そんなに顔に出るのかな……?
サンダードッグの群れから逃げるように走り続けてしばらく。オレの体力が続かず、途中からカインに背負われながら森を移動していると、ようやく森の外へと抜けた。
森の先には広大な草原が広がっており、森に入るときにはあった街道は見当たらない。方向感覚は既になかったが、どうやら来た時とは異なる場所から抜けてきたようだった。
「……取り敢えずこのあたりで待機しよう」
森を出た後もある程度歩を進めたところで、ニケがそう口にした。森の入口すぐで足を止めなかったのは、追手を警戒したからだろうか。その言葉を聞いて、オレはカインの肩を叩いた。
「ありがと。もう下してくれていいよ」
「そうかい? アリエルちゃん軽いから、俺は全然かまわないけど」
「オレが構うんだよ」
大量に走ったおかげで、かなり汗をかいてしまっている。その状態で流石に他人様の背中に居座るのは、居心地が悪かった。
それに、やっぱりソータが心配だ。
「……心配せずとも、あの青年は大丈夫だ。青年自体の実力もあるようだったし、何よりアルベルトが残っている」
すると、そんなオレの心を読んだかと思われるタイミングで、ニケがオレを眺めながらそう口にした。オレは思わず目を丸くする。
「え、何で分かったの……?」
「森から脱出したにも拘らず、そんなしきりに森の方を気にして身を乗り出していれば、大体想像がつく。自分の身の心配よりも、残った者の心配をしていると」
「……そんな顔に出てたか」
オレとしては無意識だったのだが、改めて指摘されるとどこか気恥ずかしい。まるで親離れできない子供みたいな見られ方をされているようで、何とももやもやする。
オレはカインの背中から降りるや、熱くなっている頬を隠すためにうつむいた。
「しかし、すごい数でしたね。俺が離脱する前より増えていましたよね」
改めて広大に広がる森の方を振り返りながら、カインがポツリとつぶやいた。それにニケが頷く。
「ああ。予想通り、あの後開いている門を見つけた。アルベルトのおかげで門自体は閉じることが出来たのだが……。運悪く、サンダードッグの群れがこちらへ渡ってきた後だった」
「と言うことは、さっきの群れをなんとか片付けられれば、あれ以上は増えない……と言うことですかね」
「恐らくな。……うっ――」
とそこで、ニケが不意に小さくうめき声を漏らす。
ぼんやりとオレは森の方を眺めていたが、その声に目を向けると、丁度ニケが左腕をかばって膝を折る瞬間が目に入った。
顔色が青白く、血の気が薄く見える。オレは思わず庇った彼の左腕を見ると、青地の服装にも拘らず、違いがわかるくらい赤黒く染まっていることに気が付いた。
「に、ニケ様!?」
慌ててカインがニケの傍へ走り寄り、その肩を支えた。それにニケは小さく右手を挙げて労う。
「……済まない。先ほどまでは、問題なかったのだがな……。少し気が抜けたと思ったらこれだ。……はぁ、まだまだ未熟だな、私も」
「こんな大怪我してて、今まで動いていたことがすごいですよ! アリエルちゃん、ニケ様を治してくれないか!?」
「っ、あ、ああ!」
あれだけの血染めになるということは、どれほどの傷を負っているのだろうか。思わずニケの腕を見て固まっていたオレは、カインの切羽詰まった様子のその言葉に我に返り、慌ててニケの元へ歩み寄る。
「……アリエルさんといったか。君は、治癒術が使えるのか」
「ああ。と言っても、覚えて日が浅いから治せるかどうかはわからないけど」
あまり自信が無いのでそう口にしたのだが。オレの横からカインがさも当然と言った様子で言葉を発する。
「そんなことないって。冒険者協会では、オレの抉られた肩の傷も治してくれてじゃないか」
「いやあれはっ、オレも何でうまくいったか分からないというか……」
「抉られた傷を……それほどの効果と言うことは、君は魔術師ではなく法術士なのだな」
「そうですよニケ様! だから彼女に任せれば大丈夫です!」
「ああもうそんなハードル上げんなっ。と、兎に角傷口を見せて!」
自分でも不思議に思っている一回ぽっきりの成功を持ち上げられると、非常にやりづらい。
オレは嬉しそうにプレッシャーをかけてくるカインに釘をさすと、改めて傷口に集中する。
痛むのか、恐る恐る袖をまくったニケの左腕は、やはりと言うべきか大きな傷が存在していた。恐らくサンダードッグの歯形と思われる、規則性を持った穴が深々と開いており、血がとめどなくあふれていた。カインの時にも感じたが、やはり胃が引っ繰り返るような気持ち悪さを覚える。今まで大きな傷と言うものを見たことがなかったせいで、重傷に対して免疫がなさすぎるのかもしれない。
「大丈夫かい? 顔が青白いが……」
「だ、大丈夫。大丈夫だから、そのまま動かないで」
オレは吐きそうになるのを、歯を食いしばって耐える。そして反らしそうになる目を無理やり自制して、傷口と相対する。すると治せるか不安だった気持ちがすっと薄れ、治療のイメージが湧き上がってきた。
カインを治療した時と同じ現象だ。
「柔らかな光よ、傷付きし勇士に癒しを授けよ」
傷口に杖をあてがい、頭に浮かんだ詠唱を口ずさむ。すると、杖の先が淡く光り、傷口へとそそがれる。同時にカインを治療した時ほどの奔流ではないが、ぐっと体の力が持っていかれる感覚がオレを襲った。それに耐えながら、オレは杖を握る手に力を籠める。
やがて傷口を覆っていた光は、あるとき役目は終わったとばかりに大気へと消えていく。代わりに現れたのは、血糊こそ残っているが、傷跡がすっかり消え失せた程よく鍛えられたニケの左腕であった。
「……これは、すごいな」
自分の腕が治っていく様をまじまじと眺めていたニケが、思わずと言った様子でつぶやく。その横で、オレは大きく息を吐いてぺたりと芝生の上に座り込んだ。治療の負荷のせいなのか走りこんだ後のせいなのか、足に力が入らない。
「大丈夫か、アリエルさん?」
「……あ、あぁ。ちょっと疲れただけ、たぶん大丈夫。ところで、そっちは?」
「ああ、私の方もすっかり傷が癒えて痛みも無くなった。感謝する」
「そっか。ちゃんと治せて良かったよ」
青白かった顔も多少血の気が戻り調子が戻ったのか。ニケは軽やかに立ち上がる。その後、へたり込んだオレに手を差し伸べてきた。その手を掴むと、優しくも力強く持ち上げられる。そこまでされて、オレはようやく立ち上がることができた。
「貴女はとても優秀な使い手のようだ。まだ幼いのに、大したものだ。この件が済んだら、是非お礼をさせて欲しい」
そう言ってにこやかに笑みを浮かべるニケは、非常に顔が整っていることもあって、いかにも女性受けしそうな雰囲気だった。改めて見ると、着ている服も旅を目的とした機能的なもののようだが、どこか高級感がある。カイン曰くどこかのお坊ちゃん……貴族様のようなので、相当な財力があるのだろう。身体も鍛えられているようだし、まさに絵に描いたような正統派イケメンのオーラを感じる。
そんな彼にこんな至近距離で微笑まれれば、大抵の女性は胸をキュンとさせるだろう。ただ、残念ながらオレは美少女の皮を被っただけの野郎だ。むしろ『イケメンって得だよな』とほんのり僻みの気持ちが湧き上がった。
女の子がみんな簡単にほいほいなびくと思うなよっ。
オレは小さく首を横に振ると、再び森の方へ目を向けた。
「……ところで、ソータたちは大丈夫かな?」
傷を癒していた時間はそれほど長くないとはいえ、あの場から離れてからだとそれなりに時間は経っている。いくら彼らが強くても、あの数を二人で捌ききれるとも思えないので、早々に撤退していると思うのだが……。
オレの不安な声に、ニケも森の方を見始めた。ただそこには、オレの抱いているような不安感を感じている様子は見られない。
「アルベルト……私の従者の老騎士は、細身で穏やかに見えて、剣術も魔術も一級品の傑物だ。観察眼にも優れている。早々後れを取ることはないし、撤退のタイミングを見誤る男ではないさ。……まあ、彼のことを知らない君が不安になるのも十分理解できるが、アルベルトを信じてやってくれ」
「何なら俺が様子を見に行ってきましょうか?」
するとそこでカインがそのような提案をしてきた。それに対して、ニケが首を横に振る。
「申し出はありがたいが。お前がいなくなると、誰が私とアリエルさんを守るんだ?」
「別にニケ様は俺より強いじゃないですか……」
「基礎能力なら、お前の方が高いさ。私はまだ自分の身を守るので精いっぱいだ」
「何を言っているのやら」
親しく会話をしている彼らを見比べる。その様子は、オレの知っている貴族とその護衛の関係とはちょっと違うようだった。
オレもあんまり詳しくないけど。貴族と従者には、大きな身分の差がある。そのため、従者が貴族の子息に対して、こんな友人のような振る舞いが許されることは普通有り得ない。
少なくとも、オレはそんなイメージを持っている。
今更ではあるが、一体彼らは何者なのだろうか。
「あの――」
オレが二人のことについて問いかけようとしたその時だった。
「あ、アルベルトさんだ! ほらアリエルちゃん、帰ってきたよ!」
カインが不意に明るい声を上げた。その声を聞き、オレはばっと森の方へと顔を向ける。
カインの言った通り、そこには森から姿を現すアルベルトとソータの姿があった。遠目だから詳しくは分からないが、少なくとも彼らの足取りはしっかりしている。大きな怪我をしている様子はない。
「ソータ!」
オレは遠くから呼びかけて、慌ててソータへと駆けよる。オレの後ろからは、オレに倣うようにカインとニケも歩み寄ってきた。
「怪我はないか!?」
「あぁ。何とかな」
「ホントか? なんかすごい格好だけど……」
近寄ってみると、ソータの姿はところどころ血糊が付きひどい有様だった。ただ、よく見ると服が破けている様子はなく、外部から何か衝撃が加わったような様子は見えない。
まじまじと見つめるオレを見て悟ったのか、ソータは軽く手を広げて汚れている部分をちらりと見下ろす。
「これは魔物の返り血だ。流石に数が多すぎて、そこまで捌く余裕はなくてな。何回か避けそこなった」
「そ、そうか。……まあ、怪我がないなら良かったよ!」
本当に負傷がなさそうなソータの様子に安心したオレは、笑みを浮かべる。やっぱりソータは強いなと、改めて思った。
その後遅れて追いついてきたニケとカインに対して、アルベルトが小さくお辞儀をする。見るとアルベルトの方も傷を負っている様子は見えない。
「ただいま戻りました」
「ご苦労だったな、アルベルト。大事なかったか?」
「はい。こちらのソータ様のおかげで、問題なく」
「そうか。――ソータと言ったか。貴公も無事でよかった」
アルベルトを労っていたニケが、続いてソータの方に向き直り笑みを浮かべる。それをちらりと見たソータは、小さく肩をすぼめるだけで特に何も言わなかった。
「……ん、ソータ。それ何を持ってるんだ?」
ふと、オレはソータの手に別れる前までは持っていなかった布袋の姿を捉えた。オレの視線に気が付いた彼は、持っていた袋を小さく掲げる。
「討伐の印だ。協会にもっていけば、金にしてくれる。本当は皮とかも剥いでおきたかったんだが、さすがに持ちきれなくてな」
「討伐の印?」
「ほらよ」
オレが首をかしげると、不意にソータが件の布袋を放り投げてきた。慌ててオレが抱え込むと、ずっしりとした重みがオレの手に伝わる。布越しだが、何やら塊が複数個入っているような感触がある。
討伐の証、とソータは簡単に言っているけれど……。
「……何が入ってるんだ?」
きゅっと締められている口を開ける前に、オレは恐る恐る問いかける。するとソータは苦笑すると「変なもんは入ってねえよ」と言った。
「魔石だ、魔石。魔物の体内で生成される、水晶みたいな塊だ。……まあ、水場がなくて取り出したままだから、肉とか血糊とかついてるけどな」
「えぇっ!?」
オレは思わず手に乗せたその袋を体から極力離す。
「ちょ、そういうの先に言えよ! は、はやく取ってくれ!?」
「お前も冒険者するなら、こんくらいでビビるなよな」
鼻で笑いつつソータは布袋を引っ掴むと、自身の腰のベルトへと固定した。
相変わらずソータは強いが、こういうデリカシーはないようだった。
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