サンダードッグの群れ
「……止まれっ」
不意に先頭を進んでいたソータが、鋭く口を開いた。それを聞きつけ、オレは驚いて動きを止める。そんなオレの後ろから、ゆっくりとカインがソータの隣へ並んだ。
「どうした?」
「……この先で獣の悲鳴らしきものが聞こえた。恐らく、何かが争ってる」
「っ本当か!?」
「あ、おい――」
ソータの言葉を耳にするや否や、カインが脱兎のごとく走り始めた。慌ててソータが声をかけようとしたが、もう彼の姿は既に木々の影に隠れ、落ち葉を蹴散らす音が遠ざかっていくところだった。それにソータが舌打ちを漏らす。
「ったく、イノシシかよっ」
「この先にカインの主人がいるのか?」
ソータの横に近寄りながら、オレはカインの走り去った方向を見る。ソータは争う音が聞こえたと言っていたが、オレには全く聞こえない。
オレの問いに、ソータは腰に差した短剣に手をかけながら首を横に振った。
「いや、それは分かんねえ。ただの獣同士の小競り合いって可能性もある。何にせよ、近づいてみないことには分かんねえな。……アリエル」
ソータがちらりとオレの方を向いてきた。そして軽く手をかけた短剣をゆすって見せる。それは『武器を構えておけ』と言う合図で、それを見たオレは背中に戻していた杖に手をかけた。
オレが杖を眼前で握りしめたことを確認すると、ソータは小さく頷くと改めて前方をにらんだ。
「……行くぞ」
「う、うんっ」
カインのような勢いはないが、さっと走り始めたソータの後ろを、オレは慌てて付いていく。
いくらか木々を避けつつ走っていると。急に木々の向こう側が明るくなった。どうやらこの先は森が少し途切れているらしい。オレはまぶしさに目を細めながらさらに進むと、ようやくその先の光景を視認することが出来た。
「うわ……」
思わずオレは息を飲む。
そこは不自然に木々が存在しない空間であった。
まだ高い日が燦々と降り注ぎ、緑を綺麗に照らすその空間は、見る者に神秘的な印象を与えるだろう。
しかし、そんな本来幻想的な景色が広がるであろう場所は、今やおびただしい数の死骸とどす黒い血で汚染されていた。
死骸はすべて黒い毛で覆われた犬のような生物だった。首を落とされたもの、胴から内臓をはみ出しているもの、半分しか体が無いものと様々だった。
すぐにオレは気持ち悪くなって口元を押さえる。朝何も食べていなかったことが、ここにきて幸いした。
そんな地獄のような光景が広がるその場所では、三人の人間の姿と、数えるのも大変な黒い体毛の魔物の群れが対峙していた。
そのうちの一人は、やはりというかカインであった。カインの横には、白髪を後頭部で束ねた細身の老紳士が、針のように細い剣の先を魔物の群れに向けている。そしてその二人に守られるような位置には、青い髪の青年が剣を構えつつも反対の手をだらりと下げて立っていた。
「……あいつらがカインの言ってた坊ちゃんとやらと仲間か」
オレの横で木々の裏に隠れて様子を窺っていたソータが、ポツリとつぶやく。その間も、散発的に黒い体毛の犬……あれがサンダードッグなのだろう……魔物が三人へと襲い掛かっていた。そのうちの何匹かは、丁度眉間のあたりに紫色の小さな魔法陣を浮かび上がらせていた。
「岩壁よ!」
不意に老紳士が細身の剣を構えつつ、片手を掲げてそう口にした。直後、三人の目の前に石でできた盾が浮かび上がる。それに遅れて、サンダードッグの眉間の魔法陣から、複数の紫の筋が放たれた。
紫の筋は、オレでは目で追えない速度で石の盾に着弾、大きな音を立てた。それを確認するや否や、石の盾からカインと青髪の青年が飛び出す。そうしてカインが近づいてきたサンダードッグに自慢の直剣を振り下ろした。深々と胴体を切り裂かれたサンダードッグが、悲鳴を上げながら後方に飛んでいく。その横では、片手を負傷した青年が、滑らかな剣筋で別のサンダードッグの首を落としていた。
打ち合わせを行っていたのかは分からないが、非常に鮮やかな連携だ。
「……すごい」
オレはぼんやりと目の前で繰り広げられている戦闘を見つめる。
決して少なくない数のサンダードッグが襲い掛かってきているはずなのだが、三人は場所を立ち替わりしながら、大きな怪我なく捌ききっていた。
ただ、それでも魔物の数が多い。うまく捌いてはいるが、少しずつ押されているようだった。特に青い髪の青年は、負傷した腕が災いしているのか、どこか動きにくそうにしている。
……できれば、手助けをしたいところだけどっ。
必死に魔物と闘っている三人を見て、オレはそう思った。しかし体をこわばらせるも、何も行動に移せないでいる。あの戦場の只中に碌に戦う能力のないオレが行っても、無駄だということが考えなくても分かっているからだ。
そ、ソータは。
オレは頼みの綱であるソータの方を振り向く。
当のソータは、短剣の柄に手をかけているものの、じっと戦場を見るだけで動く気配はない。彼のことだから怖気づいている、と言うことはないと思うが……。厄介な敵だから戦いたくないと言っていたから、やはり二の足を踏んでいるのだろうか。それとも、そもそもあの人たちを助ける気が無い?
そんなことを考えていると。どうやら知らぬ間に気が緩んでしまっていたらしい。
無意識に握りしめていた杖の先端が目の前の木に触れ、乾いた音を立てた。
ほんの些細な音だったのだが。
待機していたサンダードッグの一部が、オレたちの存在に感づき顔を向けてきた。
遠目でもわかるギラリと光る赤い目が、オレをまっすぐに見つめてきたのだ。
そして間髪入れず、何匹かがこちらへ向かってくる。
「ひっ!?」
魔物の移動速度は恐ろしいほどに早い。黒い体毛ゆえに目立つ白い鋭い牙が、瞬く間にオレへと肉薄してくる。それにオレは声にならない悲鳴を上げるしかなかった。
「っち!」
硬直して全く動けなくなっていたオレの腕を、不意にソータが引っ張ってきた。引っ張られたことでがくんとオレは体勢を崩したが、咄嗟に足が伸びたのは幸運だったかもしれない。
ソータに引っ張られる形で、オレたちは木々の切れ間へと躍り出る。
「そのまままっすぐ走れ!」
そう言うと、ソータはオレの腕をさらにぐいっと引っ張った。サンダードッグの群れがいる方とは反対側へ投げ飛ばす勢いでオレを引っ張った彼は、たたらを踏むオレに背を向け、迫りくるサンダードッグへと向かった。
「そ、ソータ!?」
「いいから、さっさと逃げろ!」
慌ててオレが振り返ると、既にソータは近づいてきたサンダードッグを一体切り捨てているところだった。同時に飛びついてきたもう一体を蹴り飛ばし、左手に持っていた短剣を次に近い個体に投げつける。短剣は見事にサンダードッグの眉間へ突き刺さり、その個体は疾走した勢いのまま地面を転がった。刺さった短剣は、不思議なことにサンダードッグが地面に転がるや否や、引っ張られるようにソータの手元へと戻っていく。一瞬だが、光る糸状のものがソータの左手と短剣の間に見えたので、投げても手元に戻せるという、そういう機構の付いた短剣のようだ。
流石と言うべきか、オレのヘマで戦う羽目になったソータだが、何とか応戦できているようだった。しかし、安心する間もなくオレは気が付く。
迫りくるサンダードッグの群れに隠れて、一体がソータの方を向きつつ眉間に魔法陣を浮かび上がらせていた。
オレは慌てて声を上げる。
「ソータ! 電撃が来る!」
オレの言葉に反応したのか気が付いていたのか定かでないが。オレが言い終わる前に、不意にソータは一度右手の短剣を手放すと、素早く腰元からナイフを投げた。直後、魔法陣から放たれた電撃が、宙を舞っていたナイフへと着弾する。そのままナイフは推進力を失い地面へと落下したが、電撃もナイフに吸い寄せられてこちらへ飛んでくることはなかった。
「っち、数が多い!?」
それを確認する前に、ソータはさらに迫ってきていた一体に対して、手放していた右手の短剣を握り直し迎え撃った。その一体は大きく口を開けた状態で迫ってきており、何とか短剣の応戦が間に合った形だ。もうあと数瞬遅れていたら、ソータは深々と肩を食いきられていただろう。
カインの肩が大きく抉られていた光景がフラッシュバックし、オレは顔が青ざめるの を感じた。
こ、このままじゃソータも大怪我してしまう!? 助けないと!
でも、どうやって――
「アリエルちゃん、こっちへ!」
ソータには逃げろと言われたのだが、オロオロと戸惑っていたオレの耳に、不意にそんな言葉が聞こえてきた。声の方を振り向くと、カインがこちらへ近づいてくる様子が映る。その背後には、老紳士と青髪の青年の姿もあった。見ると、彼らの周りは一通り魔物が一掃されているようだ。
「さ、早く!」
カインはすぐさまオレの横にたどり着くと、慌てた様子でオレの腕をとった。その後ぐっと引っ張られる感覚を覚えたが、オレは思わず踏みとどまる。
「で、でもソータが!?」
「彼ならきっと大丈夫だ! だから君は早く離れた方が良い!」
「あんなぎりぎりの戦いして、大怪我するかもしれないじゃないか!」
「――私が加勢に行き、彼を引き連れてきます。一度引いて体制を立て直しましょう」
オレがカインの無責任な言葉に憤慨していると。いつの間にか近くにいた老紳士が、そう口にした。彼はその後低い姿勢でオレの横を通り過ぎる。その足で、ソータの横から迫ってきていた一匹に、鋭い突きを繰り出した。その突きは相当な勢いがあったらしく、魔物はまるでボールのように後方へ吹き飛んでいった。
その身のこなしをみるに、あの老紳士は魔術だけでなく剣術も相当な腕前なのだろう。
不意に右手横から現れた老紳士にソータはちらりと振り向き、わずかに彼に対して背を向けた。そうして正面から近づいてきたサンダードッグに対して、両手の短剣を投げつける。
一方で老紳士は向かって右手側から近づいてくる魔物に対して、魔術で作った火球を飛ばし始めた。
わずかな目配せで、お互いの背を預けて戦うことを共有したようだ。
「アルベルト!」
残った青髪の青年もオレの近くまで寄ってくると、老紳士に向かってそう声を張り上げた。それを耳にした老紳士が、目前の魔物から目を離さず、ほんの少しだけ首をこちら側に向ける。
「我らは後で追いつきます。ニケ様達は先にお逃げください」
「……分かった。死ぬなよ」
ニケと呼ばれた青髪の青年は、それだけ言うと、オレとカインの方に振り向く。
「この先に進めば、森の端がある。一旦そこまで退こう」
「分かりました」
彼の言葉に、カインはすぐさま頷いたが。オレは不安になり、再びソータの様子を窺う。
「ソータ!」
「お前も先に逃げてろ! こいつら撒いたら合流する!」
オレの呼びかけに、ソータは振り向くことなくそう突っぱねてきた。そこには、アルベルトと呼ばれた老紳士の助太刀があったおかげか、幾分余裕があるように聞こえた。
大丈夫だ。カインの言葉じゃないけど、ソータは強いから、大丈夫だ。
「……絶対、追いついて来いよ!」
オレはぐっと杖を握りしめると、こちらの様子を窺っていたニケとカインに連れられ、脱兎のごとくその場から離脱した。
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