め、目が覚めると……

『―…―、また泣いちゃってるの? 仕方のない子だなぁ』

 女性の声が、頭上から聞こえてくる。直後に伝わる、頭を撫でられる感覚。その手つきは、女性の優しさを感じさせるものであった。

『ったく、相変わらず泣き虫だな―…―は』

 女性の後ろからは、男性の声も聞こえてきた。言葉尻からその男性は呆れていることが窺える。

 そんな男性に対して、女性は撫でる手を止めないまま反論する。

『他の子たちがお転婆すぎるから、この子はこれくらいが丁度いいじゃないかな』

『とはいってもな。いちいち治療の度にべそべそされると、こっちとしても居心地悪いんだ』

『それだけこの子が優しいんだよ。……こういう子が、もっと増えれば世界は平和なのにね』

『まあ、そりゃ無理だろうよ。このご時世だ、弱ぇやつから死んでいく。お人好しが生きていくには、この世界は厳し過ぎる。こいつだって、いつ死ぬか分かんねえよ』

『……とか言って、面倒見がいいよね君は』

『ばっか言え!? なんでそうなるんだよっ』

 笑う女性と、ふて腐れたようにそっぽを向く男性。他にも、たくさんの人が見守ってくれている。


 ―…―は、涙を流しながらもそれがとても嬉しくて。大変な世界だと分かっているけれど、出来ることなら、こんな時間がずっと守られればいいなと思った。







「…………?」

 ゆっくりと、意識が覚醒していくのを感じる。同時に夢を見ていたような感覚も、それに呼応するかのように色あせていった。

 オレはゆっくりと目を開けた。

「……あれ、オレ――」

 いまいちはっきりしない意識の中で、重い頭を上げる。どうやらオレは横になっているわけではなく、座り込んでいる状態であることが分かった。

「…………ん?」

 目に入ってくる光景が、意識が戻ってくるにつれだんだんと鮮明になっていく。やがてはっきりと輪郭がとらえられるようになると、目の前には鬱蒼とした木々が連なっていることが分かった。


「……どこだここ?」

 軽く視点を動かしてみても、見える景色はあまり変わらない。一面木々が立ち並ぶばかりで、それ以上のものが何もない。辛うじて、木漏れ日が随所にもれていることから、夜ではないということは分かるが。

 鬱蒼とした森の中……分かるのは、ほんとうにそれくらいだ。


「なんでオレはこんなところに――」

 寝起きだからあまり動いていない頭は、取り敢えずもう少し情報を集めた方が良いと思い、立ち上がることを指示する。しかし、体が言うことを聞かない。

 というか、何かに引っ張られているのか、何かに寄り掛かった体が全く動かない。

「……?」

 何度か揺すってみても、それは全然変わらなくて。仕方なくオレは無理やりにでも立ち上がろうとしたのだが。足も何故だか自由に動かない。両足がひっついて離れてくれないのだ。

 一体何が、と自身の足元に視線を落としたところで。


「……は?」


 オレはもやもやしていた意識がすっと鮮明になるのを感じた。

「――え? な、何だよこれっ」

 オレは思わずそう漏らした。


 異常なくらい、細い。

 見慣れたオレの足の姿はそこになく、ほっそりとしなやかな色白の脚部がそこにはあった。

 まるで、女性のそれのような。確実にオレの足ではない。

 加えて、その女性のような足は、二か所ほど縄で縛りあげられていた。


「え? あれ!? オレの足これ!?」

 両足の固定が外れることはないが、左右に揺らすとオレの意思に合わせてその女性の足も左右に振られる。

「ちょ、何で――え!?」

 咄嗟にその足の感覚を確認しようと手を伸ばそうとしたが。ぎしりという音が背後からしただけで、腕も一切動かない。見るとほっそりとした両腕が後ろに回され、胴と一緒に縄で固定されている。

 どうやらオレは完全に縛り上げられているようだった。

 それだけでも十分目が覚めるほどの異常事態なのだが。オレを混乱させる要素はまだあった。


「え、何この服!? それに……これ髪?」

 着ている服が、オレの知っているものではない。

 オレの記憶では、今は冒険に出かけるための、皮の軽鎧と厚手のレギンスをつけているはずだった。決してこんな腕も足もさらけ出すような白いワンピースなど着ていた記憶はない。

 それに自身の体を見下ろしている最中に気が付いたのだが、肩口からさらりと髪が前へ流れ出てきていた。指通りの良さそうな綺麗な銀髪が、オレの視界に映る。

 まるで女性の髪のようなきめ細かさだ。


「ど、どういうこ……んん!?」

 とそこで、ようやく自分の声がやたら裏返っていることに気が付いた。何度か咳払いをしてみたが、調子が戻ることはなく。普通に声を出しても、聞こえてくるのは声変わりなんて無縁の透き通ったソプラノ。

 まるで少女のそれのような高い声だ。

 明らかにオレの体に何かが起きている。けれど身動きが取れないオレは、何が起きているのか確認することが出来ない。


「な、何だよこれ……」

 訳の分からない状況に、オレは思わず目が潤むのを感じる。

 突然見知らぬ場所で目が覚めて、何故か拘束されていて身動きが出来ない。その上、まるで自分の体が少女のそれに変わっているかのような状況。周囲には人の気配もない。

 もう泣くしかない。


「だ、だれかぁ……っ」


 情けなくぐずぐずと嗚咽を漏らすオレ。

 その音をききつけたのか、不意に近くからがざりと草木を何かがかき分ける音が響いた。その音に、オレは悲鳴を上げる。




「……目が覚めたのか」




 現れたのは、見覚えのある軽装で黒髪の青年。ソータであった。


 彼は片手にナイフを持ち、行く手を阻む枝や葉を切り落としながら、こちらに近づいてくる。彼の姿に得も言われぬ安心感を覚えたオレは、ずびずび鼻を鳴らしながら助けを乞う。

「ソータ!? た、助けてくれソータ! 何か訳わからないうちによくわからないことになってて!?」

 支離滅裂な発言だとは重々承知していたが、何も情報がないし、混乱していたし、怖いしで、そのくらいしか説明することが出来なかった。


 当のソータは、そんなオレの姿を眺めると、ふと立ち止まった。何故か、左手が腰の短剣の柄に触れている。

 そして、明らかに警戒した様子でそう口にした。


「……お前は誰だ?」


 お前まで訳の分からないこと言うなよ!

 オレは、思わず声を大きくした。

「見てわからないのかよ! アリエルだ! 飯奢って、一緒に遺跡に行っただろ!?」

 オレは必死にそう口にするが、ソータの様子は変化がない。オレの方を半ばにらみつける形で眺めてくる。

 ソータとの付き合いはたった一日二日程度で、浅いというのもおこがましいくらいだ。けれど、ビビり散らすオレに対して何だかんだ面倒を見てくれた彼を、オレはかなり信頼している。

 だから彼なら、文句を言いつつも助けてくれると思ったのだ。

 だというのに。


「……なんで、お前までそんな目を、するんだよ」


 ソータが向けてきたのは、警戒感を隠さない目であった。

 そこには目覚める前まであった、友人のような親しさはない。

 訳の分からない状況に不安で押しつぶされそうになったところに、信頼していた友人からの冷めた目。

 それはオレにとって決定打になった。


 ぼろぼろと涙がこぼれる。感情に押しつぶされて、全然制御がきかない。泣いても仕方がないことは分かっている。分かっているのだが、止められないのだ。

 男のくせに十六にもなって、みっともなく涙を流す。そんなオレに、果たしてソータは何を思っただろうか。


「……あー、分かった分かった!」


 不意にそんな投げやりな言葉が聞こえたかと思うと、不意にうつむいていた頭上にぽんと何かを乗せる感覚。小さく見上げると、いつの間にか目の前に中腰のソータがいて、その手はオレの頭の上にのせられていた。左手はもう腰の短剣に添えられていないし、右手に持っていたナイフも仕舞われたのか空だ。

「お前はアリエルだ。こんな泣き虫、そうそういねえよ」

「だから泣くなって」と困り気味につぶやき、彼はぽんぽんと軽くオレの頭を撫でてきた。まるで子供扱いだが、両手足が動かないオレは、ただただその慰めを受け取るしかできなかった。







「すぐ近くに川があるから、そこで顔洗って来い。俺が警戒した理由もたぶんわかるだろ」と、縄をほどきながらソータは言った。ほどなく泣き止んだオレも、時間とともに羞恥心が湧いてきて、動けることがわかるとそそくさとソータの傍を後にした。


「友人の前で十六の男が号泣って、恥ずかし過ぎるだろっ」

 頭を抱えながら、オレは木々の間を歩く。足と同様、腕もやたら細いことに不安感を抱いたが、それよりも今は自分の情けなさに伴う羞恥心の方が勝って気にならなかった。

「あーもう、一体なんだっていうんだ!」


 ちょっと前まで、オレたちは郊外の廃教会の中にいたはずだ。その奥にあった不思議な空間にいたところまでは記憶があるが、そこからいきなり記憶はこの森に飛んでいた。どうやって脱出したのか、全然記憶にない。

 そもそも、ここはあの廃教会近くの森なのだろうか。地図上では、確か近くに川なんて流れていなかったと思うのだが。

 恥ずかしさを紛らわす意味も込めて、ぶちぶちと文句を垂れながら歩いていると。比較的すぐに水の流れる音が聞こえ始めた。オレはその音を聞きつけると、少し歩く速さを上げる。


「おお、きれいな川だ!」


 ほんの少し木々の間を下る。するとそこには、川が流れていた。ひとっ跳びで対岸に行くことは出来ないが、数歩歩けば渡り切れるような、そんなサイズの川だ。深さはないが、水量はあるのか透き通った水が淀みなく流れている。これなら、飲み水としても十分だろう。

 オレはそそくさと川に近づくと、水面を覗き込んだ。足を踏み入れたところは礫が多く、丁度近場の川原にはほとんど流れのない水たまりのようなものが出来ていた。別に濁っているわけではないが、何となく流れがない分汚れているような気もする。ここでは手を洗わない方が良いなと思った。

 そんな時である。


「……あれ?」

 水の流れがないせいか、水面は丁度鏡のように周りの景色を反射していた。丁度そこにオレは顔をのぞかせたので、木々の切れ間から見える青空と、瑞々しい木々の緑に挟まれるようにして、オレの姿が映り込んでいた。


 特徴的なのは、艶やかな長い銀色の髪と吸い込まれるような翡翠色の瞳。

 まるで周りの景色の集大成のような色合いをした、見目麗しい少女が、そこには映り込んでいた。


「え?」


 そこに映るのは、本来茶髪で焦げ茶色の瞳という、ごく有り触れたオルエンランド人の冴えない少年……オレの顔のはずなのだが。

「ええ?」

 オレは咄嗟に右手で自身の頬に触れる。すると水面に映った少女も、鏡のように同じ仕草をした。左手でも同じようにしてみたが、結果は変わらない。可愛らしく頬に両手を添える美少女がいるだけだ。


「ま、まさか――」

 オレは頬にあった両手を、おもむろに自身の胸元へと持っていった。

 そこには、豊か……とは程遠いが、男の時にはない確かな柔らかい感触が。

 見下ろすと、服越しでもほんのり何か盛り上がっているのが分かった。

「え、じゃ、じゃあ……」


 嫌な予感をびしびし感じながら、オレは恐る恐る自らの股間へと手を伸ばす。

 そして、ふわりと触れてみた。



 そこには、十六年連れ添ってきた息子さんの姿はなかった。

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