地図を確認してみよう

 その後、オレは学校としても使われているという小部屋に連れられた。そうしてお茶を届けてくれた女性に、白魔法について教えてもらっていたのだが。続々とそのほかの修道士の人たちが来るわ来るわ。結局白魔法についての講義は実に夕方まで続き、教会の仕事があるからと名残惜し気に終了したころには、オレは身体のみならず精神も割とへとへとになっていた。


 けど、おかげで簡単な白魔法なら使えるようになった! これでオレだって立派な魔法使いだぞ!


 今まで魔のつくものとは無縁の生活を送ってきて、憧ればかりが先行していた。そんな魔法をいざ自分が使えるようになったということは、かなり嬉しい。ソータが帰ってきたら自慢してやろうとほくそ笑みながら、オレはあてがわれた部屋に戻る。


「――ああ、帰ってきたか。遅かったな」


 そこには先にソータの姿があった。いつの間にか帰ってきていたようだ。彼は机の上に地図を広げつつ、その脇でナイフを研いでいた。

 刃渡り十センチ程度に見えるそれは、戦闘時に使っていたものとは異なりそうだ。


「戻ってたんだな。なあソータ、オレ遂に白魔法が使えるようになったぞ! すげえだろ!」

 オレが顔を合わせるや自慢げにそう胸を張ると、彼は「へぇ」と挑発的な笑みを浮かべた。

「本当に白魔法に才能があったなんてな。そんなに自信があるたあ、さぞ素晴らしい魔法を覚えたんだろうな?」

「あ、お前馬鹿にしてるだろ? オレなんかが白魔法なんて使えるわけないって。残念でした! 見てろ」

 そう言ってオレは、講義の末にもらった胸元くらいの長さのある木の杖を掲げた。先端に小さな水晶が埋め込まれていて、簡素な造りだがちょっとカッコいい。

 それはそれとして。講義中に成功した時のことを思い出し、力強く唱える。


「光よ、暗闇を照らせ!」


 すると杖の先から拳大くらいの光の玉が現れ、ふよふよとあたりを漂い始めた。その光の玉のおかげで、部屋の中が備え付けられた照明以上に少し明るくなる。

「どうだ!」

 オレは現れた光の玉を指さしながら、自信たっぷりにソータを眺めた。この照明は白魔法の中でも基礎の基礎だ。だが、適性のない者はこれすらも発現させることが出来ないらしい。

 つまりこの光は、オレが本当に白魔法に適性があるという証でもあった。


 しかし当のソータはその光を眺め、なんだか反応が薄い。

「ああ。……まあ、松明替わりにはなるんじゃねえか?」

 だめだ、あまり感動していなさそうだ。インパクトが足らなかったか。

「だ、だったらこれはどうだっ。……盾よ、光を纏いて守り給え!」

 次の詠唱で再び杖の先が光る。すると今度は、オレとソータの中間あたりに光の膜のようなものが発生した。その膜はやがて小さく円形の盾のような形をとり、最後にはオレの手のひらサイズくらいの光の盾へと変化した。

 今度こそソータは目を見張るだろうと期待したのだが。




「小さっ!?」




 彼はあろうことかそんなことを言いやがった。オレの求めていたものとは違う方向で目を見張っていた。

 オレは思わずぶんぶんとソータに向かって杖を振りかぶった。

「何だよ! 文句ばっかり言うなよな!? 白魔法って、使えるだけですごいんだぞ!?」

 この凄さが分からないなんて、なんてソータは無感動な奴なんだろう! と憤慨して見せるが。冷静に考えると、白魔法に詳しくない一般人ならこんなものなのかもしれない。魔力の照明なんて火の魔術でも賄えるし、盾だっていろいろな元素で作ることが可能だろう。もしかしたら魔法のチョイスが悪かったのかもしれない。

 けれど、そもそも回復や浄化魔法などは、怪我人がいない現状だと効果が見えない。白魔法の本領ともいえるところで自慢できないことが、とても歯がゆく感じる。とはいえ、じゃあ自分で傷の一つでもつけてみるかと言われると、絶対嫌だが。

 オレはそんなもやもやした気持ちを、ソータへの八つ当たりで解消することにした。


「そういうお前は何やってたんだよ! 情報とやらは何か手に入れてきたのか!?」

 それに対してソータは、特に気にする様子もなく、「まあ最低限必要なものはな」と口にする。その後、机上にある地図をあごで指した。


「これは……大陸地図?」

「ああそうだ。どちらかと言うとインテリアとして飾る用途なせいで、碌な情報が書かれてねえが。まあ、大まかな位置を把握するくらいならできる」

 オレが地図をのぞき込むのを確認すると、ソータは研いでいたナイフの水気を拭い、切っ先を地図上に向けた。


「俺たちが今いるファーフォルトって町は、このあたりだ。レイテンシア王国の西側、隣国との国境にほど近いところに位置する。数日前にはオルエンランドの中部にいたから、相当ふっ飛ばされたことになる」

 ソータの持つナイフの先が、大陸の西へ東へと大きく移動する。オレは修道士の女性から聞いていたから改めて確認した形になるが、やはりとんでもない距離だなというのが正直な感想だ。

「転送魔術って、こんな遠い距離を移動できるんだな」

「まあ誰でも出来るわけじゃねえだろうな。もしできるんだったら、はるばる他国から荷馬車なんて引いてこないはずだ。お前の元の体の主が規格外だった、と思っていいだろう」

 確かに、大陸を横断できるような転送魔術が普及していたら、今頃ものの流通はすべて転送魔術でまかなっていることだろう、けれど、現実はそんなことはなく。陸路と海路がすべての運輸手段で、そこには転送魔術の姿はない。そもそも転送魔術自体が相当高難度で、黒魔術を扱う誰もが習得できるものではない……と、どこかで聞いた記憶がある。


「それで? ここからどうやってオルエナに帰るんだ?」

 オレはそう口にしつつ、まじまじと大陸地図を眺める。

 オルエンランドとレイテンシア王国は、距離はまさに大陸横断クラスであるが、全く交流が無いわけではない。両国を繋ぐ街道も一応あるにはある。

 けれど問題なのは、オルエンランドとレイテンシア王国の間……この大陸の中央部には、かなり急峻な山岳地帯が存在するという点だ。その標高は、ほぼ通年雪が積もっているレベルで高く、十全な装備をした旅人でも無事に通過するのは相当運がいるという、過酷な環境だ。まあ街道はその山間を縫い、比較的標高の低いところに敷いているらしいが、それにしたって一般人が気軽に通るような場所ではないと聞く。

 ただ、その景色は実に雄大で、一生に一度は拝んでおきたい光景だともっぱらの噂だ。

 気にはなるけれど……根性のないオレには、縁のない話だなぁ。平地の森ですら、ひいひい言ってるんだから。

 それはソータも同じ意見なのだろう。


「陸路はまあないな。山岳を超えるのは無理だ。装備もねえし、お前は途中であきらめるのが目に見えてる」

「……いやそうだろうけどさっ。お前だって山を登るの嫌だろ!?」

 同じことをオレも思っていたが、いざ他人に指摘されると腹が立って仕方がない。オレの憤慨を「まあ極力避けたいのは確かだけどな」と涼やかに流したソータは、続いてナイフの切っ先をファーフォルトから東側に動かした。行きついた先には陸地が描かれていない。


「そうなると、海路一択だ。海路ととなると、まずはオルエンランドまでの便がある大きな港に行くことが必要だ。選択肢としては、ここから東に進んでレイテンシアの王都の港を使うか、南に下って国境を越えて、大陸南部の港を使うかになる。……まあ採るなら前者だな」

「ん、どうしてだ? こっからだと南の方が近くないか?」

 ソータが動かすナイフの切っ先は、ファーフォルトから先に北東の海岸線に移動した後、戻って南の海岸線へと移動した。その移動量には差があり、見た感じ南側の方が少なかった。実際地図上の直線距離も、南側の方が有利にみえる。

 オレが首をかしげていると、ソータは小さくため息をついた。


「距離自体はな。だが『国境を超える』と言っただろ。面倒な手続きをしないと、国境は超えられねえんだ。国から認められた商人なんかはすぐだが、ただの冒険者でしかない俺たちは、国境を超えるだけで相当な時間が必要になる。それなら、王都に行った方が早い」

「そうなんだ……」

 オレは国境を超えるほどの遠出をしたことがなかったので知らなかったが、国を渡るということはかなり面倒なことらしい。


「――あ、でも。それは船に乗って移動するのも同じことなんじゃ? 国境を超えるのは、船旅でも同じだろ?」

 ふと気が付いてオレがそう口にすると、ソータはちょっと驚いたような表情を浮かべた。

「……何だよ?」

「いや、抜けてるお前がそこに気が付くとは思ってなくてな」

「はぁ? 馬鹿にしてんのか!? それくらいオレだって気が付くわ!」

 一体こいつはオレのことを何だと思っているのだろうか。ほんと失礼な奴だな!

 腕を組んで不機嫌アピールをするオレに対して、ソータは鼻で笑うだけで特に謝ることをしなかった。いや謝れよ。


「確かに国境を超えるのは陸路と同じなんだが。船だけは少し事情が違うんだ。船旅で国境を超える場合は、特にそういう手続きは必要ねえんだ」

「ただし――」とソータはナイフの切っ先を軽くオレに向けると、軽くトーンを落として口を開いた。

「相応の金がいる」

「……え、お金?」

 思ってもみなかった言葉に、オレは眉をひそめた。


「金が要るって、どれくらいなんだ?」

 オレは自身の財布を入れているリュックの方を眺めながら問いかける。しかしソータは「具体的な相場は行ってみないと分からん」と投げやりな返答をしてきた。

「ただ、通例としてかなり高額な旅費が請求されるのは確かだ。少なくとも、俺はそこまで持ち合わせはねえ」

「まあ、タダ飯たかるくらいだもんな」

 聖都での出来事を思い出しながらそうからかうと、ソータは珍しく苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。なんだかやり返せたようで、ほんのりオレの気分が晴れる。


「……兎も角、オルエンランドに帰るんだったら、取り敢えずこの国の王都まで行って、船を使うのが一番だ。そのためにも、道中路銀を稼ぎつつ移動する必要があるな。……都合よく王都までの護衛でもあればいいんだが」

「移動しつつ、お金が稼げるってことか」

「そういうこった。とは言えそれだけじゃ足らねえだろうがな。……まあ、明日また町で情報を探ってみる。お前はどうする?」

 ソータは位置を指すのに使っていたナイフを専用の小さな鞘に納めながら問いかけてくる。さてオレは明日どうしようか。


 オレは少しだけ悩んだが、直ぐに結論が出たので明後日の方を向いていた顔をソータの方に戻す。

「……オレも一緒に付いてっていいか? 本当は白魔法をもっと覚えようかなと思ったんだけど。なんか修道士さんたち明日は忙しくて、教えてくれる時間取れないって言っててさ。それなら、離れる前にオレも町を見ておきたいんだ」

 既に王都を目指すことが決まっている都合、この町には長く滞在することはないと思う。それなら、回れるうちに色んな所を回っておきたいという欲が出てきた形だ。この町はオレにとって、オルエンランド外で初めて訪れた場所である。


 いきなり転送魔術なんていうとんでもないことに巻き込まれて、混乱や戸惑いも相応にある。けれど、初めての国外の旅というのは、どこか憧れていた冒険感があってとてもワクワクするのだ。高々定期馬車を乗り継いで行ける聖都に行くのだって、ワクワクが収まらなかったほどだったのだから。それ以上の高揚感が胸の内から湧いて出るのは、やむを得ないだろう。

 対してソータの方は、さして気分が高揚しているような様子は見られず、いたって平常運転だ。やはり旅慣れているせいなのだろうか。


「邪魔しないのならな」

「邪魔って……お前ほんとオレのことを何だと――」

 相変わらずの塩対応なソータに対し再び物申そうと口を開いたところ、不意にソータが手元に持っていたナイフをオレの方へ放ってきた。慌ててオレは飛んできたナイフを左手と胸を使って抱え込む。


「あ、あああっぶないなぁ!? ひと様に向かって刃物投げんなよ!」

「鞘が付いてるし、固定もされてる。投げたくらいじゃ抜き出ることはねえよ」

 そう言われて手元に飛んできたナイフを確認すると。確かに握りと鞘との間に、小さな金具が一つ備え付けられていた。その状態だと、上下に軽く引っ張ったくらいでは抜けないことが分かった。一方で、握る際に軽くその金具を押し込むと簡単に繋ぎは外れ、するりと鋭利な刃が姿を現す。刃渡りは十センチ程度と小ぶりだが、透き通るような銀色と研ぎ澄まされた刃が、武器に詳しくないオレにも兎に角美しく映った。

「……これは?」

「護身用だ。お前にやるよ。お前、ここに飛ばされる際に剣を無くしてただろ。白魔法使いには使う機会はねえかもしれないが、いざという時に持っておいて損はねえからな」

 何ともないようにソータは言っているが、恐らくこれは相当いいものであろうと思う。その証拠に、このナイフは想像以上に軽い。市販ではとてもじゃないけどこのサイズでこの重量は出せないだろう。……オレがわかる比較対象は、包丁だけども。

 包丁よりはしっかりした造りなのに、重量は包丁以下。非力なオレでも十分扱える重量である。オレに見合ったものを、ちゃんと見繕ってくれたのだろう。


「……ありがとう」

 何かと口の悪いソータだが、こういう気配りができるということは、やはり根は善良なのだろう。オレが素直に感謝を述べると、彼はひらひらとおざなりに手を振った後、「さてと」と椅子から立ち上がった。

「取り敢えず晩飯をさっさと済ませて、今日は早めに寝るぞ。情報収集するには、人が集まる朝が良いからな」

「そうだな。頭使ったせいで、オレもうお腹ペコペコだ!」

 そうして町で見かけた、地元では食べたことのないご当地の料理に舌鼓を打った。その後、やはり相当疲れがたまっていたのだろう、オレは気絶する勢いで眠りについた。

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