは。
それはそれとして。
「……取り敢えず、これを閉じることは出来るけどさ。けど強い光が出るから、もしかしたら目立つかも」
以前門を閉じるために使用した魔法? 魔術? は、強い光が発生した。手元が真っ白になるほどの強力なものだったので、どう考えてもここだと目立ってしまうだろう。
そう思ってオレはちらりと周囲を窺いつつ呟くと、カインは少し思案気にした後、小さく頷いた。
「……分かった。ちょっと待っていてくれ」
そう言い残すと、彼は遠巻きに見ていた数人の騎士たちの元へと戻る。その後何かしら話し込むと、急に騎士の一人がどや顔と共に両手を鳴らし始めた。
その騎士は、不敵な笑みを浮かべながら中庭の中央の方に向かう。その後、だらりと腕を落としたと思ったら、不意にばっと広げた。そして、無駄に大きな声で語り始める。
「やあやあ休憩中の紳士淑女の皆さん! ご機嫌いかがでしょうか! 本日はお日柄も良く、この陽気につられて騎士団一の伊達男のこの俺がっ、ひとつ皆さんの休憩のお供をご用意いたしましょう! ……おいそこ、面倒くさそうな顔しないで。――どこをどう見てもイケメンだろっ、あおまっなんでお前振られたこと知ってんの!?」
どうやら彼は普段からこのような感じなのか、いきなり乱入してきた割には、周りからの受けは良さそうだった。というか、だいぶいじられている。そのたびに彼はリアクション過剰に反応し、さらにヤジが飛ばされて……と言った感じ。
「さあ、あいつが人目を引いているうちに、ちゃちゃっと門を閉じようか」
その様子を呆然と眺めていると、そそくさとカインがオレの傍によってそう耳打ちしてきた。どうやら彼らに人目を反らすために協力を求めたようだ。
その気遣いに感謝しつつも、オレは恐る恐るいじられまくっている騎士を指さす。
「えっと……あの人はあれで別に大丈夫なの?」
「ああ、あいつはああいう扱いされるのが好きだから。むしろ進んで引き受けてくれたよ」
「うわぁ」
思わず身を引いてしまった。
その後オレは先日と同様に門を閉じたのだが。終わってもなお、騎士の彼は人目を引き続けていた。何というか……ほどほどにしておいた方が良いんじゃないかなと、オレは思った。
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